34.酒は飲むとも飲まるるな?
何事もほどほどに。
宴は、夜が更けるにつれてますます賑やかになっていった。
あちらでは料理人達が新しい食材の話に花を咲かせ、こちらでは職人達が次の仕事の話で盛り上がる。笑い声は絶えず、酒場の中は温かな熱気に包まれていた。
そんな中。
「よぉし、もう一杯!」
「まだまだぁ!」
酒場の一角だけが、一段と大きな歓声に包まれている。
覗いてみると、屈強な職人達がジョッキを掲げ、豪快に酒を飲み干していた。
その輪の中心には――。
「おっ、いい飲みっぷり!」
「兄ちゃん強ぇな!」
ジョッキを片手に笑っているアステルの姿があった。
職人達に肩を組まれ、すっかり馴染んでいる。
「……大丈夫なのか、あれ?」
恒一は思わず苦笑した。
昼間あれだけ細かい作業をしていた人とは思えないほど楽しそうである。
「まぁ、問題ないだろう」
向かいに座るオルビスは落ち着いた様子で答えた。
一口大に切り分けたロースト肉をフォークで口へ運ぶ。もくもくと咀嚼し、ゆっくりと飲み込む。それから赤ワインの入ったコップを静かに傾けた。
兄の方は相変わらず実にマイペースだ。騒がしい弟を止める気配もない。
「止めなくていいのか?」
「止める理由がない」
淡々と返ってくる。
「あいつは酒癖は悪くないし、限界も分かっている」
「そういうものか」
「ああ」
短く答えると、オルビスはコップを置いた。
そして、静かに恒一へ視線を向ける。
「それより、コーイチ」
「ん?」
「アステルは気付いたようだったが……どうだ」
その一言で、恒一は何を聞かれているのか理解した。
今日の夕方。保管庫が完成し、ガロンが心から嬉しそうに笑った、あの瞬間。
胸の奥へ静かに染み込んできた、あの不思議な感覚。
それは決して大袈裟なものではなく、ただただ積み重ねてきたものが、自分の中で一つの形になった。
そんな、確かな実感だけが残っている。
恒一はゆっくりと頷いた。
「……うまく言葉にはできないけど」
自分の掌を見つめる。
「何かが変わった、っていう感覚はある」
ぎゅっと拳を握ってみる。
力が増したわけでもない。突然天才になったわけでもない。
けれど、昨日までとはどこか違う。
「前より、自分のスキルが何をしたいのか、どこへ行きたいのか。それが、少しだけ分かった気がするんだ」
その言葉に、オルビスは静かに目を細めた。まるで、その答えを待っていたかのように。
恒一の返事を聞くと、オルビスは静かに頷いた。
「ならば、そろそろ頃合いだろう」
「頃合い?」
「ああ」
ワインを一口含み、落ち着いた口調で続ける。
「冒険者ギルドへ行こう」
「ギルド?」
「ギルドにも、王城にあったものと同じ適正判断の水晶がある」
「あ、そういえばそんなこと言ってたっけ……」
思い出した恒一へ、オルビスが続ける。
「もっとも、同じと言っても今はあちらの……ギルドの物の方が少し詳しい結果が出るだろうな」
「そうなのか?」
「ああ。冒険者にとって、適正やスキルは仕事そのものに直結する要素だからな。ギルドの水晶は、新しい術式が出来ると常に全支部が最新のものへ書き換えられているはずだ」
なるほど、コンピューターで言えば常に最新バージョンへアップデートがされているわけだ。
「武器適正や魔法適性はもちろん、以前話した適正能力の開花の兆候まで拾えることがある。恐らくは王城のものより調整が細かいだろう」
「へぇ……」
恒一は思わず感心した。
それなら、もし本当に自分の中で何かが変わったのなら。
その水晶なら、それを映し出してくれるかもしれない。
「次の休み辺りで行ってみるか」
「ああ、それがいいな」
そんな話をしていた、その時だった。
「親方ーーーーーっ!?」
酒場中へ響き渡るアステルの声。
