第55話〜国語、様式美と屈辱の作法〜
教室に戻ると、微かな眩暈が私を襲った。愛理様に飲まされた『栄養剤』……あの眠剤が、じわじわと意識の輪郭を溶かし始めている。始業のチャイムと同時に、グレーの目と髪色をした、タレ眉の女性が儚げな雰囲気で入室してきた。手の甲には、キスマークだろうか、口の形をした痣が痛々しく残っている。
「あなたたちに国語を教えることになった、鬼月夢よ」
彼女は教壇から、鋭い、けれどどこか艶っぽい視線で私たちをぐるりと見回した。
「私の授業では変態テキストの音読、論評、突起で評決するディベート、そして変態的な言い回しの練習をしてもらうわ。6年生の文化祭では総仕上げとして、一人芝居や落語を披露してもらうから、そのつもりでいなさい。もちろん、古典も勉強するわよ。……では、私の授業のルールを説明するわ」
夢様の語るルールは、執拗なまでに様式美にこだわったものだった。まず、生徒は椅子に座らず、『第三服従姿勢』――つまり土下座で待機。入室後の号令に合わせて一斉に挨拶をし、椅子に座る際も『音を立ててはならない』という。
「一度やってみるわよ。委員長は誰かしら?」
「はい。私です」
「あなた、番号は?」
夢様がゆっくりと歩み寄り、私の顔を覗き込む。
「はい、1番です」
「1番。やってみなさい」
「かしこまりました。……起立、礼」
私の号令に合わせ、30人の少女が一斉に三指をつき、頭を垂れる。椿様はその間を、獲物を吟味するような足取りで練り歩く。
ドン! と鈍い音が響いた。
「もっと頭を下げる」
夢様が、陽子の頭を、容赦なくヒールで踏みつけたのだ。床に顔を打ち付けた陽子の痛々しい音が教室に冷たく響く。
「あなたもよ。もっと頭を下げなさい」
「……かしこまりました」
眠気でふらつく後頭部を、冷たい視線が射抜く。私はさらに深く、額を床に擦りつけた。
「よし」
その一言で一斉に顔を上げ、「ご指導よろしくお願い致します」と声を揃える。
「着席」
ガタガタガタ、と椅子が鳴る。
「挨拶は綺麗に揃っていてよろしい。でも、椅子は、音をさせないように、持ち上げなさい。座るタイミングは綺麗に揃っていたから合格とします」
その後の出欠確認は、まるで儀式のようだった。30人全員を一人ひとりの目を見て、その商品価値を確かめるような夢様の視線。意識が遠のきそうな私にとって、その視線は冷たい霧のようだった。
「180番」
「はい」
「全員出席ですね。大変よろしい。次は、予習の仕方を教えるわ」
夢様はそう言うと、プリントを配った。
「このやり方を見ながら、明日までに教科書3ページに載っている、平家物語の冒頭をノートに写して来なさい。少し時間が余ってるけど、今日は終わりにします。静かに寮へ帰って昼食を取りなさい。1番、号令をかけてちょうだい」
「かしこまりました。起立、礼」
「ご指導ありがとうございました」
椅子から立ち上がると、冷却洗浄されたはずの場所が、眠剤の作用か、不自然なほどに熱を帯びていた。




