24.内緒話は、紅茶と共に。
夕暮れの街を、五人はゆっくりと歩いていた。
雨上がりの空気はひんやりと心地よく、石畳には西日が柔らかく映り込んでいる。
「明日から棚と木戸を作る準備だ。石工とも話を合わせなきゃならねぇし、忙しくなるぞ」
「はい。ガロンさんの為に頑張らないとですね」
「私も、もう少しヤーパンの建築を思い出してみます。今回の件以外にも、今後の参考になれば良いでしょうしね」
「そいつぁ有り難いな。新しいネタは大歓迎だ」
職人達の会話は尽きることなく、何かを作る事への情熱が溢れている。
後ろでそんな会話を聴きながら、不意にオルビスは足を緩めた。
「アステル」
静かな声だった。弟だけへ届くような、小さな呼び掛け。
「……意図して使ったな?」
「……ああ」
柔らかな笑みの中に、ほんの少しだけ芯を持った、短い返事。
前を歩く三人には聞こえはしない、囁くような二人の会話。
「話すつもりか」
アステルは少しだけ黙った。
まだ僅かに迷っている。そんな空気が伝わる。
「……やめといた方が良いか?」
普段なら思ったことをすぐ口にする弟が、珍しく兄へ判断を委ねた。
今まで言わなかったことを話す。それは、単純に秘密を一つ明かすというだけではない。
自分達が何者で、何を感じ、何が出来るのか。剥き出しの自身のその一端を、相手へ預けるという事だ。
オルビスは静かに目を閉じる。
思い返すのは、出会ってから今日までの恒一だった。
不必要に詮索しなかったこと。
伏せている事を察しつつも、それを守るために自然と話を合わせてくれていただろうこと。
誰かを助けるためなら、自分の事など気にも留めないこと。
そして今日。
職人達の知恵を、自分の知り得た知識を、一人のものにしようとはせず、共有してまとめ、先を目指そうとしていた姿。
ゆっくりと目を開く。
「……いや」
短く答える。
そして、前を歩く背中へ静かに視線を向けた。
「コーイチなら、大丈夫だろう」
その言葉を聞いたアステルは、一瞬だけ驚いたように兄を見る。
やがて、ふっと笑みを浮かべた。
「……そっか」
どこか肩の力が抜けたような、穏やかな笑みだった。その様子を見たオルビスも、小さく口元を緩める。
弟が自分で選び、自分で信じた相手。ならば兄として、その判断を尊重しよう。そう思えたのだ。
「二人とも?」
前を歩いていた恒一が振り返る。
「どうかしたか?」
「いんや。何でもない」
いつもの調子でそう答えると、小走りで恒一の隣へ並ぶ。
「……コーイチさ」
「ん?」
「聞きたいこと、あるんだろ?」
「――あ~……うん、まぁ」
少しだけ遠慮がちな視線を向けて、困ったように笑う。少し考えてから、アステルはふわりと笑った。
「じゃあ、ちょっと寄り道してくか!」
その笑顔を見て、恒一は察する。
これから自分は、この兄弟の"何か"を知らされることになる。そんな予感が、静かに胸の中へと落ちた。
「ああそういや、ぼちぼち釘を発注せにゃならんな」
ダンはそう呟くと「馴染みの道具屋へ寄って帰る」と、表通りを曲がっていった。
「お前も後は好きにして良いが、夕飯までにゃ帰れよ」
振り返ることなく手をひらひらと振る。
「ええ、分かってます」
その背中を見送りながら、シンも軽く頭を下げた。
「私もそろそろ、今夜の仕込みに戻らねば」
「はい、今日はありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ朝からお世話になりました。また機会があれば、是非とも店にお越しください」
笑顔で差し出された手を握り返す。軽く手を振り合い、どこか足取り軽く去っていく背中を見送った。
「さて、立ち話も何だし……」
アステルは少しだけ辺りを見回した。
「オルビス」
「ああ」
オルビスが小さく頷き、恒一へ向き直る。
「俺達も行くか。丁度、近くに馴染みの店がある」
三人はそのまま大通りを外れ、小さな石畳の路地へ入っていく。王都の中心から少し離れたその一角は、人通りも穏やかだった。
花壇には色とりどりの花が植えられ、小さな雑貨屋や仕立て屋が軒を連ねている。
その奥に、一軒の喫茶店があった。
木製の看板には、可愛らしいティーカップの絵。窓辺には鉢植えが並び、雨上がりの光を受けて葉がきらきらと輝いている。
「こんにちはー」
アステルが扉を開ける。
からん、と澄んだ鈴の音が店内へ響いた。
「いらっしゃ……あら」
カウンターの奥にいた初老の女性が、ぱっと笑顔になる。
「アステルさんにオルビスさん。あらまぁ、今日は珍しくお連れさんも一緒なのね」
「うん」
アステルはにこりと笑う。
「窓際、空いてる?」
「もちろんよ」
女性は慣れた様子で頷いた。
