22.話も縁も広がりました。
食卓が一段落すると、シンはもう一度茶碗の中の白いご飯を見つめた。
料理人の目だった。
ただ美味しいと感動して終わるのではない。どう使うか、何と合わせるか。その先を考え始めている。
「……これは、いけませんね」
ぽつりと呟く。
「何がだ?」
ダンが尋ねると、シンは真剣な顔のまま答えた。
「頭の中に料理が浮かびすぎます」
その場の全員が思わず吹き出した。
しかし本人は至って本気の眼差しだ。
「焼き魚……ご飯が甘いですから、塩焼きが合いそうですね。煮物も良い。具沢山の汁物と合わせても美味しいでしょうし、ソイユやミュソも、もっと活かせるはずです。今までは粥に合わせる前提で考えていましたが、白いご飯ならまた話が変わる……!」
独り言は止まるところを知らず、気付けば完全に自分の世界へ入り込んでいた。
アステルが小声で恒一へ囁く。
「料理人って皆こうなるのか?」
「さあ……」
恒一も苦笑するしかない。
一方、その隣ではハロルドが腕を組み、静かに思案していた。
「ううむ。白米、ですか……」
商人らしく視線は料理ではなく、市場へ向いている。
「ヤーパンライスは現在、粥用の穀物として仕入れています。しかし、炊飯という文化が広まれば話は変わりますね」
独り言のように呟きながら、頭の中で何かを組み立てている。
「精米の方法が確立できれば、白米という新しい商品が生まれる。玄米も用途は残るでしょうから、扱う品目そのものが増える可能性があります。それに」
ハロルドの目が少し細くなる。
「『異国では、このように食べられている』という一言は、思っている以上に人の興味を引くものです」
「新しい商売になりそうか?」
ダンが尋ねると、ハロルドは静かに頷いた。
「ええ。もちろん、すぐにという話ではありません」
そう前置きしてから、柔らかく笑う。
「ですが、人は美味しいものには素直です……ほら」
視線の先では、工房の職人達がすでに二杯目の白いご飯へ手を伸ばしている。
「一番分かりやすい実例が、目の前にあります」
ダンもしっかり口いっぱいに頬張ったまま、少しだけ気まずそうに視線を逸らす。
「見られてたか」
「ええ、しっかりと」
工房中に笑い声が響いた。
その様子を眺めながら、恒一はふと思う。
自分にとっては当たり前だった食卓。それが、この世界では新しい文化になるかもしれない。
そんなことは、ほんの数日前まで考えたこともなかった。
そして、隣では。
「コーイチ!」
アステルが満面の笑みで茶碗を掲げる。
「おかわり!」
「はいはい」
恒一は苦笑しながら、木のヘラを手に取った。
どうやら、この"新しい文化"の第一号愛好家は、もうすっかり出来上がっているらしい。
ハロルドは湯気の立つ茶碗を見つめながら、静かに口を開いた。
「……これは、商人の腕の見せ所かもしれませんね」
その一言に、首を傾げる。
「どういうことですか?」
「現在のヤーパンライスは、輸入量そのものが多くありません」
ハロルドは指先で机を軽く叩きながら説明を始めた。
「扱う店も限られていますし、『粥にする穀物』という認識が一般的です。ですから、一度に大量に仕入れる理由もない。粥は少量でもかなり膨らみますしね」
そこまで言うと、白いご飯へ視線を落とす。
「ですが、炊いて食べる文化が広まれば話は変わります」
商人らしい穏やかな笑みが浮かんだ。
「需要が増えれば、仕入れ量も増やせる。まとまった量を運べるようになれば輸送効率も上がりますから、価格も今より少しは抑えられるでしょう」
「なるほど」
ダンも腕を組みながら頷く。
ハロルドはさらに続けた。
「もちろん、それで全てが安売り競争になるわけではありません。」
今度はシンへ視線を向ける。
「例えば稲穂亭のようなお店は、料理人の腕が価値そのものです」
「ええ」
シンも大きく頷いた。
「同じ米を使っても、どのように炊き、どの料理と合わせるかは店ごとに違ってくるでしょう」
「そういう店は、むしろ影響を受けにくいでしょうな」
ハロルドは笑みを深める。
「白いご飯を知る人が増えれば『もっと美味しく食べてみたい』と思う方も必ず現れます」
「その時に我々料理屋が腕を振るう、と」
「まさに」
二人は顔を見合わせ、小さく笑った。
料理人は料理で。商人は商売で。
同じ白いご飯を見ながら、それぞれ違う未来を思い描いている。
