19.雨の日の来訪者
大和達と別れた後、恒一たちは夕暮れの王都を南へ歩いた。
「じゃあ、俺たちも帰るか」
アステルが軽く伸びをする。
「ああ」
オルビスが短く応じると、続いてクロムも「ヴルル」と低く喉を鳴らした。
街は夕食の支度を始める時間らしく、あちこちの家や店から食欲を誘う香りが漂ってくる。
「今日は色々あったなぁ」
恒一が苦笑すると、アステルも楽しそうに笑った。
「ご飯の実験と、軽く散歩のつもりだったんだけどな」
「毎回そう言ってる気がするな」
「気のせい気のせい」
まるで悪びれた様子もない。
その横でオルビスが小さく息を吐く。
「本人に自覚がないのが、一番厄介だ」
「ええ?兄さんそれひどくない?」
「事実だろう」
バッサリと即答だった。思わず吹き出してしまう。
賑やかな弟と、それを淡々と受け流す兄。
この二人の掛け合いにも、すっかり慣れてしまった自分に気付く。
赤樫亭へ戻る頃には、空はすっかり茜色へ染まっていた。
店先にはちょうどダンが雨戸の手入れをしており、三人の姿を見ると笑って迎えた。
「おう、帰ったか」
「ただいまです」
「遅かったじゃねぇか。散歩って聞いてたが、まさか山まで歩いてきたんじゃねぇだろうな?」
「いやぁ、それが色々ありまして」
恒一が曖昧に笑うと、双子も顔を見合わせて肩を竦める。
何かあったのだろうとは思ったらしいが、ダンは軽く片方の眉を上げただけで、深くは聞かなかった。
「まあ、全員無事ならそれでいい。飯にするぞ。そっちのお前らも食っていけ」
その一言を聞くや否や、恒一の腹がぐう、と正直な音を立てた。
「ははっ、いい返事だ!」
工房中に笑い声が広がった。
こうして、この日も静かに暮れていった。
◇◇◇
それから数日後。
梅雨を思わせるような小雨が、王都をしっとりと濡らしていた。
朝から降ったり止んだりを繰り返す雨は石畳を黒く染め、軒先からは細い雨粒がぽつぽつと滴り落ちている。
赤樫亭でも、開け放していた窓を半分ほど閉め、湿気を避けながら作業が進められていた。
「こういう日は木も機嫌が悪くなるなぁ」
職人の一人が苦笑しながら木材を撫でる。
「乾きも遅ぇし、削り屑も引っ付いてくる」
「自然のもんが相手だからな」
ダンも鉋を置きながら頷いた、その時だった。
コンコン、と表の扉が叩かれる。
「お邪魔します」
聞き覚えのある落ち着いた声に、恒一は顔を上げる。
「あれ?」
扉を開けて入ってきたのは、大きな包みを抱えたパン屋の親方・ガロンだった。
「先日はどうも」
穏やかに笑いながら、焼きたてらしい香ばしい香りのする包みを持ち上げる。
「ささやかですが、お礼にと思いまして。コーイチさんと、工房の皆さんにも」
工房の中へ、焼きたてのパンの香りがふわりと広がった。
「こいつはありがてぇ」
ダンが顔を綻ばせながら包みを受け取る。
「わざわざ悪いな」
「いえ。息子がお世話になりましたから」
ガロンは穏やかに首を横へ振った。
「それに、あの日はあの後パンまで買っていただきましたし……これくらいはさせてください」
「じゃあ、遠慮なくいただきますね」
恒一が微笑み、ダンが豪快に笑うと、工房の職人たちからも「おっ、焼きたてか」「いい匂いだなぁ」と声が上がる。
ガロンも、そんな反応に少しだけ肩の力を抜いたようだった。
「コーイチさん」
「はい」
「先日は本当にありがとうございました。リックもすっかり元気になりまして」
「それは良かった」
「今では『お返しに今度は僕が冒険者さんを助ける!』なんて言っております」
思い浮かべたのか、ガロンが苦笑する。
「あの子らしいですね」
恒一もつられて笑った。
