11.ご注文を承りました。
それから、数日後。
《赤樫亭》では、朝の仕事が一段落しようとしていた。工房の中には、木を削る心地よい音が響いている。
恒一も、削り終えた板材を棚へ運び終えると、小さく息をついた。
その時だった。
「こんにちはー!」
聞き覚えのある明るい声が工房へ響く。
入口を見ると、銀髪の青年がひょいと顔を覗かせていた。
「あれ、アステル」
「おはよう、コーイチ」
後ろには、いつものようにオルビスの姿もある。
クロムは店先の日陰へ腰を下ろし、のんびりと尻尾を揺らしていた。
「今日は散歩じゃないんだね」
「うん。今日はお願いがあって来たんだ」
そう言ってアステルは工房の奥へ視線を向ける。
「親方さん、いる?」
「いるぞ」
ちょうど木材を運んでいたダンが顔を上げた。
「おう、今日は仕事じゃねぇのか」
「ああ、今日は違う」
アステルは笑顔で首を振る。
そして、そのままダンの前まで歩いて行くと、少しだけ姿勢を正した。
「親方さん」
「ん?」
「注文をお願いしたいんだけど」
その一言に、ダンは僅かに眉を上げた。
「注文?」
「そう」
アステルは真面目な顔で頷く。
「この前コーイチが作ってた箸。あれを作ってほしいんだ」
恒一は思わず目を瞬かせた。
「箸を?」
「うん」
アステルは笑う。
「兄さんと相談したんだけど、あれ絶対みんな好きだと思ってさ」
「みんな?」
「アルシオンに居る、俺達の仲間」
そう言って指を折り始める。
「ルークにヴェイル、ガルド、ニコ、ミリア、レオン、セシル、カミュ」
仲間達の名前なのだろう、そこまで数えてから、もう二度指を折る。
「それと俺と兄さん。丁度十人分だな」
「旅団の連中なら、実用品として使うだろう」
オルビスも静かに続けた。
「長旅では荷物を増やしたくない。一本で食事が済むなら便利だ。それに」
少しだけ口元を緩める。
「アステルが気に入った物は、大抵あいつらも興味を持つ」
「うん」
アステルが大きく頷いた。
「ニコなんて絶対、うっきうきで新しい料理作り始めるぞ」
「ルークも最初は戸惑うだろうが、慣れれば普通に使うだろうな。ヴェイルは……」
オルビスが少し考える。
「最初は『フォークでいい』と言いそうだ」
「あ~、言う言う」
二人が顔を見合わせて笑う。
まだ会ったこともない旅団の仲間達の様子が、恒一の頭にも自然と浮かんでくるようだった。
「つまり」
ダンが腕を組む。
「正式な注文って訳だな」
「うん」
アステルは真っ直ぐ頷いた。
「もちろん、代金も払うよ。友達の働いてる所だからって、そこはしっかりしないと。それが職人への礼儀だ」
その言葉を聞いて、ダンは満足そうに笑った。
「いい心掛けだ」
そして、ゆっくりと恒一へ視線を向ける。
「コーイチ」
「はい」
「初仕事だ」
「……え?」
恒一は思わず聞き返す。ダンは当然のように続けた。
「箸を考えたのはお前だ。作るのも、お前がやれ」
「いや、でも……」
恒一は戸惑った。
「商品ですよ?」
「だからだ」
ダンは静かに言う。
「趣味で作るのと、金を貰って作るのは違う。職人は、頼まれた物へ責任を持つもんだ。それを覚えるには、ちょうどいいだろ」
思わず、言葉に詰まる。自分にできるだろうか。
そんな不安が顔へ出ていたのだろう。ダンは苦笑しながら付け加えた。
「もちろん、最後は俺が見る。売り物にならねぇ出来なら、やり直しだ」
「……はい」
その一言で、不思議と肩の力が抜けた。
「わかりました。やらせてください」
「よし」
ダンは満足そうに頷く。
「じゃあまずは材料だ」
そう言って工房の奥へ歩き出した。恒一も後を追う。
「箸一本でも、木は選ばなきゃならねぇ」
木材置き場には、様々な樹種が並んでいた。
「まずは、好きなのを選んでみろ」
ダンがそう言って腕を組む。恒一は一本一本、木材へ手を伸ばした。
軽く持ち上げる。木目を見る。指先で表面を撫でる。
数日前なら、全部同じ木にしか見えなかった。けれど、今は違う。
この木は、柔らかすぎる。
こっちは、少し重い。
色は良いが、木目が粗い。
