35.静かな進化、新たな一歩。
外へ出ると、朝の街はすでに動き始めていた。
昨夜の宴会へ参加していなかった店は普段通り営業しており、通りには買い物籠を抱えた人々や、荷車を引く商人の姿が行き交っている。
三人が出てきたことに気付き、庭の木陰で休んでいたクロムもすぐに立ち上がった。だが、今回はアステルが首を横へ振る。
「今日は街の中だけだし、クロはここで待っててくれな」
「わふ……」
少し残念そうに耳が下がる。その様子に困ったように笑いながら、アステルは大きな頭を撫でた。
「遅くはならないからさ。帰ってきたら散歩へ行こうな」
「ウォンッ」
約束を聞いた途端、クロムの尾が大きく揺れる。満足したらしく、赤樫亭の庭へ戻ると、木陰へ行儀良く伏せた。
程なくして近所の子供達が早速近寄ってきて、その大きな頭を楽しそうに撫で始める。
「完全に馴染んでるなぁ」
「クロは大人しいからな」
「……狼なんだよな?」
「うん、魔狼。学者によっちゃ、神獣だの幻獣だのに分類されることもあるぞ」
「そうは聞いてるけど……見てると自信がなくなるな」
子供達に囲まれ、満足そうに喉を鳴らしている姿を眺める。
大きささえ考えなければ、その光景はどう見ても人懐っこい犬そのものだった。もっとも、少しどころではなく大きすぎるのだが。
三人はクロムを残し、冒険者ギルドへ向かって通りを歩き出した。
ミストリアの王都は、城を中心に広がる大きな街だ。商業区や職人街には様々な店が並び、人の往来も多い。
冒険者ギルドは、職人街から少し離れた大通り沿いに建っていた。
二階建ての石造りで、入口の上には剣と杖、そして羽根ペンを交差させた看板が掲げられている。建物自体は頑丈そうだが、王城や大商会のような華やかさはない。
人の出入りは多いものの、恒一が勝手に想像していたような荒々しい雰囲気でもなかった。
荷物を背負った若者。
腰へ剣を下げた男女。
薬草の入った籠を抱えた老人。
依頼書らしき紙を手にした町の住民。
冒険者らしい者ばかりではなく、様々な人々が入口を行き交っている。
「何か勝手に、もっと二人みたいな冒険者だけが集まる場所だと思ってた」
「地方のギルドは特に、街の困り事を引き受ける場所でもある」
オルビスが建物を見上げながら答える。
「護衛や魔物討伐だけではない。荷運び、採取、迷子の捜索、壊れた道の確認。人手が必要な仕事は一通り扱う」
「便利屋に近いんだな」
「そうだな。この国では特に、その傾向が強い」
「アルシオンのギルドは、討伐とか探索なんかの、もう少し冒険者向けの依頼が多い感じかな。だけど、こっちと似たような仕事だって沢山あるよ」
アステルが入口へ向かいながら続ける。
「困ってる人が、自分達だけじゃ解決できない仕事を持ち込む場所って考えれば、分かりやすいんじゃないか?」
「なるほど」
三人が中へ入ると、ざわめきと共に、紙と木、それから僅かな酒の匂いが鼻を掠めた。
広い一階には長い受付台が並び、壁には大量の依頼書が貼られている。奥には冒険者向けの簡素な食堂と待合所があり、朝から何人もの人々が食事を取ったり、仲間と話し合ったりしていた。
依頼書の前では、若い冒険者達が真剣な表情で紙を見比べている。
片隅では、大きな荷物を背負った男が、受付の職員へ何かを相談していた。
騒がしくはあるが、無秩序ではない。
仕事を探す者と、仕事を頼む者。
その双方を、職員達が慣れた様子で捌いている。
「おお、ルクスフェル兄弟じゃねぇか」
中へ入ってすぐ、近くの卓へ座っていた男が声を上げた。
革鎧を身に着けた、四十代ほどの冒険者だ。
「まだ王都にいたのか?」
「もう少しいる予定だよ」
アステルが気軽に片手を上げる。
