41.静かな湖畔の、魔法訓練。
そして、週末がやって来た。
まだ朝日が昇って間もない赤樫亭は、普段の仕事の日とは違う穏やかな空気に包まれている。
台所では朝からハンナと恒一が並んで弁当作りをしていた。
焼いた肉に、卵焼き。季節の野菜を使った煮物に、昨日のうちに仕込んでおいたおかずも詰めていく。
「ほら、できたよ」
最後に蓋を閉め、布で包み終えたハンナが満足そうに笑った。
「ありがとうございます、ハンナさん」
「いいのいいの! うちの昼分も一緒に作らせて貰ったんだしね」
そう言って、双子とクロムの待つ庭へ見送りに出る。
「今日のお弁当はコーイチと一緒に作ったからねぇ! 楽しみにしてなよ」
「よっしゃ!」
アステルは小さく拳を握り締め、思わずガッツポーズを決めた。
「訓練より先に弁当へ反応するな」
呆れ半分の声でオルビスが言うと、けろりとした顔で笑う。
「いやいや、腹が減っては訓練もできぬ、だろ?」
「まだ朝だ」
「だから昼が楽しみなんじゃないか」
そんなやり取りを見ながら、ハンナは堪えきれず吹き出した。
「ほんとあんた達は仲がいいねぇ。さ、気を付けておいで」
「はい、行ってきます」
恒一達は揃って頭を下げ、赤樫亭を後にした。
朝の王都はまだ人通りもまばらだ。
市場へ向かう荷馬車がゆっくりと石畳を進み、開店準備を始める店からは朝食の匂いが漂ってくる。
やがて西門を抜けると、ひんやりとした風が頬を撫でた。
「この時間は涼しくて良いな」
「最近昼間は暑いもんなぁ」
街道を十分ほど歩けば、目的の湖が見えてくる。
水面は朝日を受けて静かに輝き、時折、水鳥が羽を休めていた。
「あれ?」
恒一が思わず足を止める。
まだ朝早いというのに、湖畔には既に何人かの人影があった。
すると、そのうちの一人がこちらへ気付き、大きく両手を振る。
「あ! コーイチさーーん!!」
元気いっぱいの声が湖畔へ響く。
勇者パーティーの大魔導士こと、ひまりだった。
その声に、大和達も一斉に振り返る。
「あれ、コーイチさん!」
「おー、皆も来てたんだな」
恒一達が近付くと、大和が笑顔で迎えてくれた。
「今日は休みなんで、散策しながら皆で自主訓練に来たんです」
すると玲司が眼鏡を指先で軽く押し上げ、小さく息をついた。
「ヒマリは火炎魔法は得意なんですけど……」
「あうぅ……」
言葉の続きを察したのか、ひまりがしおしおと肩を落とす。
「水属性は、どうも苦手みたいで……」
「火が強い分、水は相性が悪いとか?」
恒一が尋ねると、玲司は苦笑した。
「適性そのものがない訳ではないんです。ただ、どうしても制御が大雑把になってしまって」
「水球を作るつもりが、びしゃーってなるんです……」
ひまりは両手を広げて精一杯説明する。
「この前なんて、自分までびしょ濡れになっちゃって」
「そりゃ災難だったな」
恒一が笑うと、美琴も口元へ手を添えてくすりと笑った。
「だから今日は、水属性の練習をしようって皆で来たんです。この辺りは水の気配が強いだろうから、少しはやりやすいんじゃないかなって」
「なるほど」
恒一も納得する。
こちらは魔力の流れを感じるため。
向こうは水属性魔法の練習。
目的は少し違うものの、水辺を選んだ理由は同じだった。
「こっちはコーイチに、近くで動く魔力の流れを体験して貰おうと思ってさ。奇しくも似たような目的ってわけだな」
アステルが楽しそうに笑う。
「だったら一緒にやった方が面白そうじゃないか」
その一言に、大和達も顔を見合わせ、自然と笑みを浮かべた。
「ま、元々逆の性質を持ってる魔法は、得意な属性がどっちかへ偏りやすいもんだよ。炎が得意なら、水は最初ちょっと扱いにくく感じるわな」
アステルが気楽な調子で言うと、ひまりは勢いよく身を乗り出した。
「ですよねー!?」
「だからと言って、投げて良いものでもない」
すかさずオルビスが釘を刺す。
「属性の相性はあくまで得手不得手だ。扱えない理由にはならん」
「はぁい……」
しょんぼりと肩を落とすひまりへ、美琴が「頑張ろうね」と優しく声を掛ける。
そんな様子を眺めながら、恒一はふと思い付いたことを口にした。
「ってことは、ヒマリは氷魔法はまだ?」
「一応試しはしたんですけどー……」
その返事を聞いた途端、大和、玲司、美琴の三人が揃って苦笑した。
「……何かあったんだな」
恒一が察すると、大和が頭を掻きながら笑う。