そんな小さな違いが、以前より自然に目へ入ってくる。
そして一本の材木へ触れた時、ふと手が止まった。同時に、またあの倉庫の時のような感覚が襲ってくる。
(……これだ)
理由は、まだ上手く説明できない。けれど、触れた指先から伝わる感覚が正解を教えてくるようだ。
加工しやすそうで、程よく硬く、しなりもありそうで、水にも強そうな密度。
昨日まで積み重ねてきた経験が「これがいい」と静かに告げていた。
「これ、でしょうか」
ダンは材木を受け取り、しばらく眺める。やがて、口元を僅かに緩めた。
「栗だな。いいところを選んだ」
その一言に、恒一は思わず胸を撫で下ろした。どうやら、自分の感覚は間違っていなかったらしい。
「よし」
ダンは選ばれた栗材を作業台へ置くと、木口を軽く叩いた。
「まずは覚えとけ。これから作ろうとしてる“箸”は細い。だから最初の木選びが出来てねぇと、削ってる途中で反ったり、欠けたりするだろう」
そう言いながら木目を指でなぞる。
「この栗は木目が素直だ。硬さも程々で、水にも強い木だ。毎日使う食器や道具には向いてる」
恒一は真剣な表情で頷いた。
「お前はまだ、理由まで分かってねぇだろ」
「……はい」
「だが、それでいい」
ダンは栗材を持ち上げた。
「職人ってのはな、先に手が覚える。頭で理解するのは、その後だ」
その言葉は、妙に胸へ残った。
確かにそうだ。最初は"何となく"だった。
けれど、ダンに理由を教えられるたび、その"何となく"が少しずつ形になって、恒一の中に蓄積されていく。
「さて」
ダンは木材をコーイチへ返した。
「まず十人分。箸は“一膳”って数えるんだったか?十膳全て同じ長さ、同じ太さ、左右の重さも揃える。簡単そうに見えて、一番難しい仕事だぞ」
恒一は思わず苦笑する。
「大物を一つだけ作る方が気が楽そうですね」
「当たり前だ」
ダンは豪快に笑った。
「売り物ってのは、全部同じ品質で作るから価値がある」
その一言で、恒一の表情も引き締まる。そう、趣味ではない。これは一つの仕事なのだ。
作業台へ向かい、慎重に木材へ墨を引いていく。
一本、二本、三本。
まずは大まかな寸法を揃える。
切り分け、鉋で削り、角を落とす。
少しずつ、少しずつ。
昨日まで趣味で削っていた箸とは違う。
誰かが使う。
そのことを考えるだけで、自然と手に力が入った。
「コーイチ、力入り過ぎ」
後ろからアステルがくすりと笑った。
「肩も上がってる」
「緊張するんだよ」
「はは、何か分かる」
アステルは作業台へ頬杖をつきながら笑う。
「仲間にも職人がいるんだけどさ。依頼品を作る時は、皆同じ顔してた」
「職人?」
「うん」
嬉しそうに指を折り始める。
「鍛冶師だったり、料理人だったり、機工師だったり。みんな最初は『ちゃんと使ってもらえるかな』『気に入ってもらえるかな』って心配するんだって」
「へぇ……」
恒一は少し意外そうな顔をした。
「冒険者って、戦う人ばかりじゃないんだな」
「戦うだけじゃ旅は続かないからね」
アステルは笑って頷く。
「ほとんどは少人数パーティーだから事情が違うけど、うちはちょっと人数が多めだし、遠征することもあるからさ。仲間の中に、武器を直す人もいるし、ご飯や薬、道具を作る人もいる。旅団は、それぞれ得意なことを持ち寄ってる感じかな」
「なるほどなぁ」
恒一は小さく頷いた。
戦いだけではなく、旅の暮らしそのものを支える人達もいる。そんな冒険者パーティーがあるということに、少し興味が湧いた。
すると、それまで静かに聞いていたオルビスが短く口を開く。
「使う道具を知ることは、使う者の責任だ。どれだけ優れた道具でも、手入れを怠れば長くは使えない」
その言葉に、ダンも深く頷く。
「その通りだ。お前さん、いいこと言うじゃねぇか。職人が魂を込めて作った物なら、使う側も大事にしてやらねぇとな」
工房へ、穏やかな空気が流れる。しばらくの間、木を削る音だけが、静かに響いていた。
そして昼過ぎ。ようやく十膳分の形が揃った。
恒一は額の汗を拭う。
