【38話】にゃんにゃん
美緒は朝から美容室に来ていた。
「美緒ちゃーん! 今日はどうする?」
美容師が美緒の背後に立ち、髪をかきあげながらそう尋ねた。
「いつもの——白乃さんのが好きなんで、それで!」
「了解!! じゃ、バッってかわいく仕上げちゃうね!」
大人なお姉さんの風貌を持ち合わせた剣崎白乃は、手際よく作業を進めていく。あっという間にシャンプーを終えて、カットに入った。
美緒と世間話をしつつ、白乃は器用に施術を行っていく。
「それで——どう? 例の子とは上手く行ってるの?」
「それがー⋯⋯」
美緒が顔を赤らめているのが鏡に映ると、白乃は目を見開き作業を中断する。
「まさか⋯⋯!?」
「付き合うことになりました!!」
「きゃあー!!! おめでとう!!!」
「ありがとうございます!!」
白乃は美緒の手を取り、自分のことのように喜んでくれた。
再度、髪を洗い流してもらい、ヘアカラーは根本から毛先まで髪全体をフルカラーで染め直してもらう。
「⋯⋯⋯⋯ってな感じで、お祭りの時に告白したんです」
「ロマンチック!! 凄くドキドキしたんじゃないの?」
「しました⋯⋯! あの時の那岐も同じ気持ちだったのかなって——」
「言ってたよね、彼の告白をお断りしたって。今日も美緒ちゃんが杖なしで歩いてるのみて私びっくりしちゃったし、何か心境の変化があったの?」
「⋯⋯前までの自分だったら、絶対那岐と付き合うつもりなかったんです。一人でまともに歩けもしない私は那岐の人生にとって邪魔でしかない。彼を好いている人は他にもいるから、私じゃない別の誰かと人生を共にした方がいいんじゃないかって⋯⋯」
美緒は那岐と手を取り合って幾度も戦ってきた出来事を振り返る。
「でも、ここ一ヶ月いろんなことがあって気づいたんです」
その思い出の中で那岐は一度たりとも美緒を見捨てることなんてしなかった。
「何があっても助けてくれて、どんな姿になっても那岐は私のことを支えてくれるって⋯⋯!」
「那岐くんは⋯⋯美緒ちゃんにとっての白馬の王子様なんだね」
「はいっ!! かっこいい王子様です!!」
童話少女になってから浅間美緒の人生は劇的に変化した。それも、昔から今の今までずっと傍にいてくれた那岐のおかげで良い方向に変わっていったんだと思う。
美緒は染め終わるのを待つ間、出してもらったドリンクをストローで吸いつつスマホを開く。写真フォルダには伊吹と花織の撮った写真の他にも那岐との写真がたくさんあった。
那岐は今、どこで何してるのかな⋯⋯
「ラブラブじゃ~ん!」
「わぁっ!?」
「勝手に覗いちゃってごめんね!! 時間になったからこれ取っていくよ!」
白乃は頭に巻いてあるラップを剥がしていく。
そして、カラー剤を流し落とし、濡れた髪のまま椅子に座らせられる。
「今日は予定あるの?」
「この後デートなんです!」
「よーし、それならセットも完璧にするからね! 気合入れるぞー!」
ドライヤーで髪が乾くと綺麗に色がのったのが確認できた。
「お団子にしようと思うんだけど、どうかな?」
「はいっ! お願いします!」
白乃はアイロンを駆使しヘアセットを行っていく。白乃の眼差しは真剣でありながらも温かい優しさを感じた。
「⋯⋯よしっ! できたよ!」
後頭部、長い髪が丸く編まれうなじを出すシニヨンになっている美緒の髪型が、白乃の持つ鏡に映る。こんなにおしゃれして、お姫様にでもなったような気分だ。
「わー!! かわいい!! 白乃さん凄いですっ!!」
「ありがとう!」
その顔は笑みを湛えていた。
「妹も髪結んであげるとすごく喜んでくれてね⋯⋯」
「白乃さん、妹さんいらっしゃったんですね!?」
「そうなの——」
髪結んであげたり、白乃さんは妹さんと仲良しなんだな。
鏡越しに白乃が涙ぐんでいるのがわかった。
「えっ!? ど、どうしたんですか!?」
美緒は思わず立ち上がる。
「ごめんね⋯⋯!」
白乃は出かけていた涙をハンカチで拭いながらも口を開く。
「私も最近、好転って言ったら良いのかな⋯⋯心のモヤモヤがなくなってね。美緒ちゃんにも良いことがあって良かったな——」
その声は泣き濡れていた。
「私も頑張るからさ⋯⋯美緒ちゃんも一緒に頑張っていこ?」
「⋯⋯はいっ!」
その涙がなんなのか美緒にはわからない。
でも、熊の魔獣で美緒が流した涙とは違う——助けが必要な落涙ではないと感じた。
だから⋯⋯きっと⋯⋯大丈夫⋯⋯
完璧にセットを終えた美緒は美容室からカフェへと向かう。待ち合わせまでは時間があったため、コーヒーを飲み物思いに更けながら時間を潰す。
「那岐。綺麗だって褒めてくれるかなー⋯⋯」
待ち合わせ時間、先に集合場所にいたのは那岐であった。駅前、温度計横のベンチに座っている。
美緒は物陰に隠れ、手鏡で前髪を確認してから駆け寄った。
「那岐ー!! おまたせ~!」
「おぉ! ——ってあれ、何か艶がある⋯⋯?」
「わかるー? 美容室行ってきたんだー!」
美緒は自身の髪の上に那岐の手を載せる。
