15.キャンプ飯に挑戦しました。
お腹がすきましたね。
「じゃあ、また明日」
工房の前でアステルがひらひらと手を振る。
「朝は少し早めに来るよ」
「ああ、分かった」
その隣でオルビスも軽く会釈をする。
「鍋は重い。無理をするなよ」
「ありがとう。気を付けるよ」
それだけ言うと、双子は並んで歩き出した。
昼下がりの街並みを、銀色の髪が並んで遠ざかっていく。途中で子供達に声を掛けられ、アステルが笑顔で手を振り返す姿を見送りながら、恒一は思わず苦笑した。
「本当に人気者なんだな」
ほんの二週間ほど前に出会ったばかりだというのに、あの兄弟が街の人々から親しまれている理由が少し分かった気がする。
ああして誰にでも気さくに接して、困っている人を見つければ自然と手を貸す。それを特別なことだとも思っていないのだろう。
だからこそ、自然と人が集まるのだ。
「さて」
恒一も自分の部屋へ戻った。部屋へ入ると、まず買ってきた荷物を机へ並べていく。
鉄鍋。ヤーパンライス。ソイユ。ミュソ。
藻塩に黒糖、それから普通の塩と砂糖、乾燥した海藻や根菜。
どれも異世界で手に入れたものだというのに、不思議なくらい見覚えのある品ばかりだった。
「明日は、これで本当に米が炊けるかな」
独り言を漏らしながら、白く精米された米を小さな布袋へ移す。
アステルが風魔法で精米してくれた米は、ほんの数合ほど。失敗すれば、それで終わりだ。
だからこそ慎重に扱う。
水筒の中身も新しく入れ替え、鍋や食材を一つずつ確認していると、ふと財布代わりの革袋が目に入った。
「そういえば……」
異世界へ来てから、まだ一月も経っていない。
買い物にも少しずつ慣れてきたとはいえ、この世界のお金にはまだ馴染み切れていない。
袋を開き、中身を机へ広げる。
小さな銅色の硬貨。
少し大きな銅貨。
銀色の硬貨。
そして、金色に輝く金貨が十枚ほど。
王城を出る際に当面の生活費として渡されたものと、箸作りの報酬として受け取った分だ。
ダンにも何度か教わったので、ようやく頭の中で整理できるようになってきた。
「小銅貨が十枚で銅貨一枚」
指先で硬貨を並べる。
「銅貨十枚で銀貨」
さらに並べる。
「銀貨十枚で金貨」
こちらへ来た当初は感覚が掴めなかったが、日本円へ置き換えて考えると分かりやすい。
小銅貨一枚がおよそ十円。
銅貨が百円。
銀貨で千円。
金貨なら一万円くらい。
もちろん物価がまったく同じではないものの、大体そのくらいの感覚で考えれば大きくは外れないらしい。
「この上もあるって言ってたな」
ダンの話を思い出す。
金貨の上には、大金貨。さらにその上には、ミスリル貨。
どちらも商人や貴族が大きな取引をする時に使うような高額貨幣で、一般人が日常で目にすることは滅多にないそうだ。
「俺には、まだ縁がなさそうだ」
苦笑しながら硬貨を袋へ戻す。金貨が何枚も飛び交うような商談など、自分には想像もつかない。
それよりも。
「まずは、明日の米だな」
鍋を軽く叩く。こん、という澄んだ音が部屋へ響いた。
異世界で初めて炊く、故郷のご飯。上手く炊ける保証はない。焦げるかもしれないし、水加減を間違えるかもしれない。
それでも、不思議と不安より楽しみの方が大きかった。
恒一は荷物を一通りまとめ終えると、窓の外へ目を向ける。よく晴れた空には、ゆったりと雲が流れていた。
「よし」
自然と笑みがこぼれる。
「明日はきっと、美味い飯を炊こう」
◇◇◇
まだ空気に少しだけ朝露の涼しさが残る頃、《赤樫亭》の前に聞き慣れた足音が近付いてきた。
「おはよう、コーイチ!」
元気な声と共に現れたのは、もちろんアステルだ。その後ろにはオルビス、そして大きな魔狼クロムが続いている。
「おはよう」
恒一は笑って挨拶を返したところで、思わず目を丸くした。
「……荷物、多くない?」
クロムの背中には大きな革袋が二つ。それに丸めた布や小さな樽まで括り付けられている。
