36.研究資料になりました。
記録を終えた職員は、用紙を見直した後、僅かに考え込むような表情を浮かべた。
「あの、コーイチさん。一つお願いしてもよろしいでしょうか」
「お願いですか?」
「はい。今回の診断結果を、ギルドの研究資料として記録に残させていただきたいのです」
思いがけない申し出に、恒一は水晶から職員へ視線を移した。
「俺のスキルを、ですか?」
「正確には、【工作】という前例のないスキルが【工房】へ変化した事例について、ですね」
職員は手元の記録用紙を示しながら、慎重に言葉を選ぶ。
「適性が鍛錬によって開花したり、既存のスキルが成長して効果を増したりする例はあります。しかし、確認されていたスキルの名称と性質そのものが、これほど明確に変化する事例は非常に珍しいんです」
「やはり、通常の成長とは異なるか」
オルビスが静かに問うと、職員は頷いた。
「少なくとも、私が閲覧できる記録には同様の事例がありません。もちろん、全てのスキルが完全に分類されているわけではありませんから、過去に一度もなかったとは断言できませんが」
そこで一度言葉を切り、水晶へ浮かぶ【工房】の文字へ目を向ける。
「もし、スキルが使用者の経験や成長に合わせて姿を変えること自体が、このスキルの特性なのだとすれば……今後、さらに別の形へ変化する可能性も考えられます」
「また変わるかもしれない、ということですか?」
「可能性の話ではありますが」
職員は明言を避けながらも、真剣な表情で続けた。
「【工作】から【工房】へ変化した以上、これが最終的な形だと断定できる根拠もありません。今後どのような経験を積み、どのように能力を使うかによって、さらに性質が広がることもあり得るでしょう」
恒一は、もう一度水晶へ浮かぶ文字を見つめた。
【工房】。
それだけでも、まだ何ができるのかを理解しきれていない。それがさらに変わるかもしれないと言われても、今は想像すらつかなかった。
「アステルが言っていたこととも辻褄は合うな」
オルビスが口を開く。
「まだ変わりきっていない、と感じたのだったか」
「うん。ただ、この前感じたものが【工房】になる直前のものだったのか、その先まで続いてるのかは、俺にも分からないけどな」
アステルは水晶を見つめながら、少しだけ首を傾げる。
「でも、これで終わりって感じがしないのは確かだよ」
「そう言われると、余計に記録へ残す価値がありそうですね」
職員は感心した様子を見せたが、すぐに姿勢を正した。
「ただし、記録するといっても、コーイチさんの名前や現在の居場所をそのまま残すわけではありません」
「名前は出ないんですか?」
「はい。個人が特定される情報は伏せ、年齢層や確認された適性、スキルの変化、診断時に表示された性質のみを事例として纏めます」
恒一が僅かに安堵すると、職員はさらに説明を続ける。
「資料はこの支部だけで保管するのではなく、必要に応じて各国の冒険者ギルドへ共有されます。最終的には本部でも検証されることになるでしょう」
「本部っていうと……」
「アルシオン大陸の王都にある、冒険者ギルド総本部だ」
オルビスが答える。
職員も頷いた。
「各地で確認された新しい魔物、未知の素材、適性やスキルの事例は、一度本部へ集められます。そこで整理と検証が行われ、必要と判断された情報が各国の支部へ共有される仕組みになっています」
「世界中へ伝わる可能性があるのか」
「事例として、ですが。コーイチさんの名前が広まることはありません」
職員はそう断った上で、少しだけ申し訳なさそうに眉を下げる。
「もちろん、珍しい事例だからといって、勝手に共有するつもりはありません。ご本人が望まれないのであれば、この支部内の診断記録としてのみ保管します」
恒一はすぐには答えず、オルビスとアステルへ視線を向けた。
「どう思う?」
「名前も居場所も伏せられるなら、大きな問題はないだろう」
