14.異世界流の準備方法。
休日なのでまとめてアーカイブ。
おやつのお供にどうぞ。
輸入食品を扱う商会を出た恒一は、抱えた包みを何度となく見下ろしていた。
ヤーパンライスに、ソイユとミュソ。藻塩も少し。どれも量は多くないが、今の恒一にとっては十分すぎる収穫だった。
日本から持ってきた米や調味料は、使えばいつかなくなってしまう。けれど、この世界にもよく似た食材が存在するのなら、慣れ親しんだ味をこれからも作れるかもしれない。
「そんなに嬉しい?」
隣を歩いていたアステルが、包みを覗き込みながら尋ねた。
「そりゃ嬉しいよ。こっちへ来てから、食べ慣れた料理はもう作れないかもしれないって思ってたからさ」
「昨日の店の料理も、かなり似てたんだろ?」
「うん。ただ、お粥や雑炊に近かったからね。今度はちゃんと、俺が食べ慣れていた形に炊いてみたい」
そう答えたところで、恒一は一つ大事なことを思い出した。
「……そのためには、まず鍋がいるな」
「その“炊く”ってやり方、普通の鍋じゃ駄目なのか?」
「炊けないことはないと思うけど、できれば底が厚くて、蓋がしっかり閉まるものがいいんだ。蒸気が逃げすぎると、上手く炊けないから」
「それなら、次は金物屋へ行こう」
オルビスは迷うことなく言い、朝市の奥へ続く通りへ足を向けた。
食品を扱う一角から少し離れると、並ぶ店の雰囲気も変わっていく。
軒先には鍋や包丁、鉄板、網、木べらなどが所狭しと吊るされ、朝の光を受けて鈍く輝いていた。店先では料理人らしい男が包丁の刃を確かめ、その隣では宿屋の女将らしき女性が大鍋の値段を店主と交渉している。
「ここなら色々ある」
オルビスが示したのは、奥行きのある金物屋だった。店内へ入ると、壁際から天井近くまで大小様々な鍋が積まれている。銅色の薄い鍋もあれば、黒い鉄鍋、厚手の土鍋に似たものまであった。
恒一は一つずつ手に取り、重さや厚みを確かしていく。
軽くて扱いやすいものは底が薄い。煮込みに向きそうな深鍋は、蓋が少し軽そうだ。形は良くても、持ち手が少し頼りない物もある。
「随分細かく見るんだな」
アステルが感心したように言った。
「なるべくなら失敗したくないからね。米も安くないし、それに一度買えば長く使う道具になるだろ?」
だからこそ、妥協はしたくなかった。
しばらく探した末、恒一は棚の下段に置かれていた黒い鉄鍋へ手を伸ばした。
両手で持つと、それなりに重い。けれど底は厚く、蓋にも十分な重さがある。縁へ合わせてみれば、僅かな隙間もなく収まりが良かった。
「これ、良さそうだな」
「そいつは、煮込み向けの鉄鍋だよ」
店主が奥から声を掛けてきた。
「底が厚いから火の回りが穏やかでね。竈でも焚き火でも使えるよ。蓋の上に炭を置いて、上からも熱を入れる料理人もいるね」
(やっぱり、ダッチオーブンに近いな)
日本でキャンプ用品を調べ始めた頃、似たような鍋を何度も見たことがある。まだ自分では買っていなかったが、炊飯や煮込み、パン焼きにも使える万能鍋として興味を持っていた。
「これにします」
「毎度あり」
値段は決して安くなかった。それでも、先日箸作りの代金として受け取った硬貨に、自分の手持ちから少し足せば十分に届く程度。
支払いを済ませ、厚手の布で包まれた鍋を受け取る。ずしりとした重みが腕に掛かったが、それすら少し嬉しく感じられた。
「持とうか?」
アステルが手を伸ばしたが、恒一は首を振る。
「大丈夫。自分で買った鍋だし、自分で持って帰りたい」
「そっか」
アステルは楽しそうに笑って手を引っ込めた。
その後も三人は、しばらく朝市を見て回った。
恒一が足を止めるたび、双子も急かすことなく一緒に覗き込んでくれる。
乾燥させた海藻に似たものに、香りの強い山菜、小粒の豆。日本の大根に似た、少し細い根菜。
どれも見覚えがあるようで、少しずつ違っていた。
「これは煮物に使えそうだな」
「それ、結構苦いよ」
「じゃあ下茹でが必要かな?」
「したゆで?」
「一度茹でて、苦味とか癖を抜くんだよ」
恒一が説明すると、アステルは興味深そうに頷く。結局、根菜を何本かと、乾燥した海藻らしきもの。それから小さな卵も少し買い足した。
