【50話】馬の鼻
冬休み前、最後のホームルームが終わった。
「じゃあーな、美緒ちゃん!」
「ばいばいっ!」
「またね、美緒」
「うんっ! またね~!」
伊吹と花織が帰っていくのを見届けた美緒は、教室で一人ぼっちになった。
「那岐、遅いな~」
美緒は自身の机の上に置いてある那岐のバッグを見ながらそう呟く。那岐は先生に呼ばれたらしく、職員室に行ったきり戻ってこない。
スマホを徐に取り出し、暇つぶしにSNSを眺め始めると、その中で一際気になる投稿を見つけた。
「なにこれ~!! 欲しいっ!!」
美緒は一度鑑賞した映画の入場者プレゼントに目を引かれる。新規描き下ろしのスピンオフ小説が新たに配られるようで、美緒の物欲が刺激された。
「映画館行かなくちゃっ⋯⋯だけど——」
念の為確認したが、近くの映画館では上映が既に終わっており手に入れることは叶わない。
でも、欲しくて欲しくて諦めきれなかった美緒はある決意をする。
「よしっ⋯⋯遠出しよう!」
幸いにも明日からは冬休みだ。時間はたっぷりある。
美緒は欲しいものを自分で手に入れるため、この冬郊外のショッピングモールに特典目当てで赴くことを決めた。
日暮れも早く、電気も付いていない教室を月明かりが照らす。
「⋯⋯暇だし、職員室まで行こっかな」
那岐と冬休みの予定も立てたかったし、居ても立っても居られなかった美緒は那岐のバッグも手にして教室を出る。
「那岐と一緒に~~、デート~~」
美緒は誰もいない廊下を大声を出しながら突き進んでいく。
そんな浮かれ気分の美緒が階段に差し掛かった瞬間、誰かに背中を押された。
「えっ⋯⋯」
突然のことで、何が起きたのか全くわからなかった。
美緒の脳内にはある記憶が照射される。これ⋯⋯あの時と似ている。美緒が歩道橋から落ちて廃人となった時と同じ状況だった。
やばい⋯⋯このままじゃまた、那岐と話すこともままならなくなってしまう。
【変身呪文】
顔から落下し続けていた美緒の身体が浮き上がる。
咄嗟に変身できた美緒は空中で体勢を立て直し、階段の踊り場に着地した。琴に教わった、無意識のうちに飛べることの重要性を身をもって体感した。
でも、一体誰がこんな酷いことを⋯⋯もしかして、怪人!?
美緒は踊り場の窓から月明かりを受け、鋭い眼を月模様に光らせて後ろを振り返る。
階段の最上段、そこには目を丸くしていた庚申鳴音がいた。
「鳴音ちゃん⋯⋯?」
美緒と目が合うと、鳴音は身体を震わせながら走り去ってしまった。
なんだ、鳴音ちゃんとぶつかっちゃっただけか⋯⋯というより、何でまだ学校に残っていたのだろうか?
「美緒!?」
那岐はバッグが床に落ちた落下音を聞きつけ、階段を駆け上がってきた。
「どうした!? 階段から落ちたのか!?」
「うん⋯⋯でも、大丈夫! ほらこの通り! ——あははっ、死ぬかと思った!」
美緒は立ち上がって飛び跳ねて見せると、那岐は胸を撫で下ろした。
「美緒は死なないだろ?」
那岐は優しく抱きしめてくれる。
「あっ! そうじゃん!!」
那岐の温かい体温が美緒にまで伝わった。
◇
失敗した失敗した失敗した。
庚申鳴音は廊下を走り、美緒たちと鉢合わせしないよう別の階段から昇降口を目指す。
「いろはもパパもいなくなるし、那岐だって⋯⋯全部全部あの女が悪いんだッ」
鳴音は靴箱から取り出すと、自身の靴を地面に叩きつける。
「⋯⋯はぁー。寒いし帰ろ」
昇降口を出ると校門前に格好の良い男がいるのが目に留まる。
なぜだかわからなかったが、鳴音は視線を強制的に操られているように青年から目を逸らせなかった。
「こんばんは⋯⋯」
警戒しながらも面の良い青年に鳴音は見惚れる。
「こんばんは、お嬢さん。少し、時間をもらえませんか?」
「今からですか? ⋯⋯もう、遅いし別の日じゃだめですか?」
「今じゃなきゃだめな急用なんだよね。どうかな?」
「ごめんなさいっ。ちょっと無理そうです——」
「そっかー、残念だよ。それなら、まだ残っている子にお願いしてみるね。ありがとう」
鳴音の脳内に美緒の顔が横切った。今も学校に残っているのは美緒たちぐらいだから、この人の話を聞くのもあいつらだろう。
「⋯⋯です」
「え?」
「やっぱり大丈夫です!」
青年は笑みを浮かべる。
「それは良かった」
青年は手で何かを手繰り寄せているが、紐のようなものは見当たらない。
「なにこれ⋯⋯」
鳴音の目の前にはかぼちゃの馬車が現れ、それを一匹の黒馬が引っ張っている。黒い馬の鼻が鳴音の方を向いている。
馬車は鳴音たちの前で止まった。
「では、お嬢さんこちらへ」
青年は鳴音の手を取り、馬車へとエスコートする。
わけがわからなかったが、鳴音はこの童話みたいなシュチュエーションでそのまま馬車に乗り込んでしまった。
鳴音は横にいるイケメンな王子様に心を移す。
ああ、那岐なんてもうどうでもいいや⋯⋯
二人が乗り込むと馬車は動き出し、地べたを走っていく。
馬車は校門前からどんどん遠ざかっていったが、全然止まる気配はなかった。
「⋯⋯これはどこに向かってるんですか?」
