37.【工房】
赤樫亭へ戻った頃には、だいぶ日も高くなっていた。
工房の扉は開いているものの、木槌の音は聞こえない。 昨夜の宴会の影響はやはり大きかったらしい。普段なら威勢の良い掛け声や木を削る音が響く工房も、臨時休業の今日はしんと静まり返っていた。
「ただいま~」
アステルが気軽に声を掛けながら中へ入る。
すると、工房の奥から気の抜けた返事が返ってきた。
「……おう」
作業台へ肘をつきながら座っていたダンが、ゆっくり顔を上げる。
目の下には少しだけ隈が残り、普段の豪快さは鳴りを潜めていた。
「親方、大丈夫ですか」
「何とか生き返った」
低い声で答えながら、こめかみを軽く押さえる。
「酒は好きだが……流石にありゃ飲み過ぎた」
その様子を見たアステルが、心底申し訳なさそうな顔になった。
「ごめんって。まさか皆そんなにぶっ倒れる程飲む事になるとは思わなくて」
しょげた様子に、ダンは苦笑する。
「お前が強すぎるんだ。付き合った俺達が馬鹿だった」
「そうなのか?」
「自覚ねぇのかよ」
思わず恒一も小さく吹き出した。
昨夜の光景を思い返す。確かに酒場中が正に死屍累々、戦場もかくやという有り様だった。
あれだけ飲んで平然としていたのは、結局アステル一人だけだったのである。
そこへ、奥の台所からハンナが顔を覗かせた。
「ああ、帰ってきたのかい」
手には湯気の立つ湯呑みを持っている。
「まだ少しふらついてるけど、この人もようやく動けるようになった所よ」
「誰のせいだと思ってやがる……」
「飲み比べを始めたのはあんた達だろ? アステルちゃんのせいにするんじゃないよ」
小言と共に湯呑みを手渡されたダンは肩を竦め、大きく息を吐いた。
「……だな。負けた俺達が悪い」
職人らしい潔い言葉に、ハンナも苦笑しながら腰に手を当てた。
「まったく、男ってのは馬鹿だねぇ」
そう言いながらも、その表情はどこか楽しそうだった。
暖かいお茶をすすりつつ、ダンは改めて恒一達へ目を向ける。
「……で?」
「ん?」
「面白ぇ結果は出たのか」
朝、うつ伏せになりながら口にしていた言葉を、そのまま繰り返す。
「俺ぁ半分寝てたが、一応覚えてるぞ」
「半分どころか九割寝てたと思うけどな」
アステルが笑うと、ダンも「うるせぇ」と笑い返した。
そのやり取りを見ながら、恒一はゆっくり息を吸う。
ここで誤魔化すこともできる。
けれど、ギルドからの帰り道で決めた。
この二人には、ちゃんと話そうと。
「親方、ハンナさん」
恒一が真っ直ぐダン達を見る。
いつもより少しだけ改まった声色に、二人も自然と表情を引き締めた。
「少し、話しておきたいことがあります」
「何だ?」
ダンが背を伸ばし、椅子へ深く腰を下ろす。ハンナも恒一の向かいへ腰掛けた。
工房の中はいつもの喧騒が嘘のように、木の香りだけがゆっくりと漂っている。
恒一は一度だけ双子を見る。
二人は何も言わず、小さく頷いた。
その姿を見届けてから、ゆっくりと口を開く。
「俺、この国の人間じゃないんです」
ダンもハンナも、黙って続きを待っている。
「正確には……この世界の人間じゃありません」
静かな沈黙が流れた。
驚いた様子はある。
けれど、二人とも話を遮らなかった。
「俺がいた世界とは別の世界から、偶然この国へ召喚されました」
「召喚……」
ハンナが小さく繰り返す。
「はい」
恒一は頷いた。
「俺一人じゃありません。同じ日に、四人の高校生も一緒に呼ばれました」
「高校生?」
「俺の世界で言う、十五、六歳くらいの学生です」
「……なるほど」
ダンは腕を組みながら聞いている。
「その四人が、この国で勇者として召喚された人達です」
そこで初めて、ダンが静かに息を吐いた。
「勇者……噂にゃ聞いたが、お前もその勇者様と一緒だったのか」
「はい」
恒一は頷く。
「ただ、俺は巻き込まれただけでした」
少しだけ苦笑する。
「四人には剣や魔法の才能があった。でも俺には、戦う力はありませんでした」