元気いっぱいに走り回るリックの姿は、容易に想像できる。
「また店にも遊びに来てください。今度はゆっくりお話もしたいですし」
「ええ、ぜひ」
そんな和やかなやり取りを交わしていると、ふとガロンがため息を漏らした。
「……とはいえ、最近は少々頭の痛いこともありますがね」
「何かあったんですか?」
恒一が尋ねると、困ったように笑いながら続けた。
「先日も少しお話ししましたが、この時期になるとどうしても湿気が増えましてね。小麦粉は湿気を吸いやすいでしょう? 保管には気を遣っているつもりなんですが、毎年この季節だけは頭を悩ませています」
「そういえば、そんな事を仰ってましたね」
「ええ。ご覧いただいたように石造りの保管庫なんですが、雨が続くと湿気がこもりやすいんですよ」
職人の一人も「木材も同じだな」と頷いた。
「乾きが遅ぇし、反りも出やすくなる」
「自然相手の仕事は、なかなか思うようにはいきませんね」
ガロンは苦笑する。
その言葉を聞きながら、恒一はふと、先日立ち寄ったパン屋の裏手にある倉庫を思い出していた。
荷物を運ぶ手伝いをした時だっただろうか。保管庫の扉が開いた瞬間、何とも言えない重たい空気を感じたのは、湿気のせいだったのか。
そして、その時。
頭の片隅で何かが引っ掛かるような、不思議な感覚もあった。
理由までは分からない。
けれど「もう一度ちゃんと見てみたい」と、そんな気持ちだけが残っていた。
少し考えてから口を開く。
「ガロンさん」
「はい?」
「もしご迷惑じゃなければ、また保管庫を見せてもらえませんか?」
ガロンは少し意外そうに目を瞬かせる。
「保管庫を、ですか?」
「はい。……何か解決できる、なんて言えるほど詳しくはないんですけど」
恒一は照れくさそうに頭をかいた。
「前に少しだけ中を見た時、ちょっと気になったことがあって」
「気になったこと?」
「上手く説明できないんです。でも、実際に見せてもらえれば、もう少し何か分かるかもしれないなって」
その言葉に、ガロンはしばらく考え――やがて柔らかく笑った。
「もちろん構いません」
「本当ですか」
「ええ。こちらとしては、見てもらえるだけでもありがたいですよ」
職人同士、何気ない一言が思わぬ気付きに繋がることは珍しくない。
だからこそ、ガロンは恒一の申し出を素直に歓迎した。
「でしたら、お仕事が一段落した頃で構いません。いつでもお越しください」
「ありがとうございます」
恒一が頭を下げると、ダンが横から豪快に笑う。
「よし。仕事が終わったら、ちょいと覗きに行ってみるか」
「親方まで?」
「職人ってのは、他所の仕事場を見るのも勉強だからな」
その一言に、ガロンも「それは確かに」と笑みを浮かべた。
そんな話をしている時だった。
コンコン、と工房の戸が叩かれる。
「……雨だってのに、今日は客が多いな?」
ダンが苦笑しながら戸口へ向かい、扉を開ける。
ひんやりとした雨の空気が工房へ流れ込む。扉の向こうに立っていたのは、雨避けの外套を羽織った見慣れた二人の青年だった。
「あれ、アステル、オルビス」
恒一が思わず声を上げる。
外套のフードを外したアステルは、防水布で丁寧に包まれた大きな荷物を抱えたまま、困ったように眉を下げて笑った。
「コーイチ。悪い」
その表情を見た瞬間、恒一は何となく察する。
(……あ、これ何かあったな)
「ちょっと大事になっちゃったかも」
腕にある荷物は、丁度スーパーで良く見ていた十キロ入りの米袋を思わせる大きさだった。
見覚えのある形とサイズ感に、目を瞬かせる。
「それ……まさか、ヤーパンライスか?」
「うん。今度はヤマト達の分もいるし、あっても困らないかなと思って、まとめて買ってきた」
