2.就職活動始めました。
「……よし」
箸を指の間で軽く動かしてみる。見た目は普通、どこからどう見てもただの箸だ。
ただし、異世界製の。
「うん。ちゃんと使えそうだな」
削りは真っ直ぐかつ程よい長さで、閉じればピタリと先端が合わさる。太さも二本ほとんど同じで、握った感触も悪くない。……むしろ、悪くないどころか。
「……思ったより、ずっと上手くできたな」
もとの世界にいた頃から、手先を動かす事が好きだった。といっても、職人を名乗れるような腕前ではない。あくまで趣味の範囲だ。
けれど昨夜のこれは、まともな工具すらなかったのだ。使ったのは小刀一本だけ。それにしては角もなく、妙に仕上がりがいい。
これが『工作』の効果なのだろうか。まだ、よく分からない。
そんなことを考えていると、コンコンと扉を叩く音がした。
「お客さん、朝食を持ってきたよ」
昨日から何度か聞いている、宿の女将の声だった。
「はい、どうぞ」
返事をすると扉が開き、木製のトレイを手にした女性が入ってくる。年齢は四十代半ば。ふくよかな体つきに、よく笑う優しそうな顔。昨日、突然宿を訪れた恒一にも、あれこれと世話を焼いてくれた気の良い女性だ。
「よく眠れたかい?」
「はい。おかげさまで」
「そりゃよかった。昨日はひどい顔をしてたからねぇ」
「そんなにですか?」
「何日も徹夜した人みたいだったよ」
異世界召喚直後である。それは仕方がないのではないだろうか。
女将は笑いながら机の上に朝食を並べていく。温かなスープに、焼きたてらしいパン。香ばしく焼かれた肉と、付け合わせの野菜。素朴ではあるが、どれも美味しそうだった。
「ありがとうございます」
「足りなかったら言いな。パンくらいなら――」
そこで、女将の言葉が途切れた。彼女の視線は、恒一の手元にある二本の細い棒へ向けられている。
「……なんだい、それ?」
「これですか?」
恒一は手にしていた箸を持ち上げた。
「箸です」
「はし?」
聞き慣れない言葉を確かめるように、女将が繰り返す。
「食事に使う道具ですよ」
「それを?」
「はい」
女将は箸を見た。それから、朝食を見る。もう一度箸へ視線を戻し、最後に恒一の顔を見た。
どう見ても、ただの細い棒が二本である。疑問に思うのも無理はない。
「どうやって使うんだい?」
「こうやって」
恒一は椅子に座ると、早速箸を使ってみせた。付け合わせの野菜を摘まみ、そのまま口へ運ぶ。次に、一口大に切られた肉を摘まむ。こちらも問題ない。
「ほう」
女将が少し目を丸くした。
「そんな細い棒で、よく落とさないねぇ。器用なもんだ」
「慣れですね」
「スプーンやフォークじゃ駄目なのかい?」
「もちろん、それでもいいんですけど……小さいものを摘まんだり、崩れやすいものを扱ったりする時は便利ですよ。料理にも使えますし」
料理と聞いて、女将はますます興味を示した。
「へえ、料理にも?どんな風にだい」
「熱いものをひっくり返したり、混ぜたり。先が細いから、盛り付けなんかの細かい作業もしやすいんですよ」
言いながら、恒一は少しだけ懐かしくなった。菜箸で焼き魚を返したり、煮物を取り分けたり。炊きたての米に味噌汁。
昨夜から、この世界の料理しか食べていない。それはそれで美味しかったが、たった一日だというのに、早くも和食が恋しくなってきた。
幸い、米も、醤油も、味噌もある。量に限りはあるので大切に使わなければならないが、落ち着いたら何か作ってみるのもいいかもしれない。
「へぇ……面白そうだね。ちょっと貸しておくれよ」
「いいですよ」
恒一が差し出すと、女将は見よう見まねで箸を持ってみる。
「こうかい?」
「もう少し上ですね。一本はあまり動かさないで」
「一本を動かさない?」
「はい。もう一本だけを、こう」
「……こうかい?」
「そうです。あ、でもそれだと交差してますね」
「難しいねぇ!」
それから数分。女将は、付け合わせの野菜一つを持ち上げるために悪戦苦闘していた。
「指が攣りそうだよ!」
「最初はそうなります」
「本当にこれで食事するのかい!?」
「慣れれば便利なんですけどね」
「慣れれば、かい!」
けらけらと笑う女将の声が響く。朝から随分と賑やかなことになった。