何を作るかはまだ決めていない。それでも、材料を見ながら考える時間は楽しかった。
「随分買ったな」
オルビスが恒一の荷物を見て言う。
「せっかくだからね。失敗した時に、米だけ食べるのも寂しいだろ?」
「失敗する前提なの?」
「初めての鍋で、初めての米だからね。火加減も分からないし」
「なら、どこで試す?」
アステルの問いに、恒一は少し考えた。
《赤樫亭》の台所を借りることもできるだろう。
けれど、炊き方を試すだけならともかく、火加減を何度も変えたり、失敗して焦がしたりする可能性もある。忙しい台所を長時間借りるのは気が引けた。
「あ……二人が良ければ、また街の外へ行くのはどうかな」
「外で?」
「うん。焚き火なら火加減も自分で調整できそうだし、多少失敗しても周りに迷惑を掛けない。この鍋も、もともと焚き火で使えるものみたいだし」
言いながら、恒一は少し気分が高揚していくのを感じていた。
休日に街の外へ出て、火を起こして。買ったばかりの鉄鍋で米を炊く。それは日本にいた頃に興味を持ち始めていた、キャンプそのものではないか。
「それ、楽しそうだな」
アステルの顔もぱっと明るくなる。
「前に行った草原なら、水場も近いし、火を使っても問題ない場所がある。焚き火なら俺達も慣れているしな」
「森が近いから、薪も拾える」
オルビスも頷いた。
「なら、他の食材はこちらで持とう」
「いやいや、今回は俺の実験だから」
「三人で食べるんだろ?」
アステルが当然のように言う。
「だったら、俺達も何か持っていくよ」
「……そうだな。じゃあ、お願いしようかな」
一人で試すより、その方がきっと楽しい。恒一は素直に頷いた。
「それで、米はそのまま“炊く”のか?」
オルビスが、恒一の抱えているヤーパンライスの包みへ視線を向けた。
「そこなんだよなぁ」
恒一は少し困ったように笑う。
「このままでも食べられるし、身体にもいいんだけど……できれば、なるべく故郷で食べてた味に近付けたいな」
「昨日見せてくれた、白い米か?」
「そう」
商会で買ったヤーパンライスは、健康食品として見慣れた玄米だった。表面には薄茶色の糠層が残っている。これを炊けば香ばしく、ぷちぷちとした噛み応えのある仕上がりになるだろう。
けれど、今炊きたいのはもっと白く柔らかく炊き上がる、食べ慣れた白米だった。
「要は、表面の茶色い層が削り取れればいいんだけどね」
「削るのか?」
アステルが尋ねる。
「うん。俺の故郷でも、昔は臼に入れて何度も搗いていたらしい。時間も手間も掛かるし、そのための道具も必要になるな」
「なるほど」
アステルは歩きながら、少し考えるように目を細めた。
「つまり、表面だけを削ればいいんだな?」
「理屈ではそうなんだけど……」
恒一はそこで言葉を切った。
隣を歩くアステルが、何かを思い付いたような顔をしていたからだ。
「何?」
「いや」
アステルは楽しそうに笑う。
「それなら、少し試せるかもしれないと思って」
「試す?」
「うん。帰ったら、ちょっとだけ貸して」
詳しい説明はしないまま、アステルは軽い足取りで先へ進んでいく。
恒一は首を傾げながら、その背中を追った。
隣ではオルビスが、弟の考えを察しているらしく、僅かに口元を緩めていた。
《赤樫亭》へ戻る頃には、朝市もひと段落していた。昼の支度を始める店もあれば、売り切れた品を片付け始める露店もある。
三人は荷物を抱えたまま工房へ戻ると、ちょうど店先でハンナが洗濯物を取り込んでいるところだった。
「あら、お帰りなさい」
振り返ったハンナは、恒一の抱えた鍋や袋を見て目を丸くする。
「随分と買い込んだねぇ」
「実験の材料です」
「実験?」
「コーイチの故郷の料理を作るんだって」
アステルが嬉しそうに答える。
「明日、街の外で炊いてみる予定」
「炊く?」
ハンナは首を傾げた。
「ヤーパンライスを、お粥以外で食べる方法があるんだってさ」
「へぇ、それは面白そうじゃないか」
ちょうど工房から出てきたダンも荷物へ目を向ける。
「おう、鍋まで買ったのか」
「はい」
恒一は少し照れくさそうに笑う。
「少し試したい料理がありまして」
「そうか」
ダンは頷いた。