「いや、それはありがたいけど……」
話の本題はそこではなかった。恒一の視線は自然と、双子の後ろへ向く。
そこには二人の男性が立っていた。
一人は四十代半ばほどだろうか。仕立ての良い外套をまとい、穏やかな笑みを浮かべた男性。商人らしき佇まいには、落ち着きと人当たりの良さを感じさせる。
もう一人は三十代前後。シンプルな白い仕事着の上から外套を羽織った男性で、その顔には見覚えがあった。
「あ」
恒一は思い出す。
「この前のお店の……」
男性は嬉しそうに頷いた。
「覚えていてくださったんですね。私は『ヤーパン郷土料理 稲穂亭』で料理人をしております、シンと申します」
続いて、隣の男性も一礼する。
「私は輸入品を扱っております『東雲商会』の商会長、ハロルドと申します。本日は突然お邪魔してしまい、申し訳ありません」
「いや、それは構わねぇが……」
ダンが首を傾げる。
「何がどういう話なんだ?」
ハロルドは微笑みながら、隣のアステルへ視線を向けた。
「実は、アステルさんがヤーパンライスをまとめてお買い求めになられまして。十キロ以上もですからね。流石に珍しくて、お声を掛けさせていただいたんです」
シンのような料理屋が仕入れるなら分かる。だが今回は、個人でそれなりの金額の物をまとめ買いである。商人らしく、普段と違う買い方の客を見逃さなかったのだろう。
「アステルさんから、『ヤーパンライスは“炊く”と美味しい』『加工して白くすると味も食感も全く違う』などと伺いまして」
その隣で、シンが勢いよく頷いた。
「私など、思わず聞き返してしまいましたよ」
料理人らしい真剣な眼差しで恒一を見る。
「イネ……ヤーパンライスは煮るもの、粥にするもの。それが当たり前だと思っておりました。それを“炊く”とは、一体どのような調理方法なのか、と」
ハロルドも興奮を隠しきれない様子で続ける。
「イネを白くする"精米"という加工方法であると。聞けば、その精米は風魔法でやったって言うじゃないですか!」
「そんな話、ヤーパン出身の料理人である私ですら聞いたことがありません!」
「いや、俺も魔法でやるのは初めて見たよ……」
二人の勢いに気圧されつつも、苦笑しながら答える。アステルを見やると、当の本人は「?」と首を傾げていた。
「コーイチ殿! お願いいたします!ぜひ、その調理法を詳しく教えていただけませんか!」
「私からもお願いいたします」
シンが進み出て深々と頭を下げ、ハロルドもそれに倣う。
「輸入商を営む者として、ヤーパンライスの新しい食べ方というのは見過ごせません。もし本当に全く違った味わいになるのであれば、それだけで商品の価値が変わる可能性すらあります」
二人の熱意に、恒一は思わず苦笑した。
「そんな大げさなものじゃないと思うんですけど……」
「いいえ!」
今度はシンが力強く首を振る。
「料理人にとって、新しい調理法ほど心を躍らせるものはありません!」
その瞳は真剣そのものだった。長年ヤーパン料理を作り続けてきたからこそ、なおさらなのだろう。
自分の故郷にも伝わっていない調理法があるなど、興味を抱かない方がおかしい。
その横で、アステルがおずおずと手を挙げた。
「あ、一応言っとくけど」
全員の視線が集まる。
「風魔法で白くするのは、普通の人にはおすすめしないからな?」
「え?」
「えっと、多分結構難しいぞ、あれ」
(あ、そこはちゃんと一般人基準で言うんだな)
先日大和達に散々言われたから、気を遣ったようだ。さておき、その言葉には恒一はもちろんオルビスも小さく頷いている。
「魔力の流れを均一に保ちながら、表面だけを削る必要がある。少しでも力加減を誤れば、粒ごと砕けるだろうな」
