【39話】消火湯
翌日、美緒と那岐は朝早くから高崎駅の在来線のホームに来ていた。カバンには昨日購入した旅行グッズが入っている。
「何か忘れてないよね!?」
「しっかりチェックしたから大丈夫だよ」
美緒たちが乗り込む電車がホームに入線する。
二人が乗車すると車両は高崎駅を出発し、新前橋までやってくると川を横断せず、そのまま北へと向かっていく。電車は利根川を遡上していき榛名山、赤城山の間を走行していく。
「わ~! きれーっ!!」
いつもは一緒くたに眺めている山たちだが、榛名山を見ている美緒は反対側の窓から見ないと赤城山を見れない。凄く新鮮な気分だ。
「山と山に挟まれてる⋯⋯これ、サンドウィッチだ!!」
「そうかもな⋯⋯?」
「赤城山⋯⋯榛名山⋯⋯あっ! アカハルサンドウィッチで売り出そうよ!!」
「名前そのまんまじゃないか?」
「それがいいんじゃん!! ——で、どうどう!? 老後にパン屋さん!」
「いいんじゃないか?」
「本当!?」
「うん。俺は横で味見してるから」
「那岐もこねてよっ!!」
電車は工場横を通っていくと次第に速度が緩やかとなり、しまいには完全に停止した。停車した車両ドアの横に付いてるボタンで開閉し、二人は渋川駅で下車する。
バスの待ち時間、ベンチに座りながらコンビニで買ったサンドウィッチを頬張る。時を置かずに、温泉街行きのバスが駅へとやってきた。
二人が乗り込んだバスは市役所通りを進み市街地を抜けると、建設中の上信自動車道を十字に通り過ぎていく。
バスはその後、長い上り坂をどんどん上っていった。後方には赤城山が広がり、バスはただただ榛名山を視界に捉えながら前進していく。
車窓からは遊園地の観覧車も見え、その更に上の牧場に停留しつつも美緒たちの目的地である『だんだん広場前』の石段街口バス停留所に到着した。
「ついた~! 伊香保っ!!」
上を見上げると先の見えない石段街が広がっている。二人は榛名山の斜面に位置する渋川市伊香保温泉へとやってきた。
「やっぱり混んでるな」
夏休みとあって温泉街は人でごった返している。
「ねっ! 早く行こ!!」
「急ぐと転ぶよ」
「わかってる! ⋯⋯だからさ、繋ご?」
美緒と那岐は手を繋いで石段を上っていく。
階段沿いには足湯や旅館の他に飲食、遊戯施設が軒並み揃っている。小間口からは石段下を流れる温泉をガラス越しに覗けた。
美味しそうなものに目移りしながらも石段を上っていくと店先にできた行列が目に入る。
「あっ! 玉こんにゃくだって!」
「食べてくか」
「うんっ!!」
列に並び、それぞれ一本ずつ玉こんにゃくを購入した。二人の持つ竹串には真ん丸とした四つのこんにゃくが刺さっている。そのまま店頭に置かれている大辛の和からしと七味をセルフでつけてから食す。
「うまっ!」
ピリ辛ながら熱々で味が染みており美味しい。
美緒は那岐の玉こんにゃくを凝視する。那岐は美緒よりも多くからしをつけていたが何ともないように食べていた。
「からし、そんなつけて辛くないの?」
「⋯⋯うん。美味いよ」
「ふ~ん⋯⋯」
那岐はバッグからペットボトルを取り出し、お茶を口にしている。
「——ちょっと足すか?」
「いいの!?」
那岐は自身の玉こんにゃくにつけたからしを、美緒のこんにゃくに分け塗る。
「では、いただきますっ!」
こんにゃくを口に入れた瞬間、さっきとは比べ物にならないほどの辛味が鼻と目を刺激する。
「辛っ!!!?」
次第には、悲しくもないのに涙が溢れてくる。
「飲みな、これ」
那岐は自身が持っていた飲みかけのペットボトルを美緒に手渡す。美緒は勢いよくお茶を飲み、からしを流し込む。
「けほっ、けほっ⋯⋯那岐、ありがと⋯⋯。こんな辛いのによく平気だったじゃん⋯⋯」
「いや、俺も十分辛かったよ」
「え⋯⋯? でも、美味しかったって——」
「そりゃ、こんにゃくは美味しかったけど、からしつけすぎちゃってさ」
「あんな平気そうな顔してたのは⋯⋯?」
「美緒にも食べさせたかったから大分我慢してた」
美緒はまんまと嵌められ、那岐のからしを代わりに食していた。
「も~!! 那岐の意地悪っ!!」
「ごめんっ」
くすっと笑う那岐を美緒は竹串を持ったままグーでポンポン叩く。
