12.納品と、報酬と、懐かしい味と。
翌日の昼過ぎ、工房の前に見慣れた大きな影が止まった。
「こんにちは!」
元気な声と共に、アステルがひらりとクロムの背から飛び降りる。その後ろからオルビスも静かに降り立った。
「箸、できた?」
開口一番、期待に満ちた声で尋ねられ、コーイチは思わず笑ってしまう。
「うん。ちょうど昨日仕上がったところだ」
「本当!?」
目を輝かせるアステルを見て、ダンが工房の奥から顔を出した。
「騒ぐな騒ぐな」
そう笑って言いながら、棚の上に置かれていた木箱を持ってくる。
蓋を開けると、中には布へ丁寧に包まれた十膳の箸が収められていた。
「おお……」
アステルが思わず声を漏らした。
一本取り上げ、光へかざす。
栗材に染み込んだ油が木目を柔らかく浮かび上がらせ、派手ではないが落ち着いた艶を宿していた。
「綺麗だなぁ……手触りもいい」
指先で撫でながら、嬉しそうに笑う。
オルビスも一本手に取り、静かに頷いた。
「軽いな。だが、頼りない軽さじゃない。長く使えそうだ」
その一言だけで、コーイチの胸が少し熱くなる。
――ちゃんと、伝わっている。
ただ木を削っただけではなく、道具として見てもらえている。
「ありがとう」
アステルは箸を箱へ戻すと、ダンへ向き直った。
「代金はいくら?」
「十膳だからな」
ダンは帳面を開き、木材代と油代、それに手間賃を合わせた金額を告げる。
アステルは迷うことなく革袋を取り出した。
中から金貨と、銀貨を数枚。慣れた手つきで重ねて並べていく。
「これで良いかな?」
「ああ」
ダンは金額を確認すると頷いた。
「毎度あり」
そこで、不意に銀貨を摘まみ上げる。
「コーイチ」
「はい?」
「手ぇ出せ」
言われるまま手を差し出すと、掌へ銀貨が数枚、静かに乗せられた。思ったより重い。
「え……?」
思わずダンを見る。
「これは、お前の仕事だ。材料も工房も店のもんだから、売上は《赤樫亭》のもんだ。だが」
ダンは腕を組みながら続けた。
「作ったのは、お前だ。職人が働いた分は、ちゃんと職人へ返す。受け取っとけ」
掌の上の硬貨を見る。
たった数枚。日本円にすれば、決して大金ではないのかもしれない。
それでも、その重みは、これまで受け取った給料とは少し違って感じられた。
会社では毎月、口座へ振り込まれていた。数字として増えていく残高は、もちろん嬉しかった。
けれど。
今、手の中にある硬貨は違う。自分の手で削り、磨き、仕上げた箸。
それを誰かが欲しいと言ってくれて、その対価として渡されたお金。
その重みが、掌からゆっくりと胸へ染み込んでいく。
「……ありがとうございます」
自然と頭が下がった。ダンは照れくさそうに鼻を鳴らす。
「礼なら客にも言っとけ」
その言葉に、コーイチは改めて二人へ向き直った。
「……注文ありがとう、二人とも」
「こちらこそ」
アステルは嬉しそうに笑う。
「旅団のみんな、絶対喜ぶな」
「特にニコは、料理に合わせて使い分け始めそうだ」
オルビスが静かに言うと、アステルが苦笑した。
「ああ、それはありそう。たぶん帰ったその日から、『箸に合う料理を作る』とか言い出すぞ」
「食器で料理まで変わるのか?」
「ニコなら変えるだろうな」
二人が顔を見合わせて笑う。その様子を見ながら、コーイチもつられて笑っていた。
自分が作った十膳の箸は、いずれこの王都を離れ、海を越え、まだ見ぬアルシオン大陸へ渡っていく。
そこでどんな人達が使うのかは、まだ想像もつかない。けれど。
一つだけ確かなことがあった。
異世界で初めて作った"商品"は、確かに誰かの暮らしへ届こうとしていた。
十膳の箸を丁寧に木箱へ収めながら、アステルがふと思い出したように手を打った。
「ああ、そうだ」
「ん?」
「コーイチの故郷に似てるって言ってた、ヤーパンの料理にも合いそうだよね」