「いつもの席、どうぞ」
店内は昼の賑わいも過ぎ、穏やかな時間が流れていた。
客は数組いるものの、皆静かに本を読んだり、お茶と会話を楽しんだりしている。
店の奥、窓際のテーブル。どうやら双子の定位置らしい。
「常連なんだな」
席へ着きながら恒一が言うと、アステルは照れ臭そうに笑った。
「こっちへ来ると結構寄るんだ。店主のおばちゃんが凄く良い人でさ」
「騒がし過ぎず、軽食も美味い」
オルビスが短く付け加え、微かに口許を緩める。
「勿論、紅茶もな」
ほどなくして店員が注文を取りに来た。双子は迷うことなく各々気に入りの紅茶を注文し、恒一もおすすめの茶葉を聞きながら、少し悩んでミルクティーに合うという物を選んだ。
しばらくすると、香り高い湯気を立てる紅茶のティーポットと、小さな焼き菓子を盛り合わせた籠が運ばれてくる。甘い香りが、静かな店内へゆっくりと溶けていった。
誰からともなくカップへ手を伸ばし、一口飲み込んで小さく息をつく。先ほどまで職人達と交わしていた熱気が、少しずつ落ち着いていく心地がした。
やがて、アステルがカップをソーサーへ戻した。
「それで」
空色の瞳が、真っ直ぐ恒一を見る。
「……さっきの保管庫での話、だよな」
恒一は静かに頷いた。
「ああ。……こういう聞き方で良いのか、分からないけど」
静かな店内でその問いだけが、ゆっくりと三人の間へ落ちていった。
「あの時保管庫で、何をしたんだ?」
アステルはそっと小さく息を吐く。
いつものような、砕けた明るい笑顔ではない。
少しだけ真面目な表情だった。
「まず先に、一つだけ」
静かな声で言う。
「さっきは、ごめん」
「……謝ることなのか?」
恒一が首を傾げる。
「何というか……多分、手伝ってくれただけだろ?」
「……うん。でも、本当は黙ってやることじゃなかったなって」
そう言って、アステルは少し困ったように笑った。
「だから、ちゃんと話そうと思ってさ」
恒一は何も言わず、その続きを待った。
アステルは一度だけオルビスを見ると、兄は静かに頷いた。それだけで十分だったようだ。
「俺さ」
アステルは自分の胸へ軽く手を当てる。
「昔から、人より少しだけ……色んなものが伝わりやすいんだよ」
「伝わる?」
「そう。例えば……」
指を一本折る。
「感情だったり」
二本目。
「その場にある環境魔力だったり」
三本目。
「『あ、何かある』っていう違和感や勘だったり?」
そう言って、小さく笑う。
「だから、森で迷子を見つけたり、麓で戦ってる皆に気付けたり出来たんだ」
恒一は静かに頷く。
やはり、あれは偶然ではなかったのだ。
「でも、何でも分かるわけじゃない」
アステルは首を横へ振った。
「心が読める、とか?」
「そんな便利なものじゃないよ」
苦笑しながら、クッキーをひとつ摘まむ。
「考えてること全部なんて分からない。ただ……」
そこで一度言葉を切り、少しだけ視線を伏せた。
「誰かが強く思ってることは、はっきりと伝わって来る時がある」
恒一は思い返す。保管庫で、頭の中が整理されていって、線が浮かび上がったあの瞬間。
驚きと、微かな高揚が沸き上がった、あの時。
「じゃあ……」
「うん」
アステルは素直に頷いた。
「コーイチに、何かが起きたなって思った。感情としては悪いことじゃなさそうだけど、普段と様子が違ったから、間違いなく普通じゃない程の何かだって。それでちょっと心配になって……意図的に“繋いだ”んだ」
「……そうか」
恒一は、自分の手を見る。あの時の感覚を思い出す。
「あの時何か……手を繋がれたみたいな、背中を支えられたみたいな感覚がしたんだ。あれがそうなんだ?」
「うん、多分な。外に溢れた感情を拾ったリックやヤマト達の時とは違って、あの時はコーイチ本人に直接繋いじゃったから、そういう感覚があったんだと思う。……悪い、びっくりさせたよな」
珍しくしおらしい様子に、慌てて両手を振る。
「いや、そこまで驚きはしなかったから大丈夫だよ。どっちかっていうとその後で、考えてた場所を当てられた時の方が驚いたぞ」
「ああ、あれな」
「うん。アステルにも見えてるのかって思った」
「見える……?」
頭の中で思い描いただけの通気口の場所。口に出さずとも把握した様子に、同じものが見えたのかと思ったのだ。
だが、どうやら少々違うらしい。
んん、と口許に手を当てて、アステルが考え込んだ。
「んーと、見えた、ってのとはちょっと違うかもな。実を言うと俺も、今回みたいな繋がり方は初めてなんだよ」
「初めて?」
「そう。コーイチから流れてきたのは“想い”だけじゃなかった」
すると、それまで静かに聞いていたオルビスが口を開いた。
「先に補足すると」