「明日も休みだ。好きにやってこい」
「ありがとうございます。上手くいくかはわかりませんけど」
「なに、失敗したらまた考えりゃいい。職人なんざ、一度で上手くいく方が珍しい。まぁ、上手く出来るようになったら、俺達にも食わせろよ」
そう言って、ダンは豪快に笑った。
「……はい」
失敗しても構わない。その言葉は、不思議と心に残った。
ハンナは買ってきた荷物を覗き込みながら言う。
「夕飯までまだ少しあるし、台所でも使うかい?」
「いえ、今日は準備だけにしておきます」
「そうかい。必要な物があれば言いなね」
「はい、ありがとうございます」
そう言って恒一は頭を下げ、双子を伴って二階の部屋へと上がった。
「さて」
麻袋の口を開く。中には淡い茶色をした粒がぎっしり詰まっていた。
「おさらいだな」
そう言いながら覗き込むアステルに頷く。
「これは玄米って状態なんだ。外の厚い皮はとられてるけど、表面にまだ薄い皮が残ってる。表面の茶色い層だな。これが取れれば、こっちの白い米――白米になる」
日本から持ってきた米を再度出して見せる。アステルは両方を一粒ずつ摘まみ上げ、並べてじっと見比べた。
「……オルビス」
アステルが小さく呼ぶ。
「ああ」
オルビスは静かに周囲へ目を向けた。
一階の工房では、ハンナが昼食の準備をしている。休日の為か店先にも人影はなく、まだ昼前だからだろうか、他の部屋の職人も殆ど出掛けているようだ。
「ここなら問題ない」
短くそう言って頷く。
「何をするんだ?」
恒一が尋ねると、アステルは少しだけ悪戯っぽく笑った。玄米をほんの一掴み、掌に乗せる。
「上手くいくか分からないけど……風なら、できるかもしれない」
――その言葉と同時に。
アステルの掌を、淡い金色の光がふわりと包み込んだ。
「……!」
思わず息を呑む。
光は眩しいほどではなく、春の日差しのような、柔らかな輝きだった。
その周囲に、小さな風が生まれる。前髪を揺らす程度の、弱い風だ。
けれど、掌の上だけは僅かに強く、渦巻くそれはまるで生き物のように玄米を包み込んだ。
さらさら、と乾いた音が響き、粒同士が軽く触れ合いながら、掌の上で踊る。
茶色い粉が、ほんの僅かに舞い上がる。その粉さえ逃がさないように、風はさらに細かく流れを変え、米だけを傷付けないよう慎重に削っていく。
「……すごい」
目を離せなかった。
これは戦うための魔法ではない。風を刃にするでも、吹き飛ばすでもない。
魔法自体を見慣れていない身にも、ほんの僅かな力を、これ以上ないほど繊細に操っているのがわかる。
やがて風が止んだ。
アステルはそっと掌を恒一へ向ける。
「……これでどう?」
そこに並んでいたのは、つやのある白い米だった。横には削れた茶色の粉が纏まっている。
そっと、一粒摘み上げた。指先で転がし、光へ透かす。
割れていない。削りすぎてもいない。
表面と胚芽までもが綺麗に取り除かれ、磨かれている。
「白米だ……」
思わず呟いた。
「ちゃんと白米になってる」
「よかった」
アステルは心底ほっとしたように笑う。
「米まで削っちゃったらどうしようかと思ってた」
「いや、それどころじゃないよ」
恒一は感心したまま米粒を見つめた。
「こんな綺麗に精米するなんて……」
「オルビスも出来そうか?」
アステルが振り返る。
オルビスは白米を一粒摘み、少し眺めてから静かに首を振った。
「恐らくできる。……が、だいぶ割りそうだな」
「やっぱり?」
アステルがくすりと笑う。
「兄さん、多重制御は俺より繊細で上手いのに、こういう細かいことになると急に力押しなんだよ」
「否定はしない」
オルビスはあっさり認めた。
肩をすくめる弟を見て、思わず吹き出した。
「兄弟でも、得意なことは違うんだな」
「ああ」
オルビスは小さく笑う。
「だから、ちょうどいい」
その一言に、アステルも笑って頷いた。
掌の白米を見つめる。
異世界で。まさか魔法で精米する日が来るとは思わなかった。
それでも、掌に乗る白い米は、日本で毎日のように食べていたものと変わらない姿をしていた。
「これなら」
恒一は自然と笑みを浮かべる。
「明日、本当に炊けるかもしれない」