オルビスは落ち着いて答える。
「同じような変化が他にも起きた時、比較できる記録があれば役に立つ」
「俺も残していいと思うぞ」
アステルも頷いた。
「コーイチの名前が出ないなら、変に目立つこともないだろうし。それに、似たスキルを持ってる奴がどこかにいたら、何かの助けになるかもしれない」
「そうだな……」
恒一は少し考えた後、職員へ向き直った。
「分かりました。名前や居場所を伏せてもらえるなら、記録してもらって構いません」
「ありがとうございます」
職員はほっとしたように微笑み、記録用紙へ新たな印を加えた。
「共有資料には、個人を特定できる情報を一切載せないことをお約束します。また、今後スキルに新たな変化があった場合も、必ずしも報告する義務はありません」
「義務はないんですね」
「ええ。スキルや適性は個人のものですから。ただ、再び診断を受ける機会があれば、今回の記録と比較することはできます」
「それなら、また変化を感じた時に考えます」
「はい。それで十分です」
職員は記録用紙を整え、大切そうに書類入れへ収めた。
自分の名前は残らない。
それでも、今日ここで確認された変化は、一つの事例として遠く離れた国々へ伝わっていくかもしれない。
恒一には、まだ少し不思議な感覚だった。
ただの【工作】から始まったものが、今ではギルドが記録へ残したいと言うほど珍しい変化を見せている。
だからといって、自分自身が急に特別な人間へ変わったわけではない。
やるべきことは、これまでと同じだ。
知らないことを学び、自分で考え、出来ることを一つずつ増やしていく。
その積み重ねが次に何へ繋がるのかは、まだ誰にも分からなかった。
個室を出ると、ギルドのざわめきが再び耳へ戻ってきた。
依頼書を見比べる冒険者達。
受付へ相談を持ち込む町の住民。
荷物を抱えて行き交う職員。
先ほどまでと変わらない光景のはずなのに、恒一にはどこか違って見えた。
受付台の配置。
書類棚の位置。
依頼掲示板までの導線。
人の流れ。
職員が立ち止まりやすい場所。
どこに人が集まり、どこで流れが滞るのか。
意識して見ようとしたわけではない。
それでも自然と、目がそうした部分を追っていた。
その瞬間だった。
「……え?」
受付台の奥へ、淡い青白い線が一瞬だけ浮かび上がる。
線は書類棚を通り、依頼掲示板へと繋がっていた。
同時に、ごく小さな文字が視界の端へ現れる。
――導線。
――混雑。
それだけだった。
改善方法は示されない。
答えもない。
ただ、自分が無意識に感じ取っていた違和感だけが、分かりやすく形になっていた。
「コーイチ?」
アステルに呼ばれ、恒一は我に返る。
「ああ……いや」
もう一度受付を見る。
しかし、青白い線はもう消えていた。
「何か見えたのか?」
オルビスがすぐに尋ねる。
「多分、スキルだと思う」
恒一は先ほど見えた光景を説明した。
受付と書類棚、掲示板を繋ぐ線。
そして、『導線』『混雑』という二つの文字。
「改善方法までは出なかったんだ」
恒一は首を横へ振る。
「ただ、俺が何となく気になった場所が、分かりやすくなっただけって感じだった」
それを聞いたアステルは、嬉しそうに笑った。
「それでいいんじゃないか?」
「え?」
「コーイチが考えるための目印なんだろ」
当たり前のように続ける。
「答えまで出たら、コーイチが考える必要なくなるじゃないか」
その言葉に、恒一ははっとした。
保管庫の時と同じだ。
知らない知識を与えられたわけではない。
自分で見て、考え、感じた違和感。
それを、スキルが整理して見せてくれただけ。
「ああ……そういうことか」
胸の中へ、すとんと答えが落ちる。
「やっぱり、今までと同じなんだな」
「範囲が広がっただけだ」
オルビスが静かに言った。
「以前は一つの物を中心に捉えていた。それが今は、作業場や人の動きまで含めて見られるようになった」