続いて。
どたんっ、と鈍い音がした。
二人が振り向くと――。
ダンがテーブルへ突っ伏していた。
「親方!?」
恒一も慌てて立ち上がる。だが、ガロンが苦笑しながらそれをなだめた。
「大丈夫、寝てしまっただけですよ」
「えっ?」
その言葉通り、ダンは規則正しい寝息を立てている。どうやら完全に酔い潰れたらしい。
「……ダン親方が酔い潰れるなんて初めて見たぞ」
職人の一人が呆然と呟く。
「どんだけ強ぇんだ、あの兄ちゃん……」
別の職人が震える指でアステルを指差した。
改めて見渡してみれば、呑み比べへ参加していた屈強な男達が、あちこちで机や椅子へ突っ伏している。
床へ転がる者。
椅子へ寄り掛かる者。
肩を組んだまま眠る者。
――正に、死屍累々。
その中心で。
「えっ?」
アステルだけがジョッキを片手に、おろおろしていた。
「えっ、俺そんな飲ませた!?」
「兄ちゃんが強すぎるんだよ!」
「そうなの!?」
本人にはまるで自覚がない。酒場中から苦笑が漏れた。
「あーあ」
腰へ両手を当てたハンナが、大きくため息をつく。
「こりゃあ明日は臨時休業だねぇ……」
「違いねぇ!」
店主も笑いながら頷く。
「この人数じゃ、朝から仕事にならんだろうな!」
恒一は苦笑しながらオルビスを見る。
「……休みになったな」
「……そのようだな」
オルビスは静かにワインを飲み干した。
その横では。
「親方ー! 起きてくれってー!」
酔い潰れたダンの肩を、アステルが困ったように揺すっている。
その光景を見た酒場中から、また大きな笑い声が響いた。
◇◇◇
宴会から一夜明け、恒一は窓から差し込む柔らかな光で目を覚ました。
「……ん」
ゆっくりと瞼を開く。見慣れた木の天井が視界へ入り、しばらくぼんやりと眺めた後で、昨夜の記憶が蘇ってきた。
保管庫の完成祝い。
焼きたてのパンに、岩石牛のロースト。新しい酒樽まで開けられ、職人達が集まった賑やかな酒場の宴会場。
そして、その最後に広がっていた光景。
体力自慢腕自慢の屈強な男達が次々と机へ沈み、床へ転がり、その中心でアステルだけが困惑していた。
(凄かったな……)
酒豪という言葉では、少し足りない気がする。
恒一自身はそこまで酒を飲まなかったため、軽い眠気が残っている程度だった。身体を起こして肩を回すと、多少の重さはあるものの、起きられないほどではない。
寝台を下り、身支度を整える。
いつもの時間なら、すでに一階からダンが動き回る音や、早起きの職人仲間達の声が聞こえてくる頃だ。
だが、今日は妙に静かだった。
「本当に臨時休業になったのか……」
昨夜のハンナの言葉を思い出しながら、恒一は部屋の扉を開けた。
階段へ向かうと、下から僅かに食器の触れ合う音と、誰かが床を歩く気配が聞こえる。どうやら、完全に無人というわけではないらしい。
一階へ下りた恒一を迎えたのは、食堂の椅子へ座り、両手で頭を抱えているダンの姿だった。
「……おはようございます、親方」
「声がでけぇ……」
「普通に挨拶しただけですよ」
「今はそれでも響くんだよ……」
掠れた声で答えたダンの前には、大きな水差しと、湯気の立つ薄いスープが置かれていた。
昨夜の豪快さは見る影もない。
頑丈な背中は丸まり、普段なら威圧感すら感じる太い腕も、今は力なく机へ乗せられている。
「水、もう少し飲みますか?」
「……頼む」
恒一が水差しを持ち上げ、空になりかけたコップへ注いでいると、厨房からハンナが顔を出した。
「おやおはよう、コーイチは元気そうだね」
「おはようございます。はい、俺は途中からあまり飲んでませんでしたから」
「それが正解だよ。まったく、いい歳した男共が揃いも揃って張り合っちまって」
ハンナは呆れたように言いながら、スープ皿と鍋を運んでくる。