結局、女将は輪切りの人参一つ持ち上げるのがやっとで、箸を机へ戻したのだった。けれど、まだまだ興味を失ったわけではないらしい。
「それ、自分で作ったのかい?」
「はい。昨日、ご主人に端材を貰ったので」
「一晩で?」
「ええ。と言っても、ただ削っただけですよ」
「ふぅん」
女将は改めて箸を見、次に恒一を見た。
「こういうの、他にも作れるのかい?」
「他にも?」
「例えば……スプーンやヘラや、ちょっとした道具とかさ」
「ああ……多分まあ、簡単なものなら」
「へぇ」
顎に指先を当てて、何やら考え込む。その顔は、先ほどまでの気さくな女将というより、少しだけ商売人のものに見えた。
「今度、いくつか作ってみたらどうだい?」
「箸をですか?」
「箸でも何でもさ。珍しいものなら、欲しがる客がいるかもしれないよ」
恒一は思わず笑った。
「いやいや、こんなの売れませんって」
日本では、どこの家にもある。割り箸なら、弁当を買えば付いてくるようなものだ。女将は「そうかい?」と首を傾げたが、恒一は深く考えなかった。
この時の彼は、思い至らなかったのだ。
自分にとって当たり前のものが、この世界でも同じように当たり前だとは限らないことを。
朝食を終えた恒一は、身支度を整えて宿を出た。召喚されてから何度も頭の中で繰り返した言葉だったが、改めて街を歩いてみれば、本当にどこからどう見ても異世界だった。
石畳の道を馬車が走り、その両脇には石と木で造られた建物が並んでいる。剣を腰に下げた男とすれ違ったかと思えば、その向こうでは杖を手にしたローブ姿の女性が店主と話をしていた。
道行く人々の中には、耳の長い者もいる。頭の上に獣の耳を持つ者もいた。遠くには、背中に翼らしきものを持つ人影まで見える。
「……すげぇ」
思わず、そんな言葉が漏れた。昨日までは、周囲を見回す余裕すらなかったのだなとつくづく思う。
突然異世界に召喚されて、帰る方法は分からない。勇者達とは別れた。これからは、一人で生きていかなければならない。
不安がないはずはない。当然だ。
――それでも。
ほんの少しだけ。本当に、ほんの少しだけ……胸が高鳴っている自分がいた。
(ゲームみたいだな……)
そんな感想が浮かぶ。
もちろん、これはゲームではない。腹は減るし、この先の生活資金も必要だ。怪我をすれば痛いだろうし、死んでもやり直せるとは到底思えない。
だからこそ、まずやらなければならないことがある。
「仕事、探さないとなぁ」
騎士団から渡された生活費はある。宿代もしばらくは心配ない。けれど、当然ながらいつまでも世話になり続けるわけにはいかない。
しばらく歩いて、恒一は通りに設置された大きな掲示板の前で足を止めた。騎士団を出る際に教えてもらった、商会ギルドを通した求人が掲載されている所だ。
まだこの世界の文字には慣れていない。不思議なことに会話は出来て、字も読めるし意味を理解出来もするが、やはり慣れ親しんだ母国語ほどはすんなり頭に入ってこないものである。しかしながら今はそこまで急ぐ必要も無かったので、恒一は募集の張り紙を一枚ずつじっくりと眺めていった。
掲示板には、様々な仕事の案内が並んでいる。荷運びに、店の手伝い。倉庫の整理や清掃、商店の店員募集。流石は王都、どうやら仕事そのものはそれなりにありそうだ。
「さて……」
何ができるだろう。
日本では会社員だった。けれど、当然ながらこちらで前職の経験がそのまま通用するとは限らない。
パソコンも、コピー機も、電話もない。名刺を渡して挨拶回りをするような仕事もなさそうだ。
そうなると、今の自分に分かりやすくできることは――。
「あ」
一枚の張り紙が、視界の端に入った。
『木工職人見習い募集』
恒一は、その文字をしばらく見つめた。木工職人――木材を切ったり削ったり、組み立てたりして物を作る仕事。
そして、自分が持っている唯一のスキル――『工作』。
昨夜作った箸を思い出す。あれの仕上がりがスキルの力なのかは、まだ分からない。
それでも。
「……行ってみるか」
何もしなければ、何も始まらないのだ。
こうして、異世界生活一日目。神谷恒一は、自分にできる仕事を探して歩き始めた。
この小さな一歩が、一つの出会いへ。そして、その次の出会いへ。やがて自分でも思いもしなかった場所へと繋がっていくことを、今の彼はまだ知らない。