「知らないことが勝手に増えるわけじゃないしな」
アステルも頷く。
「ちゃんと見て、考えたことだけを、分かりやすくしてくれる。それなら今までと変わらないだろ?」
「うん」
恒一はもう一度ギルド内を見回した。
青白い線はもう現れない。
けれど、不思議と焦りはなかった。
この力は答えを与えてくれるものではない。
自分で学び、観察し、考える。
その積み重ねの先で、進むべき道筋だけを示してくれる。
「【工房】か……」
恒一は小さく呟いた。
一人では完成しない。
人がいて。
技術があって。
知恵が集まり。
初めて形になる。
そう考えれば、この名前ほど相応しいものもない気がした。
受付へ戻ると、先ほどの職員が顔を上げる。
「本日はありがとうございました」
「こちらこそ。丁寧に説明していただいて助かりました」
恒一が頭を下げると、職員も柔らかく微笑んだ。
「また何か変化がありましたら、いつでもお越しください」
「はい」
「では、お気を付けて」
三人も軽く会釈を返し、ギルドを後にした。
外へ出ると、昼前の日差しが石畳を明るく照らしている。
人通りも先ほどより増え、荷馬車や買い物客が絶え間なく行き交っていた。
しばらくは誰も口を開かなかった。
診断結果を、それぞれが思い返していたからだろう。
やがて恒一が、小さく苦笑する。
「……そういえば」
「ん?」
「親方に『面白ぇ結果が出たら教えろ』って言われてたな」
アステルが思い出したように笑った。
「ああ、言ってたな」
「でも、どう話したものかな」
恒一は頭を掻く。
「そもそも俺、親方達に【工作】のことすら話してないんだ」
「そうだったか?」
オルビスが尋ねる。
「うん。スキルっていうものがあるとは聞いてたけど、自分が何を持ってるかまでは話してない。木工に向いてるって言われたことも、何となくぼかしたままだし」
「確かに、それじゃ【工房】だけ説明しても話が繋がらないな」
アステルも納得したように頷く。
「しかも今朝の親方、半分くらい寝てたし」
「あれは聞いてないな」
「間違いなく聞いてない」
三人で顔を見合わせ、小さく笑う。
だが、その笑いはすぐ静かに収まった。
「……結局」
恒一が前を見たまま呟く。
「どこかでは話さなきゃ駄目なんだよな」
二人も、その意味はすぐ理解した。
勇者召喚。
異世界の存在。
王城での適正判断。
そして、【工作】というスキル。
そのどれもが繋がっている。
「説明するなら、そこからになる」
オルビスが静かに言う。
「【工作】を知った経緯も、王城で適性を調べた理由も、その話を避けては説明できん」
「うん」
恒一も頷いた。
隠したまま説明しようとすれば、かえって不自然になる。
「話す相手は選ぶ必要があるけどな」
アステルが続ける。
「親方とハンナさんなら、大丈夫だと思う」
その言葉に、恒一は少し考え込んだ。
この世界へ来てから、どれだけ世話になっただろう。
仕事を教えてくれた。
住む場所を貸してくれた。
食事を囲み、一緒に笑ってくれた。
もし自分が何者なのかを打ち明けるなら。
最初に話すべき相手は、きっと二人しかいない。
「……俺も、そう思う」
自然と答えが口をついた。
「全部を話す必要はない」
オルビスが言う。
「異世界から勇者達と共に召喚されたこと。お前自身には戦う力がなく、一人の一般人として生きる道を選んだこと。そして王城で適性を調べた結果【工作】を得て、今回【工房】へ変化したこと。それで十分だろう」
「勇者召喚の細かい事情とか、国の上の人達の話まで言う必要はないしな」
アステルも頷く。
「秘密を全部打ち明けるんじゃなくて、親方達に知っておいてほしいことだけ話せばいいさ」
恒一はゆっくりと息を吐いた。
迷いは、不思議なくらい薄れていた。
「……よし」
静かに頷く。
「帰ったら、親方とハンナさんに話そう」
二人も、それぞれ頷いた。
その頃には赤樫亭の屋根が、遠く前方に見え始めていた。