「オルビスでも結構な割合で割りそうだって言ってたもんなぁ。少なくとも、俺には絶対できないし」
「コーイチは風魔法使えないしな」
「それ以前の問題な気がするよ?」
恒一の返す言葉に、周囲には思わず笑いが広がる。改めてシンとハロルドへ向き直った。
「でも、白くする方法自体は、魔法じゃなくてもできますよ」
「魔法を使わずに?」
二人が同時に聞き返す。
「ええ」
恒一はヤーパンライスの袋を指差した。
「この状態になる前って、厚い皮……俺の故郷では籾殻と呼びましたが、それが付いてますよね」
「もちろんです。ヤーパンでも同じ呼び名ですね」
シンが頷く。
「あれを外して、このヤーパンライスになります」
「そこまでは、日本……えっと、俺の故郷でも似たような方法でした。その考え方を、もう一段階だけ繰り返すんです」
「もう一段階……?」
「はい。故郷ではイネの事を“米”とも呼んでいて、まず籾殻を外した後、今の状態を“玄米”と言います。これは、まだ薄茶色の皮が何層か残っているでしょう?」
ヤーパンライスを袋からひとつまみ取り出し、掌に乗せて見せる。
「これを臼と呼ばれる丸い窪みのある器に入れて、杵という木で出来た大きなハンマーみたいなもので何度も突くと、少しずつ皮が削れて、中の白い部分が出てくる訳です」
二人は目を見開いた。
「なるほど……!」
シンが思わず声を上げる。
「つまり、籾摺りの続きを行うようなものですか!」
「あ、そう考えていただくと分かりやすいですね」
恒一は笑顔で頷く。
「全部一気に削るんじゃなくて、少しずつ。そうすると、俺たちが普段食べていた白いお米……“白米”になります」
ハロルドは腕を組み、何かを考え込んでいる。
「ふむ……ヤーパンにも籾摺りの道具はいくつかあります。構造を少し工夫すれば、応用できるかもしれませんね」
「ええ!それは是非ともまずは試してみたい……しかし、その前に!」
料理人らしい笑みを浮かべる。
「不躾なお願いとは存じますが、コーイチ殿! もし可能でしたら、その白い“ご飯”というものを、一度味わわせていただけませんか?」
「おお、それはぜひ私も」
ハロルドも続けた。
「商人としてではなく、一人の食好きとして興味がありますぞ」
二人の目が好奇心にきらきらと輝く。その真っ直ぐなお願いに、恒一は思わず笑みをこぼした。
「そうですね、実際に食べてみて貰うのが手っ取り早そうです。ちょうどヤーパンライスもありますし」
そう言って、大きな袋をぽんと叩いた。
「アステル、頼めるかな?」
「おう。それじゃあ、働くか~」
話がまとまると、アステルは袋を軽々と持ち直した。その声音は高度な制御の魔法をこれから使うぞというより、ちょっと裏庭に薪でも割りに行くような気軽さだ。ハロルドとシンは揃って目を瞬かせる。
「働くって……今から精米するのですか?」
「そのつもりだけど?」
ハロルドが尋ねると、アステルは当然のように頷いた。
とはいえ、今抱えているのは十キロ越えの大袋だ。その全てを白米にする必要はない。
「ガロンさんがくれたパンもあるから、ひとまず量はこの前と同じくらいでいいよ。味見なら、それで十分だろ」
「了解~」
アステルは大袋を抱えたまま、くるりと踵を返した。
「じゃあ、ハンナさんに台所借りてくる」
「片づけ位は手伝おう」
そう言いながら双子二人が工房の奥へ姿を消すと、ダンが何とも言えない顔でその背中を見送った。
「……魔法使うのに台所を借りに行く奴なんぞ初めて見たぞ」
「俺もです」
そもそもの発端は自分なのだが、こればっかりは恒一も即同意したのだった。




