28.誰かの為に作ること。
翌朝。まだ朝露の残る頃、アステルはもう出掛ける支度を終えていた。
「それじゃ、行ってくる!」
ひらりと手を振ると、クロムが低く一声鳴く。
その大きな背へ軽やかに飛び乗る姿は、もはや見慣れたものになっていた。
次の瞬間にはクロムは地面を蹴り、一陣の風となって街道の先へ駆けていく。
「無理はするなよー!」
工房の入口からダンが声を張る。
「は~い!」
遠ざかりながら返ってきた返事だけは威勢がいい。
あっという間に、その姿は見えなくなった。
「……返事だけはな」
ダンが苦笑する。
「立派なんですけどねぇ」
恒一も思わず笑った。
「まぁ、あいつは止めても行くだろう」
横で見送っていたオルビスが、睫毛を伏せながら静かに言う。
「だが、必ず帰ってもくる」
どこか弟を信じ切った口調だった。
工房では、早速作業が始まる。
ガロンの保管庫へ納める棚と、雨を防ぎながら風を通す木戸。
そして、新たに加わった循環魔導機構の木製外装。
三つの仕事が並行して進んでいた。
「コーイチ、こっち頼む」
「はい!」
恒一は切り出した木材を作業台へ運ぶ。
循環魔導機構そのものは、魔石や術式を組み込むため今回はアステルの担当だ。だが、それを収める木箱は赤樫亭の仕事である。
昨日のうちに、アステルは簡単な図面と寸法だけを書き残していた。
四角く組んだ側面板に、魔石と回路の為の金具を固定した背面板を取り付ける。前面は木枠に細い板を鎧戸のように斜めに並べた扉を、掃除や魔石の交換等の際に開閉出来るよう蝶番と留め具で固定する。
構造そのものは意外なほど単純だった。
「こういう箱でいいんだよな?」
板を仮組みしながら恒一が確認すると、オルビスは図面へ目を落として頷く。
「ああ。寸法も合っている。前面の隙間は均等に。風が偏らないようにな」
「了解」
魔導機構の知識はまだない。だからこそ恒一は、自分が分かる部分へ集中した。
隙間が狂わないように板の幅を揃え、角を丁寧に削り落とす。
手に触れても怪我をしないよう、ひとつひとつ確実に仕上げていく。
その様子を見ながら、ダンが満足そうに頷いた。
「手が止まらなくなってきたな」
「そうですか?」
「ああ」
木材を削る鉋の音が、小気味よく響く。
「前は言われた通りに作ってたが、今は違うな」
「違います?」
「自分で先を考えながら動いてるだろ」
恒一は思わず手を止めた。確かに、棚を作る時も、木箱を組む時も。次に必要になる部材を考え、道具を手元へ揃え、続く工程を思い浮かべながら動いている自分がいた。
昨日までとは少しだけ違う。
ほんの少し。
それでも確かな変化だった。
「職人ってのはな」
ダンは木材を持ち上げながら笑う。
「考えるより先に手が動くようになるが、慣れるとだんだん今の手元より先の事が考えられるようになる。どの順番なら楽か、早く仕上がるかってな」
それは、経験がもたらす効率化だ。一手先を踏まえて動く、予測と結果の積み重ね。
「その上で、どうすりゃ長持ちするか、誰が使うのか。そこまで考えて初めて、道具は道具になる」
その言葉は、不思議なくらい胸へ落ちた。
誰が使うか。
その一言が、昨日見た保管庫の景色と重なる。
ガロンが毎日使う棚。粉袋を守る木戸と、湿気を追い出す風。
全部、使う人のためだ。
「……なるほど」
恒一は静かに頷いた。
ただ作るだけでは足りない。使う人のことを考えてこそ、本当に役に立つものになる。
辺りに意識を向ければ、工房中へ木槌の音が響いている。職人達は真剣に、時折笑い合いながら、それぞれの持ち場で手を動かしていた。