「今日は依頼か?」
「いや、付き添い」
「付き添い?」
男の視線が恒一へ向く。
「この街で世話になってる知り合い。適正診断を受けに来たんだ」
「へぇ」
男は恒一を値踏みするように見ることもなく、軽く頭を下げた。
「そりゃあ頑張れよ。こいつらが連れてくる奴なら、妙な心配はいらんだろうがな」
「ありがとうございます」
恒一が頭を下げると、今度は別の場所から声が飛んでくる。
「アステル! この前の森の件、助かったぞ!」
「俺よりクロに言ってくれ。最初に気付いたのはあいつだから」
「オルビス、後で少し聞きたいことがあるんだが」
「急ぎでなければ、昼頃に戻る」
「ああ、それでいい!」
歩くたびに、双子へ声を掛ける者がいた。
冒険者だけではない。
受付の職員も、食堂で働く女性も、掲示板へ依頼書を貼っていた男も、二人の姿を見つけると自然に挨拶をしてくる。
「本当に顔が広いんだな」
恒一が小声で言うと、アステルは不思議そうに首を傾げた。
「そうかな?」
「これで自覚がないのが凄いよ」
「何度か来てるから、覚えてもらってるだけだろ?」
「普通は何度か来ただけで、ここまで声を掛けられないと思うぞ」
隣でオルビスが僅かに息を吐いた。
「アステルの知り合いは、放っておけば芋づる式に増えるからな」
「兄さんも同じくらい声を掛けられてるじゃないか」
「大半はお前を通して知り合った者だ」
「でも、知り合いは知り合いだろ?」
「それは否定しないがな」
そんな取り留めのない会話を交わしながら受付台へ向かうと、空いていた窓口の女性職員が顔を上げた。
年齢は三十代半ばほどだろうか。髪を後ろで一つに纏めた、落ち着いた雰囲気の女性だった。
「あら、お二人ともおはようございます」
「おはよう」
「今日は依頼ではなさそうですね」
「ああ。この人の適正判断を頼みたい」
オルビスの言葉を受け、職員は恒一へ視線を移した。
「適正判断のみでよろしいですか? 冒険者登録も同時に行えますが」
「診断だけでお願いします。登録する予定はありません」
恒一がはっきり答えると、職員はすぐに頷いた。
「承知しました。適正判断のみでしたら、銀貨一枚です」
「銀貨一枚……」
金額を聞いた恒一が財布を取り出そうとすると、その横からアステルがパチリと銀貨を置いた。
「はい」
「いや、ちょっと待て。自分で払うよ」
「俺達が勧めたんだから、今日は俺達持ち」
「それは悪いって」
「なら、今度何か食わせてくれればいいよ」
「絶対そっちの方が高くつくだろ」
「何を作るかによるんじゃないか?」
アステルが楽しそうに笑う。その横で、オルビスが淡々と付け加えた。
「諦めろ。こうなったアステルは受け取らん」
「兄さんだって出す気満々だったくせに」
「否定はしない」
職員は双子のやり取りへ慣れているらしく、微笑みながら銀貨を受け取った。
「では、こちらへどうぞ」
案内されたのは、受付の奥にある小さな個室だった。
室内の中央には、台座へ載せられた透明な水晶が置かれている。王城で見たものより一回り小さいが、表面には細かな術式が淡い光となって浮かび、台座にも複雑な線が幾重にも刻まれていた。
「これがギルドの適正判断の水晶か……」
恒一が近付くと、オルビスも水晶へ視線を向ける。
「やはり術式は新しいな。判断項目も細かい」
「ええ。つい二週間ほど前に、最新の術式へ切り替わったばかりなんですよ」
職員はそう言って微笑むと、水晶の横へ立ち、記録用の紙を用意した。
「それでは、まず幾つか確認させてください。以前にも同様の診断を受けたことはありますか?」
「はい、一度だけ」
「その際に確認された適性やスキル名を覚えていれば、教えていただけますか?」
