21.食べ方はお好みで。
朝ごはんの定番。
賑やかな昼食が進み、山積みのパンが半分程になる頃には、鍋の中の米もしっかりと水を吸っていた。
「そろそろかな」
蓋を開けて中を確かめると、透明感のあった米粒は水を吸って真っ白になり少し膨らんでいる。
その様子を、シンはもちろん、ハロルドやハンナまで興味深そうに覗き込んでいた。
恒一は鍋を竈へ掛けながら説明する。
「ここからは火加減が大事なんです。最初は少し強めで、一気に沸騰させます。その後弱火に落として、水が全部米に吸われるまで。途中で蓋を開けると熱と圧力が逃げてしまうので、大まかな時間と“音”が頼りですね」
「なるほど……粥に比べてかなり水が少ないのですね。それに、揚げ物のように音で具合を判断するのも面白い」
やがて、鍋の中から小さく泡立つ音が聞こえ始め、蓋の隙間から僅かに泡と湯気が立ち始めたところで、恒一は竈の火加減を弱めた。
「ここからは焦らず、ゆっくり火を通します」
「火を弱めるんだね」
ハンナが感心したように呟く。
「パンもそうだけど、火加減一つで仕上がりが変わるもんなんだね」
「ええ。最後まで強火だと、水だけ飛んで中まで火が入り切らなかったり、底が焦げたりしますから」
料理人のシンは何度も頷きながら、その手元を食い入るように見つめていた。
火加減を調整しながら、さらにしばらく。
部屋の中へ、ほんのりと甘い香りが漂い始めた。
「……これは」
シンが小さく息を呑む。
「ヤーパンライスの香り……? 香ばしさは薄いが、こんな甘い匂いがするなんて」
ハロルドも目を丸くしている。
これまで粥にしていた時とは、まるで違う香りだった。
やがて恒一は火を止め、鍋を竈から下ろす。
「これで完成ですか?」
「いえ、あともう一つ」
恒一は笑って首を横へ振った。
「ここから少し蒸らします。寝かせることで最後に米全体へ表面に残った水分を行き渡らせるんです。この時間も結構大事で」
「……奥が深い」
料理人らしく、その一手間にも素直に感心していた。
待つこと十数分。恒一は鍋の前へ立つと、一度だけ深呼吸をする。
「それじゃあ、開けますよ」
全員の視線が鍋へ集まった。
重みのある鉄蓋をゆっくりと持ち上げる。
ふわり、と白い湯気が立ち昇った。
その瞬間。
周囲いっぱいに、甘く優しい米の香りが広がる。
「……おお」
誰からともなく、感嘆の声が漏れた。
鍋いっぱいに並ぶ、一粒一粒がふっくらと膨らんだ白い米。
艶やかな光沢をまとい、まるで宝石のように湯気の向こうで輝いている。
「これが……」
シンは思わず息を呑んだ。
「白い、ご飯……」
その表情には、料理人としての感動と、初めて目にする未知の料理への純粋な驚きが浮かんでいた。
ハロルドも言葉を失ったまま、ただ静かに鍋の中を見つめている。
「まだ終わりじゃないですよ」
恒一はしゃもじを手に取る。
「ここで軽く混ぜて、中の余分な蒸気を逃がします」
底からふんわりと返すように混ぜるたび、さらに甘い香りが立ち上った。
「……いい香り」
ハンナが思わず笑みをこぼす。
「お腹いっぱい食べたはずなのに、また食べたくなっちまうねぇ」
「それ、分かります」
思わず笑う。この香りだけは、何度嗅いでも食欲を誘われる。
やがて茶碗代わりの木椀へ、炊きたての白米が少しずつ盛り分けられていく。
湯気を立てる白いご飯を前に、誰もが自然と息を呑んだ。
この世界ではまだ新しい、ヤーパンライスの食べ方。
その最初の一口を前に、卓上には期待と静かな高揚が満ちていた。
「それでは……」
最初に匙を手に取ったのはシンだった。
ヤーパンライスは粥で食べるもの。その常識が染み付いているからだろう。白いご飯を前にしても、自然と匙へ手が伸びていた。
恐る恐る一口分をすくい、口へ運ぶ。
ゆっくりと噛んだ、その瞬間だった。
「…………」
動きが止まる。
目を見開いたまま、何度か咀嚼し、ようやく飲み込む。
「甘い……」
ぽつりと漏れた声は、驚きに満ちていた。
「元々甘味のあるヤーパンライスですが……こんなに甘いなんて」