対するアステルも、大きな背嚢を背負っていた。
「食材持ってくるって言っただろ?」
「言ってたけど、ここまでとは思わなかったよ」
「兄さんが色々持っていこうって」
アステルが振り返る。
オルビスは特に気負った様子もなく頷いた。
「野営には慣れているからな」
「野営って、そんなに荷物がいるものなの?」
「必要な物だけだぞ」
そう言われて改めて荷物を見る。
小さな斧に、折り畳み式らしい鉄の三脚。ロープと、畳まれた布はテントだろうか。
どれも確かに、野外で一日過ごすなら必要になりそうな物ばかりだった。
「俺なんて鍋しか持ってきてないよ?」
恒一が苦笑すると、アステルも笑う。
「今日は俺達が慣れてることだからね。興味があるなら、少しずつ覚えればいいよ」
その言葉に、自然と肩の力が抜けた。
知らないことを責める人達ではない。分からなければ教えてくれる。だから、一緒にいて居心地が良いのだろう。
「それじゃ、行こうか」
アステルの一声で、一行は王都南門を抜けた。
朝の草原は、まだ露をまとって輝いていた。風が吹くたび草が波のように揺れ、その向こうでは小鳥が何羽も飛び交っている。
街道を少し外れ、小川沿いへ歩いていくと、以前リックを見つけた森が遠くに見えた。
「今日はあっちじゃないんだね?」
恒一が尋ねると、オルビスが頷く。
「あちらは森へ入る人もいる」
「火を使うなら、もっと開けた場所の方が安全なんだ」
アステルが指差した先には、小さな丘と川に挟まれた平らな草地があった。
点在する木の木陰もあり、水も近い。なるほど、確かに野営にはちょうど良さそうだ。
「ここなら大丈夫かな」
荷物を降ろすと、三人は自然と役割を分け始めた。
オルビスは周囲を一巡りし、安全を確認する。
アステルは近くに落ちている枝や薪になりそうな木を集め始めた。
恒一も慌てて手伝おうとすると。
「細い枝をお願い。なるべく乾いたやつがいい」
とアステルが笑顔で頼んできた。
「火が安定するまでは、細い枝から」
「なるほど」
キャンプ動画で見た知識と同じだ。何となく嬉しくなって、一緒に枝を拾い始めた。
しばらくすると、地面の上には薪が大中小と綺麗に分けられて並んでいる。
「へぇ」
思わず感心すると、アステルは枝を組みながら言った。
「急に大きい薪を燃やそうとしても駄目なんだ。少しずつ育てる感じ」
その言葉に恒一は頷いた。
たとえばそれは、料理も、物作りも同じだ。いきなり完成形にはならない。
一つずつ積み重ねていくから形になる。
そうしている間に、オルビスが戻ってきた。
「周囲に問題はない」
「じゃあ火を点けようか」
アステルは組み上げた薪の前へしゃがみ込む。
右手をかざすと、掌の周りへ淡い金色の光が宿った。風魔法で精米した時と、どこか似た光だ。
パチリと指を鳴らすと、小さな火花が弾ける。
枯れ草へ落ちた火は、小さく揺れながら枝へ移り、やがて細い薪へ燃え広がっていった。
「おお……」
鮮やかな手並みに、思わず声を漏らす。
「便利だな」
「便利だけど、火そのものは育てないと消えちゃうぞ」
アステルは細い枝を一本ずつ足していく。
炎は少しずつ大きくなり、やがて安定した焚き火になった。
「魔法だけじゃ終わらないんだね」
アステルは頷く。
「最後は自然の火だからな」
その言葉が妙に印象に残った。
魔法は万能ではない。あくまで少しだけ、人の手を助けてくれるもの。そんな世界なのだろう。
「さて」
コーイチは買ったばかりの鉄鍋を取り出した。昨日のうちにハンナに教わって、油を塗って一度熱を加える……所謂シーズニングは済ませてある。
丁寧に水を量り、昨日精米した白米を軽く洗って入れる。
「ふむ……これが、炊いたヤーパンライスになるのか」
鍋を覗き込みながらオルビスが尋ねる。
「うん。炊き上がったら、俺の故郷では『ご飯』って呼ぶんだ」
「ご飯?」