玉こんにゃくを食べ終えた一行は更に石段を上っていき、今度は揚げ物の匂いが漂うお店に入った。美緒はたこ焼き、那岐はコロッケをテイクアウトで注文し、ベンチに持ち込んで食べる。
「はぁはぁはぁ⋯⋯」
「熱かった?」
美緒は熱さで悶絶しながらも首を縦に振る。
「はは、デジャブだな」
美緒は持ち合わせていたペットボトルを飲んで流し込む。
「じゃあ⋯⋯はいっ!」
「待て!? 冷ましてから——」
美緒は熱々のまま、那岐の口にたこ焼きを入れる。
「みずぅ、みずぅ⋯⋯!!」
「ごめんごめん!」
美緒が手に持っていたペットボトルを手渡すと、那岐は勢いよく飲んだ。
出来立てで熱々だったため息を吹きかけ冷ましてから、かりかりでとろとろなたこ焼きを美味しく味わった。
お土産に茶褐色の温泉まんじゅうを購入し石段の最終地点、神社に辿り着いた。
二人は手を合わせ、参拝を終えると顔を見合わせる。
「それじゃ、行くか」
「うんっ!」
二人は温泉や旅館に向かうまでもなく、伊香保ロープウェイに乗り込み頂上を目指す。山の中には登山道も整備されていたが、体力を温存するためロープウェイを選んだ。
不如帰駅からあっという間に山頂の見晴駅に到着する。山頂駅には実物の大きな滑車が見れる覗き窓が用意されていた。この滑車がロープと共に客車を支え、てっぺんへ導く役目を担っている。
駅近くの階段を降りていくと、屋外のスケートリンクが森の中から現れた。念願のスケートデビューに美緒は胸が高鳴る。
リンクハウスで受付を済ませ、貸靴やヘルメット、肘と膝当てをレンタルした。
ジャンパーと持参した手袋を着用し、準備の整った二人は屋内リンクへ入る。例年九月からのオープンなのだが、いつもより早い夏休み期間中の解禁とあって大勢の人で賑わっていた。
今日が初スケートの美緒は恐る恐る氷に足を踏み入れる。
「お⋯⋯お、おおおお、うぎゃっ!?」
両手で手すりを掴んでいたのだが派手に転んでしまう。
「——ッ。大丈夫か?」
「うん⋯⋯ありがとう⋯⋯!」
危機一髪の所で那岐に身体を支えてもらい、おかげで頭を打つことはなかった。
美緒は那岐の腕を掴み、子鹿のように足を震わせながら立ち上がる。再び転びそうになったが那岐に手繰り寄せられ抱きつく。
唐突に美緒は背筋がぞくっとする感覚に見舞われた。一人だとまともに立ち上がれもしない。
これじゃ、あの時と同じ——
「美緒」
那岐の声で邪念が振り払われた。
「焦らなくていいからさ、ゆっくり滑ってみよ?」
頼りになって、男らしさが垣間見えた那岐に胸がときめく。
「⋯⋯うん。お願いしますね——先生っ」
「先生はやめてくれ」
甘えた声でからかうが那岐は照れくさそうに赤面していた。
「昨日は何も言ってこなかったじゃん!!」
美緒は再度チャレンジをする。
右手は手すり、左手は那岐の手を掴み、時間の流れとは逆向きに滑っていく。ペンギン歩きしかできない美緒と違って、那岐は一人前に滑走していた。
「なんで、那岐はそんな上手く滑れるの?」
「小さい時に滑ったことあるからな」
「そうなんだ⋯⋯」
「こんな久々でも滑れるんだから、美緒だってできるよ」
那岐の言葉通り、美緒は徐々にコツを掴み始め片足で滑れるまでになった。右手を手すりから離し、那岐に支えられながらスケートリンクを完走することに成功する。
リンクの二周目を終える頃には美緒も習熟し、那岐の支えなしで独りでに氷上を滑れた。
「見てみて~!! 私、滑れてる!!」
「凄いよ。美緒」
美緒は氷を蹴り上げて那岐の元へと戻って来る。
「やっぱり、美緒は上達が早いな」
「な——先生のおかげですよっ!」
「先生はやめてくれ」
「じゃあ——先輩?」
「⋯⋯もっと嫌かも」
「え~!」
だけど、ここまでできたのも、来れたのも間違いなく那岐が導いてくれたおかげだ。
「ありがとね、那岐っ!!」
美緒は満面の笑みで那岐に感謝する。
外はまだまだ暑いのに、氷に囲まれ、涼しく不思議な体験であった。屋外リンクはこれから順に解禁するみたいだから、その時はまた那岐と一緒に来たいな。
スケートを終えた二人は施設後方に広がる遊歩道を歩いていく。森の中を進んでいくと突如として空が開けた。
木々はまだまだ青々としており紅葉は始まっていないが、崖の先端から赤城山など多くの山々や街並みを見渡せる。
雲ひとつない晴天。美緒はスマホを起動し、その光景を写真に納めた。