その一言に、ハロルドも我慢できなくなったように匙を伸ばす。
こちらも一口。そして同じように目を丸くした。
「これは……驚きましたな」
商人らしく冷静な彼も、この味には隠しきれない驚きを浮かべる。
「粥とはまるで別の食べ物ですね」
「でしょう?」
恒一は思わず笑みを浮かべる。
「水分が少ない分、一粒一粒の味がしっかり感じられるんです」
「確かに。噛むほどに甘味が増していきますな」
「粥は薄く塩味を付けますが、これは何も付けなくても美味しいですね。これほど素材そのものの味を感じられるとは」
その様子を見ていたハンナも、遠慮がちに匙を手に取る。
「私も一口、いいかい?」
「もちろんです。どうぞ」
炊きたてを少し口へ運ぶと、少し緊張していた表情がふっと綻んだ。
「ああ、これはいいねぇ。優しい味だ、確かに毎日でも食べたくなる」
「どれどれ……」
つられてダンも豪快に、一口、二口。咀嚼して飲み込むと、何も言わずにもう一口。
その様子に恒一が苦笑する。
「親方、感想は?」
「……いるな」
「何がです?」
「おかわりだ」
「ははっ、それが一番分かりやすいですね」
工房中がどっと笑いに包まれた。ダンも照れくさそうに鼻を鳴らす。
職人達も次々と口へ運び、皆一様に顔を綻ばせる。
「こんなもん、パンとは別腹だ」
「別腹なんですね」
「別腹だ」
妙に力強い返事だった。そんな様子をアステルは嬉しそうに見回していた。
「やっぱり、みんな同じ顔するなぁ」
「初めて食べた時のお前も同じだったぞ」
オルビスが指摘する。
「そうだっけ?」
「『米だけで美味い』と三回は言っていた」
「そんなにぃ?」
恒一は思わず軽く吹き出した。
「ああ、俺も覚えてるぞ」
「コーイチまで!」
何処か拗ねたような、照れたような笑い顔に、その場の空気がまた柔らかくなる。
「……これは、ぜひ料理と合わせてみたいですね」
「料理と?」
「ええ」
料理人の目がきらりと輝く。
「このままでも十分美味しい。ですが、おかずと合わせれば、お互いをもっと引き立てられる気がします」
「あ、じゃあちょうどいい」
それを聞いたアステルがパチリと指を鳴らし、オルビスもふっと口角を上げる。
「コーイチに頼まれていた例の物、持ってきているぞ」
「おっ、もしかして」
顔を見合わせる三人に、今度は何が始まるのかと周囲が首をかしげた。
「ハンナさん、フライパンをお借りできますか?」
「ああ、良いよ。何か作る気かい?」
「ええ。故郷では朝飯に良く作っていたんですけどね。この前二人に話したら食いたいって言ってたもんで、材料の調達をお願いしていたんです」
オルビスがまず取り出したのは、小ぶりな陶器の小瓶。
「これは……ソイユですか?」
「ああ」
続いて取り出したのは、今朝一番に採れたばかりだという卵。そして最後に双子が手ずから狩って作ったという、程よく脂の乗った森猪の燻製ベーコンだった。
「おお、いい肉だねぇ」
ハンナが感心したように頷く。
「手作りかい、大したもんだ! これなら焼くだけでも十分美味しいだろうよ」
「今日は、それでいきましょう」
恒一は笑って答えた。
「白いご飯の味が分かりやすいように、なるべくシンプルに」
「良いねぇ、なら私も手伝わせてもらうよ」
ハンナが手際よく鉄板を火に掛ける。
温まったところへ、分厚く切られた森猪のベーコンを並べると、
――ジュゥゥゥ……
途端に食欲を誘う音が工房いっぱいへ広がった。脂がじわりと溶け出し、あっという間に香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
長年工房の職人達に飯を食わせてきた熟練の腕前が、絶妙なタイミングでそれをひっくり返した。
「おおぉ……」
ひときわ大きく喉を鳴らしたのはシンだった。
料理人である彼でさえ、思わず見入ってしまう焼き色である。
「良い音ですね。それに、素晴らしい焼き加減だ」
「音までご馳走ってやつだな」
ダンが豪快に笑う。
溶けた油を吸うように、その隣へ卵を割り入れる。透明だった白身が熱でみるみる白く変わっていく。鮮やかな黄身は丸く膨らみ、やがて白身の縁が少しだけ色付き始めた。