「スキルは【工作】でした。木材加工の適性があると言われて、武器や魔法の適性は特になかったと思います」
「承知しました。今回の結果と比較して確認しますね」
職員に促され、恒一は水晶の前へ進んだ。
透明な表面へ手を伸ばしながら、僅かに緊張を覚える。
この世界へ召喚された直後、王城で同じように水晶へ触れた時は、何が起きているのかさえ分からなかった。
勇者達には華々しい適性とスキルが現れ、自分に表示されたのは【工作】。当時はそれが、この世界で生きていくための唯一の手掛かりだった。
だが、今は違う。
赤樫亭で木材に触れ、ダン達から道具の扱いを学んだ。ガロンの悩みを聞き、シンの知識を借り、ハロルドと可能性を語り合った。
そして双子と共に考え、一つの保管庫を作り上げた。
その全ては、【工作】という小さな始まりがあったからこそ繋がったものだ。
けれど昨日、保管庫が完成した瞬間に感じた変化は、もう一つの物を作ることだけに収まるものではなかった。
「では、水晶へ触れてください。なるべく力を抜いて」
職員の声に促され、恒一は掌を置いた。
ひんやりとした感触に続き、指先から腕へ微かな振動が伝わってくる。
やがて、水晶の内側へ青白い光が灯った。
「……お」
アステルが小さく声を漏らす。
光はゆっくりと広がり、水晶全体を満たしていった。王城とギルドの水晶の違いによるものか、それともスキルに変化が生じたためなのか、以前よりも僅かに輝きが強いように見える。
台座へ刻まれた術式が順に明滅し、細い文字列が幾つも水晶の周囲へ浮かび上がった。
それを見つめる職員の表情が、僅かに引き締まる。
「保有魔力量は中程度。以前の記録はありませんが、流れもだいぶ安定していますね。属性適性は……やはり明確には現れていません」
恒一は黙って結果を待った。
水晶の中で、光が一度大きく揺れる。
最初に浮かび上がったのは、見覚えのある文字だった。
――【工作】。
だが、それはすぐに細かな光の粒となって崩れていく。
「えっ」
職員が驚いたような声を上げ、恒一も目を見開いた。
散った光は水晶の中を巡り、細い線となって幾つにも枝分かれしていく。互いに繋がりながら複雑な模様を描き、一度大きく脈打った後、ゆっくりと新たな文字の形へ整っていった。
「これは……」
浮かび上がった表示は、恒一の目にもはっきりと読み取れた。
魔法適性――該当なし。
保有魔力量――中。
魔力制御適性――未開花。
そして、保有スキル。
そこへ現れた二文字を見た瞬間、恒一は息を止めた。
――【工房】。
室内が静まり返る。
「……工房?」
自分の口から、自然とその言葉が零れた。
職員は水晶と手元の記録用紙を、驚いた様子で見比べている。
「最初の表示は間違いなく【工作】でした。ですが、その表示が崩れ、【工房】へ変化した……?」
「やっぱり」
アステルが嬉しそうに笑う。
オルビスも予想していた結果だと言わんばかりに、静かに頷いた。
恒一だけが、まだ目の前の二文字を自分のものとして受け止めきれずにいた。
「工房って……物を作る場所、ですよね」
「一般的な意味では、そうですね。ただ、スキル名としては私も初めて見ます。【工作】の時点で制作系スキルの亜種だと思われますが……」
職員は、水晶の周囲へ新たに浮かんだ補助表示へ目を走らせる。
「【工作】【工房】共に前例記録なし。ただし、近しい適性やスキルから、おおよその方向性は推測できるようです」
「そんなに詳しいことまで分かるんですか?」
「全てではありません。水晶が読み取れるのは、能力の性質や方向性までです」
職員は表示を確かめながら、慎重に読み上げた。
「複合技術連携、工程整理、人材・設備掌握、環境整備補助……」