「まずはヤーパンライスを、もっと身近な主食の一つとして知っていただくことですね」
シンの言葉に、ハロルドは静かに頷いた。
「その先に興味を持ってくださる方が増えれば、高級な店も、庶民向けの店も、それぞれに賑わうでしょう」
そして、少しだけ楽しそうに笑う。
「そういう流れを作るのが、我々商人の仕事ですからな」
恒一は思わず感心した。
ただ品物を売るだけではない。人と人を繋ぎ、新しい文化を広めることもまた、商人の役目なのだ。
「なんか、格好いいですね」
その率直な一言に、ハロルドは少し照れたように笑った。
「ありがとうございます。ですが――」
そこで商人らしい目がきらりと光る。
「まずは、この白いご飯をもっと多くの方に知っていただかなければ始まりません。貴族階級だけではなく、庶民の方々にもね」
その言葉に、シンが力強く頷く。
「料理のことなら、お任せください」
「流通のことは私が」
料理人と商人。
異なる道を歩む二人はこの日、同じ目標へ向かって歩き始めようとしていた。
賑やかな声が少し落ち着いた頃だった。
ふと、オルビスが恒一へ視線を向ける。
「コーイチ」
「ん?」
「"米"は、粉にも出来るのか?」
その問いに、一瞬だけ目を丸くする。
「……米粉か」
「あるのか?」
「ああ、あるよ」
あっさりと返ってきた答えに、今度はオルビスの方が少し驚いたようだった。
恒一は少し考えるように白いご飯を見つめる。
「小麦もさ、最初からパンだったわけじゃないだろ?」
「ああ。古くは茹でたり、今でも食されている小麦粥が主流だった。その後、小麦を砕いて粉にする技術が生まれ、パンが作られるようになったと言うな」
「なるほど……聞いたことがありますね」
シンも興味深そうに頷く。
オルビスは静かに続けた。
「米は小麦より硬い。だが、砕けない事は無い。そして、こうして加熱したものには小麦とは違った粘りがある」
器の中の白いご飯へ視線を落とす。
「なら、粉にした時も何か変わるのではないかと思った」
その着眼点に、思わず感心してしまう。
「流石だな」
「?」
「アステル、そこまで考えたか?」
アステルは軽く首を振り、頬杖をついて兄を見る。
「俺は全然。こうやって違う方向から見れる所、やっぱ兄さんは凄いよ」
お世辞抜きの真っ直ぐな賛辞に、オルビスは少し照れたように視線を逸らした。
「同じ穀物同士だからな、気になっただけだ」
そんな兄弟を微笑ましく眺めつつ、恒一は腕を組んで考え込む。
「米粉も米粉パンも、それ自体は俺の故郷に確かにあった。でも……それだけでパンにするのは、ちょっと難しいかもしれないな」
「難しい?」
「こっちだと、製粉の技術がまだそこまで細かくなさそうだし、前例の無い米は尚更だ。パンを膨らませる方法も限られてるだろ?」
この世界には、ドライイーストなど勿論無いだろう。恒一はガロンへと視線を向ける。
「ガロンさん達が使ってる発酵種を利用するなら工夫次第でいけるかもしれないけど、性質のまるで違う米粉だけで小麦みたいなパンを焼くのは、出来るようになるまでかなり苦労すると思う」
ガロンも真剣な表情で頷いた。
「確かにこの粘りからして、米粉の生地は重そうだ。小麦ほど膨らまなそうですね」
「そう。ただ――」
恒一はそこで小さく笑う。
「炊いたご飯を潰して、小麦の生地に混ぜて焼くパンなら、俺の故郷でも比較的作りやすいレシピとして知られていましたよ」
「炊いたご飯を?」
ガロンの目が変わる。
「生地へ混ぜるのですか?」
「ええ。しっとりして、ちょっともちもちした食感になって美味しかったな。小麦のパンに慣れている人も、ブレンドのほうが多分抵抗が少ない」
「成る程、それは面白い!」
「それと……米粉だけでも、団子とか餅みたいなものなら作れる可能性はあるな」
「餅?」
「団子?」
初めて聞く名前に、シンはもちろん、ハロルドまで身を乗り出した。
「どちらも、米が主役の料理やおやつです。この米でも作れるけど、稲の品種によっては更に粘り気の強いものがあって、用途別に作られていたっけな」
その言葉に、三人の空気が変わる。
料理人。
商人。
そして、パン職人。
それぞれの瞳が、一斉に輝き始めた。
「……なるほど」
最初に口を開いたのはガロンだった。
腕を組み、どこか職人らしい笑みを浮かべる。
「パンは小麦で作るものだと決めつけていたが、そういう考え方もあるのか」
「私もです」
シンは興奮を隠そうともせず頷く。