もっとも。この時の恒一が考えていたことは、ずっと現実的だった。
「とりあえず、飯代位は稼がないとなぁ」
たとえ異世界に来たのだとしても。一般人の生活は、まずそこからである。
◇◇◇
――木工工房《赤樫亭》。
案内板に書かれていた住所を頼りに辿り着いたそこは、恒一が想像していたよりもずっと大きな工房だった。
通りに面した店先には、椅子や机、棚といった家具が並び、その横には荷車や樽まで置かれている。どれも派手な装飾こそないが頑丈そうで、日々の暮らしの中で長く使うことを考えて作られた品だということが、素人の恒一にも何となく分かった。
建物の奥からは金槌らしき音や、何かを削る音が絶え間なく聞こえている。
――いかにも、仕事場らしい。
そんな当たり前のことに、恒一は少しだけ安心した。
異世界に来た。
勇者達と別れた。
仕事を探している。
その全てが、まだ自分のこととは思えない。けれど目の前にあるのは、誰かが働き、物を作り、それを売って暮らしている場所だった。
たとえ世界が違っても。生活というものは、そこにある。
「……よし」
小さく息を吐いてから、恒一は店の中へ入った。
「すみませーん」
声を掛ける……が、返事は無い。代わりに、一拍おいて奥から聞こえていた作業音が少し止まった。
しばらくして。
「おう」
低い声と共に、一人の男が姿を現した。
――でかい。
恒一は思わず男を見上げた。身長は二メートル近くあるだろうか。分厚い胸板に、丸太のような腕。濃い髭を蓄えた顔は、第一印象だけならちょっと怖い。
「何の用だ?」
声も低い。わりと怖い。
だがよく見れば、その目は思っていたよりも穏やかだった。
恒一はそれに少しだけ安心して、手にしていた募集の控えを見せる。
「これを見まして。木工職人の見習いを募集していると」
「ああ」
男は頷いた。
「職人希望か?」
「職人、と言えるほどの経験はないんですが」
「木工の経験は?」
「DIYくらいなら」
「……なんだそれは?」
当然の反応だった。まぁ異世界にDIYという言葉は無いだろう。
「ええと……趣味で、簡単な棚を作ったり、小物を作ったりすることです」
「趣味の木工か」
「そんな感じです」
男は腕を組み、恒一を上から下まで眺めた。会社員だった恒一は、当然ながら職人らしい体つきではない。
剣士でも、魔法使いでもない。ついでに昨日まで普通にスーツを着て働いていた。
自分でも、場違いなのは分かっている。
「……まあ、見てみるか」
「え?」
「奥へ来い」
男はそれだけ言うと、工房の中へ戻っていった。恒一は慌てて後を追う。
通された作業場には、大小様々な木材や工具が並んでいた。削りかけの部品や、組み立て途中の椅子。壁際には用途の分からない道具もある。
――そして、芳醇な木の香り。
「おお……」
思わず声が漏れた。少しだけ……いや、かなり楽しい。
使い方が分かるものもあるが、見たこともない道具もある。積み上がった木材の種類までは分からないが、色も木目も日本で見慣れたものとは少し違っているように感じた。
もっとゆっくり見たい。触ってみたい。
そんな恒一の様子を見ていた男が、僅かに眉を上げた。
「木は好きらしいな」
「あ」
どうやら、顔に出ていたらしかった。
「……まあ、はい」
「なら、やってみろ」
男は作業台の上から一つの端材を選び、恒一へ放った。慌てて受け取る。
「好きなものを作れ」
「好きなもの?」
「何でもいい。作れるものを作れ」
――なるほど、試験みたいなものらしい。
恒一は手の中の木材を見た。何を作るか。
椅子……流石にこの端材では無理。
棚……同じく。
では玩具?……すぐ出来そうなのは積み木位だろうか。
いざ向き合うと、何を作ればいいか分からない。そうして一分ほど悩んで。
結局。今一番慣れているものを作ることにした。昨夜と同じ、箸である。
「道具、借りてもいいですか?」
「ああ。好きに使え」
恒一は作業台の前に立った。端材を切るための鋸と、削りに使えそうなナイフを選んで手に取る。
――その瞬間だった。
ふわり、と。何かが自分の中で繋がったような感覚がした。
「……?」
恒一は手元を見る。木材と道具。それを握った自分の手。
