13.買い物に出掛けることになりました。
店を出る頃には、王都の空はすっかり星が瞬いていた。
石畳には魔導灯の柔らかな光が落ち、人通りも昼間ほどではない。店先から漏れる灯りと、酒場から聞こえる賑やかな笑い声が、一日の終わりを感じさせていた。
「いやぁ、食った食った」
若い職人の一人が腹をさすりながら笑う。
「まさかヤーパンライスの粥があんなに美味いとは思わなかったな。小麦の粥とはまるで違った」
「串焼きも良かったですねぇ」
「酒もこう、キリッとしてて旨かったな!」
頬を赤くした職人達が口々に感想を言い合う。
今日は工房の休み前ということもあり、何人かはヤーパン酒も少し飲んでいた。
コーイチも一口だけ勧められて飲ませてもらったが、その瞬間、思わず笑ってしまった。
(これ……日本酒だ)
もちろん全く同じではないはずだ。米も違えば、水も違うだろう。
それでも、鼻に抜ける香りや少しだけぴりっとした酒精、口当たりの柔らかさは驚くほどよく似ていた。
酒好きだった父が、正月になると嬉しそうに徳利を出していた姿まで思い出してしまう。
「コーイチ?」
横からアステルが声を掛ける。
「考え事?」
「ああ……」
コーイチは苦笑した。
「ちょっと故郷を思い出してさ」
「……そっか」
アステルはそれ以上は聞かなかった。何となく分かっているのだろう。
しばらく静かに歩いていると、不意にオルビスが口を開いた。
「コーイチ」
「ん?」
「明日、暇なら市場へ行かないか」
「市場?」
「輸入品を扱う商会がある」
隣でアステルも頷く。
「さっき食べたヤーパンライスも、そこでなら買えるはずだよ」
「えっ」
思わず声が大きくなる。
「本当に?」
「うん。ちょっと高いけどね」
アステルは苦笑した。
「普通の家じゃ、滅多に食べるものじゃないかな」
「輸入品だからな」
オルビスも補足する。
「祝い事や、珍しい料理を出す店が仕入れることの方が多い」
なるほど、とコーイチは納得した。日本でも輸入食材は高い。それと同じようなものなのだろう。
「でも、一度くらい見てみたいな」
「だろ?」
アステルが嬉しそうに笑う。
「あとさ」
「うん?」
「調味料も結構面白いんだよ」
「調味料?」
「ヤーパンには、豆を発酵させた調味料とか、魚を発酵させた調味料とかもあるんだ。しかも同じ材料から作ってるらしいんだけど、種類が物凄く多い」
「え?」
コーイチは思わず立ち止まりそうになった。
「それって……」
味噌。
醤油。
恐らく名前は違うのだろうが、どう聞いてもそれらしい。
アステルは記憶を辿るように言う。
「仲間内だとニコが好きなんだよ。『料理の幅が広がる』って、たまに買って帰ってる」
「ニコ?」
「旅団の料理担当。料理も錬金も得意でさ」
「へぇ」
コーイチは思わず笑う。そういえば、箸を注文する時に名前を上げていたか。
(本当にちゃんと、料理担当がいるパーティーなんだな)
そういう役割分担があるのも、何だか楽しそうだ。
「それじゃあ、明日の朝は早めに迎えに行くよ」
「分かった」
コーイチも頷いた。
「他にも、この国の物を色々見てみたいしな」
米や、それに近い調味料があるなら、自分が持ってきた醤油や味噌と比べてみたい。
いや、それだけじゃない。異世界の食材を知れば、もっと色々な料理も作れるかもしれない。
そんなことを考えていると、アステルがにやりと笑った。
「何か今、ちょっと職人の顔してた」
「そうか?」
「うん。『何か作れそう』って考えてた顔」
図星だった。
「……そんなに分かりやすい?」
「分かりやすいな」
オルビスまで静かに頷く。
「コーイチは考え始めると、少し遠くを見る癖がある」
「えぇ……」
本人に自覚はない。それなのに、もう二人には見抜かれてしまっている。
コーイチは苦笑しながら頭を掻いた。
明日は市場。
異世界で初めて、本格的に"故郷によく似た文化"に出会える一日になりそうだった。
◇◇◇
翌朝。朝食を済ませた恒一が《赤樫亭》の前で待っていると、ほどなくして通りの向こうから見慣れた銀髪が二つ並んで現れた。
「おはよう、コーイチ」
「おはよう。二人とも早いね」
