39.筋トレならぬ、魔トレです。
あれから数日が過ぎた。
赤樫亭では相変わらず木槌の音が響き、木の香りが工房いっぱいに漂っている。朝から夕方まで木材を削り、組み、運び、時には職人達と知恵を出し合う。恒一の日常は、スキルが判明する前とほとんど変わらなかった。
変わったことがあるとすれば、二つ。
一つは、ふとした拍子に【工房】が発動すること。
棚板の寸法を測っている時。
材木を選ぶ時。
あるいは新しい道具を手に取った時。
そんな何気ない瞬間に、視界の片隅へ淡い青白い線や文字が浮かぶのだ。
棚板の間隔を示す線には所々に目印が打たれ、《重量分散点》と添えられる。材木へ目を向ければ、木目に沿って補助線が伸び、《反り確認・要対策》と表示される。
ダンに教わったことや、職人達との相談で出た案。あるいはガロンやシンから聞いた異国の知識。そうした経験が、必要な時に整理され、見えやすい形で示される。それが今の【工房】だった。
だからこそ、不思議と頼り切る気にはならない。
知らないことは、相変わらず知らないままなのだから。
そして、もう一つ変わったこと。
それは仕事を終えた後、オルビスと一緒に魔力制御の練習をする時間が増えたことだった。
「……呼吸を整えて、そのまま意識を内側へ向けろ。流そうとしなくていい。まずは、自分の中に流れているものを認識することが先だ」
夕暮れ時。自室で静かに向き合う日もあれば、庭先で風を感じながら訓練する日もある。
最初の頃は、僅かにそれらしいものを感じるだけ。けれど数日続けるうちに、少しずつ変化が現れた。
【工房】が発動する、その一瞬。視界へ線や文字が浮かぶのと同時に、身体の奥で何かが静かに揺らぐような感覚がある。
(……これか)
まだ掴めるほどではない。
だが、確かにそこにある。
自分の意思とは別に、身体の中を巡っている何か。その存在へ、少しずつ意識が向くようになってきていた。
目を開けると、向かいのオルビスが静かに頷いて言った。
「……良い傾向だな」
「分かるのか?」
「ああ。以前よりも意識が内側へ向いている。焦る必要はない。その段階を越えなければ、制御には辿り着かん」
恒一は息を吐きながら苦笑した。
「思ったより地道なんだな」
「当然だ」
オルビスは少しだけ肩を竦めて見せた。
「以前も話したが、『魔力制御適性』というのは特別な才能ではない」
そう前置きして、いつものように淡々と続ける。
「生きている者なら、誰の体にも魔力は流れている。それを認識できる段階になれば、適性は『未開花』として判定に現れる。それだけの話だ」
「じゃあ……誰でもできる可能性はあるってことか」
「理屈の上ではな。鍛錬を続ければ、多くの者は自分の魔力を認識できるようになる。ただ、そこへ至る前に必要性を感じず、一生気付かない者も少なくない」
なるほど、と恒一は頷いた。特別な力を授かる訳ではない。元から誰の中にも流れていたものへ、ようやく気付くだけ。
それはどこか、【工房】にも似ている気がした。
元々積み重ねてきたものに、後から名前が付く。
魔力もまた、最初からそこにあったものなのだ。
「だから急ぐ必要はない」
オルビスは穏やかな声で締めくくる。
「まずは無意識だった流れに意識を向けて、一つずつ確かめていけばいい。繰り返すうちにそれがはっきりして、今度は逆に意識して動かせるようになっていく。それが一番早い」
「ん、分かった。焦らずに地道にやるよ」
恒一が笑って答えると、オルビスも小さく「ああ」とだけ返した。
派手な成果は、まだ何もない。
それでも昨日より今日、今日より明日。
ほんの少しずつ前へ進んでいる。そんな確かな実感だけは、静かに積み重なっていた。
そのやり取りを、少し離れた場所から眺めていた声がある。
「なぁなぁ、オルビス」
伏せたクロムの背中をベッド代わりにして寝転がっていたアステルが、腕に顎を乗せて気楽な調子で口を開いた。クロムもすっかり慣れたものらしく、大きな尻尾をゆっくり揺らしながら「わふ」と小さく一声鳴く。