何も変わっていない。それなのに。
どう切って、どう削ればいいのか。
どこから刃を入れればいいのか。
どれくらい力をかければ、木目に逆らわず削れるのか。
それが、なんとなく分かる。
知識として知っているわけではない。誰かに教わったわけでもない。
ただ、こうすればいいのだ、と。そんな感覚が、自然と浮かんでくる。
恒一は手を動かした。鋸で端材を細く切り出す。ナイフの刃が木を削り、薄い木屑が落ちる。更にもう一度、削る。形を整える。
さりさりと、木を削るほんの小さな音がする。手が止まらない。焦ることも、迷うこともない。
まるで昔からずっと長い間、何度も同じ作業を繰り返してきたように。
「……これが」
恒一は、小さく呟いた。
――『工作』
初めて、自分のスキルを実感した気がした。
何でも作れるわけではないだろう。知らないものの作り方が突然頭に浮かぶわけでもない。
けれど、自分が作ろうとするものを。自分が知っている範囲で、より正確に、より上手く、形にできる。少なくとも今の恒一には、そう感じられたのだ。
しばらく無言で手を動かし続け、やがて完成したものを作業台の上にそっと置いた。
「できました」
男が近付いてくる。
「これです」
差し出された二本の細い棒を、男は無言で受け取った。表を見て、裏返す。先端を確認する。二本を並べて、太さと長さを見る。
それは、先ほどまでの気安い様子とは違う、真剣な職人の目だった。恒一は少し緊張する。
――やがて。
「……ほう」
男が低く呟いた。
初めて、少しだけ感心したような顔をする。
「綺麗だな」
「ありがとうございます」
「削りだけでこの仕上げか。大きさも妙に揃ってる」
「自分でも、ちょっと驚いてます」
正直に答えた。
男はもう一度箸を見て言った。
「で」
「はい」
「これは何だ?」
やっぱそうなりますよね、と心の中で思う。予想通りといえば予想通りの反応である。
「箸です」
「はし?」
「食事に使う道具です」
恒一は、朝と同じ説明をすることになった。
二本で一組。利き手の指で挟んで動かす。
食べ物を摘まむ。調理道具としても使える。男は時折箸を眺めながら、黙って聞いていた。
「――なるほど」
一通りの説明が終わった後。
「便利そうだな」
と、髭を撫でながら頷いて言った。
「でしょう?」
やっと理解者が現れた。何だか少し嬉しい。
「まぁ、売れるかは知らんがな」
「ですよね」
そこも一致して、恒一は少し笑った。男もつられたように笑う。
「面白い」
「え?」
「採用だ」
「……え?」
あまりにもあっさりとした物言いだった。
「聞こえなかったか?」
「いや、聞こえましたけど……あの、これだけでいいんですか?」
男は腕組みすると、また眉を片方上げながら恒一を見つめる。
「最低限、道具は扱える。木を見るのも好きらしい」
「まあ……はい」
「それに」
男は箸を持ち上げた。
「……見たことのないものを作る奴は、嫌いじゃない」
「……ありがとうございます」
その声は、少しだけ楽しそうに聞こえた。
「ただし、見習いからだ」
「はい」
「給金は安い」
「覚悟してます」
「朝は早い」
「頑張ります」
「住み込みになる」
「はい。……え?」
恒一は瞬きをした。男は気にせず続ける。
「二階に部屋がある。飯は朝と夜皆でまとめて、昼は各自その時の仕事の進み具合次第だ」
「ちょ、ちょっと待ってください」
「何だ」
「住み込みなんですか?」
「募集に書いてあっただろう」
「…………」
掲示板。
木工職人見習い募集。
仕事内容。
場所。
給金。
「……見落としてました」
「ちゃんと読め」
「すみません」
何ぶん、異世界の文字を読むのに、まだ慣れていない。男は呆れたように息を吐いた。
だが次の瞬間には。
「……ふっ、ははははは!」
声を上げて、豪快に笑った。
「まあいい。俺はダンだ」
差し出された手は、やはり大きかった。がっしりとして固い掌。紛れもなく、職人の手だ。その手をしっかりと握り返す。
「神谷恒一です」
「カミヤ?」
「あ、ええと……。神谷が姓で、名前が恒一です」
「ほぉ……。とするとお前、もしかしてヤーパン出身か?」
「ヤーパン?」
思わず聞き返すと、ダンは「何だ、知らんのか」と首をかしげた。