鍋をテーブル――ダンの前へ置く動作には遠慮がない。
「ほら、あんたもそれ早く飲みな。胃に何か入れときゃ、少しはましになるだろ」
「分かってる……」
「昨日はあれだけ威勢が良かったのにねぇ」
「頼むから今は言うな」
珍しく弱り切った親方の姿に、恒一は笑いを堪えるように口元へ手を当てた。
だが、ハンナは容赦しない。
「他の連中も似たようなもんだよ。問屋も石工も朝から使いが来て、今日は休ませてくれだとさ。あたしが言う前に、皆して勝手に臨時休業を決めてたよ」
「まぁ、あの状態じゃ無理でしょうね……」
「酒場の店主まで、今日は昼から開けるって言ってたからね。自分で出した酒に負けてちゃ世話ないよ!」
呆れながらも、ハンナの声はどこか楽しそうだった。
そこそこ大がかりな改装工事を無事に終えた翌日だ。たまの休みとしては、悪くないのかもしれない。
「そういえば、アステル達は? 昨晩泊まってってましたけど」
恒一が尋ねると、ハンナは顎で入口の方を示した。
「さっきクロちゃんの様子を見に行ったよ。オルビスさんも一緒さ。朝飯までには戻ってくるんじゃないかね」
「アステルは元気なんですか?」
「けろっとしてたよ」
その一言へ、ダンが低く唸る。
「……化け物め」
「親方が張り合うからでしょう」
「向こうが飲むって言うからだろうが……」
「アステルは一度も勝負だとは言ってませんでしたよ」
「うるせぇ……」
恒一は堪えきれず、とうとう小さく笑った。
昨日のアステルは、勧められるまま楽しそうに飲んでいただけだ。職人達が一方的に対抗心を燃やし、気付けば飲み比べのような状態になっていた。
なお本人は全員が同じくらい飲めると思っていたらしい。
(酒の量まで基準がおかしかったかぁ……)
恒一がそんなことを考えていると、入口の扉が開いた。
「ただいまー」
朝から明るい声と共に、アステルが工房内へ入ってくる。その後ろからオルビスが続き、さらに開いた扉の向こうでは、クロムが大きな頭を覗かせていた。
「おはよう、クロ」
「わふ」
恒一が声を掛けると、クロムは尾を一度大きく振る。巨体では工房内へ入り切らないため、そのまま外庭へ向かって伏せたようだった。きっといつもの気に入りの木陰だろう。
アステルは食堂の惨状を見回し、ダンを見つけると心配そうに駆け寄った。
「親方、大丈夫か?」
「誰のせいだと思ってやがる……」
「えっ、やっぱり俺?」
「お前以外に誰がいる」
「でも俺、無理に飲ませてないよな?」
「分かってる。分かってるから、その元気な声を少し抑えろ……」
「あ、ごめん」
アステルは素直に声量を落とした。
こちらはダンとは大違いで、顔色も良く足取りにも乱れはない。昨夜かなり飲んでいたはずだが、二日酔いの気配すら見当たらなかった。
オルビスも普段通りの落ち着いた様子だ。そもそも呑み比べに加わってはいなかったし、呑んだのも恒一が覚えている限りワインを2杯ほどだったか。
「ここの他にも何件か休業の看板が出ていた。昨夜アステルと飲み比べた者は、ほぼ全員が潰れたようだな」
「お前は自分の弟のくせに止めなかったのか……」
ダンが恨めしそうに問う。
「止める理由がない。アステルは自分の限界を理解している」
「こっちの限界も考えろ」
「各々が判断すべきだろう」
「正論が痛ぇ……」
ダンは再び机へ突っ伏した。
そんな夫をハンナは豪快に笑い飛ばし、慣れた手付きで人数分の朝食を並べ始める。
あっさりした野菜スープと柔らかいパン。サラダには昨夜の残りと思われる肉を細かく刻んで入れたオムレツも添えられていた。
「ま、ともかく今日は皆休みなんだ。皆ゆっくり食べていきな」
「ありがとう、ハンナさん」
恒一が席へ着くと、アステルが隣へ腰を下ろす。
そして、恒一の顔を横から覗き込んだ。