アステルがその言葉を口の中で転がすように繰り返す。
「……ごはん」
少し考え込んでから、不思議そうに首を傾げた。
「それって、食事のことじゃないの?」
「え?」
今度は恒一が目を瞬かせる番だった。
「えっと……そう言われれば、そうだな。」
朝ご飯、昼ご飯、晩ご飯。当たり前に使っていた言葉だ。
けれど、改めて指摘されると不思議な気もする。
「米を炊いたものも『ご飯』で、食事そのものも『ご飯』って呼ぶんだ」
「へぇ」
アステルは感心したように頷いた。
「それだけ、この料理が身近って事か。毎日食べるものだから、同じ呼び方になったんだろうな」
どこか納得したように笑う。
「何だかいいな。食事そのものと同じ名前で呼ぶくらい、大事にしてるんだ」
その言葉に、少しだけ懐かしい気持ちになった。
確かに、日本では毎日のように口にしていた。
子供の頃から、何気なく。朝も、昼も、夜も。あるのが当たり前で、深く考えたことなんてなかった。
「……そうか」
恒一は焚き火の上の鍋を見つめ、小さく笑う。
「言われてみると、本当にそうなのかもしれないな」
異世界へ来て、また自分の故郷の"当たり前"を教えられた気がした。
鍋を火へ掛けてしばらくすると、水の中で小さな泡が立ち始めた。
恒一は鍋の前へしゃがみ込み、焚き火の様子をじっと見つめる。
(焦るな……まだだ)
日本にいた頃、炊飯器以外で実際に米を炊いた経験はほとんどない。
けれど、キャンプ動画だけは何本も見ていた。
「最初は強めの火で一気に沸騰させる」
「吹き始めたら弱火」
「最後は蒸らす」
頭の中で、動画の解説が一つずつ蘇ってくる。
その横では、アステルが串へ肉を刺していた。
「オルビス、こっちお願い」
「ああ」
オルビスは慣れた手つきで焚き火の反対側へ串を並べていく。
時折クロムも近付いてきては、鼻をひくひくさせながら肉を見つめていた。
「クロ、まだだからな?」
「わふ……」
少しだけ残念そうな返事だ。
その時だった。
鍋の蓋が、ことり、と小さく震える。
「あ」
恒一が身を乗り出す。次の瞬間。
ぶくぶくと勢いよく泡が立ち、蓋の隙間から白い湯が顔を覗かせる。
「うわ、吹きこぼれてないか!?」
「大丈夫!」
アステルを宥めるように、慌てず頷いて見せた。
「これでいいんだ」
「いいの?」
「うん、これが合図」
焚き火の薪を一本横へ避け、火力を少し落とす。
「ここから弱火」
「へぇ……」
アステルは興味深そうに鍋を覗き込んだ。
「ずっと強火じゃないんだ」
「焦げちゃうからね」
慎重に火との距離を調整する。
動画で見た通りになっている。あとは信じるしかない。
しばらくすると、勢いよく立ち上っていた蒸気が少しずつ穏やかになっていく。蓋の震えも小さくなった。
耳を澄ます。
ぐつぐつという音が、次第に静かになっていく。
「……そろそろかな」
恒一は火から鍋を下ろした。
「もう食べられるのか?」
「いや」
笑いながら首を振る。
「ここから少し蒸らす」
「むらす?」
「蓋を開けないで待つんだ」
「開けちゃ駄目?」
「駄目」
きっぱり言い切る。
「ここで開けると、美味しくなくなる」
「そんなに?」
「大事だぞ」
むむ、と唸って鍋を見つめる。
開けたい。でも駄目。
そんな葛藤が表情へそのまま出ていて、恒一は思わず笑ってしまった。
「じゃあ、その間に肉焼くか!」
アステルが気持ちを切り替えるように立ち上がる。
クロムの背負っていた荷物から包みを一つ取り出し、中を開いて――
「でっか!」
出てきたのは、大人の頭よりさらに大きな肉の塊だった。
「何これ?」
「森猪」
「こんなに大きいの?」
「これは肩肉だな」
オルビスが淡々と答える。
「脂が程よく乗っていて、炙りで焼くと美味い」
「普通に説明された……」
アステルは笑いながら手際よく肉を厚めに切り分けていく。
塩と、数種類を混ぜて乾燥されている香草を散らし、鉄の串へ刺して火へ掛ける。