いつの間にか、この場所の空気にも馴染んできたな。そんなことを思いながら、恒一は新しい木箱の角へ丁寧に鉋を掛ける。
夕方になれば、アステルが魔石を持って戻ってくる。その時には、この箱へ命が吹き込まれるのだろう。
そんな期待を胸に、今日も赤樫亭の一日は穏やかに過ぎていった。
昼食を終えしばしの休憩を挟むと、工房では午後の作業が始まった。
いよいよ、棚の仮組みである。
「よし、まず一台立ててみるぞ」
ダンの号令で、職人達が加工を終えた部材を作業場の中央へ運んでくる。恒一も一緒になって支柱を支え、横桟をはめ込んでいく。
「こっち、少し持ち上げてくれ」
「おう」
「よぅし、打ち込むぞ」
組み上がった骨組みに、簀の子状の棚板を一段ずつ固定していく。仮固定の釘を打ち終えたところで、ダンが軽く手を叩いた。
「よし、一回立てるぞ」
数人がかりで棚を起こす。
どしりと床へ据えられた棚は、想像していた以上にしっかりとした佇まいだった。ぐるりと一周しながら、各所へ目を向ける。
棚板は簀の子状になっているため風がよく通る。それでいて、荷重を受ける支えが等間隔に入っているおかげで手で強く押してみてもほとんど撓まない。
さらに背面へ組まれた格子状の補強が、全体の歪みをしっかりと抑えていた。
「思ったより頑丈ですね」
「思ったより、じゃねぇぞ」
ダンがにやりと笑う。
「頑丈に作ったんだ」
そう言って、自ら手を置き棚板へ体重を掛ける。
ぎしり、と僅かに木が鳴る。
だが、それ以上沈み込むことはなかった。
「これなら粉袋を積んでも問題ねぇな」
「横揺れもほとんどありませんね」
恒一が感心して言うと、ダンは格子状の背板を軽く叩いた。
「こいつのおかげだ。見た目は地味だが、こういう一手間が長持ちする棚を作る」
恒一は改めて棚を眺めた。
何人もが知恵を出し合い生まれた形を、ダン達職人の経験が補い、本当に使える棚へ仕上げている。
誰か一人では、この形には辿り着けなかっただろう。
だからこそ――面白い。
知識と経験が重なり、一つの形になっていく。その過程を目の当たりにしながら、恒一は胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じていた。
「よし。それじゃあ、こいつは本固定して仕上げるぞ。終わり次第二台目に取り掛かれ!」
「「おう!」」
ダンの一声に、工房のあちこちから勢いの良い返事が上がる。
職人達は再び持ち場へ散っていき、あるいは組み上がった棚へ最後の仕上げを施し始めた。
その様子を満足そうに見届けると、ダンは恒一へ手招きする。
「コーイチ、お前はこっちだ」
「はい」
向かった先には、循環魔導機構の外装になる木材が並べられていた。
箱そのものは決して大きくない。だが、中へ魔石や魔導機構を組み込むため、蓋の開閉や内部の余裕まで考えて大きさが決められている。
「まずは箱を組んじまおう。中身はアステルの仕事だからな」
「分かりました」
恒一は図面を作業台へ広げ、一つ一つ寸法を確認しながら部材を並べていく。
板の向きと角度に、組み付け順。
昨日までなら何度も迷っていただろう作業も、今日は不思議と頭の中で自然に整理できた。
仮組みを終えたところで、ダンが図面を手に取る。
「コーイチ。アステルの図面、もう一回見てみろ」
紙を広げると、そこには簡潔ながら必要な情報がきちんと描き込まれていた。
外寸と内寸。
金具の取り付け位置。
蓋の開閉方向。
魔石を収める箇所の大きさ。
整備と点検用の隙間。
どれも線は多くない。それでも、作る側が迷わないだけの情報は過不足なくしっかりと纏められている。
「意外と細かく描いてありますよね」