「コーイチ、多分だけどさ。ちょっと"共鳴"の気があるっぽくね?」
「え、俺?」
「うん。俺みたいにはっきりした能力としてじゃないよ? でも、人の魔力や空気の変化、気配に気付きやすいっていうか、感覚が人より少し鋭い感じ」
両足の先をゆらゆらと揺らしながら「ん~」と唸り声を上げ、言葉を探すように首を傾げる。
「例えばさ、普通の人が見過ごすような違和感に気付いたり、『何となくこうじゃないかな』って思ったことが当たってたり。そういう方向の感覚を拾いやすいんじゃないかって」
「……ふむ」
オルビスも腕を組み、静かに考え込む。
「確かに可能性はあるな」
「だろ?」
アステルが嬉しそうに頷いた。
「だったらさ、魔力を感じる練習も少しやり方を変えてみてもいいかも」
「やり方を変える?」
「そう」
アステルは恒一へと向き直る。
「コーイチ。俺が風魔法を使った時とか、魔力の光と風以外に何か感じたりはしなかったか?」
問い掛けられ、恒一は記憶を辿る。
初めてアステルが風を操ったのを見た時。精米のために、紙一枚程もない薄さだけを風で削り取っていた。
その次は、魔石を削って磨いた時。曇りを取るだけの、極僅かな研磨。
どれも目に見えたのは、金色に輝く魔力の光と、実際に吹く風だけだった。
だが――。
「あぁ……そういえば」
恒一はゆっくり頷く。
「見えたっていうより……感じた、かな」
「おっ」
「風が動く前に、何かが流れてるような……そんな感覚があった気がする」
言葉にしてみると曖昧だ。
だがそれでも、確かに何かが通り抜けるような、不思議な流れを感じていた。
「言われてみれば、アステルが魔法を使うたびに、ずっとあったんだよな。『何だろう』とは思ってたけど……ああ、それにサイクロプスへ向けてオルビスが魔法の剣を飛ばした時もだ」
アステルはぱっと笑顔になる。
「それそれ!」
「……なるほど」
オルビスが恒一へ視線を向ける。
「それが事実なら、魔力そのものを完全に認識できていなくとも、その流れは既に感覚として捉えている可能性があるな」
「えっ、そんな段階まで来てるのか?」
「断定はできん」
オルビスは冷静に首を振る。
「だが、魔法や魔術は当然ながら魔力の流れを伴うものだ。アステルほど魔力操作に長けた者であれば、その流れも安定していて感じ取りやすいのかもしれん」
「オルビスとの練習初日で、自分の魔力をちょっとでも掴めてたのも納得だよなぁ。な、クロ」
アステルは嬉しそうにクロムの背をぽんぽんと叩いた。肯定の意なのだろうか、クロムが小さく「わふっ」と応える。
「だったら話は早い。コーイチ、一度集中的に魔力操作を近くで体感してみるか。ただ見ていただけの以前と違って、現在は少なくとも自身の魔力の存在を認識できているだろう? 改めて意識して見てみることで、操作感を掴めるかもしれん」
「なるほどなぁ。確かに、何もないところから探すよりは分かりやすそうだ」
「じゃ、決まりだ!」
アステルは勢いよく起き上がると、にっと笑った。
「んじゃあ、いっちょやってみようぜ!」
「待て」
早速何かの魔法でも撃ちそうな弟を、即座にオルビスが止める。そもそもここは工房の庭だ。つまり街のど真ん中である。
「あくまでも制御の訓練だ。魔力切れになるまで遊ぶ話ではないぞ」
「えー」
「えー、ではない」
ささやかな抗議はあっさり切り返される。至極当然であったが、オルビスは顎へ軽く手を添えて少し考え込んだ。
「とはいえ、だ。実際、魔法の規模と魔力の流れの大きさは基本的に比例する」
「なら確かに、大きな魔法の方が感じやすい?」
恒一が素朴な疑問を口にすると、オルビスは苦笑を浮かべた。
「それはそうなんだが、だからといってこんな町中で火球をぶちかますわけにもいかないだろう」
「そりゃそうだ」