聞き慣れない項目が並び、職員は何度か目を瞬かせながらペンを走らせる。
「これは制作物そのものよりも、制作に関わる人や技術、設備、作業環境を纏める能力のようですね。制作系というより、作業場全体を扱うスキルと考える方が近いでしょうか」
その説明を聞き、恒一は胸元へ手を添えた。
「……はい。自分でも、多分それが一番近い気がします」
水晶へ浮かぶ【工房】の文字を見つめる。
突然、見知らぬ力を与えられた感覚はない。
むしろ、これまで自分がしてきたことへ、ようやく名前が付いたように思えた。
「やはり、コーイチ自身の認識とも一致しているな」
オルビスが静かに言う。
「自身で学び、考え、人と技術を繋ぐ。その積み重ねが、スキルの性質を変化させたと考えるのが自然だ」
「俺が昨日感じたのも、これだったんだな」
アステルは水晶を覗き込み、満足そうに目を細める。
「前よりも、見ている範囲が広くなった感じがしたんだ。一つの物だけじゃなくて、その周りまで纏めて捉えているみたいな」
「そこまで分かったのか?」
「昨日の時点じゃ、なんとなくの感覚だけ。今こうして結果を見て、やっと言葉と繋がった感じだよ」
恒一は、水晶へ触れている自分の掌を見下ろした。
木工技術が急に上達したわけではない。ましてや、魔導機構まで自在に作れるようになったわけでもないだろう。
変わったのは、物事を見る範囲だ。
一つの作業だけでなく、そこで働く人、使われる道具、材料の流れ、作業の順序。そして、完成した物がどう使われていくのか。
それらを一つの繋がりとして捉え、必要な場所へ必要な技術を結び付ける。
「……俺一人で何でも作れるようになるスキル、ってわけじゃないんだな」
確認するように呟くと、オルビスが即座に答えた。
「ああ。むしろ逆だろう。コーイチ一人では持ち得ない知識や技術を、それを扱える者同士で繋ぎ、一つの形へ纏めるための能力だ」
「俺達もそう思う」
アステルも頷く。
「コーイチは、分からないことがあればちゃんと誰かに聞くだろ? でも、聞いたことをそのまま使うんじゃなくて、自分でも考えて、他の知識と繋げようとする。そういうところが、このスキルになったんじゃないかな」
「それは……」
正面から褒められたようで、少し気恥ずかしい。
恒一が言葉に詰まると、職員が穏やかに微笑んだ。
「変化……いえ、この場合は進化と呼ぶ方が適切かもしれませんね。その性質を含めて、非常に珍しいスキルだと思います。少なくとも、私は初めて拝見しました」
「あ……前に診てもらった時も、【工作】というスキルを知っている人はいなかったんです。やっぱり珍しいんですか?」
「そうですね。【調理】【裁縫】【鍛冶】といった制作系のスキルは、それほど珍しくありません。ですが、【工作】は特定の職種に限定されず、制作全般へ影響する可能性がある。そして【工房】は、複数の職種や技術、さらには作業環境そのものへ関わる。少なくとも、現在の記録には同様のものが見当たりません」
職員は、診断結果を記録用紙へ丁寧に書き込んでいく。
「ただ、珍しいことと優れていることは別です。どのようなスキルや適性であっても、磨かなければ成長しませんし、それを使って何を成すかは本人次第です」
「はい」
恒一は素直に頷いた。
【工作】を得たからといって、最初から何でも作れたわけではない。ダン達に教わり、自分の手で失敗しながら、少しずつ身に付けてきた。
【工房】も、きっと同じだ。
名前が変わったからといって、今日から何もかもが出来るようになるわけではない。これからも人に学び、自分で考え、少しずつ使い方を見つけていく必要があるのだろう――そう思えた。