「海の向こう、東にある島国だ。大陸に比べりゃ随分と小さな国だが、昔から木工が盛んでな。あそこの大工は、釘一本使わずに家具から家まで建ててみせるってんで有名なんだ。お前の名前の感じが似てたからよ」
恒一は小さく息を呑んだ。それはまるで、日本の職人や宮大工のようだ。
もちろん、偶然なのだろう。この世界に日本があるはずもない。
それでも。
「えっと、出身ではないですが……うん。俺の故郷に、少し似ています」
そこで、ほんの少しだけ言葉を切る。
「……もっとずっと、遠い所なんですけどね」
「そうか。ま、案外ご先祖あたりは繋がってるのかもしれねぇなぁ」
「はは……どうでしょうね」
まさか、世界そのものが違うとは言えない。
しかしダンは、「まあ、そんなこともあるか」とでも言いたげに頷いただけで、それ以上深く追及しなかった。
「よし、改めて。コーイチだな。よろしく頼む」
「はい。よろしくお願いします」
もう一度、二人の手に力がこもる。
こうして――神谷恒一ことコーイチの、異世界で初めての仕事が決まった。
◇◇◇
その日の夕方。早速工房の職人達に紹介され、午後の雑用を手伝った。工房の掃除を終えた恒一は、大量の木屑を箒で集めながら思う。
(……何とかなりそうだな)
異世界。
仕事あり。
飯あり。
寝床あり。
昨日はどうなることかと思ったけれど。
案外、悪くないかもしれない。
そんなことを考えた時だった。工房の表の道が、妙に騒がしくなる。
子供達の声と、大人達の笑い声。そして、何かを呼ぶような声。
「何だ?」
少しだけ気になって、恒一は工房の外を覗いた。
そして。
固まった。
王都の石畳の街道を。
一頭の巨大な狼が歩いていた。
「……でっ……か」
黒と銀を混ぜたような、艶のある美しい毛並み。馬車を引く馬よりも、明らかに大きい。
煌めく青色の瞳に、逞しい太い脚。もしも日本で出会えば、まず間違いなく逃げる。
……いや、逃げても到底無駄な気がする。目の前を闊歩するのは、そんな生き物だった。
――なのに。
「クロー!」
「待ってー!」
「触らせてー!」
ふさふさの毛並みに、子供達が抱きついている。どこぞの神話にでも登場しそうな巨狼は、何だか少しだけ困った顔をしているように見えた。
(……狼って、あんな顔するんだな)
そんな何処かずれた事を考え、そして視線を上に上げる。その背中には、一人の青年が乗っていた。
夕陽を受けて輝く、透き通るような銀髪。澄んだ青空を思わせる蒼い瞳。年齢は、恒一より少し下位だろうか。
恐ろしく整った顔立ちをしている。が、その印象を柔らかくしているのは、軟らかく人懐っこそうな笑顔だった。
「はいはい、順番な! 押さないで!」
笑いながら、子供達へ手を振っている。
(――すげぇイケメンだな)
それが、神谷恒一の第一印象だった。異世界要素を除いたとしても、自分とはまず縁がなさそうなタイプである。
そう思った、その時。
青年が、ふと顔を上げた。何気なく、本当に偶然。周囲にほんの少し視線を巡らせただけに見えた。
――そして。
その瞳が、工房の前に立つ恒一を見つけた。
「……?」
視線が合う。
青年の顔から一瞬、笑顔が消えた。何処か不思議そうに、恒一を見ている。
恒一も、なんとなく。青年を見返した。
会ったことはない。
絶対にない。
そもそも、数日前まで別の世界にいたのだ。
だというのに、その青年は。じっと恒一を見つめていた。
そして、次の瞬間。
ぱっ、と花が咲くように笑った。まるで、昔から知っている友人を見つけたように。
「……ん?」
恒一は首を傾げる。その間に青年は、巨大な狼の背からひらりと飛び降りた。
「ちょっと待っててな」
子供達へそう言って、真っ直ぐこちらへ歩いてくる。
(――え?)
何だ何だ、何事だ。
恒一が困惑している間に、青年はすたすたと軽い足取りで目の前までやって来ると、満面の笑顔で言った。
「……初めまして!」
そして、まるで以前から探していたものを見つけたみたいに、蒼い瞳を楽しげに細める。
「あなた、何か面白そうな人だね!」
神谷恒一はこの時、心の底から思った。
(誰だ、この人)
それが、彼と――
世界最強かもしれない冒険者パーティーとの、最初の出会いだった。




