33.完成祝いの、宴の夜。
「よし、俺も負けてらんねぇな。」
ダンが、ぱしん、と拳を掌へ打ち付けた。
その目には、職人らしい闘志が宿っている。
「親方?」
恒一が思わず笑うと、ダンはにやりと口角を上げた。
「良いもん見せられたら、こっちも良い仕事したくなるだろ」
その一言に、工房の職人達も大きく頷く。
「違いねぇ!」
「親方、戸板持ってきます!」
「金具の準備します!」
先ほどまで休憩していた空気はどこへやら。皆が自分から持ち場へ戻っていく。
四台の棚は、すでに美しく仕上がっていた。天井へ取り付ける循環魔導機構も完成し、あとは設置を待つばかり。
残すは一つ。
保管庫の入口へ取り付ける、新しい木戸だった。
鎧戸状の通風口を備えた特注品。こちらだけは、ダン自身が最初から最後まで手掛けると決めている。
「コーイチ」
「はい」
「こっちの鉋掛け、最後一緒にやるぞ」
「分かりました」
恒一もすぐに返事をする。
ダンは木戸の骨組みを軽く叩き、歪みがないことを確かめると、大きく息を吸った。
「気合い入れて、晩飯までに塗装の下地まで仕上げちまうぞ!」
「「おう!!」」
威勢の良い返事が工房いっぱいに響く。
その声に釣られるように、鋸が鳴り、鉋が走り、木槌が小気味よい音を刻み始めた。
先ほどまで魔導機構を囲んでいた面々も、自然と自分の仕事へ戻っていく。
アステルは工具を片付けながら、その様子を見て満足そうに笑った。
「やっぱ職人って、こういう人達だよな」
「ああ」
オルビスも静かに頷く。
「良い刺激を受ければ、もっと良い物を作ろうとする。競い会うばかりではなく、更に高みを目指していく」
恒一は鉋を手に取りながら、その言葉を噛み締める。
昨日までより少しだけ広くなった自分の視野。目の前には職人達。
一人一人性格も得意なものも違う同僚達だ。しかし「より良いものを作りたい」という想いは皆同じだった。
その熱気に包まれながら、赤樫亭はいつにも増して活気に満ちた午後を迎えるのだった。
◇◇◇
数日後。
いよいよ、ガロンの店の保管庫改装工事が始まった。
普段は静かな店の裏手も、この日ばかりは職人達の掛け声で賑わっている。
「そっち、もう少し上だ!」
「よーし、そのまま固定!」
石工が壁へ新しい窓を開け、補強を施していく。
既存の窓も一度外され、新しい開き戸へ交換された。
外側には雨を防ぐための木戸。
そして、その内側には――。
「へぇ……」
ガロンが思わず声を漏らした。
細かな格子へ、目の細かい網がぴんと張られている。見たこともない造りの内窓だった。
「なるほど、これなら雨戸を開けても虫を防げるわけですね」
「完全とはいきませんけど、大分違うと思いますよ」
恒一が笑顔で答える。
保管庫の入口へ取り付ける鎧戸を作っていた時、ダンが何気なく口にした「内側には虫除けの網か何か付けるか」という一言。
そこから恒一が元の世界の網戸を思い出し、木工職人達と相談しながら形にしたものだった。
この世界では、もちろん誰も見たことがない。
「いやぁ」
ガロンは何度も戸を開け閉めしながら感心している。
「これは倉庫だけではなく、ぜひ店の窓にも欲しいですね!」
「おう」
ダンがニヤリと笑い、すかさず腕を組んで言った。
「次の見積りか?」
「もちろん、そのつもりですとも」
ガロンも負けじと笑い返す。
「工房長、後日あらためてお願いできますか?」
「毎度あり!」
現場にどっと笑いが広がった。
思い付きから生まれた新しい道具が、早速次の仕事を呼んでいる。
そんな様子を見て、恒一も思わず頬が緩んだ。
一方その頃。
「よし、本体上げるぞ!」
アステルの声に合わせ、職人達が天井近くまで木箱を持ち上げる。
しっかりと取り付け金具のネジを締め、ふとい梁へと固定する。
最後の一本を締め終えたところで、アステルが軽く頷いた。
「これで、本当に完成」
取り付けられた箱は、一見すると少し変わった木箱にしか見えない。
鎧戸状の細い隙間が前面へ並び、天井近くへ静かに納まっている。
「これが……」
立ち会いに来ていたシンが見上げながら呟く。同じくハロルドも、目を丸くしていた。
「先ほど伺った、循環魔導機構ですか」
「ああ」
アステルが入口横へ取り付けられた小さな起動装置を指差す。
「ガロンさん、これ触ってみて」
「私がですか?」
ガロンは少し緊張した様子で、水晶板へ指先を乗せた。
フォン――。
かすかな音と共に、天井の箱が淡い緑色の光を灯す。
次の瞬間。さらり、と。倉庫の中へ柔らかな風が流れ始めた。
「おおっ!」
ガロンが思わず声を上げる。