改めて見た恒一が感心すると、ダンは苦笑混じりに鼻を鳴らした。
「案外こういう所は真面目なんだな。普段との差がえらく激しい奴だ」
その言葉に、恒一も思わず笑ってしまう。
「確かに。思い付いたらすぐ動くタイプっぽいのに、こういう作業は妙に丁寧なんですよね」
「あいつの場合、頭ん中じゃ先にちゃんと組み上がってるんだろうよ」
ダンは図面の一点を指で叩いた。
「ここなんか見てみろ。箱を組んでからじゃ工具が入らなくなる場所だから、先に金具を固定しろって順番まで書いてある」
「あ、本当だ……」
言われるまで気付かなかった。
ただ寸法を書くだけではない。作る順番まで考えて描かれている。
恒一は改めて図面を見つめた。
形だけではなく、組み立てる人のことまで考えられた図面。だからこそ、初めて見る自分達でも迷わず作業を進められる。この一枚の紙から、また新しい学びを得た気がした。
隣でオルビスが小さく頷く。
「アステルは感覚で動くことが多いが、こういう機構に関しては話は別だ。事実、一つ間違えれば動かなくなるし、最悪は壊れる。だから必要なことは必ず書き残す」
「へぇ……」
恒一は素直に感心する。
豪快で自由奔放に見える弟と、それを当たり前のように補足する兄。だが二人とも、それだけではない。この双子を知れば知るほど、その印象は少しずつ変わっていくのだった。
「まぁ、そもそも教えた奴の腕が良かったのもあるだろうがな」
図面を眺めながら、オルビスが静かに言った。
「ああ、そういえば前に話してたよな」
箱の角を合わせてから、恒一は顔を上げる。
「昔、一緒に旅してた仲間に教わったって」
「ああ」
オルビスは小さく頷いた。
「魔導機構については、あいつの師匠のような存在だ。俺も基礎は教わったが、本職には到底及ばん」
「そんなに凄い人なのか」
「凄い、などというものではないぞ」
珍しく、少しだけ楽しそうな笑みが浮かぶ。
「機工師――魔導工学そのものを生業にしている専門家だからな」
「じゃあ、この図面みたいなのも、その人に?」
「基礎の部分はな。あとはアステルが、自分で好きで覚えたものだ」
オルビスは図面の端を指で軽く叩く。
「だからあいつは、この程度の機構なら一人で組める」
「この程度、か」
恒一は苦笑する。
今の自分からすれば十分すぎるほど複雑な代物なのだが、彼にとっては基礎の範囲らしい。
ダンも腕を組みながら感心したように唸る。
「世の中、上には上がいるもんだな」
「ああ」
オルビスは静かに頷いた。
「旅団を離れて三年程になるか……。今は魔導工学が盛んな街で、自分の工房を構えている」
「工房を?」
「ああ」
ふっ、と口許に微かな笑みが浮かぶ。
「――機工都市、ライズヴェルト」
その名を口にした瞬間、オルビスはどこか懐かしむように目を細めた。
「この大陸じゃないところ?」
恒一が尋ねると、オルビスは「ああ」と短く答える。
「俺達の故郷、アルシオン大陸にある。魔導工学を学ぶ者なら、一度はその名を耳にする街だ」
「へぇ……」
恒一の脳裏へ、また一つ未知の土地が刻まれる。
この王都とは違う文化を持ち、魔導工学が発展した街。そこにはきっと、自分の知らない技術が数多くあるのだろう。
「いつか機会があれば行ってみると良い」
オルビスは穏やかに言った。
「物を作るのが好きなら、きっと退屈はしない」
その言葉に、恒一は思わず笑みを浮かべる。
「そんな街なら、一日じゃ足りなさそうだな」
「多分、一週間いても足りんぞ」
オルビスも珍しく笑みを返した。
遥か遠い大陸の、異国の街。そんな話に、少しだけ子供のように胸が弾んだ。




