102.完全敗北
驚いたとか言葉を失ったとか、そんな陳腐な表現しかできないのが嫌になる。
俺は先ほど、葉音という探偵の手のひらの上で転がされる犯人の気持ちになっていたが、そんな優しいものではない。
俺は足を止めざるを得なかった。
彼女が指定した「lot musician」というブランド。
その服を着ているのが、俺だったからだ。
「最近、このブランドのファッションショーに出させてもらったんです! 二十六年のawは——」
カメラに向けて細々とした情報を喋りながら、こちらへ近付いてくる葉音。
「——これも何の縁だと思うんで、お兄さん!」
「は、はい……」
俺のことなど聞いたことも見たこともない、初めて会った人間だと装いながらも笑顔を絶やさない。
同じ学校の人間に見られたらどうするんだと思ったが……彼女のことだから上手く切り抜けられるのだろう。
「お兄さん、お名前はなんて言うんですか?」
「さ、悟……です」
「悟くん! 今日はお一人で来られたんですかぁ?」
「はい……そうです」
「こういうイベントは誰かと来てる人が多いですけど、一人でも楽しめますもんね!」
「は、はは……」
よく言うよ。俺を一人で来させようとしたのは、目の前でシラを切り続けて細切れにしている人間だというのに。
「そ・れ・でぇ……もしよかったら、一緒にお肉食べませんかっ!」
「えー……大変申し訳ないんですけど、おこと——分かりました!」
ダメだ。周囲の客からの「お前、葉音ちゃんに誘われて断るわけないよな?」という視線。
番組スタッフの「頼むから面倒をかけないでくれ」という表情。
いくら俺が鋼鉄の心臓を持っているとしても、肉を焼く熱気に溶かされてしまう。
「良かったぁ!」
跳ねて喜ぶ姿を見て、背筋に冷たいものが走る。
だって葉音は——俺が涼に選んでもらった服を着てくると読んでいたんだぞ?
いつのことだったか、涼とのデートでプレゼントしてもらった服を、MINEで葉音に見せたことがある。
おそらくはその時に画像検索をして服とブランドを特定し、覚えておいた。
そればかりか……そのブラントとの接点を持っておいたのだ。
二十六年のawはチェックしていないが、過去のショーでは普通のモデルを起用していたはず。
芸能人がライブなどで着用することもある。
しかし、ほとんどが男性であり、女性アイドルとの関わりは薄い。
予想していたのかは分からないが、葉音は先を見越して種を蒔いておいたのだ。
なんなら、涼も一緒にショーに出ている可能性すらある。怖くてみたくない。
「じゃあ、どのお店にしますか?」
思考の海に沈む時間も、ときおり現れて俺を喰らい尽くそうとするサメから逃げる時間もなさそうだ。
怪しい行動をとって、スタッフやテレビの前の人々に疑われるわけにもいかない。自分の役割を果たしてやるさ。
「そうですね……僕は八番の味噌ハラミ丼が気になってて——」
「えー奇遇ですね! 実は僕も同じのが食べたくて!」
本当ですか巻島さん?
俺と同じならなんでもいいとか、そういうわけじゃないですよね?
「あとは二十四番——」
「あとは二十四番の牛タンとか食べたいなぁ! 悟くんもそれでいいですか!?」
「…………はい」
「それじゃあ、早速頼んでいきたいと思いまーす!」
ここで一度カットが入り、スタッフが映像のチェックを始めた。
「葉音ちゃん、少し待っててくださいねー!」
「はーい!」
俺たちを取り囲む野次馬がカメラを向ける。
葉音は俺を隠すように位置どりして幾度か笑顔を浮かべ、写真のクオリティに満足した人々はスマホをしまい、肉眼に彼女を収め始めた。
スタッフはスタッフで忙しそうだ。
本来の人数を三等分しているからだろう。
今のこの時間、俺と葉音は完全に周囲から隔絶されている。
マイクは気にするな、頼む
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