31.たのしい魔導工学:入門編。
(なおミスリル板はくっっっそ硬いので、本来ならば数日がかりで彫る代物だそうです。良い子は腱鞘炎にならないようにゆっくり取り組んでください)
一夜明けた赤樫亭には、再び職人達の威勢の良い声と作業の音が響いていた。
鋸を引く音、鉋が木肌を滑る音。
木槌が組み上げた棚へ釘や楔を打ち込む音。
いつも通りの、活気ある工房の風景。
――その中へ。
カッ、カッ、カッ……
ひときわ小さく、規則正しい金槌の音が混じっていた。
作業台の一角を借りて、アステルが小さなミスリル板を固定し、細いタガネを当てている。
幅は数ミリほどしかない刃先を、小さな金槌で慎重に叩く。
ほんのわずかに位置をずらし、また叩く。
その繰り返しだった。
恒一は木材を運ぶ手を止め、思わずその手元を覗き込む。
「……細かいな」
思わず漏れた声に、アステルは顔を上げず笑う。
「だろ?」
ミスリル板へ刻まれているのは、細い溝。くっきりとしたものから、髪の毛ほどの幅しかないものもある。
それが何本も交差し、曲がり、円を描き、規則正しく並んでいく。全体を見れば、まるで精巧な幾何学模様のようだった。
その光景を見て、恒一はふと元の世界を思い出す。
(……基板みたいだ)
パソコンや電子機器の中に入っている、電子回路。役割こそ違うのだろうが、その緻密さはどこかよく似ていた。
「魔法で彫ったりはしないのか?」
「もちろん出来るぞ?」
そう答えながらも、手は止まらない。
「でも、俺はこっちの方が好き」
「好き?」
「うん」
カッ、カッ、と一定の間隔で金槌を鳴らしながら続ける。
「魔法だと速いけど、勢いが乗り過ぎる時とかがある。魔力の調整も結構神経使うしさ。そこらへん、手作業ならペース配分もしやすいし、細かい調整も利く」
タガネを持ち替え、緩やかな曲線を刻む。
「微調整は、やっぱ手作業の方が確実だな」
恒一は感心しつつ頷いた。
「職人の台詞だなぁ」
「冒険者だぞ?」
「だから昨日言っただろ」
ダンが隣で笑いながら木材を削る。
「冒険者との差が激しい奴だって」
工房に笑いが広がる。
その様子を見ながら、オルビスが腕を組んだまま静かに口を開いた。
「とはいえ、だ」
「?」
「普通の技師達は、魔法で削ったりせんぞ」
「え、そうなの?」
恒一が振り向く。
オルビスは当然のように続けた。
「魔石の研磨もそうだが、あそこまで精密な魔力制御が出来る者は滅多にいない」
「そうなんだ。……いや、それもそうか」
視線だけアステルへ向ける。
「だから普通の機工師は、一点物ならほぼ全て手作業だ」
「一点物……」
「依頼品や特注品だな。今回のこれもそうなるが」
オルビスはミスリル板を指差した。
「量産品になると話は別だ。専用の魔導機構装置を使って、一部の工程を自動化している工房もある」
「へぇ……じゃあアステルは、その自動の部分を魔法でやってるってわけか」
「そういう事だな」
恒一は素直に感心した。
魔導工学という世界にも、職人仕事と量産技術が存在する。それは、元の世界で言う手作業と機械加工の関係によく似ているように思えた。
昼を過ぎる頃には、工房の中は仕上げの空気に包まれていた。
「よし、このまま立てるぞ」
ダンの声に合わせ、職人達が最後の一台を起こす。昨日組み上げた二台と並べると、同じ高さ、同じ幅でぴたりと揃った。
全部で四台の棚が整然と並ぶ光景は、それだけで気持ちがいい。
「いい出来だ」
ダンが一台一台へ手を添えながら頷く。
最後に鉋とやすりを使い、角をわずかに丸めていく。
袋を運ぶ時に手を傷付けないように。
服を引っ掛けないように。
ほんの少しの丸みだが、それだけで印象は随分と柔らかくなる。
恒一も棚板を撫でながら確認した。
ささくれは残っておらず、手触りも滑らかだ。
「この辺も大丈夫ですね」
「よし」
ダンは最後に全体をぐるりと見回す。
支柱。棚板。格子状の補強。
ぐらつきも歪みもない。
満足そうに一つ頷いた。
「上出来だ」
その一言に、職人達から自然と笑みがこぼれる。
そのすぐ隣では、アステルもまた次の工程へ移っていた。
刻み終えたミスリル板を布の上へ置き、小さな瓶をいくつか並べる。
そのうち一つの蓋を開けると、中には鮮やかな明るい緑色をした塗料が入っていた。
細い筆へ少しだけ含ませる。
そして、刻まれた溝へゆっくりと流し込んでいく。
筆先ほどの細さしかない溝へ、塗料が吸い込まれるように行き渡っていく様子は、どこか不思議な光景だった。
「その塗料も魔導用なのか?」
恒一が尋ねる。
「ああ」
アステルは頷きながら筆を動かす。
「魔石の細かい粉を混ぜた、専用の塗料」
昨日、小瓶へ綺麗に集めていた削り粉が脳裏に浮かぶ。
「昨日の削り粉も、こういう時に使うのか」
「そういうことだ」
にっと笑う。
「削っただけじゃ終わらないんだよ」
出来る限り無駄なく使い切ること。その考え方は木工ともよく似ている。
「今回は基本の回路だからな」