「白いご飯だけでも十分驚きでしたが、その先まであるとは……!」
そしてハロルドは静かに息を吐いた。
「新しい主食に、新しい料理。そして、新しい商品」
ぽつり、ぽつりと呟く。
「これは……想像以上に広がる話かもしれませんぞ……!」
三人は互いに顔を見合わせる。
先ほどまでは単に『白いご飯』だけを見ていた。
だが今、その先にはもっと大きな可能性が見え始めていた。
その様子を眺めながら、アステルが隣の兄へ小声で囁く。
「オルビス」
「何だ」
「更に大事になったな」
「ああ」
オルビスは静かに頷いた。そして付け加える。
「……悪い。今回は俺のせいだ」
珍しい一言だった。
その瞬間、工房中に笑い声が響き渡った。
◇◇◇
「さて」
恒一が、ぱん、と手を叩いた。
白いご飯を囲んで盛り上がった食卓も、気付けば随分と長くなっている。窓の外では相変わらず細かな雨が降り続き、軒先から落ちる雫が一定の間隔で石畳を打っていた。
「そろそろ片付けましょう。午後の仕事もありますし」
「ああ、そうだったな。危うく、午後まで飯の話で潰すところだった」
「全く、仕方がない人だねぇ!」
ハンナに言われて、ダンは笑いながら頭を掻いた。
「それに、ガロンさんの保管庫も見に行く約束でしたよね」
「ええ」
ガロンも椅子から立ち上がる。
「お仕事の後で構いません。こちらは急ぎませんから」
「いや、雨が強くならないうちに行っちまった方がいいだろう」
ダンは窓の外を眺めた。今は小雨で済んでいるが、空を覆う雲は厚い。このまま夕方まで持つとも限らない。
「午後の作業を少し早めに切り上げて行くか」
「親方も行くんだ?」
意外そうに見上げるアステルに頷いてみせる。
「他所の倉庫を見るのも勉強だからよ。それに、湿気の話なら木材の保管にも無関係じゃねぇ」
そう言って腕を組むダンに、ガロンは「助かります」と軽く頭を下げた。
「保管庫に、何か問題があるのですか?」
話を聞いていたシンが尋ねる。
「ええ。この時期はどうしても湿気がこもりやすくて。小麦粉が湿気を吸うと、生地の具合まで変わってしまいます。保管場所や積み方を工夫しているつもりなのですが、なかなか思うようにはいかなくてね」
「石造りの倉庫なんです」
恒一が付け加える。
「前に少しだけ中を見た時、空気が重い感じがしたんです。俺に何が分かるかは分かりませんけど、一度きちんと見せてもらおうと思って」
「なるほど……」
シンは考えるように顎へ手を添えた。
しばらく黙っていたが、やがて何かを思い出したように顔を上げる。
「あの。私も、ご一緒してよろしいでしょうか」
「シンさんも?」
「はい」
シンは真剣な表情で頷いた。
「私は料理人ですが、ヤーパンにいた頃、イネを保管する倉や、籾摺りを行う作業場を何度も見ています」
故郷の景色を思い出しているのだろう。どこか懐かしそうに目を細める。
「ヤーパンは雨の多い土地です。地域によって違いはありますが、床を地面から離したり、風が抜けるよう壁や戸を工夫したりと、湿気を避けるための知恵がいくつもありました」
恒一は思わず目を見開く。どうやらヤーパンは気候も日本に似ているようだ。
「それは、かなり参考になりそうですね」
「ええ、小麦粉とイネでは、保存の仕方も全く同じではないでしょう。ですが、私の知っていることが何か一つでもヒントになるなら」
「成る程、では是非ともお願いします。私にはヤーパンの倉庫についての知識はありませんが、見ていただけるだけでもありがたいです」
「では、決まりですね」
シンの表情が明るくなる。その隣で、ハロルドも少し興味を引かれたようだったが、やがて小さく首を振った。
「気になるお話ですが、私は商会へ戻ります。仕入れの記録を確認したいですし、今日伺った話も忘れないうちにまとめておきたいので」
すでに頭の中は、ヤーパンライスの輸入量や販売方法へ向かっているらしい。
「近いうちに、改めてお話を伺わせてください」
「ええ、お役に立てるかはわかりませんけど……」
恒一が答えると、満足そうに微笑んだ。
白いご飯を炊いただけだったはずが、料理人は新しい料理を考え、商人は新しい市場を思い描き、今度はパン職人の保管庫を皆で見ることになっている。
恒一は重ねた皿を抱えながら、何とも言えない気持ちでアステルを見た。
「……ホントに、大事になったな」
「だろ?」
なぜか少し得意げな顔をされたのだった。