「コーイチのほうは、体調は?」
「俺は問題ないよ。アステルこそ、本当に何ともないのか?」
「うん。ちょっと腹減ったくらい」
「昨夜あれだけ食べて呑んでたよな?」
「寝たら腹減るだろ?」
「普通はそこまで減らないと思うぞ……」
そう言いながらも、恒一はパン籠をアステルの前へ寄せる。
アステルは嬉しそうに礼を言うと、早速手を伸ばした。
「それで、今日はギルドへ行くんだろ?」
一つ目のパンを半分ほど食べたところで、アステルが尋ねる。
「昨日の夜、兄さんと話してたの聞こえたよ」
「あの騒ぎの中でよく聞こえたなぁ。結構離れてただろ」
「ほら、耳は良いから」
何でもないことのように答えるが、酒場の騒音の中で聞き取ったとなれば、耳が良いという範囲を超えている気もする。
「適正判断の水晶で、昨日の変化を確かめる」
オルビスがスープの器を置き、改めて説明した。
「必ず詳細が分かるとは限らん。だが、スキルそのものに変化が起きていれば、名称程度は映る可能性が高い」
「冒険者じゃなくても使わせてもらえるのか?」
「ああ。多少の費用は必要だが、適正判断のみを受ける者も珍しくない」
「子供の適性を確かめたり、職人が新しい事を覚えたりした時なんかにも使うよ」
アステルが口を挟む。
「冒険者登録とは別だから、診断だけで帰っても問題ない」
「なるほどね。それなら安心だ」
そう言って恒一は頷いた。
今のところは赤樫亭で働きながら、この世界で生活していくための技術を身に付けたいと思っている。それに元々、魔物と戦う力もなければ、危険な依頼を受ける覚悟もない。
冒険者ギルドへ行くと聞いて、登録まで勧められるのではないかと少し身構えていたが、どうやら杞憂らしい。
「俺達が付き添えば、余計な説明も少なくて済むだろう」
オルビスが言う。
「昨日のような変化が起きた直後なら、確認しておいた方がいい」
「じゃあ、朝飯食べたら行ってみるか」
恒一が答えると、アステルは楽しそうに笑った。
「どうなってるか楽しみだな」
「俺は少し怖いけどな」
「どうして?」
「何も変わってません、って出る可能性もあるだろ」
「それはないと思う」
即答だった。アステルはパンを持ったまま、真っ直ぐに恒一を見る。
「昨日のあれは、気のせいじゃない。コーイチの中で何かがちゃんと形になった」
軽い調子は残っているものの、その声には確信があった。
「俺が感じたものと、コーイチ自身が感じたものが同じなら、少なくとも前とは違うよ」
「アステルの感覚だけでは、変化の詳細までは分からんがな」
オルビスが静かに補足する。
「だから確認へ行く」
「そういうこと」
双子の言葉を聞き、恒一は自分の胸へ手を当てた。
昨日から残る、不思議な感覚。
何か特別な力が湧いているわけではない。だが、自分の中へ散らばっていた経験や知識が、以前よりも繋がっているような気がする。
木材を見る時。
道具を手にする時。
作業場全体を思い浮かべる時。
どこか一箇所だけではなく、人の動きや物の配置、作業の順序までを自然に考えられるようになっていた。
まだ明確には掴めない。けれど、確かに昨日までとは違う。
「そうだな、分かった。確かめに行こう」
朝食を終えた三人は、ハンナへ声を掛けて赤樫亭を出た。
ダンは相変わらず気力がないらしく、椅子へ座ったまま片手だけを上げる。
「面白ぇ結果が出たら教えろや……」
「分かりました。親方はゆっくり休んでてください」
「言われなくても今日は動かん……」
「夕方には木材触ってそうだけどな、親方」
アステルが笑うと、ダンは顔を上げることなく手を振った。
「さっさと行け……」
そうして、その言葉と共にパタリと手が落ちる。その様子に苦笑しながら、三人は工房の扉を開けた。




