3.ちょっと不思議な人と出会いました。
「……初めまして!」
満面の笑顔でそう言った銀髪の青年は、楽しげに蒼い眼を細めた。
「あなた、何か面白そうな人だね!」
「…………」
口を半開きにしたまま、神谷恒一はしばし言葉を失った。
知らない。本当に知らない人である。
そもそも数日前にうっかり召喚されて来たのだから、この街に知り合いなんているはずもない。ましてやこんなにも目立つ容姿の美青年など、一度会えば忘れるはずがないというものだ。
それにしても。
(えらく距離が近いな、この人)
物理的にも、心理的にも。だが、驚きこそすれ、何故か嫌な感じはしないというのが不思議だ。
年の頃は二十代の前半くらいだろうか。全体的な色合いといい顔立ちといいどこか人間離れした美丈夫だが、気取ったところはまるでなく、近寄りがたい感じもしない。
ただし。初対面の人間にいきなり「面白そう」と言い放つ。こればっかりはどう考えても、少し変わっていると言わざるを得なかった。これが異世界流と言うのなら話は別だが、多分違う。
「ええと……」
「うん」
「どちら様で?」
「……あ」
青年はそこで初めて、自分がまだ名乗っていないことに気付いたらしい。「そうだった」と言いながら目を瞬かせた。
「俺は、アステル。アステル=ルクスフェル」
軽く手を自身の胸に当てながら、青年――アステルが名乗った。
「えっと、それじゃあアステルさん?」
「アステルでいいよ。たぶん、コーイチさんの方がちょっと年上だろ?」
「……俺の名前、知ってるんですか?」
「あ」
またしても、アステルは瞬きをした。
「まだ聞いてなかったな」
「ですよね」
「さっき、工房の人にそう呼ばれてるのが聞こえてたから、つい」
アステルが恒一の背後へ視線を向ける。
つられて振り返ると、工房の奥でダンがこちらを見ていた。どうやら少し前のやり取りが聞こえていたらしい。目が合うと、「俺は知らんぞ」とでも言いたげな顔で肩を竦められた。
「なるほど……」
「驚かせてごめんね、コーイチさん」
「俺も『さん』はいらないよ。コーイチでいい」
「分かった。じゃあ、コーイチ」
あっさりとお互いの呼び方が決まった。
つい昨日まで、この世界には知り合いなど一人もいなかった。それが今日になって、随分と変わったものだ。
仕事を得て、ダンに名前を呼ばれ、そして今また出会ったばかりの青年にも当たり前のように名前を呼ばれている。
何とも不思議な気分だった。
「それで、俺が面白そうっていうのは?」
「うーん……」
アステルは腕を組み、少し考えるように恒一を見た。
「何となく、かな」
「何となく」
「うん。通りかかった時に、何かこう……気になったんだよな。それで周りを見てみたら目があって、やっぱり気になったから声を掛けた」
んん、と小さく唸る本人にも上手く説明できないらしい。
アステルはもう一度、何かを確かめるように恒一を見つめたが、やがて「ま、いっか」と朗らかに笑った。
「俺わりとそういう勘が働くみたいな時があってさ。まぁ、声を掛けてみれば分かるかなって」
「行動力あるなぁ」
「はは、よく言われる」
それはおそらく、必ずしも褒め言葉としてだけではないのだろう。……何となくそんな気がした。
その時、恒一の視界の端で巨大な何かが動いた。
「おわっ」
思わず一歩下がる。傍に寄ってきたのは、先ほどアステルが乗っていた巨大な狼だった。遠目に見ても大きかったが、近付いてくるとさらに規格外だ。馬よりも明らかに大きな身体を、黒銀の美しい毛並みが覆っている。鋭い牙に、太い脚。見上げるほどの体躯は、どう考えても急に出会ったら無事に済むと思える生き物ではない。
巨大な狼は恒一の目の前まで来ると、静かに腰を下ろした。そして、じっとこちらを見る。
「…………」
恒一も見返した。
「…………」
一人と一匹、しばし見つめ合う。
「……アステル」
「うん?」
「これ、大丈夫?」
「大丈夫だよ」
アステルは、何でもないことのように笑った。