「おー、これが出来たてほやほやの髪か⋯⋯」
「どうどう!? 綺麗?」
「⋯⋯かわいい」
「えー! 綺麗じゃないの!?」
二人は取り敢えずお昼にするため、駅中のうどん屋さんへとやってきた。
「お待たせしました」
水沢うどんが二つ運ばれてきた。トレーの上にはうどんの他につけだれと天ぷらが載っている。
真っ白でコシと弾力がある茹でたての冷たい麺を勢いよく啜っていく。
「ん~! おいしっ!」
舞茸の天ぷらと共に美味しく堪能した。
うどんを食べ終わった美緒と那岐は服や雑貨を見つつも、目的の品を物色する。
タオル、歯ブラシ、ゴム、除菌シート、ティッシュ、汗拭きシート、冷却スプレー、念の為の紙を新調した。
「⋯⋯これで大丈夫かね?」
「うん。一通り買えたと思うよ」
「⋯⋯あ、先生っ! お菓子買ってもいいですか?」
「百円までね」
「少なっ!? 駄菓子しか買えないよ!!」
スーパーで袋たんまりお菓子を買い終え、二人はレジ袋を引き下げて美緒宅へ向かう。
「ただいま~!」
「お邪魔します」
那岐を美緒の部屋に招く。父と母は外出中で家には那岐と二人っきりだ。
テーブルの上には美緒が注いできたオレンジジュースの入っているグラスが二つ置かれている。氷でキンキンだ。
「いや~外熱かったね!」
美緒はすぐさまエアコンを付ける。レジ袋を床に転がし、二人は息をつく。
そして、しばしの沈黙が訪れた。部屋にはエアコンの稼働音だけが響き渡る。
美緒は気づけば那岐の傍に近寄っていた。
「那岐⋯⋯」
那岐に抱きつき顔を見合わせる。少し動けば唇が触れ合う、そんな距離まで顔が接近する。
「——ゲームでもしないか?」
「う、うん⋯⋯」
まだ完全に冷え切っていない室内。美緒は熱さで頭がやられていたのかもしれない。ジュースを一口飲んで気持ちを落ち着かせた。
二人はベッドに腰掛け、ガールズガイストをプレイする。ブランクのある二人であったがすぐさま感覚を取り戻す美緒とは裏腹に、那岐は苦戦していた。
「ああ⋯⋯死んじゃった」
「那岐ぃ~! 下手くそになってない?」
那岐のプレイしていたキャラは命を落としたがすぐに復活を遂げる。
「これだけ久々だと、全然できなくなるもんなんだな⋯⋯」
「ふんっ! ならば、この美緒様が直々に教えて進ぜよう!」
「あっ、ちょ、ま——」
美緒は那岐とゲーム機の間にできた腕の輪っかに入り込み、コアラのように抱きつく。
「これだと美緒からは画面見えないし、教えられないだろ⋯⋯?」
「右行って、右っ!」
「何でわかるんだ!? ⋯⋯後ろに目ついてる?」
「音でわかるからね!」
那岐はその後もゲームを進める。
絶対に変えられない未来を変えようと、今も奮闘中だ。
「こう⋯⋯リアルで動ければもっと上手くできるんだけどな⋯⋯」
「あははっ! それじゃ、ゲームの意味ないじゃん!!」
かっこよくて真剣な眼差し。美緒はゲームより目の前の那岐に夢中であった。
「⋯⋯美緒」
「ん?」
「暑くないのか?」
「暑いっ!」
「じゃあ、離れろよ!」
「やだ!!」
グラスに入っていたオレンジジュースが空っぽになる。
「⋯⋯何か、本当に夢みたい」
「何がだ?」
「こうやってさ、会話ができて、身体に触れられて⋯⋯本当に夢じゃないよね?」
「⋯⋯美緒はさ、将来のこと決めてるのか?」
「めちゃくちゃ現実見せてくるじゃん!!」
「美緒が聞いてきたんだからな。夢かどうか」
「それにしたってだよ⋯⋯! ほっぺ引っ張るとか、いろいろあるじゃん!!」
「でも、もう高二の夏も終わるしさ、そろそろ考える時期なんじゃないか?」
「それはそうだけどさ⋯⋯!」
「何かやりたいことないのか?」
「う~ん⋯⋯こんな長生きできるとは思ってなかったからなー⋯⋯。私、何になりたいんだろ」
「NNLCとかいいんじゃないか?」
「にゃんにゃんかー⋯⋯恩があるし、そこもいいんだけどね」
叶うはずもないと思っていた美緒の望んでいた世界。未来のことはわからないけど⋯⋯こんなに辛い思いをしたんだから、最後はハッピーエンドだよね?
「——というか、那岐はどうなの? 将来」
「俺は進学してから——」
「違う!!」
美緒はベッドに那岐を押し倒す。
「え?」
「私との⋯⋯」
「⋯⋯当然、考えてるよ」
「本当?」
「本当」
「じゃあさ⋯⋯ちゅーしてもいい?」
那岐が頷いたのを見て、美緒たちは唇を重ね合う。
「⋯⋯ッ」
呼吸をするため美緒が口を離すと、仰向けになっている那岐と目が合う。
那岐は美緒の耳元まで手を伸ばし、耳と髪を同時に触れる。
「綺麗だよ」
それはそれは嬉しく、美緒は重力に身を任せて那岐に覆いかぶさる。那岐の硬い腹筋はびくともしない。
愛し合っている二人を引き裂く邪魔者はもういない。
「大好き」
「俺もだよ」
美緒は自身のカップを那岐の手に触れさせる。
「ん⋯⋯ッ」
「美緒⋯⋯」
グラスには溶け切っていない氷しか残っておらず、こをろこをろと氷同士がぶつかり音を発している。