「俺たち、どんどん赤城山に近づいていってるな」
「確かにっ!」
二人は観音山から始まり榛名山と、着実に赤城山へと足を伸ばしていた。
「あーあ。いっそのこと、ここから赤城山までロープウェイがあれば今からでも行けるのにね!」
「そんな無茶を⋯⋯。第一、バスで良くないか?」
「時間かかるし、そっちの方が空中散歩みたいで面白そうじゃん!! 是非とも星旅館さん、建設を!!」
「そしたらめちゃくちゃお金必要になるだろうし、美緒のお小遣い全没収されちゃうな」
「そんなっ!?」
美緒たちは帰りもロープウェイに乗り、予約していた旅館に向かう。
石段を下り、脇道を進んでいくと、昔ながらの大きくて立派な建物が忽然と現れる。その有り様は童話の世界に入り込んだかのようであった。
案内された客室は大正から続く歴史ある和室で、畳の良い匂いが部屋中に広がっている。
二人はさっそく浴衣に着替え始めた。美緒は浴衣を羽織ると、衣の左側を先に身体に当ててから帯を締める。
着替えを終え、美緒と那岐は客室を出て温泉へと向かう。
「ふ~っ」
黄金の湯の貸切風呂に那岐と二人で入る。那岐の膝の上に乗りながら源泉百パーセントのかけ流しを堪能し、戦いの疲れを癒やす。
「那岐ぃー⋯⋯気持ちいいねっ」
「そうだなー⋯⋯」
客室と同様にここからも山々の絶景を眺められ、好きな人と一緒に温泉を楽しんだ。
その後は客室でお菓子を食べたり、ケーブルテレビを見ながら那岐と共にゆったりしていると夕食の時間になった。
「美味しそう~!!」
夕食はお部屋食で五目押し寿司、赤城牛のすき焼き鍋、赤鳥賊、フルーツの盛り合わせなど多岐にわたる豪勢な食事が二人の元に運ばれてくる。
「ん~!」
ご飯を平らげた美緒は敷いてもらった布団に寝転び、猫のように背を伸ばす。
「お腹いっぱいになったから眠いだろ。起こすから少し寝るか?」
「寝ないっ!! 起きてるっ!!」
ふと窓の方を見ると、和紙を挟んだ向こう側が赤く焼け始めていた。
美緒は障子を開いて夕景色を眺める。
「——そうだ! 夜の街、歩いてみない?」
浴衣を着たまま美緒と那岐は石段へと舞い戻ってきた。二人に気持ちの良い夜風が当たる。
「きれーっ!!」
「なんだか、お祭りに来たみたいだな」
空は真っ暗だというのに温泉街は煌びやかに光輝いている。昼間とは違う、日の沈んだ伊香保は別の顔を持っていた。
石段を多くの人が行き来しており、美緒たちも流れに沿って上っていく。
さっきご飯を食べたばかりだというのに、通行人が持っているデザートや飲食店の幟による誘惑が美緒に襲いかかる。
「あっちも、こっちも⋯⋯美味しそうなものありすぎ!! ⋯⋯でも、こんなに食べたらお腹やばいかな?」
「せっかく来たんだし我慢したらもったいないよ」
「そうだよね⋯⋯! 食べなきゃもったいないよね!!」
美緒の買い食い伊香保、夜の部がスタートする。
まず始めにだるまの最中がのったソフトクリームを食べ、その次はストロベリーがのった聖火のようなクレープを購入する。食べてる途中でお腹がいっぱいになってきたが、那岐に手伝ってもらい最後まで美味しく完食できた。
「ふ~っ。食べた食べた!」
別腹もいっぱいになった美緒は那岐と共に、階段道中の足湯で一休みをする。
「⋯⋯そうだ、美緒」
「ん?」
「浴衣反対じゃないか?」
「え、そうなの?」
「右が前だったはず」
「あれ、そうだっけ⋯⋯?」
美緒は急いでスマホの写真フォルダを確認する。
美緒が自撮りをし、伊吹と花織と那岐の四人で撮った夏祭りの写真には左前で浴衣を着ている写真が残っていた。
「那岐~! こっちであってるじゃん!」
「あれ? 本当だ⋯⋯ごめん、何か勘違いしてたよ」
「も~!! 那岐、しっかりしてよねっ!」
美緒は夏祭りでの出来事を思い出す。
「あとね、こっちであってるって女の人が言ってたから大丈夫だよ!」
「女の人⋯⋯?」
「そうっ! 夏祭りの後トイレの中であたふたしてたら、横の個室から女の人の声が聞こえて親切に教えてくれたんだ! 最後にお礼言おうと思ったけど、故障中の張り紙が張ってあるだけで誰もいなかったんだけどねっ」
「それって⋯⋯幽霊じゃないのか?」
「え~? まさかー!」
美緒たちは足湯から上がり旅館へと帰る。