「ああ、確かにな」
オルビスも静かに頷く。
「コーイチが話していた"お椀"だったか。ヤーパンにも、よく似た食器があったはずだ」
「えっ?」
恒一は思わず顔を上げた。
「そうなの?」
「うん」
アステルは腕を組み、記憶を探るように首を傾げる。
「何て名前だったかな……えーっと……」
しばらく考え込んだあと、ぽんと手を叩いた。
「そうそう! "チャワン"と"シルワン"! あ、もしかして、だからまとめて"おわん"って言うのか?」
「……あるの?!」
思わず素っ頓狂な声が出た。
まさか異世界で、茶碗と汁椀の名前を聞くとは思わない。
「確か、ヤーパンの料理を出す店で見たことがある」
オルビスが記憶を辿るように続ける。
「木や陶器で出来た器だったな」
「へぇ……」
恒一は驚きが隠せなかった。日本だけの文化だと思っていたものが、こんな形で異世界にも存在している。
するとアステルが、さらに思い出したように口を開く。
「あそこって、小麦とは少し違う穀物が主食なんだよな」
「ああ。確か、ヤーパンライスと言ったか」
「そう、それ! 小麦より小さくて固い粒でさ。じっくり煮込んで、お粥みたいにして食べるのが一般的だったと思う」
(……どう聞いても米だ)
恒一は心臓が一つ跳ねるのを感じた。
「ちょ、ちょっと待って!」
慌てて工房の奥にある自分の部屋へ駆け込む。
棚の隅へ大事にしまってあったエコバッグを取り出し、中の米の袋から小さな木のカップへ白い粒を少しだけ移した。
そして急いで戻る。
「もしかして……これ?」
カップを差し出すと、アステルは中を覗き込み、ぱっと表情を明るくした。
「あっ、それそれ!」
だが、すぐに首を傾げる。
「でも、こんなに白かったっけ?」
「俺も、もう少し茶色かった記憶があるな」
オルビスも興味深そうに粒を摘まみ上げた。
恒一は手の中の米を見つめる。
日本から持ってきた、精米済みの白米。
対して二人が知っているヤーパンライスは、もっと色が濃かったらしい。
(精米してないのか?)
そう考えると、妙に納得がいった。
玄米に近い状態なら色も濃く、煮込み料理に向いているだろう。
「これ、俺の故郷じゃ"米"って呼ぶんだ。」
「へぇ。確か、ヤーパンでは“イネ”って言ったな」
「稲……」
アステルは興味津々に身を乗り出した。
「じゃあ、コーイチの故郷の料理って、その米で作るの?」
「うん」
恒一は自然と笑みを浮かべる。
「今は調味料も道具も足りないけどね」
手の中の白米を見つめながら、小さく呟いた。
「いつか、食べてもらえたらいいな」
その言葉に、アステルは迷いなく頷いた。
「楽しみにしてる。オルビスも食べたいよな?」
「ああ」
オルビスも静かに笑う。
「箸まで揃ったんだ。料理も期待している」
その何気ない約束が。
後に《地平線の旅団》の食卓へ、そしてこの世界の食文化にまで影響を与えることになるのだが。
今はまだ、少し先の話である。
箸の入った木箱を大事そうに抱えながら、アステルがふと思い出したように顔を上げた。
「あ、じゃあ折角だし」
「ん?」
「今日の夕飯、ヤーパン料理の店に行こうか」
その一言に、コーイチが目を瞬かせる。
「ヤーパン料理?」
「うん」
アステルはにっと笑った。
「コーイチも興味あるでしょ?」
それは、正直に言えばかなり気になっていた。
ヤーパンという国。茶碗や汁椀によく似た器。
そして"ヤーパンライス"と呼ばれる穀物。
自分の故郷によく似た文化を持つ国だという話を聞いてしまえば、料理も一度は食べてみたいと思うのが人情だった。
「今日は俺の奢り」
さらりと言われて、コーイチは思わず首を振る。
「いやいや、流石に悪いよ」
「いいって」
アステルは笑ったまま、工房の中を見回した。
「親方さん達も一緒にどう?」
その言葉に、ダンが目を丸くする。
