【37話】榛名富士
水面に浮かぶ真っ白な鳥は鶴ではなく、鷺であった。スワンボートと見間違える程の大きさもない。
すぐ横をボートが通るが鷺は人から逃げず、ただただ水面に揺られるばかりだ。
「あれは⋯⋯魔獣?」
「絶対そうっ! ねぇねぇ、近づいてみない?」
「危なくないか? またあの時みたいに——」
「だいじょぶだいじょぶ!! いざとなったら倒しちゃえばいいんだしっ!」
【変身呪文】
念の為、美緒はボートを漕ぐ前に変身した。前の孔雀の時みたいに閉じ込められる可能性もあったが、すぐ逃げれば大丈夫だろう。
美緒がボートを漕ぎ、鷺のすぐ近くまでやってきた。
「全然、逃げないね」
美緒たちが近づいても鷺は飛び立つ気がないようだ。
その時だった。
暑い日差しを受けていた二人の視界の端から、段々と太陽の光が消えて真っ暗となる。屋外にいるはずなのにひとつずつ照明が消えていくように暗転していった。
「なになにっ!!!?」
美緒はボートの上であたふたしている。確実に鷺の仕業であることは明確であったため、ステッキを構える。
だが、先ほど見かけた鷺は姿を消しており、代わりに水面上には鬼火が漂っている。暗闇の中、鬼火は青光り、あっという間に数を増すと五つの炎が二人のボートの周りを取り囲んだ。
「囲まれてる!?」
「うっそ!!!?」
【攻撃呪文】
美緒は魔獣を一体ずつ処理するため、炎球を魔獣の火に直撃させた。
しかし、美緒の攻撃が当たったはずの鬼火は少しばかり揺らめくだけで消火することはできない。
「どうやって倒せば——」
突如として美緒の視界が揺れる。美緒は次弾を打つこともできずボートに倒れ込んだ。
「美緒ッ!?」
那岐が身体を揺すっても美緒は目を覚まさない。美緒も自分の意思で身体を動かせない、まずい状況になる。
魔獣たちは魔法を使う美緒を目の敵にして、一目散に精気を吸い取った。美緒は死んでいるわけではないようだが、まったく意識が戻らない。
鬼火は更に数を増やし、徐々に二人の元へと近づいてくる。
「くっ——」
一人真っ暗な湖の上に取り残された那岐は思考を巡らせている。その間にも魔獣たちはボートに近づく。
「一か八か⋯⋯!」
那岐はボートを漕いでいたオールを手に取る。
「おりゃーッ!!!」
そして、湖の水を掬って魔獣にかけた。那岐の攻撃は効き、鬼火は消火される。
真っ暗になっていた空にも再び、暑い太陽の日差しが戻ってきた。
「ふー⋯⋯」
安堵で那岐はボートに座り込む。
魔獣がいなくなり、美緒は意識が戻るやいなや那岐に飛びついた。
「ありがとう!! 那岐っ!!」
「——良かったよ。どうなることかと思って⋯⋯」
「ごめんね、那岐⋯⋯危険なことに巻き込んで⋯⋯」
「いいんだよ。悪いのは美緒じゃなくて魔獣なんだから」
怖かったのは那岐も同じはずなのに頭を撫でてくれる。
「でも、今度から魔獣に近づく時は気をつけような」
「うん⋯⋯!」
湖の真ん中、二人はボートに揺られながら抱き合う。
那岐のおかげで魔獣を追い払うことに成功したのだが、どこを探しても鷺の死骸は見つからなかった。
二人はボートを返却して東側の公園エリアを目指す。
湖の畔は植えられている木々が涼しい日陰を作り出し、気持ちの良い風が入ってきた。車道をヒルクライムの練習だろうか、スポーツバイクが通り過ぎていく。
東側のエリアには公園と登山口、ビジターセンター、テニスコート、ゴーカートが営業していたり、西側同様ボート乗り場が整備されている。