「いやぁ、あれは驚きました」
「氷を作ろうとしたんですよ」
玲司が説明を引き継ぐ。
「結果だけ言えば、小さな氷の粒が四方八方へ飛び散りまして」
「危ないから慌てて全員伏せたよね」
美琴も思い出し笑いを浮かべる。
どうやら狙って飛ばしたわけではなく、形を保てなかった氷が弾けるように周囲へ散乱したらしい。
「あうぅぅぅ……」
当の本人は顔を真っ赤にしながら小さく縮こまっていた。
「だって、凍らせようと思ったら、パチパチパチッて!」
両手をばたばた振って再現してみせる。
「気付いたら皆が伏せてて!」
「怪我人が出なかっただけ良かったな」
恒一は苦笑しながら言う。
するとアステルが「あっ」と何かを思い出したように指を鳴らした。
「ほら、前に俺が言っただろ? 『魔力はあるけど制御が追い付いてない』って人もいるって」
「ああ」
恒一もすぐに思い出す。魔力は山とあるが、制御が壊滅的。魔導学院では毎年何人か居るらしく、度々教師陣が泣くと言っていたか。
ひまりは魔力量が少なくないどころか、大魔導士の名に恥じぬ潜在魔力量の持ち主である。
「うん、まさに今のヒマリだな!」
アステルは悪気の欠片もなく笑う。
「魔力は十分ある。でも細かくまとめて練り上げる前に、一気にバーンと出ちゃうんだろうな」
「あうぅぅぅ……」
ひまりはとうとう両手で顔を覆ってしまった。
「笑い事じゃないですよぉ……」
「いやいや、最初は誰でもそんなもんだって」
アステルは明るく笑いながら続ける。
「むしろ魔力がある証拠だから、後は制御を覚えればちゃんと伸びるぞ」
その言葉に、ひまりは指の隙間からそっと顔を覗かせた。
「……ほんとですか?」
「ほんとほんと」
即答するアステルの隣で、オルビスも静かに補足する。
「制御は経験で身に付く。焦らず反復すればいい」
その一言で少し安心したのか、ひまりは「……頑張ります」と小さく頷いた。
「俺も兄さんも、昔は色々やらかしたぞ~」
あっけらかんと笑いながら、アステルがひらひらと手を振る。
「父さんが『危ないから』って、庭の周りへ結界を張ってくれてたんだけどさ。あれが無かったら家中穴だらけだったよな!」
「子供の頃の話だ」
オルビスは顔色一つ変えず、さらりと返す。
「いやいや、兄さんだって最初は結構派手だったじゃないか」
「否定はしない」
あまりにもあっさり認められ、恒一は思わず目を丸くした。
「オルビスも?」
「当然だ」
本人は少しも恥ずかしがる様子がない。
「魔法の制御は経験の積み重ねだ。初めから思い通り扱える者などいない」
「兄さんなんか、一回氷魔法で庭を凍らせて父さんに怒られてたし」
「……その話はしなくていい」
「えー、いいじゃないか」
アステルは楽しそうに笑いながら続ける。
「俺は風を強くしすぎて、干してあった洗濯物を全部空へ飛ばしたことあるし」
「それはまた豪快だな……」
恒一が苦笑すると、大和達も思わず吹き出した。
「細切れにしなかっただけマシだったけど、父さんと母さんが二人で町中追い掛け回して拾ってたんだよ。後で母さんに叱られたっけな~」
「アステル」
オルビスが静かに名前を呼ぶ。
「何?」
「余計な思い出まで披露する必要はない」
「へへ」
全く反省していない笑顔だった。
その様子に、美琴がくすりと笑う。
「アステルさん達にも、そんな頃があったんですね」
「もちろん」
アステルは胸を張る。
「だからヒマリも気にしなくていいってこと。失敗しながら覚えるのは皆同じだ」
ひまりは少し照れ臭そうに笑った。
「……そう聞くと、ちょっと安心しました」
「大丈夫、大丈夫」
アステルはにっと笑って親指を立てる。
「家を吹き飛ばさなければ、だいたいセーフだ!」
「基準がおかしい」
恒一の即座のツッコミに、その場はどっと笑いに包まれた。
どうやら、ルクスフェル家の"やらかし"は、なかなか賑やかなものだったらしかった。
「んじゃ、早速やってみるか」
ぱしっ、とアステルが掌へ拳を打ち付ける。
「丁度いいから、ヒマリ。ここでちょっと一発、水球作ってみ?」
「ふぇっ?!」
突然の指名に、ひまりの肩がびくりと跳ねた。
「だ、大丈夫なんですか?」
「大丈夫、大丈夫」
アステルは気軽に笑ってひらりと手を振る。
「危なくなったら俺が抑えるからさ。気にせずいつも通りやってみな」
「う、うぅ……分かりました」
ひまりは小さく深呼吸すると、杖を胸の前へ構え、そっと目を閉じた。