「……できた」
「いや」
ダンが首を振る。
「まだ半分だ」
「え?」
恒一が目を丸くすると、ダンは一本の箸を手に取った。
「木は削って終わりじゃねぇ」
そう言って、棚から小さな瓶を持ってくる。
中には淡い琥珀色の油が入っていた。
「乾性油だ。こいつは胡桃の実を絞った油だな。木へすり込んで染み込ませる。そうすると、水を吸いにくくなる」
「なるほど」
恒一は興味深そうに瓶を覗き込む。
「俺の故郷にも似た仕上げはありました。木の器なんかにも使ってましたね」
「ほう」
ダンが少し興味を示す。
「もっとも……」
恒一は一本の箸を見つめながら苦笑した。
「本当なら、もっと丈夫にする方法もあるんですけれど」
「何だ」
「漆っていう、樹液を塗るんですよ」
「うるし?」
ダンも、アステルも、オルビスも揃って首を傾げた。
「その名の通り、漆って名前の木から採れる樹液なんですけど。乾くとすごく丈夫になって、水にも熱にも強くなるんです。ちょっと高級な器とか箸とか、そういう食器によく使われてました」
「……面白ぇな」
ダンが腕を組む。
「そんな木、この辺じゃ聞いたことねぇ」
「俺も、こっちでは見たことはないですね」
恒一は少し残念そうに笑う。
「もし似た木があれば、試してみたいんですけど」
――この後、その何気ない一言を、ダンはずっと覚えていた。
そして、オルビスも、アステルも。
誰も口にはしなかったが。
"木から採れる樹液で食器を守る"という発想だけは、それぞれの記憶へ静かに残ることになる。
後にその何気ない会話が、新しい塗料の研究へ繋がっていくことを。
この時の恒一は、もちろんまだ知らない。
コーイチは柔らかな布へ油を少し含ませると、箸の表面へゆっくりと塗り広げていく。木目に沿って、染み込ませるように。削ったばかりの栗の木は、油を吸うと少しだけ色味が深くなった。
「……綺麗だな」
思わず声が漏れる。
削りたての明るい色も悪くはない。だが油を含んだ木肌には、どこか落ち着いた温もりがあった。
「木は手を掛けた分だけ応えてくれる」
ダンが静かに言う。
「焦るな」
「乾く前に次を塗れば意味がねぇ」
「はい」
まだ濡れたように、しっとりとした箸。それを楽しそうに眺めながら。
「……仕上がり、楽しみだな」
アステルが呟いた。
◇◇◇
それから、数日が過ぎた。
ダンの言葉通り、一度塗っては乾かし、また薄く塗って乾かす。仕事の合間を見つけて、その工程を何度も繰り返した。
日に日に木肌へ艶が生まれていく。
布で磨く度に表面はしっとりと滑らかになり、手に吸い付くような感触へ変わっていった。
そして数日後。
「……よし」
最後の一本を磨き終えたコーイチは、大きく息を吐いた。
作業台の上には、綺麗に揃えられた十膳の箸が並んでいる。
一本ずつ手に取り、重さを確かめる。
先端を見比べる。
長さを確認する。
最後にもう一度、布で軽く磨いた。
「できたか」
ダンが隣へやって来る。
「はい」
少しだけ緊張しながら答えると、ダンは一本手に取った。
光へかざし、真っ直ぐかどうかを確かめる。
指先で表面をなぞり、先端を見つめる。
いつものように無言の時間が流れた。
(……どうだろう)
趣味で作るのとは違う。これは商品だ。
注文を受けて作った、初めての仕事。
胸の鼓動が少しだけ早くなる。
やがてダンは、静かに箸を作業台へ戻した。
「……合格だ」
その一言だけだった。
けれど、コーイチの肩からふっと力が抜ける。
「ありがとうございます」
「礼を言うのはまだ早ぇぞ」
ダンは口元を緩めた。
「客が『良かった』って言って初めて仕事は終わる」
「……そうですね。」
コーイチも思わず笑った。
品物は、作るだけでは終わらない。使う人の手へ渡って、その人に喜んでもらえてこそ、本当の意味で完成する。
職人という仕事を、ほんの少しだけ理解できた気がした。
作業台に並ぶ十膳の箸は、どれも同じようでいて、どこか温かみがある。
神谷恒一、二十七歳。
異世界で初めて作った"商品"が、静かに完成した瞬間だった。