二人はトイレを借りがてらビジターセンターを訪れた。施設内には多くの展示物が飾られており、地質や生態系を学べる資料、県道33号のメロディーラインを紹介する案内もある。端から展示を見ていくと榛名山の生い立ちも紹介されており活火山であることが伺える。
美緒は壁にかけられている資料を指差す。
「見てみて、これ!!」
そこには、カルデラ湖である榛名湖が描かれている地図に、噴火した時の推定火口の位置が記されていた。
「さっきの魔獣が出たのもこの辺じゃないか⋯⋯?」
「そうっ! すっごい偶然じゃない!?」
「こんな偶然あるんだな⋯⋯」
展示を見終えた美緒たちはビジターセンターを後にする。施設付近にはキャンプ場があり、たくさんのテントが並ぶキャンプ村を形成している。ここでは乗馬体験もできるようで、係員さんに手綱を握られた馬に乗る子供の姿があった。
そのまま歩いていくと、山肌に沿うよう、宙に浮いた赤いゴンドラが見えてくる。二人は今いる地点よりも更に高い所にある山、榛名富士の山頂に行くためロープウェイ駅へとやってきた。
ゴンドラはさっき上へいってしまったため、次の便はしばらく時間がかかるようだ。その待ち時間で美緒と那岐は絵馬を購入して筆を走らせる。
「何、書こうかな~。那岐は決まった?」
「うん。俺はこれで」
「はやっ!」
そうこうしているうちに、二連に連なった赤いゴンドラが頂上から降りてきた。二人が乗り込み出発すると、ゴンドラは思った以上に速く動き揺れるため、手すりを掴んでガラス窓から景色を眺める。
中間の辺りまで来ると、さっきまでいたロープウェイ駅の建物はすっかり遠く、小さく見えた。飛んで見た時とはまた違った感覚で一面に広がる榛名湖を一望できる。水面には富士山に似た綺麗な円錐形の榛名富士が映っていた。
ゴンドラはあっという間に頂上についた。山上は標高が高いため夏の暑い日差しを感じないほど涼しく、高崎や前橋の街の景色を眺めることができる。
ロープウェイを降りた先には神社までの道が整備されており、美緒たちはそのまま道順に沿って進む。
石段を登っていくと鳥居が見え、その先に赤と白の色をしたお宮がある。美緒と那岐は交互に鈴を鳴らして参拝を行った。
山の中には今でこそ登山道が整備されているが、ロープウェイができる前は険しい山を登って、頂にある神社に参拝していたのだろうか。そう思いを馳せる。
二人は参拝をした後、持ってきた絵馬をお宮の横にある絵馬掛けに結びつける。
富士山神社と書かれた祠から続いてきた信仰は時代を変えた現代も続いており、縁結びや安産祈願を願う多くの男女が祈りに来ている。
『那岐とずっと一緒に、幸せに過ごせますように。——浅間美緒』
『二人共無病息災でいられますように。——柴崎那岐』
そう綴られ、並べくくりつけられた絵馬はそよ風に揺れる。
「そろそろ旅館に戻ろうか」
「温泉楽しみ~!」
美緒の耳にカップルの話し声が聞こえてきた。
「どこの温泉かね? 草津?」
「ここからなら伊香保じゃないか?」
「お~伊香保っ!! 御名答!!」
「いや、正解かはわかんないけどな」
「私も入りたくなってきた! ⋯⋯今日、行っちゃう?」
「流石に日も暮れ始めるだろうし、また今度にしよう」
「え~⋯⋯。じゃあ、いついつ?」
「来週とか?」
「夏休み終わっちゃうよっ!! 明日は私、あれでダメだし⋯⋯明後日とかは!?」
「⋯⋯わかった。それじゃ、準備しなくちゃな」
「やったっ!!」
往復のチケットを買っていたので帰りもロープウェイで戻る。榛名山を堪能し終えた二人はヘトヘトになりながら帰りの高崎榛名湖線のバスに乗り込む。