吹き出した風は壁を伝って床の角に落ち、窓から新しい風が吹き込む。
強風ではない。けれど、空気が確かに動いている。
「風が……巡っている」
シンは目を細め、肌で流れを感じ取る。
「これなら淀むこと無く、湿気も溜まりにくくなりますね」
ハロルドも感心したように頷いた。
「しかも音がほとんどしない」
「そこも魔導機構の良いところだな」
アステルが少しだけ自慢げに笑う。
「倉庫なんだから、うるさいと邪魔だろ?」
「はっはっは! それは確かに」
「それじゃあ、運び込むぞ!」
ダンの号令で、職人達が新しい棚を一台ずつ倉庫へ運び込んでいく。
壁から少し離すよう配置された四台の棚。床との間にはしっかりと空間があり、風が自然と抜けていく。
続いて、新しい木戸が取り付けられる。
外側は雨風を防ぐ堅牢な造り。鎧戸は風の出入口となり、その内側には目の細かい網。
朝から始まった改装工事は、夕方にはすべてを終えた。
「……終わったな」
誰かがぽつりと呟く。
その瞬間。
「ぅおおーっ!」
どこからともなく歓声が上がった。
職人達が互いに笑い合い、肩を叩き合う。
石工も、木工職人も、皆どこか誇らしげだった。
ガロンは新しく生まれ変わった保管庫をゆっくりと見回す。
棚へ手を添え。
木戸を開閉し。
窓を眺め。
最後に、静かに風を送り続ける循環魔導機構を見上げた。
その表情には、安堵と喜びが滲んでいた。
「皆さんに相談して、本当に良かったです。……これなら」
噛み締めるように呟く。
「きっとこの先、何年も安心してパンを作れますな」
その笑顔を見た瞬間。
恒一の胸の奥が、じんわりと温かくなった。
誰かの役に立てた、そんな単純な喜びだけではない。
考えて。
悩んで。
皆で意見を出し合って。
少しずつ形にしてきたものが、今ここで一つの答えになった。
その時だった。
――とくり、と。自分の鼓動が耳に響く。
恒一の中で、何かが静かに形を変えた。
雷に打たれたような衝撃ではない。
目の前が光に包まれるような劇的な変化でもない。ましてや、突然新しい何かを授けられた感覚でもなかった。
ここまで積み重ねてきた経験。
ダン達から教わった職人の知恵。
ガロンやシンとの話し合い。
共に語り合った双子の言葉。
自分自身が観察し、考え、導き出した答え。
それら一つひとつが、ようやく自分の中へ根を張り、一つの形を得た。――そんな、不思議な感覚。
新しい場所の完成と、誰かの喜ぶ笑顔と共に。
それは、静かに訪れていた。
そして、その隣で。
「……。」
アステルが、ほんの少しだけ目を見開く。
次の瞬間には、優しく細められた空色の瞳。
何かを確かに感じ取ったのだろう。けれど今は、何も言わない。
ただ、嬉しそうに微笑むだけだった。
その様子を見たオルビスもまた、小さく息を吐く。
兄弟は言葉を交わさない。
それでも互いに、同じものを感じていた。
――ああ、来たな。
そんな静かな確信だけが、その場には確かにあった。
その日の夕食は、改装工事の完了を祝うささやかな宴会になった。
会場になったのは、パン屋の近くにある馴染みの酒場。仕事を終えた職人達が次々と集まり、店内はあっという間に賑やかな空気に包まれる。
「こいつは俺からだ!」
そう言ってガロンが抱えてきたのは、大きな籠いっぱいの焼きたてのパンだった。
香ばしい香りが広がると、店中から歓声が上がる。
「おっ、ガロンのパンだ!」
「今日は食い放題か!」
「腹空かせてきて正解だったな!」
酒場の店主も負けてはいない。
「だったらこっちも祝いだ!」
どん、と新しい酒樽を運び込み、勢いよく栓を抜く。芳醇な香りが広がり、大人達の顔が一斉に緩んだ。
「おぉー!」
「店主、気前いいな!」
「今日は飲むぞ!」
さらに厨房の扉が開く。
「はいはい道を開けとくれ! 熱いから気を付けな!」
酒場の厨房を借りていたハンナとマーゴが二人掛かりで運んできたのは、大きな銀の皿。
その中央には、見事な焼き色と艶をまとった特大のロースト肉がデンと鎮座していた。
じゅわり、と溢れ出る脂が滴り、香辛料と肉の香りが食欲を刺激する。
「おおおおっ!」
酒場中から一斉に歓声が上がる。
ハンナが腰へ手を当て、にかっと笑った。
「アステルちゃんの土産の岩石牛だよ! 皆、有り難く食べな!」
「うぉぉおおっ!!」
今度は歓声だけでなく拍手まで巻き起こる。
恒一も思わず目を丸くした。
「岩石牛って……」
「ああ」
アステルがニカッと笑った。
「この前の魔石狩りの時、一緒に獲れたやつ」
「一緒にって……」
「副産物、副産物」
さらりと言ってのける。
どうやら本人にとっては、本当にその程度の認識らしい。