脂が炎へ落ち、小さな火の粉が舞い上がる。じゅうっ、と音が響いた。
途端に、香ばしい匂いが草原いっぱいへ広がって行く。
「……これは反則だろ」
恒一の腹が正直に鳴った。
「だよな」
アステルも笑う。
「外で食べるご飯って、それだけで美味しく感じるもんだ」
風が吹く。草が揺れる。
肉が焼ける音。焚き火のはぜる音。
その全部が心地よかった。
やがて。恒一が、静かに鍋の前へ座り直す。
「……よし」
深呼吸を一つ。
「開けるよ」
皮手袋をして、ゆっくりと蓋を持ち上げた。
ふわり、と真っ白な湯気が空へ立ち昇る。甘く優しい香りが、三人の間を通り抜けた。
鍋いっぱいに炊き上がった白い米が、朝日に照らされてつやつやと輝いている。
一粒一粒が立ち、ふっくらと膨らんでいた。
「……」
アステルが目を丸くする。オルビスも珍しく驚いたような顔をした。
「……これが、ご飯……か」
アステルの呟きに、恒一は嬉しそうに頷いた。
「ああ……炊きたての、ご飯だ」
さっくりと木のヘラで、底から返すようにほぐす。湯気を逃がしすぎないよう手早く混ぜると、ふわりと甘い香りが一層立ち上った。
「よし」
木の器へ三人分をよそう。
真っ白な湯気をまとった米粒が、朝日に照らされてつやりと輝いていた。
「まずは、そのまま食べてみて」
器を渡しながら、恒一は少しだけ笑う。
「熱いから気を付けてな」
「わかった」
アステルは受け取った箸で、恐る恐る一口分を摘まみ上げた。ふう、と息を吹きかけ、そして口へ運ぶ。
「……!」
小さく口を動かして、こくりと飲み込む。隣のオルビスも、二人ともしばらく何も言わなかった。
静かな風が草を揺らし、焚き火がぱちりと音を立てる。
やがて、最初に口を開いたのは恒一だった。
「……どう?」
様子を伺う眼差しに、アステルはゆっくりと頷いて見せた。
「美味い」
微笑みながら溢したその一言に、ほっとして肩から力が抜けた。
自分で炊いた初めてのご飯だ。失敗していないと分かるだけでも嬉しい。
「これは……水だけ、なんだよな?」
オルビスが器の中を見つめながら尋ねる。
「ああ。味付けは何もしてない」
「なのに……」
もう一口。
今度はゆっくり噛み締める。
「……甘いな」
「うん。甘い」
驚いたように米粒を眺める。
「ヤーパンで食べたお粥とも全然違う」
「米自体が甘いのか」
「ああ」
恒一も一口頬張る。
――美味い。
思わず笑みがこぼれた。日本で食べたものと遜色の無い……むしろ、いつもの白米よりも旨味がある気すらした。
炊飯器で炊いたご飯ももちろん美味しかった。けれど、薪火でゆっくり炊き上げたこの一杯は、ひと味違う。
噛むほどに広がる自然な甘み。一粒一粒の弾力。ほんのり付いた、おこげの香り。
(……うまい)
どこか懐かしい。でも新鮮だ。
キャンプ動画で何度も見た景色が、ようやく自分のものになったような気がした。
そんな時だった。アステルは感心したように、手元の箸を見つめる。
「なるほどなぁ……」
「ん?」
「これなら箸が一番食べやすい理由も分かる」
器を片手で持ち上げ、箸で次々と米を口へ運んでいく。
「お粥なら匙でもいいだろうけど、この『ご飯』は粒がしっかりしてるから、箸の方がずっと食べやすい」
「そうだな、こちらの方が粒を潰さずに持ち上げられる」
「そうそう!」
ついつい嬉しくなって笑う。
「だから日本……俺の故郷では、米を食べる時はほとんど箸なんだ」
異世界で初めて炊き上げた一鍋のご飯。
それは三人の前から、思っていたよりもずっと早い勢いで減っていくのだった。
一膳目をすっかり腹に納めた頃には、焚き火の脇で焼いていた肉にも良い具合に火が通っていた。
表面は香ばしい焦げ色に染まり、串を少し傾ければ、透き通った脂がじわりと滲み出す。落ちた雫が炎へ触れるたび、じゅっと小気味よい音を立て、草原に肉の焼ける香りを広げていた。
