第80話〜ポーツダムの残響と歪んだ地図という名のプレリュード〜
「昨日の予告通り、今日から五大貴族について教えていく。先ずは『教典』を配る。各班庶務委員、取りに来い」
冬弥様の冷徹な声が、朝の静寂を切り裂く。
「かしこまりました」
(今日はテキパキ動いてくれるかしら。一昨日の法規みたいなことになれば、誠也様以上にきついお仕置きをされるに違いないわ……)
私の不安を嘲笑うように、やはり陽子がやらかした。足がもつれた振りをして、教典を抱えたまま、教壇の前で盛大にすっ転んだのだ。
「179番、神聖なる『教典』を床に落とすとは何事だ。1班全員、黒板に手をつけ。第三待機姿勢」
「かしこまりました」
(また……。確信犯ね、今日もわざとに違いないわ)
「教典がクズのせいで汚れた。汚したものはキチンと綺麗にしないとな」
空気を切り裂く音が響き、灼熱のような刺激がお尻を貫いた。
「1番、管理不足のお前には追加の罰を与える。そこに授業が終わるまで、『宣告の蹲踞』の姿勢で立っていろ。ノートを取ることも許さん。全て頭で覚えろ。他の『家畜』は席に戻れ」
「かしこまりました……」
(あっ、陽子だけじゃない。響までほくそ笑んでる……)
冬弥様は黒板に大きな世界地図を貼り出すと、指示棒を手に私の方へ歩み寄ってきた。
「お前たち、よく覚えておけ。この世界の秩序が決定したのは、1945年8月15日のことだ。ゲルマニア連邦の帝都ポツダムにおいて、我が日和帝国、偉大なる大元帥、神代大元帥閣下を始めとする、五大国の首脳が集結した」
冬弥様は冷たい指示棒の先で、蹲踞の姿勢で震える私の肩を突いた。
「1番。お前の肉体そのものを、我が帝国の輝かしい版図に見立てて解説してやろう。全員、よく見ておけ。お前たちの身体もまた、この地図と同じく主人の所有物なのだからな」
指示棒の先が、冷たく私のうなじを撫でる。
「ここが北門防衛州だ。常に厳格な規律が求められる、極寒の地だ」
次に、指示棒は私の背中を縦横に這っていく。
「広大な満州と麗鮮。ここは帝国の資源を支える背骨だ。……そして、」
冬弥様は私の背後に回り、突き出された私のお尻の割れ目に指示棒の先端を深く這わせた。
「ここが帝国の中心、日和帝国本土。龍雅院家が君臨する聖域だ。……ふむ、聖域の割には、随分と熱を帯びているようだが?」
「ひぅっ……!」
「声を出すなと言ったはずだ。……さらに南へ下れば、高砂都督府と南洋の島々がある。熱帯の湿った空気が、不潔な汁を滴らせる場所だ」
指示棒の先が、私のもっとも恥ずかしい場所を、制服越しにグイと押し上げる。
(たしかに、幼い頃にお母さんに読んでもらった絵本に、戦争に負けて平和になった世界のお話があったわね。たしか、国名は……思い出せない。たしか『に』から始まって『ん』で終わる3文字の国名だったはずなのだけど……)
思い出そうとすればするほど、身体に刻まれる恐怖と、五大貴族――『日和帝国』、『ゲルマニア連邦』、『エトルリア皇国』、『ブリタニア』、『ガリア王国』の名が、強制的に脳内を書き換えていく。
ようやく1限目の終業チャイムが鳴り響いた。
震える膝をつきながら解放された私に、意外な人物が歩み寄ってきた。副級長の美紀ちゃんだ。
「級長……これ、よかったら使って。ノート取れなかったんでしょ? テストに出そうなところ、全部まとめておいたから」
差し出されたのは、美紀ちゃんのノートだった。
「美紀ちゃん……ありがとう、助かるわ」
私は、地獄の中で見つけたわずかな慈悲に感謝し、そのノートを大切に抱きしめた。美紀ちゃんが貸してくれたノート。そこに書かれていた世界地図が、私を陥れるための『偽りの版図』であることを、この時の私はまだ知る由もなかった。