「肉は傷ませたくなかったからさ」
アステルは料理を眺めながら続けた。
「あれも水魔石と一緒にして、冷やして保管しといたんだぜ」
「へぇ」
恒一は素直に感心する。
「本当に便利だなぁ」
「氷魔石でもいいけど、やり過ぎると凍っちゃうからさ。水魔石の方が加減しやすいんだ」
その説明に、オルビスが補足する。
「冷やし過ぎれば却って肉質が落ちる。だから少し温度を抑える程度に調整していた」
「そこまで考えてるのか」
「食べ物だからな」
アステルは当たり前のように頷く。
「せっかくなら一番美味い状態で食べたいだろ?」
その言葉に、ダンが豪快に笑った。
「違いねぇ!」
「よーし、それじゃ切り分けるぞ!」
店主が包丁を入れると、焼き上がった表面から更に肉汁が溢れ、益々大きなどよめきが起こる。
焼きたてのパン。
香ばしいロースト肉。
注がれる酒。
職人達の笑い声。
そして、今日という一日の達成感。
誰もが満ち足りた表情で席に着き、祝宴の夜は賑やかに始まった。
「乾杯!」
誰からともなく杯が掲げられ、酒場いっぱいに声が響いた。
「「乾杯!!」」
木製のジョッキやコップが軽やかな音を立てる。
仕事を終えた後の一杯。
やり遂げた後の食事。
それだけで、いつも以上に酒も料理も美味く感じられるものだ。
「ほれ、コーイチ!」
「さあどうぞ、コーイチさん!」
ダンが切り分けたロースト肉を、ガロンが自慢のパンを、遠慮なく恒一の皿へ乗せる。
「目一杯食っとけ!」
「ありがとうございます」
更に副菜やサラダ、大皿料理が次々と並び、テーブルの上はあっという間に豪華になった。皆好きなものを取り分けていく。
「これだけ人数いると壮観だな」
恒一が笑うと、ダンも頷いた。
「たまにはこういうのも悪くねぇ」
その頃には酒場のあちこちで話の輪ができていた。
石工達は窓の施工について盛り上がり。
木工職人達は新しい網戸の話をしている。
ガロンは他の食料品を扱う職人仲間へも「風がちゃんと抜けるんですよ」と何度も保管庫の話をしていた。
一方で。
「シンさん!」
「ん?」
ヤーパンの料理人:シンは、すでに何人もの料理人達に囲まれていた。
「聞きましたよ、ヤーパンライスの新しい調理法を教えられたとか!」
「コーイチさん共々、是非詳しく伺いたい!」
「肉料理にも合うって本当ですか?」
矢継ぎ早の質問攻めである。
シンは苦笑しながらも嬉しそうだった。
「順番に、順番に。私もまだ勉強中ですからな。しかし、非常に面白いですよ」
その一言には、料理人としての純粋な高揚が滲んでいる。
「ヤーパンにも無かった発想です。まだまだ知らない料理があるものですね」
少し離れた席では、ハロルドが店主や商人仲間達と話し込んでいた。
「輸入量さえ安定すれば、もう少し値段も下げられるかもしれません」
「本当に売れると思いますか?」
「ええ」
ハロルドは迷いなく頷く。
「今日ここへいる皆さんの反応を見れば十分です」
酒場の中を見回す。
ヤーパンライスの話を聞くだけで興味津々な料理人達。食べてみたいと口々に言う職人達。
「最初は珍しい食材でしょう。ですが、一度美味しさを知れば、必ずまた食べたくなる」
商人らしい鋭い目が笑う。
「こういう物を広めるのも、我々の仕事ですから」
「うむ、その通りですな」
「新たな商品も良いですが、既存の商品に新しい販路を見出だす。いやはや、大いに結構!」
その話を聞いていた恒一は、思わず笑みを浮かべた。
たった一つの保管庫から始まった話が、様々な偶然や出会いを経て、職人や料理人までを刺激し、商人を動かし始めている。
隣を見ると、アステルが嬉しそうにその光景を眺めていた。
「な?」
「ん?」
「面白いだろ、こういうの」
何が、と聞かなくても分かった。
一人では出来なかったことが、誰かへ伝わり、また別の誰かへ繋がっていく。
人間が繋ぐその連鎖を見ているのが、きっとこの青年は好きなのだ。
恒一も静かに頷いた。
「ああ。面白いな」
その返事に、アステルは満足そうに笑い、目の前のロースト肉へ遠慮なくかぶりついた。
「うまっ!」
「……さっきまでちょっと格好良かったのに」
恒一が苦笑すると。
「飯は全力」
アステルは頬を肉で膨らませたまま、真顔で言い切る。
「それが俺の信条」
「そこはぶれないんだな」
「もちろん」
その即答に、周囲からまた笑い声が上がる。
良い仕事をして、また次の仕事をより良い物にするために。
笑って、食べて、飲んで、語り合う。
そんな何気ない夜が、恒一にはどこか懐かしく、そして何より温かく感じられた。