ダンもハンナも何も言わない。
ただ、真っ直ぐ恒一を見ている。
「だから、彼らとは別の道を選んで、城を出ました」
その言葉は、不思議なくらい自然に出てきた。
「俺は、俺に出来る生き方をしよう。そう思ったんです」
木工工房へ来たこと。
働かせてもらったこと。
それは全部、自分で選んだ道だった。
「……そうか」
ダンは短く頷く。
その声には、驚きよりも納得が混じっていた。
少し考え込んでから、ふっと笑う。
「言われてみりゃ、妙に納得することもあるな」
「え?」
「最初に会った頃のお前だ。言葉も通じる、字も普通に読み書き出来る。なのに、時々妙に慣れてねぇ感じがあった」
その言葉に、ハンナも「ああ」と頷いた。
「そうそう。食事の時とか、街での買い物とかね。知ってるようで知らない、そんな感じがあったよ」
「そのくせ、妙なところで物知りだった。 誰も知らねぇような面白いもんを、ぽんぽん出してきやがる」
テーブルに肘をついて、ニヤリとどこか楽し気な顔をした。
「箸なんざ見たこともねぇ道具を作ったかと思えば、保管庫じゃ次から次へと見たこともねぇ発想が出てきやがる」
「網戸なんて、その最たるもんだったねぇ」
ハンナも笑う。
「それに、ヤーパンライスの食べ方だってそうさ。あたし達には思い付きもしなかった」
「だから最初はな」
ダンは頭を掻きながら笑った。
「どっか変わった土地で育った奴なんだろうと思ってた」
その一言に、恒一も思わず笑ってしまう。
「まぁ……間違いではないですね」
「確かにな」
ダンもつられて笑う。
「世界が違うってんなら、そりゃあ俺達の知らねぇことを知ってても不思議じゃねぇわな!」
からりとしたその笑い声に、工房の中へ穏やかな空気が戻っていた。
二人の表情には戸惑いも驚きもあった。 それでも、自分を見る目は何一つ変わっていない。
恒一は胸の奥の緊張が、少しずつ解けていくのを感じていた。
ダンの言葉に背中を押されるように、恒一は静かに続けた。
「王城では、勇者達だけじゃなく、俺も一度だけ適性を調べてもらいました」
「さっき言ってたやつか」
「はい。その時に分かった俺のスキルが【工作】だったんです」
「工作……?」
ダンが首を傾げる。
「木工みてぇなもんか?」
「俺も最初はそう思っていました」
お茶を一口含み、こくりと飲み下す。
「でも、実際には木工だけじゃありませんでした。物を作ること全般に、少しだけ役立ってくれていたんです」
「ああ、だからお前は飲み込みが早かったのか」
「それもあったのかもしれません。でも、スキルが全部教えてくれたわけじゃないんです」
恒一は首を小さく横へ振る。
「親方や皆さんに教わったことを、自分なりに考えながら覚えていく。その中で、『こうした方がいいかもしれない』って考えが、少しまとまりやすくなる。そんな感覚でした」
それを聞いたダンは、腕を組みゆっくりと頷いた。
「言われてみりゃ、お前は最初から何でも出来た訳じゃねぇし、分からねぇことは必ず聞いてきたな」
「知ったかぶりも、一度もしなかったねぇ」
ハンナも思い返すように笑う。
「素直だからねぇ。教える方も教えやすかったんだろうさ」
その言葉に、恒一は少し照れくさそうに笑った。
「だから俺も、スキルとはいえそんなに特別なものだとは思っていませんでした。親方に拾ってもらってからは、仕事を覚えるのに丁度いいくらいに考えていたんです」
そこで恒一は、隣に座った双子へ視線を向ける。
「ところが……昨日、保管庫が完成した時でした」
ガロンの笑顔。
皆で作り上げた保管庫。
胸の奥へ静かに広がった、あの不思議な感覚。
「あの時、自分の中で何かが変わった気がしたんです」
「俺も、それに気付いたんだ」
アステルが静かに口を開く。
「魔力の流れ……って言えばいいのかな。コーイチから、昨日までとは少し違う感じがしたんだ」
「それで、お前らがギルドへ行こうって言い出したのか」