静かで、落ち着いた口調だった。恒一へ真っ直ぐ視線を向ける。
「聞いての通りアステルの力は、一方的に内面を覗き見るようなものではない。場に満ちていたり、相手が強く抱いたものへ“共鳴”するものだ」
「共鳴……」
「そう」
アステルが頷く。
「場とか環境魔力はややこしくなるから後回しにするとして。人に絞って大まかに言うと、その人の中で生まれた、すっごく強い“想い”。ほら、楽しそうな人とか、機嫌が悪そうな人って何となく分かるだろ?それってつまり、外に漏れ出す位の強めの感情ってことでさ」
アステルはカップを両手で包み込むように持ち、少しだけ考えるように視線を落とした。
「俺が繋がるのは、そういう目に見えない“強い想い”」
静かな声だった。
「見えない、強い想い……」
恒一が繰り返すと、アステルはゆっくり頷く。
「願いだったり、祈りだったり。もちろん、その逆もある」
そう言うと、少しだけ表情を曇らせる。
「怒りとか、悲しみとか……そういう負の感情も、強ければ伝わる」
「……だから、リックやヤマト達の事も気付けた?」
「そういうこと。でも、四六時中そんなものが際限なく流れ込んで来てるわけじゃないから安心してくれ」
苦笑しながら肩を竦める。
「そんなことになったら、とっくに発狂してる」
恒一も思わず苦笑した。
「確かに、それはとんでもなく大変そうだな」
「そーそー。だから、普段は、人より少し勘が鋭いくらい」
アステルはそう言って、自分のこめかみを軽く指で叩く。
「でも、『これだ』って拾った想いに、自分から意識して波長を合わせることができる」
「波長を合わせる?」
「うん。そうすると、その人の想いに“共感”して“響く”んだ。そこで初めて“繋がって”その想いが自分の中へ流れ込んでくる。だから俺は、直接人の心を読めるわけじゃない」
きっぱりと言い切る。
「伝わってくるのは、その時強く抱いている想いだけ。それ以外は分からないよ」
恒一は静かに頷いた。今まで見た、耳を澄ましているかのようなあの時も、その“共鳴”の力を使っていたのだろう。だからこそ遠くとも不安な泣き声や助けを求める悲鳴に気付き、保管庫では自分の高揚感に気付いたのだろう。
「それと、もう一つ」
再び、オルビスが口を開いた。
「アステルは橋渡しも出来る」
「橋渡し?」
「共鳴している最中に、別の相手とも繋がれば、その想いを共有できる」
「うん、例えばさ」
アステルが笑う。
「今日のコーイチと俺が繋がってる時に、兄さんとも繋いだら」
親指で隣を示す。
「俺が感じたものを、そのまま兄さんにも伝えられる」
「勿論、完全に同じ景色ではない。だが、方向性や輪郭は共有できる」
「ちなみにこれは、魔力なんかでも同じ。だから俺の力は、橋渡し役なんだ」
そこで、オルビスは静かに紅茶を一口飲む。
「対して、俺は少し違う」
恒一が視線を向ける。
「俺が拾うのは、“残響”だ」
「残響?」
「その場に残された想い」
窓の外へ目を向けながら続ける。
「誰かが強い願いを抱いた場所、激しく争った場所、大切な約束を交わした場所。そういった場所には、想いが残渣として残ることがある」
その声はどこか穏やかだった。
「俺は、それを掬い取ることが出来る」
「だから兄さんは、遺跡とか古戦場へ行くと静かになるんだよ」
アステルが笑う。
「色々聞こえちゃうから」
「全部ではない」
オルビスは淡々と訂正する。
「強く残ったものだけだ。それに、アステルと同様、意図して波長を合わせなければ詳細は解らん」
二人は似ているようで、少し違う。
アステルは“今”響いている想いへ。
オルビスは“過去”に残された想いへ。
それぞれ手を伸ばすことが出来るのだ。
恒一はしばらく黙って二人の話を聞いていた。
そして、ふと口を開く。
「でも……」
「ん?」
「今回は、少し違った?」
「……うん」
アステルは自分の額へ軽く触れる。
「何て言えばいいんだろうな……」
少し考えてから、小さく笑った。
「コーイチから流れてきたのは、感情だけじゃなくって……『ここだよ』って、指を差してもらったみたいな感覚だったんだ。だから、あの場所がわかった」
恒一は思わず息を呑む。
あの時自分が『ここだ』と思っていた場所。そして、アステルが指し示した場所。まさに、その通りだった。
「単なる感情だったら『楽しそうだな』とか『嬉しいんだな』で終わるはずなんだ」
アステルは首を横へ振る。
「なのに、今日は全然違った。だから……」
両腕をテーブルに付いて、少しだけ身を乗り出し恒一の目を見る。
「俺達も、良ければ聞いていいか?」
隣でオルビスも静かに頷く。
「あの時、お前に一体何が起きたのかを」