筆を置き、アステルはミスリル板を光へかざした。
「術式もそこまで複雑じゃないし、流れる魔力も軽い。だから、この作り方で十分」
緑色の塗料は細い溝だけを埋め、まるで板そのものへ回路が浮かび上がったように見える。
「もっと複雑な機構になると話は変わる。何種類か塗料を使い分けたりな。魔石粉の使い方も変える事がある」
アステルが指を折りながら数える。
「先に接着剤代わりの塗料を引いて、その上から魔石粉を振って定着させるやり方もあるし、溝を彫らずに塗料だけで仕上げる方法もあるぞ」
「用途によって変えるんだな」
「そうそう。扱う魔力量や属性、耐久性、熱。それぞれで最適な方法が違うんだ。俺も専門家ほど詳しくは無いけどな」
その言葉に、オルビスが続く。
「だからこそ、本職の機工師は研究と経験が物を言う。下手な学者よりよっぽど研究者気質だぞ」
「はは、確かに今聞いた感じだとそうだな」
そう言って笑いつつも、恒一は感心しながらミスリル板を見つめた。
昨日までは、ただの金属板にしか見えなかったそれは、今は名実ともに見え方が全く違う。
一つひとつの工程に理由があり、意味がある。
そして、それらを積み重ねることで初めて、一つの魔導機構が完成するのだ。
木工も、魔導工学も。分野こそ違えど、「丁寧な積み重ねが良い物を生む」という根本は、同じなのだろうなと感じていた。
◇◇◇
「よし、大体乾いたかな」
アステルはミスリル板を持ち上げ、光へかざした。工房の窓から差し込む昼下がりの陽を受けて、板が静かに輝く。
恒一は思わず息を呑んだ。
「……綺麗だな」
幾重にも刻まれた細い溝。
その中を満たした塗料は乾くにつれて透明感を増し、下地であるミスリルの銀色を柔らかく透かしていて、光の加減で淡く色合いが変わる。
どこか七宝焼にも似た美しさは、もはや工芸品だった。
「回路っていうより、美術品みたいだな」
そう評すれば、アステルは照れくさそうに笑う。
「ま、見た目も悪くない方が気分いいしな」
そう言って、今度は昨日磨き上げた風魔石を手に取る。
木箱の中へ組み込まれた土台金具には、魔石がぴたりと収まる円形の窪みが設けられていた。
慎重に載せると、寸分違わず収まる。
「おお……。」
恒一が感心している間にも、アステルは棒状の細い工具を取り出した。
魔石の周囲にある小さな金属の爪へ工具を当て、一本ずつ内側へゆっくり押し曲げていくと、魔石がしっかりと固定された。
「指輪の宝石と一緒」
アステルが説明する。
「こうやって爪で押さえるんだ」
「あ、本当だ」
恒一も以前アクセサリーで見たことがある。構造は驚くほどよく似ていた。
続いて、金具の下に並ぶ小さな突起へ、銀色に輝く極細の線を巻き付けていく。
「これは……」
「響銀線だ」
オルビスが答えた。
「魔力伝導率がずば抜けて高い響銀を、極細に加工したものだな」
糸ほどしかない細さにもかかわらず、わずかに虹色を帯びた不思議な銀色の輝きを放っている。
アステルは一本一本を突起へ巻き付け、小さなネジを締めて固定する。
反対側は、先ほど完成したミスリル製の回路板へ。同じように巻き、締め込み、余った部分を整える。
まるで精密機械を組み立てるような作業だった。
「で、最後にこれ、と」
小さなクッションが仕込まれたケースを開けて取り出したのは、小さな半球状の石だった。
乳白色を基調に、角度を変えるたび虹色が揺らめく。
「オパール?」
恒一が思わず呟く。
「見た目はな」
アステルは笑いながら、回路板中央に刻まれた丸い溝へ、その石をぴたりと収める。
サイズは誂えたようにぴったりだった。
周囲の薄く立ち上がったミスリルを、先ほどと同じ工具で少しずつ内側へ倒し込む。
宝石を留める覆輪留めによく似た手法で、石はしっかりと固定された。
「これは?」
「シグナルオパール」
アステルは軽く指で叩いた。
「ガラスと魔石粉を混ぜて人工的に作る素材なんだ」
「人工?」
「うん」
小さく頷く。
「魔力そのものを運ぶ力は弱いけど、離れた回路同士の魔力を繋ぐ役目をしてくれる。今回は、本体側の回路板へ一つと」
同じように作られたもう一枚の回路板を指差す。
「起動装置側にも、同じものを組み込む」
「つまり……」
恒一は少し考え、はっと顔を上げた。
「入り口の起動装置へ触れたら、こっちまで魔力が伝わるってことか?」
「正解!」
アステルが嬉しそうに指を鳴らす。
「起動装置へ触れると、シグナルオパールを通して本体へ合図が届く。だから離れた場所でもオンとオフを切り替えられるってわけ」
「へぇ……」
恒一は思わず感嘆の声を漏らした。
元の世界なら、壁に取り付けられたスイッチや、リモコンで電源を入れることは当たり前だった。
けれど。
魔法の世界で、それと同じ発想が、魔石と術式だけで実現されている。
(凄い……)
気付けば、目の前にあるのは単なる箱ではなかった。
職人の技術と、魔導工学の知恵。その二つが融合して生まれた、小さな魔法の機械だった。