周囲の空気が、僅かに静まる。
恒一も意識を集中させる。
目には見えない。
けれど確かに、辺りへ漂っていた何かが、ひまりの周囲へゆっくりと集まり始めていた。
(これが……)
魔力。
まだ輪郭までは掴めない。それでも以前よりははっきりと、その流れを感じ取れる。
水辺だからだろうか。
空気の中へ溶け込む水の気配と、それを引き寄せる魔力の流れが、淡く重なり合うように動いていた。
やがて、ぽつり、と空中へ一粒の水滴が現れる。
続いてもう一粒。
さらに幾つもの水滴が生まれ、それらは引き寄せられるように集まり始めた。少しずつ形を整えながら、一つの球体になっていく。
やがて両手ですっぽり包めるほどの大きさになった、その時だった。
(……あっ)
恒一の意識が、その変化を捉える。
今まで滑らかだった流れが、不意に揺らいだ。
一本の川が枝分かれするように、魔力が僅かに乱れる。
それとほぼ同時だった。
ぶるっ、と水球全体が震える。
「きゃっ」
ひまりが小さく声を上げた次の瞬間、水球がぱんっと弾けた。
「おっと」
細かな水滴が四方へ飛び散ろうとするのと、ほぼ同時にアステルが軽く片手を上げた、その瞬間だった。
飛び散りかけた水滴が、空中でぴたりと静止する。そして、まるで見えない手にかき集められたように水は一か所へ集まり直し、くるりと渦を巻きながら小さな球へ戻っていく。
そのまま湖へ向かってふわりと飛ぶと、音もなく水面へ溶け込んだ。
「よし」
何事もなかったかのようにアステルが手を下ろす。
「今の、どうだった?」
恒一はすぐには返事をせず、先ほど感じた感覚を思い返していた。
魔法そのものではない。
弾ける瞬間でもない。
その少し前。
水球が崩れるより一瞬早く、魔力の流れだけが先に乱れたことを、確かに感じていた。
「水を集め始める辺りは、確かに流れみたいなものを感じたな」
恒一は先ほどの感覚を思い返しながら言葉を探す。
「ひんやりした気配と、それを寄せ集める力……っていうか。そんな感じだった。弾ける直前は、それが急に乱れてた気がする」
「お、バッチリだな!」
アステルが嬉しそうに笑う。
「上出来だ」
オルビスも短く評価した。
「水属性の気配と、術者自身の魔力。その二つを感覚として分けて捉えられている」
「ちゃんと分けて感じられてたのか」
「恐らくはまだ感覚だけだがな。それでも十分な前進だ」
そのやり取りを聞いていたひまりが、ぽかんと口を開けた。
「ほぁー……」
感心と脱力が入り混じったような声が漏れる。
「コーイチさんもアステルさんも、何か凄い」
「『何か』って」
恒一が苦笑すると、アステルも堪えきれず吹き出した。
「そこ、一番大事なところじゃないか!」
二人で笑い合う姿を見て、大和達もつられて笑みを浮かべる。
ふと横を見ると、オルビスもほんの僅かに口元を緩めていた。
だが、その場で一人だけ笑っていない人物がいた。
「……いや」
眼鏡の奥で目を瞬かせながら、玲司がゆっくりと口を開く。
「皆さん、さらっと流しましたけど」
一度、水面へ視線を向けてから、改めてアステルを見る。
「今、一瞬でヒマリの魔法の制御を奪いましたよね?」
「ん?」
本人はきょとんと首を傾げた。
「奪うっていうか、弾けた時点でヒマリの制御から外れてたからさ。飛び散る前に受け止めただけだよ」
「今回は予めアステルが身構えていたからな。制御が崩れる可能性を想定し、魔力をいつでも動かせる状態にしていた。だから介入できた」
「そうそう。さすがに完全に不意打ちだったら難しいぞ?」
「な?」とアステルが笑って肩を竦めると、オルビスも「その通りだ」と小さく応じる。
その様子に、玲司は思わず額へ手を当てた。
「それでも……反応速度が半端じゃありませんよ」
術式が崩れた瞬間を見極め、その場で別人の魔力へ割り込み、暴走しかけた魔法だけを受け止める。
理屈は理解できる。
だからこそ、それを実際にやってのける難しさが、魔法を学び始めた玲司にはよく分かっていた。
「うーん」
当のアステルは少し考え込んだ末、こてんと首を傾げる。
「まぁ……慣れ?」
「その『慣れ』に辿り着くまでが、一番大変なんですよ……」
玲司は力なく天を仰ぐ。
その様子に、大和は思わず吹き出し、美琴も口元へ手を添えて笑う。
ひまりも「ですよねぇ……」と小さく呟きながら苦笑し、湖畔には和やかな笑い声が広がった。