「市場は朝の方が品揃えがいいからな」
オルビスがそう答え、その隣でアステルも頷く。
「人気の物は昼前に売り切れることもあるしね。今日は色々見たいんだろ?」
「ああ。実はかなり楽しみにしてた」
昨夜の食事で、ヤーパンという国が思っていた以上に故郷とよく似た文化を持っていることを知った。
茶碗や汁椀に似た食器。玄米そのものに近いヤーパンライス。日本酒を思わせるヤーパン酒。
そこまで似ているのなら、他にも何かあるのではないか。そう期待するなという方が無理だった。
三人は連れ立って朝市へ向かった。
王都の中心部に近付くにつれ、人通りは目に見えて増えていく。大きな広場へ出たところで、恒一は思わず足を緩めた。
「すごいな……」
朝市は、既に大勢の人で埋め尽くされていた。
色鮮やかな野菜や果物を積み上げた露店。籠いっぱいの卵。香辛料を並べた店からは、鼻をくすぐる刺激的な香りが漂ってくる。
通りの向こうでは魚を売る商人が声を張り上げ、その隣では焼きたてのパンを並べた女性が通る人々を呼び止めていた。
「朝採れだよ! 今日は甘いよ!」
「北方から届いた香辛料だ! 今なら少し安くするぞ!」
「焼きたてのパンはいかが!」
あちこちから客寄せの声が響く。
人々の話し声、馬車の車輪、金貨や銀貨の触れ合う音。
活気というものが、そのまま形になったような場所だった。
「はぐれないでね、コーイチ」
「子供じゃないよ」
「初めて来たんだろ?」
「まあ、そうだけど」
もっとも、この人混みで二人を見失う心配はあまりなさそうだった。
背が高い上に、目立つ銀髪が二つ並んでいる。
周囲の視線も、自然と双子へ向いていた。
「こっちだ」
少し先を歩いていたオルビスが、広場の端にある大きな建物を示した。
石造りの立派な店構えで、入口にはいくつもの国や商会を表すらしい旗が掲げられている。
「ここが、輸入食品を置いている商会の店だ」
「へぇ……」
中へ入ると、市場の露店とはまた違う賑わいがあった。
壁際には大きな麻袋や木箱が並び、棚には瓶や壺、乾燥させた果物や香草が整然と置かれている。品物の下には産地や価格が書かれた札が添えられていた。
どれも、この王都ではあまり見かけない珍しい物なのだろう。客の多くは商人や料理人らしく、店員と相談しながら量や値段を確かめていた。
「ヤーパンの品物は奥だよ」
アステルに案内され、店の一角へ進む。
そこだけ、棚や木箱に見慣れない装飾が施されていた。麦ではなく、細長い穂の絵が描かれている。
その下には、麻袋に詰められた薄い茶色の粒。
恒一は思わず身を乗り出した。
「……本当に米だ」
見慣れた玄米だった。
形も、大きさも、表面に残る糠の色も、日本で見たものとほとんど変わらない。
札には『ヤーパンライス』と書かれ、その下に量り売りの価格が記されている。
「買う?」
アステルが笑いながら尋ねる。
「買う。これは絶対買うよ」
「即答だな」
「だって米だぞ」
「うん、米だね」
「二人にはこの感動が分からないんだよ」
恒一が袋の中を覗き込んでいると、店員が近付いてきた。
「おや、ヤーパンライスをお探しで?」
「はい。少しだけ量り売りしてもらえますか?」
「もちろんです。どれくらいにします?」
値段を見れば、確かに安くはない。普段使いするには少し躊躇うが、しかしまったく手が届かないほどではなかった。
恒一はしばらく悩み、まずは試せる程度の量を頼むことにした。
店員が量りへ米を移している間、恒一は隣の棚へ視線を向ける。
海塩。
藻塩。
黒糖に似た塊。
乾燥した海藻らしきもの。
どれも日本人には馴染み深いものに見えるが、細部は少しずつ違っていた。
そして。
「……あった」
棚の中央。
小さな瓶に詰められた、黒に近い褐色の液体。その隣には、色合いの異なる茶色いペーストが入った壺がいくつも並んでいる。
あるかもしれない、と思っていた。
それでも、実際に目にすると胸が高鳴った。
「気になりますか?」
店員が恒一の視線に気付いたらしい。
米を包み終えると、棚の前へ移動して説明を始めた。
「この黒いソースが“ソイユ”です。豆から作った物が一番よく出ますね。魚で作った物もありますが、そっちは少し癖が強いですよ」