王都の中心地からは少し外れているが、職人街も人の往来は少なくない。
ましてや、恐らく上級冒険者であろう彼らがそれなりの魔法を放てば、それだけで一騒動になってしまうだろう。
ふと、クロムの上で胡座をかいていたアステルがぽんと手を打つ。
「水魔法と……そこから氷魔法に繋げてみるか。それなら安全そうだろ?」
「水と氷?」
「ああ。空気中の水属性を集めて水を作って、それをその場で凍らせるだけなら危険は少ない」
指先でくるりと小さく円を描きながら説明する。
「それに氷魔法って、水魔法が前提になる複合魔法も多いんだ。例えば氷の刃を飛ばす魔法でも、まず水を生み出して、それを一瞬で凍らせて形を作る。だから段階的に流れも分かりやすいと思うぞ」
恒一は感心したように頷いた。
「なるほど。水を作ってから氷へ変わる二段階分、魔力の動きも追いやすいってことか」
「そういうこと。どうよ、兄さん」
アステルが笑うと、オルビスは「悪くない」と頷いて付け加えた。
「攻撃しなければ危険もないからな。強いて言うなら、水属性を扱う以上、水の気配が濃い場所の方が余計な負荷は少ない」
オルビスの言葉を聞いたアステルが「あ、それだ」と思い出したようにパチリと指を鳴らした。
「だったらちょうどいい場所があるじゃないか。王都の西門を出て少し歩いたところに湖があっただろ?」
「ああ、荷運びの手伝いで一度通ったな」
恒一も景色を思い返す。
街道から少し外れた場所に広がる穏やかな湖だった。釣り人や散歩をする人の姿はあっても、人が密集するような場所ではない。風もよく通り、周囲には十分な開けた空間があったはずだ。
「湖を凍らせるわけじゃないだろうな?」
恒一が念のため確認すると、アステルは「当たり前だろ」と笑って手を振る。
「そんなことしたら漁師さんにも迷惑だし魚にも悪いしな。近くで少し水を出して、その場で凍らせるだけ。周りに影響が出ない範囲でやるさ」
「その程度なら問題ないだろう」
オルビスも静かに頷いた。
「水属性は周囲の環境から影響を受けやすい。湖の近くなら魔力の流れも比較的安定するはずだ」
「決まりだな」
恒一がそう言うと、アステルは嬉しそうに立ち上がる。
「じゃあ今度の休みだ!」
「急だな」
「善は急げって言うだろ?」
「お前の場合は、思い付いたら待てないだけじゃねーか」
苦笑混じりに返すと、アステルは悪びれもせず笑った。
「それもある!」
そのやり取りにクロムが「わふ」と一声鳴き、大きな尻尾をゆっくりと振る。
「もちろんクロも行くよな?」
「わふっ!」
どうやらしっかり一緒に出掛けるものだと心得ているらしい。元気な返事に、恒一は思わず笑みを浮かべた。
「じゃあ、弁当でも持って行くか」
何気なく口にした一言へ、アステルがぴたりと反応する。
「それいいな!」
「食い付き早いな」
「だって外で食う飯って美味いじゃないか。より旨く食う事こそ食材への最大の礼儀だ、ってニコも言ってたぞ」
身を乗り出して熱弁する姿に、恒一は思わず吹き出した。
「まぁ、それは否定しないけどな」
「よし、決まり! 訓練して、飯食って、帰る!」
「目的と順番が逆にならないようにな」
オルビスが静かに釘を刺す。
「分かってる分かってる。ちゃんと訓練が先な」
そう答えながらも、アステルの頭の中では既に弁当の中身でも考えているのだろう。どこか楽しげに鼻歌まで歌い始めた。
その様子を眺めながら、恒一はふと小さく息をつく。
異世界へ来た当初は、毎日を生き抜くことに精一杯だった気がする。そんな中でも何とか仕事を覚え、人と出会い、新しい知識へ触れ、少しずつ居場所を築いてきた。
そして今では、休日の予定を仲間と相談し、昼食の話で笑い合っている。そんな何気ない日常が、気付けば当たり前になっていた。
訓練も、もちろん楽しみだ。けれど、それ以上に。
仲間と湖まで出掛ける――そんな小さな約束を出来る今が、恒一には少しだけ嬉しかった。