「そろそろ良さそうだな」
アステルが一本を火から外し、焼き加減を確かめるように肉へ刃を入れた。
断面から湯気が立ち上り、肉汁が溢れる。
「うん。中までちゃんと火が入ってる。食べようぜ」
恒一は受け取った肉へ息を吹きかけてから、思い切ってかぶり付いた。歯を立てると、驚くほど柔らかい。
新鮮なのだろう。獣肉にありがちな臭みはほとんどなく、噛んだ瞬間に濃い旨味を含んだ肉汁が口いっぱいに広がった。下味に使った塩が甘みを引き出し、僅かに振られた香草の爽やかな匂いが後から鼻へ抜けていく。
「……うまいな、これ」
「だろ?」
アステルが嬉しそうに笑う。
「この辺りで獲れる森猪は美味しいんだ。脂がしつこくないから、焼くだけでも十分食べられる」
「肩肉は火を通しすぎると硬くなるが、これはちょうど良く焼けたな」
オルビスも一口食べ、満足そうに頷いている。
肉だけでも十分に美味しい。それは間違いない。
けれど、恒一の中では、さきほどから別の考えが頭を離れなかった。
焚き火のそばに置かれたソイユの小瓶に、市場で買った黒糖に近い砂糖。
そして、まだ鍋に残っている炊きたての白米。
(これは、絶対に合うだろ)
日本人として、試さずにはいられなかった。
「二人とも、ちょっと待って」
「どうした?」
「その肉、ひとつ試させてくれ」
恒一は新しい串焼きを一本取り、表面へソイユを少量垂らした。黒褐色の液体が、熱い肉の表面をゆっくりと伝っていく。
その上から、ごく僅かに砕いた黒糖を振る。
「肉を甘くするか?」
アステルが不思議そうに覗き込む。
「甘くするっていうより、味を丸くする感じかな。まあ、見てて」
恒一は串を再び焚き火へかざした。
――次の瞬間。
じゅわっ、とソイユが泡立つ。
砂糖と肉汁が混ざり合い、表面に薄い照りが生まれて行く。
炎へ落ちた滴が香ばしく焦げ、その匂いが風に乗って三人の間を通り抜ける。
「……あ」
アステルの目が見開かれる。
オルビスも、僅かに顔を上げた。
ほんのり焦げたソイユの香り。そこへ砂糖の甘さと、焼けた肉の脂が重なる。
日本人なら、空腹でなくても振り向いてしまうような、甘辛い照り焼きの匂いだった。
「これは……駄目だな」
恒一は自分で作っておきながら、小さく笑った。
「何が?」
「絶対、ご飯が足りなくなる」
表面を軽く炙ったところで火から外し、肉を食べやすい大きさへ切り分ける。
そして、二膳目を盛った器の上へ、照りのある肉を隙間なく乗せた。
白いご飯に、黒褐色のたれが少しずつ染み込んでいく。
「よし、肉と一緒に食べてみて」
恒一自身も箸で肉とご飯を一緒に持ち上げ、口へ運んだ。
口いっぱいに広がるのは、甘辛い香り。柔らかな肉と、噛むほどに溢れる肉汁。そこへ、白米の穏やかな甘み。
たれを受け止めたご飯が、肉の強い旨味を程よく包み込み、もう一口、さらにもう一口と箸を進ませた。
「あ、駄目だ……」
思わず声が漏れる。
「これは、とんでもなく米が進む……」
隣を見ると、アステルも夢中で器へ箸を運んでいた。
「どんだけでも食えるな、これ」
言いながら、既に次の一口を摘まんでいる。
オルビスも、いつも通り落ち着いた表情ではあったが、箸を止める気配が全くない。
「同感だ……」
短い言葉に、妙な説得力があった。
気付けば、炊いた時には多く見えた鍋の中身が、驚くほどの速さで減っている。
クロムがその様子を伏せたまま見上げ、鼻をひくひくと動かした。
「わふっ」
「ああ、悪い悪い。ちゃんとクロの分もあるぞ」
アステルが味付け前に取り分けておいた肉を差し出すと、クロムは嬉しそうに尻尾を一度大きく振った。
「こっちはソイユなしだからね」
「わふ」
「ちゃんと分かってるのが凄いな……」
恒一は笑いながら、三膳目をよそう。
異世界で、初めて炊いたご飯。
それは懐かしいだけの味ではなく、こちらの世界の食材とも、驚くほど自然に馴染んでいた。