「俺達までか?」
「うん。箸の完成お祝いも兼ねてさ」
「流石にこの人数であの店は高ぇだろ」
「大丈夫大丈夫」
アステルは胸を張った。
「これでも冒険者だからね。それなりに稼いでる」
職人達が顔を見合わせる。
「なぁ、親方」
「ヤーパン料理なんて食ったことあります?」
「俺はねぇ」
「俺も」
「一度くらい行ってみたいなぁ」
若い職人達が口々に言い始める。ダンは困ったように頭を掻いた。
「お前らなぁ……」
そう言いながらも、どこか楽しそうだ。
やがて小さく息を吐き、
「……仕方ねぇ」
と苦笑した。
「今日は甘えさせてもらうか」
「やった」
アステルが嬉しそうに拳を握る。その様子を見て、オルビスも静かに口元を緩めた。
「決まりだな」
こうして、その日の仕事を早めに切り上げると《赤樫亭》の面々は連れ立って王都の中心街へ向かった。
夕暮れが近づく頃の街は活気に満ちていた。露店からは焼き菓子の甘い香りが漂い、酒場からは陽気な笑い声が聞こえてくる。
しばらく歩くと、通りの一角に木造二階建ての落ち着いた店が見えてきた。入口には見慣れない文字と、この世界の共通文字が並んで掲げられている。
『ヤーパン郷土料理 稲穂亭』
「ここ」
アステルが入り口の布――暖簾にそっくりだ――をくぐる。
店内は木を基調とした温かい造りだった。低めの机と椅子が並び、どこか懐かしい雰囲気がある。
「いらっしゃいませ」
店員に案内され席へ着くと、まず人数分の温かい布が運ばれてきた。
「こちらで手をお拭きください」
「お手拭きか」
コーイチは自然と手を拭きながら笑う。
その横で職人達は少し不思議そうな顔をしていた。
「食べる前に拭くのか」
「この店はそういう流儀なんだろうな」
ダンが感心したように頷く。
さらに料理を待っていると、小さな水を張った器が運ばれてきた。
「こちらは食後、手を洗うための器です」
「ほう」
ダンが興味深そうに覗き込む。
「面白ぇ文化だな」
コーイチも思わず笑った。
(フィンガーボウルまであるのか)
現代日本ではあまり見かけない。というか、どちらかと言えば古い西洋文化だ。けれど異世界のヤーパンでは、それが当たり前らしい。
やがて、料理が並び始めた。
湯気を立てる深い器。そこへ盛られていたのは、白ではなく、少し茶色味を帯びた穀物を柔らかく炊いた料理だった。
「これが……」
「ヤーパンライスのお粥だね。粒々してて、俺は結構好き」
器には木製の匙が添えられている。
コーイチは一口すくい、ゆっくり口へ運んだ。
柔らかい。少しだけ粒の皮が残る食感。
噛むほどに香ばしさが広がる。
(……玄米だ)
味も香りも、日本で食べ慣れた玄米によく似ている。
思わず目を閉じた。ほんの少しだけ、日本で食べた食事を思い出した。
「どう?」
アステルが楽しそうに覗き込む。
コーイチは笑いながら頷いた。
「普段の食事とは、少し違う。でも、懐かしいな」
その一言だけで十分だった。
料理は他にも次々運ばれてくる。
一口大に切り分けられた煮込み料理に、香ばしく焼かれた串焼き。甘辛い味付けの野菜炒めは、新鮮な生の葉物野菜で巻いてそのまま手で口に運ぶ。
どれも匙や手、小さな二股の串だけで十分食べられるよう工夫されていた。
なるほど、とコーイチは納得する。これなら箸がなくても困らない。
料理そのものが、あらかじめ食べやすく作られているのだ。
「だから箸は生まれてないし、広まらなかったのか」
思わず呟くと、オルビスも静かに頷いた。
「道具は文化に合わせて生まれる。料理が変われば、使う道具も変わる訳だな」
その言葉に、コーイチは深く頷いた。
逆に言えば、今日自分が作った箸は。アステルが言った通り、料理を変えていく可能性もあるのかもしれない。
そんなことをぼんやりと考えながら、恒一はもう一口、温かなヤーパンライスを口へ運んだ。