「そう」
アステルは頷いた。
「俺も確信があったわけじゃない。ただ、念のため調べてみた方がいいと思ったんだ」
「結果として、その勘は当たっていた」
オルビスが淡々と補足する。
「ギルドの適性判断で、スキルの変化が確認された」
ダンとハンナの視線が、再び恒一へ集まる。
恒一は一度息を整え、ゆっくりと続けた。
「【工作】は……【工房】というスキルに変わっていました」
「工房?」
ハンナが思わず聞き返す。
「仕事場の工房かい?」
「俺も最初はそう思いました」
工房と聞けば、まず九割以上の人間はがそう思うだろう。実際、無関係では無かったものでもある。
「ギルドの職員さんも、初めて見るスキルだって驚いていました」
「初めて?」
「ああ」
オルビスが答える。
「【工作】も【工房】も、現在確認されている記録には前例がないらしい」
「へぇ……そんなこともあるもんなんだな」
ダンは感心したように顎を撫でる。
「スキル自体もそうなんですけど、今回は【工作】から【工房】へ名称や性質が“変わった”という事例そのものが珍しいそうです」
恒一はギルドで聞いた話を思い返す。
「個人が特定されない形で、資料として記録を残したいとも言われました」
「そこまでか」
「名前や今いる場所は本部以外には伏せられるそうです。ただ、こういう事例があったという情報だけは、他の国のギルドとも共有されるかもしれない、と」
「なるほどな」
ダンは静かに頷いた。
驚いてはいるものの、大騒ぎする様子はない。
目の前の恒一が昨日までと別人になったわけではないことを、ちゃんと分かっているようだった。
「それで」
ダンが椅子へ深く座り直す。
「その【工房】ってのは、結局どんなスキルなんだ?」
率直な問いだった。
ハンナも興味深そうに恒一を見る。
「名前だけ聞いても、さっぱり分からなくてねぇ」
恒一は少しだけ笑った。
「俺も最初はそうでした」
そう答えながら、ギルド職員が読み上げた診断結果を思い返す。
複合技術連携。
工程整理。
人材・設備掌握。
環境整備補助。
あの時は聞き慣れない言葉ばかりだった。
けれど、帰り道で双子と話すうちに、自分なりに一つの答えへ辿り着いていた。
「俺なりに分かったことはあるんです」
恒一はゆっくりと言葉を選んだ。
「多分、このスキルは……物を一つ作るためのものじゃない」
工房の中へ静かな空気が流れる。
ダンもハンナも口を挟まず、続きを待っていた。
「保管庫を作った時もそうでした。俺一人じゃ、あれは絶対に作れなかった」
完成した保管庫の光景が脳裏に浮かぶ。
木工は親方達に教わった。
湿気対策にはシンやハロルドの知識があった。
窓や網戸は職人達と一緒に考え、循環魔導機構は双子が形にしてくれた。
「俺は、その間を繋いでいただけだったんです」
一度言葉を区切る。
「皆が持っていたものを、一つの形にしただけで」
ダンは黙って耳を傾けている。
「誰が何を得意としているのか。どこに困り事があるのか。どうすれば皆の力が噛み合うのか。それを考えて、一つにまとめる」
恒一は自分の言葉を確かめるように続けた。
「ギルドでも言われました。制作物そのものより、人や技術、作業場全体を見て、その“場”を扱うスキルなんじゃないかって」
「……なるほどな。だから【工房】か」
ダンが腕を組んだまま小さく頷いて言った。
「はい。だから、一人で何でも作れる力じゃありません。むしろ逆なんです。俺一人じゃ持っていない知識や技術を、皆から借りて、一つの形にしていく。そんな補佐的なスキルなんだと思います」
「……俺達も、同じ結論だった」
オルビスは静かに腕を組み、アステルも穏やかに頷いて続ける。
「昨日見てて思ったんだよ。親方達も言う通り、コーイチって、分からないことや知りたいことは、ちゃんと人に聞くだろ?」
「うん」
「でも、聞いたことをそのまま使うんじゃない。ちゃんと自分でも考えて、『これとこれを合わせたらどうなるんだろう』って次に繋げていける」