「あそこだよ」
青年は窓から見えた大きな山を指差した。
「山⋯⋯?」
「そうだよ」
青年が手配した馬車は北東を目指していく。あそこに何があるのだろうか。
「あの⋯⋯あなたは一体——」
そう開いた鳴音の口を青年は人差し指で閉じさせる。
「そういった話は向こうに着いてから話そう」
青年は微かに口角を上げている。
「は、はひ⋯⋯っ」
鳴音は初対面の青年に心臓をバクバクと鳴らされていた。この人は魔法使いなのだろうか。
その後も車内で揺られていると馬車は長い裾野に入り、そのまま山を登っていった。
カーブが連続する山道を登っていくと山のてっぺんに辿り着く。そこには信じられない光景が広がっていた。
「すっご⋯⋯こんな所にお城なんてあったの⋯⋯?」
完全に凍っているカルデラ湖の上に立派な赤いお城があったのだ。馬車は鳴音たちを氷上に浮かぶお城の入口まで連れてきた。
「どうぞ、こちらに」
青年は停止した馬車から先に降りると、再び鳴音をエスコートする。
「きれ~!!」
お城の中には開けた空間が広がっており、長い階段が上へと伸びていた。二階はどんな風になっているのかな⋯⋯
鳴音は期待で胸を膨らませているが、別の部屋に案内された。
「⋯⋯ここは?」
「キッチンだよ」
青年は階段を上がらず鳴音を調理場に連れてくる。
その部屋は綺麗なお城の外壁や内装とは裏腹に、綺麗と言えるものではなかった。掃除が行き届いていないのか、至る所にほこりや蜘蛛の巣が張ってある。
部屋のど真ん中には横に長いテーブルと幾つもの椅子が用意されていた。
「では、こちらに」
青年は鳴音を古めかしい木の椅子に座らせた。
鳴音が椅子に腰を掛けた瞬間、鳴音のすぐ傍に猿がやってきた。猿の手には、切り込みの入った真っ赤なザクロを載せた皿がある。
「え!?」
猿は鳴音に向かって皿を突き出している。妖怪とか怪異の類だとしたらなぜ見えているのだろうか⋯⋯
「受け取ってください」
いや、猿まわしなんてものもあるし、この人が芸を覚えさせたのだろう。鳴音は猿から受け取った皿を目の前の机に置いた。
「良かったらどうぞ。とっても、美味しいので」
そう言いつつ、青年は向かい側の席に座った。
二人の間に沈黙の間が生まれる。鳴音は出された食べ物を口にすることはなかった。その辺で取ってきたような見た目で、初対面の人間から手渡された物を食すのに抵抗がある。
「⋯⋯食べないんだ」
その様子を青年は観察していた。
「まあ、いっか。⋯⋯あっ、そうだ。このお城どうだった?」
「凄く綺麗でした——」
「そうだよねっ!」
青年は身を乗り出して鳴音に顔を近づける。
「どの辺が良かった!?」
「赤くて大きくて⋯⋯こんな立派なものが山の上にあるなんて知らなかったです⋯⋯!」
赤色だったのが癪だったけど。
「だよな!! これも全部我が作ったのさ。どうだ、凄いか!?」
これまで涼しい顔をしていた青年の表情が、一転して明るくなった。
「凄いです⋯⋯!」
作ったっていうのはお金を出したってことだよね。こんな物建てられるなんて下手したらパパよりもお金持ってるんじゃないかな。
「⋯⋯いやー、君がこんないい子だったなんて我も知らなかったよ。名前、あるんでしょ? 何ていうの?」
「庚申鳴音です」
「庚申鳴音。君は、恋人とかいないの?」
「——ッ!?」
これってそういうことだよね⋯⋯
鳴音は緊張を和らげようと目の前に置かれたザクロに手を出した。初対面の人にノコノコ付いてきたんだから、これも今更だよね。
その粒を口の中に入れる。
「⋯⋯彼氏とかはいませ——あれッ」
鳴音の視界が急激に曇り始めた。
「えー⋯⋯なにこれ⋯⋯」
鳴音の頭を黒い仮面のようなものが覆い始め、止まることなく視界を奪っていく。
「だって、あの柴崎那岐って奴には恋人がいるんだもんな?」
目が完全に塞がれるその直前、青年はニヤリと笑っていた。
鳴音は頑張って仮面を外そうと引っ張ってみるが、頭に吸着しているようでびくともしない。
「——ッ!? ——ッ!!!」
声も出せなくなっていることに気がついた。手を伸ばして青年に助けを求めるが、鳴音は椅子から転げ落ちてしまう。
「はははっ! まさか、こんなに上手くいくとは」
鳴音の身体にも黒い物体が被さってくる。醜くくなった鳴音を青年は笑い散らかす。
「今度からは生きた人間を怪人にしていこう」
全身が鳴音ではない別の何かに変貌した。
「君がいい子だってのを、もっと早く教えてくれたら良かったのに」
この人が鳴音をこんな目に合わせているのだろうか。
「まあ、それも過ぎたことか⋯⋯それじゃ最初の仕事だ」
青年が手元を手繰り寄せると鳴音が起き上がる。
環境に慣れてきたのか目が少しずつ見えるようになってきた。それでも、鳴音が青年の操り人形であることに変わりはなかった。
やだやだやだッ!!
誰か助けてッ!!
ここから出してッ!!
命令に背きたいのに自分の意思で身動きができず、鳴音は青年に従わざるを得なかった。鳴音はティーカップに手を伸ばす。
鳴音の奴隷生活はここから始まった。