「目玉焼きとベーコン。シンプルだけど、旨いですよ」
「よし」
隣でアステルが満足そうに頷くと、どこからともなく、すっと一本の布袋を取り出した。
中から現れたのは、一膳の箸。艶よく磨かれた木肌が、既に使い込まれ始めているのを物語る。
「ちゃんと持ち歩いてるんだな」
「もちろん」
アステルは得意げに箸をくるりと回す。
「コーイチが作ってくれたやつだからな」
「すっかり気に入ってるな」
「だって何にでも使いやすいしさ」
そう言って箸を構える姿は、もう何年も使い慣れているかのように自然だった。
その様子を見たシンとハロルドが、興味深そうに箸を見つめる。
「それが、先ほど店でお話しされていた箸ですか」
「そうそう」
アステルは笑顔のまま箸を軽く掲げて見せる。
「これで白いご飯を食べると、なんか気分が違うんだよ」
「気分、ですか?」
「そう。何かこう、上がる」
謎の力説に、恒一は思わず苦笑した。
「俺の故郷じゃ、ご飯は箸で食べるのが普通だったからな」
「なるほど……」
シンは感心したように何度も頷いた。
「食べ方まで含めて、一つの文化なのですね」
その会話をしている間にも、ベーコンは香ばしく焼き上がり、目玉焼きも程よい半熟具合になっていく。ハンナが皿へ盛り付けると、最後に恒一がソイユを皿へさっと回しかけた。
焼き立ての熱で、芳醇な香りがふわりと立ち上る。
「ソイユなり、塩胡椒なり……目玉焼きを何で食べるかは、人それぞれの好みなんですが、今回は俺の食べ慣れているこれで。それでは白いご飯と一緒に、どうぞ」
勧められるまま、それぞれが思い思いに皿へ手を伸ばす。
まずは白いご飯だけを味わう者。卵とベーコンを一口かじってから、ご飯を頬張る者。ソイユをほんの少しだけご飯にも垂らして試す者。
食べ方は自由だ。
そんな中――。
「あ」
恒一は思わず声を漏らした。
アステルが慣れた手付きで目玉焼きを箸で割る。とろりと流れ出した半熟の黄身へ、一口大に切った焼きたてのベーコンと卵の白身を絡めると、そのまま白いご飯の上へちょこんと乗せた。
じわりと流れた黄身とソイユとベーコンの脂が染み込んで、米を金茶色に染める。そしてそれを、何の迷いもなく一緒に口へ運ぶ。
もぐもぐと頬張ったかと思えば、満面の笑みが浮かんだ。
「ん~~~っ……!」
見るからに幸せそうである。
その様子を見て、思わず笑ってしまった。
「教えてないのに、そんなド定番の食べ方を実践してるの凄いな」
「そうなのか?」
アステルはきょとんとした顔で首を傾げる。
「だって、こうしたら絶対美味そうだったし」
「その勘が凄いんだよ」
そう言うと、アステルは少し得意げに胸を張った。
「それだけ抜群に合うって事だな!」
「まあ、それは間違ってない」
実際、この組み合わせは恒一も大好きだった。
半熟の黄身がご飯へ絡み、ベーコンの旨味とソイユの香ばしさが一体になる。
シンプルだからこそ、ご飯そのものの甘みもよく分かる。
「では、私も……」
シンが恐る恐る同じように真似をする。
半熟の黄身を崩し、ベーコンと一緒に白いご飯へ乗せ、一口。
「…………!」
言葉が出ない。
もう一口。
さらにもう一口。
夢中で頬張る姿を見て、ハンナが思わず笑い出した。
「料理人さん、感想より先に手が動いてるよ」
「はっ」
ようやく我に返ったシンが、照れ臭そうにコホンと咳払いをする。
「……失礼しました」
それでも興奮は隠せない。
「これは反則です」
「反則?」
「白いご飯だけでも十分美味しいのに、この組み合わせは駄目です」
真剣そのものの顔で断言した。
「止まりません」
そのあまりに率直な一言に、食卓は再び笑いに包まれた。隣ではハロルドも静かに頷いている。
「これは確かに……売れる理由が分かる味ですね」
「まだ売ってませんけどね」
恒一が苦笑すると、ハロルドはにやりと笑った。
「今は、でしょう?」
その商人らしい一言に、今度は恒一が返す言葉を失ってしまったのだった。
皆さんは何をかける派ですか?