「あの保管庫も、一人の知識や技術だけで成し得た物ではない。皆の持ってるものを束ねて考え、出した答えを一つの形にした結果だ。その切っ掛けを作ったのが――」
「コーイチと、コーイチのスキル……ってわけ」
恒一は照れる代わりに頭を掻いた。
「そう言われると、何だか気恥ずかしいな」
「褒めてるんだぞ?」
「分かってるよ」
二人のやり取りを眺めながら、ダンは何も言わず考え込んでいた。
やがて、ふと思い出したように顔を上げる。
「……コーイチ」
「はい」
「お前、前に言ってたよな」
「え?」
「手ぇ動かして、何か作るのが好きだって」
「ああ、はい。趣味みたいなものですけど」
「あと何だ……」
ダンが眉を寄せる。
「でぃー……何とか」
「でぃー?」
「家で何か作るやつだ」
「何だいそれ」
横でハンナが吹き出した。
恒一もつられて笑う。
「DIYです」
「それだ」
ダンはぽんと膝を叩いた。
「家で棚を作ったり、机を直したり、そんな話してたろ」
「はい」
元の世界では、休日になるとよく工具を広げ、家具を直したり、小物を作ったりしていた。
少し便利にしたり、自分の好みに変えたり。それが好きだった。
「だったらよ」
ダンは、ごく当たり前のことを口にするように言った。
「お前のスキルは、ただ自分の好きなもんに名前が付いただけじゃねぇか」
その言葉に、恒一は思わず息を呑んだ。
そんな発想は、一度もしたことがなかったのだ。
「……え?」
「急に空から降ってきた力じゃねぇってことだ」
ダンは穏やかな口調のまま続ける。
「お前は元々、物作りが好きだった」
「はい」
「だからこの世界へ来ても木工を選んだ」
「……はい」
「教わって、覚えて、失敗して、また覚えて。好きだから続けられた」
一拍置いて、真っ直ぐ恒一を見た。
「だから、その先に【工作】があって、【工房】があるんだろ」
そして、ゆっくりと言葉を結ぶ。
「【工作】も【工房】も、お前の歩いてきた道に、後から名前が付いただけだ」
工房の中が静まり返る。
誰も、すぐには口を開かなかった。
ハンナが手を暖めるように湯呑みを包み、優しく笑う。
「良いねぇ。そう考えると、とってもあんたらしいじゃないか」
穏やかな声が続く。
「一人で抱え込むより、人を頼る方があんたには似合ってるよ。その結果が、今なんだ」
「ああ」
ダンも頷く。
「お前は何でも出来る奴じゃねぇ。だから、人を頼ることを知ってる」
ダンは迷いなく言った。
「怠けることと、手分けすることは違う。分からねぇことは知ってる奴に聞く。出来ねぇことは出来る奴に任せる。それで皆で良いもんを作る」
作業台へ視線を向ける。
「工房なんてもんは、本来そういう場所だ」
その言葉が、胸の奥へ静かに染み込んでいく。
――好きなものに、名前が付いただけ。
【工作】も。
【工房】も。
どちらも、自分が歩いてきた道だった。
突然与えられたものではない。
学び、悩み、積み重ねてきた時間に、世界がそっと名前を付けてくれただけ。
そう思うと、不思議なくらい胸の中が軽くなった。
「ありがとうございます」
恒一は自然と頭を下げていた。
「何だ急に」
「いや……何だか、一番しっくりきました」
ギルドの職員は、スキルの性質を教えてくれた。
双子は、その変化の理由を一緒に考えてくれた。
そして最後にダンは、それが自分にとって何なのかを、一番分かりやすい言葉で教えてくれた。
「これからも、よろしくお願いします」
その言葉に、ダンは照れ隠しのように鼻を鳴らす。
「当たり前だ」
そして、いつもの親方らしい笑みを浮かべた。
「まだ半人前なんだからな。覚えることなんざ、山ほどあるぞ」
「はい」
恒一は力強く頷いた。
【工房】。
それは特別な力の名前ではない。
自分がこれからも歩み続けたい生き方を示す、一つの道標なのだと――この日、恒一は心からそう思えた。