「魚の方は、魚醤に近いのかな……」
「ぎょしょう?」
「ああ、いえ。俺の故郷にも似た物があったので」
恒一は瓶を持ち上げ、光へ透かしてみた。
色は濃い。少し揺らすと、粘度も醤油と大きくは変わらないように見える。
「味見ってできますか?」
「ええ。少量なら」
店員が小さな匙へ一滴だけ落としてくれた。恒一は慎重に口へ運ぶ。
塩気と旨味。発酵させた特有の香り。
日本の濃口醤油より少し荒く、しかし香りは強い。
「……醤油だ」
食べ慣れた物と完全に同じではない。それでも、紛れもなく醤油の味だった。
「ショーユ?」
アステルが首を傾げる。
「俺の故郷での名前だよ」
「へぇ。やっぱり似てるんだな」
次に店員が指したのは、茶色いペーストの壺だった。
「こちらが“ミュソ”です。豆で作る物と、麦で作るもの、それからヤーパンライス――向こうでは“イネ”と呼ぶ穀物を使う物があります」
(豆味噌に麦味噌、米味噌か)
そこまで同じなのか。恒一は思わず壺を見つめた。
色の濃いもの、淡いもの、赤みの強いもの。
粒の残るもの、滑らかに潰されているもの。
まさしく、よく知る味噌だった。
「どっちも作り手や地方で差があるらしくてさ」
アステルが棚を眺めながら言う。
「ものすごく種類があるんだよ。俺は正直、覚えられる気がしない」
「同じ名前でも、色も香りも違うからな」
オルビスも一本の壺を手に取った。
「前に買った物は、もっと濃い色だったな」
「ニコが選んでたやつ?」
「ああ。それぞれ向いている用途が違うと言っていた」
「料理担当が選ぶなら、違いも分かるんだろうね」
恒一は棚を見渡した。
日本でも味噌は地方ごとに違っていた。甘いものも、塩気の強いものもある。醤油だって、恒一が普段使うものは量産品だったが、それでも濃口、薄口、たまり醤油と様々な種類があった。
ヤーパンでも同じように、土地ごとの気候や食文化に合わせて発展してきたのだろう。
「面白いな……」
思わず言葉が漏れる。
「何が?」
アステルが尋ねた。
「凄く似てるけど、同じじゃないところ」
恒一は壺を棚へ戻しながら答えた。
「俺の知ってる味に、本当に近い。でも、こっちにはこっちの作り方や使い方があるんだろうなって」
「それを知るのが?」
「うん。楽しい」
故郷を思い出す懐かしさもある。けれど、それだけではなかった。
同じ材料が、別の土地でどう料理されているのか。何が違うのか。どうしてそうなったのか。
それを考えるだけで、自然と興味が湧いてくる。
アステルはそんな恒一の顔を見て、少し嬉しそうに笑った。
「じゃあ、何か買ってみる?」
「そうだな……」
恒一は棚の前で腕を組む。
持ってきた日本の醤油や味噌は、使えばなくなる。けれど、この世界には代わりになりそうなものがある。しかも、完全な代用品ではなく、こちらで独自に育ってきた味だ。
――つまり、変化し続けているということ。
「ソイユとミュソも、少しずつ買ってみようかな」
「コーイチ、料理するの?」
「もちろん」
即答すると、アステルの目が輝いた。
「じゃあ俺達も食べていい?」
「もう食べる前提なんだな」
「だって、興味あるし。オルビスも食べたいよな?」
「ああ」
オルビスも迷いなく頷いた。
「コーイチの故郷の料理には興味がある。何なら出資するぞ?」
「はは、分かったよ」
恒一は苦笑しながら、店員へ少量ずつ包んでもらうよう頼んだ。
ヤーパンライス。
ソイユ。
ミュソ。
それから、少しの藻塩。
小さな包みに収まったそれらを受け取った時、恒一は不思議な気持ちになった。
異世界で、故郷によく似た食材を買い。
これから、故郷の料理を作ろうとしている。
帰れない寂しさは、消えないけれど。
この世界にも、懐かしい味へ繋がる道はあったのだ。
「さて」
アステルが楽しげに笑う。
「次は何を見る?」
恒一は手にした包みを見下ろした。
「……米を炊く道具かな」
「すっごいやる気だ」
「せっかく買ったんだからね」
こうして。
異世界で初めての食材探しは、思っていた以上に実りの多いものとなった。