「こいつはクロム。俺の相棒で、俺達の仲間なんだ」
「仲間」
「そう。すごく賢いよ」
な、クロ?とアステルが首をぽんと叩く。常識はずれの見た目通り、単なるペットに収まる存在ではないらしい。
改めて見上げると、クロムと呼ばれた狼は僅かに首を傾げた。確かに、ただの獣とは思えないほど知性のある目をしている。少なくとも、この世界については間違いなく恒一より詳しいだろう。
「……初めまして、クロ」
何となく、挨拶をしてみた。
クロムの耳がぴくりと動く。
次の瞬間、大きな鼻先がすっと近付いてきた。
「お」
くんくんと匂いを嗅がれる。
一体、何を確認されているのだろう。異世界人にしかない匂いでもするのだろうか。
恒一が動かずに待っていると、やがてクロムは顔を上げた。大きな尻尾が、ゆっくりと左右に動き始める。
「気に入ったみたいだな」
アステルが少し嬉しそうに言った。
「分かるの?」
「分かるよ」
「そういうもの?」
「そういうもの」
本当だろうか。けれどクロムはもう一度恒一の匂いを嗅ぐと、今度は大きな鼻先をそっと肩へ押し付けてきた。
「おっと」
軽く押されただけのはずなのに、身体が少しよろめいた。
「……力、強いな」
「クロ、大きいからな」
「わふ」
クロムが答えるように短く鳴く。何となく笑ったような気がした。なるほど、言葉は通じずとも、ちょっと会話してるような気分になる。
クロムの視界に入るように、そろりと手を伸ばしてみた。じっと動かずにいてくれているようなので、そのまま顔の横の毛並みを撫でてみる。すると心地好いのかクロムの目が少し細められ、再び尻尾がゆらゆらと揺れた。
そうしてしばらく戯れていると。
「アステル」
恒一の後ろから、静かな呼び声が聞こえる。振り返るとそこには、いつの間にかもう一人青年が立っていた。
最初に目を引いたのは、やはり銀髪だった。続いて、澄んだ空色の瞳。背丈も年頃も、先ほどから話しているアステルとほとんど変わらない。
何より、顔立ちが驚くほどよく似ている……と言うか、瓜二つだ。
けれど、受ける印象は随分と違った。
人懐っこい笑顔で初対面の恒一にも迷わず近付いてきたアステルに対し、こちらの青年は物静かで随分と落ち着いて見える。だからといって冷たい印象を与えるわけではない。ただ、物事をよく見てから動くタイプなのだろうと、何処と無くそう思わせる雰囲気があった。
「ああ、オルビス」
アステルはもう一人の青年に、慣れ親しんだ様子で微笑み答えた。
「コーイチ、紹介するよ。こっちはオルビス。俺の、双子の兄貴」
「双子」
なるほど、というより言われるまでもなかった。同じ髪に、同じ瞳。強いて言うなら、アステルは自然に前髪を下ろして少しラフな装いなのに対し、兄の方は前髪を上げピタリと撫で付け、額を出してスッキリとした印象だ。それだけでも、二人の纏う雰囲気は随分と違って見えた。
「オルビス=ルクスフェルだ」
紹介された青年――オルビスが、軽く頭を下げて礼をする。
「弟が突然すまない」
「ああ、いえ」
恒一も慌てて頭を下げた。
「神谷恒一です。コーイチで大丈夫ですよ」
「コーイチか、よろしく頼む」
「こちらこそ」
そう言って差し出された手を握り返す。兄という立場なのもあるのだろうか、非常に礼儀正しい。
「俺も、アステルと同じように接してくれて構わない。こちらとしても畏まらずに話させて貰えると助かる」
「わかった。うん、その方が俺も気が楽かな」
少し安心したような恒一の横で、アステルが心外そうに眉を上げた。
「兄さん。俺、別に悪いことしてないぞ」
「初対面の相手に突然近づいていっていただろう」
「だって気になったからさ。それに、ちゃんと先に挨拶はしたぞ?」
「そうか」
納得したのか、していないのか。アステルほどころころ変化しない表情からは分からないが、オルビスはそう一言だけ答えた。素っ気ない態度というわけではないが、さほど説教じみてもいない。
とりあえず、だいぶ自由そうな弟を止めるつもりはあまり無いらしかった。
