第36話【断絶の9日間Ⅸ・中編】〜失望のテッラサクラ〜(真冬様)
実技棟の頑丈な二重扉が開くと、春休み中とは思えぬ喧騒が漏れ出しました。『商品』たちが一斉に上げる泣き叫び、肉を打つ音。……耳の良いれいなには、わたくしには聞こえぬ微細な絶望の音まで届いているのでしょう。ひどく顔色が悪いですね。
「5階の『躾部屋』と、6階の『特別懲罰室』を一部屋ずつ見てみましょうか」
わたくしは事前に、どこで、誰が、どのような『実習』を行っているか完璧に把握しています。れいなの心を最も効率的に折るための部屋を選び、周到に『見学の許可』も取っておきました。
「この教室にいたしましょう。中では躾の最中ですから、静かにするのですよ」
扉の隙間から覗くのは、卑猥なダンスを強要される『商品』たちの姿。
『ふざけているのか!可愛い後輩が見ているぞ、手本を見せろ!』
ビシッ!と飛ぶ鞭の音に、れいなの肩がビクンと跳ねました。
「このように趣向を凝らした方法で、お前たちを躾けてあげます。『調教学』の授業を楽しみにしていなさい。……さあ、次へ行きますよ」
次は、私にとっての新しい『駒』が初めて壊された聖域。そう、『視聴覚室』です。廊下の景色に既視感を覚えたのか、彼女の呼吸が浅くなっていくのが、リードを通じて伝わってきます。
「この部屋では、今日は懲罰が行われていません。設備の役割を、ゆっくりと説明してあげましょう」
静まり返った部屋へ足を踏み入れる。
「例えばですが、冷却ジェルの過剰投与で機能制限された中を掻き回されたり、感覚器官へ直接的な高周波吸引刺激を施されたりといった、初歩的な……」
言い終える前に、れいなが重力に負けるように私にもたれかかってきました。
「何をしているのですか、15番。立ちなさい」
リードを引き上げますが、彼女の身体は糸の切れた人形のように崩れるばかりです。どうやら、この程度の記憶のフラッシュバックで『欠陥』を起こしたようです。このくらいでギブアップですか。お兄様のための完璧な駒とするには、まだ根性が足りないようですね。
「由羅先生。15番を保健室に連れて行きます。後をお願いできますか?」
「わかりました。私のクラスの『クズ』がご迷惑を……。よろしくお願いいたします、真冬先生」
私は人目のつかない予備室へと彼女を運び込み、硬い処置台の上に乱暴に横たわらせました。無機質な部屋に、れいなの浅い呼吸音だけが響きます。その青ざめた頬を指先でなぞり、私は傍らに用意されていた冷水が満たされたバケツを手に取りました。
「……目覚めなさい、15番」
躊躇なく浴びせかけた氷のような冷水が、彼女の華奢な身体を濡らし、処置台から滴り落ちます。
「……っ! げほっ、ぁ……、っ」
肺に溜まった空気を吐き出すような、短い悲鳴。
濡れて張り付いた前髪の隙間から、焦点の合わない瞳がゆっくりと彷徨い、やがて私の顔を捉えます。
「……ま、ふゆ……さま……?」
「ようやくお帰りなさい、15番。案内中に寝るなど、随分と余裕があるようですね」
私の冷ややかな声に、彼女の肩が大きく震えました。意識が戻るにつれ、先程までいた『あの部屋』の記憶が呼び覚まされたのでしょう。怯えた視線が、自分が今どこにいるのかを確認しようと泳ぎます。
「……ま、ふゆ……さま……。お兄……ちゃん……どこ……?」
「どこ、ですか。ふふ、お可哀想に。……まだ気付いていないのですか?」
私はゆっくりと腰を落とし、彼女の耳元へ唇を寄せました。
高性能な彼女の耳に、私の無慈悲な宣告が刻み込まれるように。
「御当主様は最初から、ここにはおられませんよ。自宅で、他の『玩具』で楽しく遊んでおられます。……あなたという汚れた駒が、無様に這いずり回る姿を見る価値などないと、判断されたのです」
「……うそ……だって……昨日、プールで……あんなに、優しく……」
「あれは、あなたが壊れないように与えられた『餌』に過ぎません。……ほら、よく聴いてごらんなさい。今のこの世界に、あなたの望む音など、一つでもありますか?」
れいなが目を見開き、全神経を『耳』に集中させるのが分かりました。だが、この部屋に響くのは、私の規則正しい鼓動と、不快な空調の唸りだけ。彼女の兄の衣擦れも、優しい吐息も、この空気の中には一分たりとも含まれていない。自慢の耳が『真実』を告げるたび、彼女の顔から血の気が失せ、絶望という名の死相が浮かんでいく。その『壊れる瞬間』の美しさに、私の胸は甘美な疼きを覚えます。
「あ……ああぁ……っ!!」
声にならない悲鳴を上げる彼女の顎を、私は力任せに掬い上げました。涙で滲んだ瞳に、私の冷徹な顔を無理やり映し込ませます。
「『お兄様』に捨てられたくないのであれば……私の手で、完璧に作り直してあげましょう。……さあ、お仕置きの時間です。意識を失った『欠陥品』には、衣服の上から厳格なペナルティを課し、その身に規律を叩き込まねばなりませんから」
私は傍らに用意していた、鋭い音を立てる『特別製の戒杖』を手に取りました。お兄様という光を奪われたこの闇の中で、彼女が縋れるのは、私の与える『痛み』だけになるのです。