(まぁ、仲は良いのかな)
恒一に兄弟は居なかったが、男兄弟というのはこんな感じなのだろうか。……いや、ちょっと違う気もせんでもない。
「ところで、コーイチはここで働いてるのか?」
思考に更ける恒一をよそに、アステルが工房の中を覗き込んだ。
「うん、今日からね」
「今日から?」
「そう。ついさっき採用されたところ」
「へぇ。じゃあ、新しい職人なんだ?」
「いやいや、見習い。これから何を作るようになるのかも、まだ分からないよ」
「そっか。……本当に色々、始まったばかりなんだな」
話を聞くアステルは、何故か始終楽しそうだった。恒一がこの世界に来て間もないということは知らないはずなのに、何がそんなに面白いのだろう。まるで、少しだけ浮き足立つ心境を見透かされているようだ。
その時、オルビスの視線がふと工房の中へ向いた。片付け途中の作業台上には、まだ工具や木屑が残っている。その隅に置かれたままの棒へと目を止める。
「……これは何だ?」
そう言って作業台に近付いたオルビスが手に取ったのは、先ほど完成させた箸だった。
「あ、それは俺が作ったんだよ」
「何に使うんだ?」
「箸っていう、食事用の道具」
「食事用?」
アステルも興味を引かれたらしく、兄の隣に並んで手元を覗き込む。
今日だけで何度目になるだろう。恒一は二本で一組の道具であることや、指で動かして食べ物を摘まむこと、食事だけでなく調理にも使えることを説明した。
「なるほど……」
オルビスは箸を眺めた後、恒一の説明を繰り返すように指を添えた。
「こうか?」
「……え?」
思わず声を上げる。すらりとした指に挟まれた箸は、ほぼ正しい持ち方だった。
「ほぼ合ってる。持つの初めてなんだよね?」
「ああ」
オルビスは答えながら、箸を数回動かしてみる。最初こそ僅かに指の位置を調整していたが、すぐに感覚を掴んだらしい。
「なるほど、なかなか面白いな。上手く使えたら、細かいものを扱うのに便利そうだ」
「……だよね!」
初めて、まともな理解者が現れた。食い気味に声を弾ませた恒一に、アステルが笑う。
「そんなに嬉しい?」
「朝から誰に見せても、最初はただの細い棒だと思われたからね」
「まあ、知らなかったらそう見えるだろうな。なぁ兄さん、俺にも貸して」
オルビスから箸を受け取ったアステルも、すぐに見よう見まねで指を添えた。
「こう?コーイチ」
「うん、そう。下の一本はあまり動かさないで、上だけを動かす感じ」
「ふんふん、こっちか……ああ、分かった。これ下になる方には、あんまり力入れなくて良いんだな」
「そうそう」
数回動かしただけで、アステルもすぐに正しい使い方を覚えてしまった。
「二人とも凄い器用だなぁ」
「そう?」
「宿の女将さんにも教えたんだけど、野菜一つしっかりとは持ち上げられなかったよ」
「そんなに難しいか?」
アステルが不思議そうに箸を動かす。
「兄さん、何か摘まめそうなものない?」
「工房で食べ物を探すな」
「食べ物じゃなくてもいいよ。あ、そこの木屑とか」
「やめておけ」
「むぅ」
不完全燃焼、といった具合のアステルの様子に、つい恒一は笑った。何だろう、全くの初対面のはずなのに、二人とも妙に付き合いやすい。
アステルは初手から距離が近かったが、不思議と踏み込むラインを見極めているような気がする。オルビスも冷静で静かな雰囲気を持っているものの、決して話しかけにくいわけではない。
そしてあれだけ存在感を放っていたクロムはというと、いつの間にか恒一のすぐ横で伏せてくつろいでいた。
――昨日まで、この世界の人間に、親しい知り合いなど一人もいなかった。朝に宿の部屋を出た時は、仕事が見つかるかどうかすら分からなかった。
それなのに。
今は仕事が決まり、こうして会ったばかりの人達と笑っている。
(……郷に入っては郷に従え、なんて言ったもんだけど)
人間って案外、動けば何とかなる物なのかもしれないな、と。そんなことを思った。