バスは段々とカルデラ湖から離れていき、急カーブに沿って山を下っていく。心地の良い運転と疲労も合わさって美緒の瞼は今にも閉じかける。
そんな眠りに半分入っていた美緒であったが、窓の外から得体のしれない飛行物体が視界に入り、目がかっぴらく。人が木の上を榛名湖の方角へと飛んでいった。
見覚えのあった横顔は童話少女ではなく雀怪人であった。美緒のことを幾度もなく殺してきた怪人と同一人物。
「なんでこんな所に⋯⋯」
【変身呪文】
美緒はすぐに変身したのだが、それを見た那岐は目を丸くしていた。
「どうした!?」
「いたの!! 怪人がッ!! ——私、すぐ追いかけるから代わりにお金払っておいてっ!!」
【攻撃呪文】
美緒は走行中のバスの窓ガラスを粉砕して突き破る。
「お客さん!?」
その衝撃でバスが急停車する。美緒の耳には車内のどよめき、運転士の呼び止めが入ってきたが応じず、そのまま怪人の後を追いかけた。
外へ飛び出した美緒はすぐさま怪人の捜索を始める。
「おかしいな。この辺、飛んでたんだけど⋯⋯」
木々の上を飛びながら周辺を見渡すがどこにも怪人の姿が見えず、榛名湖側にもそれっぽい人影はない。
その時だった。
「——ッ!!」
美緒は間一髪で和鋏を避けきる。足元から飛んできた和鋏は、美緒を狙っていたのが明らかであった。
あいつはこの森の中にいる。
でも、あまりに木が生い茂っているからここからじゃ見つけられない。
美緒がすぐさま下へ降下すると、樹々の影に潜んでいた怪人と目が合う。
「残念、死んでなかったか」
怪人の元に和鋏が戻っていく。
【攻撃呪文】
キャディ目掛けて炎球を放つが、避けられる。それと同時に怪人も攻撃を仕掛けてきた。
怪人が投げ飛ばしてきた鋭利な和鋏は、木々をなぎ倒しながらも美緒の方に向かってくる。
「クソ共——一体、ここで何してんだ。宣戦布告か?」
「そんなんじゃない⋯⋯! ただ魔獣を倒してただけだから!!」
「ああ⋯⋯お前らの仕業か」
【攻撃呪文】
美緒も攻撃を続けるが、キャディは慣れた動きで間隔の狭い木々の間を動き回っている。
美緒の放った炎球は木に直撃し、根本を残して横に倒れた。その際、飛び散った火の粉が樹木に飛び火し、山火事が発生する。
「道理で今日の流れが少なかったわけだ」
キャディはいとも容易く森の中を駆け巡っているが、美緒にはそれが難しく、樹木に阻まれ身動きが取りにくい。
手入れの入った登山道とは違って、ここは木が雑多に生えた森林だ。こうも森の中だと戦闘に不向きすぎる。
「今、ここで死ねッ!!」
キャディが飛びかかってくる。
【防御呪文】
もっと炎球の軌道を変えるのに注力したいのだが、怪人の攻撃に対処せざるを得ない。
「く⋯⋯ッ」
「そしたら、お前も向こうまで流してやっからよ!!」
発生した火災は美緒と怪人を起点として、森を焼き尽くしていく。辺りには焼け焦げた匂いや雪のように灰が舞い散る。
「美緒ーッ!!!」
遠くから那岐の声が聞こえたが、燃え盛る炎とその熱気で美緒の元へと近づけないみたいだ。
美緒が後ろを見ず、バックステップで和鋏を避け続けていたその矢先、硬い幹に衝突する。
「ガッ!?」
その隙に和鋏が向かってきて右腹を貫く。
「うぐぅ⋯⋯ッ」
死にはしなかったが出血と痛みが強烈に襲いかかり、敵の目の前だというのに思わず膝をついてしまう。幸いにも傷は浅く意識はあるのだが、半端に生き残ってしまったことで美緒は生殺し状態であった。
美緒は手を震わせながらもステッキを怪人に向ける。
「ほら、どうした。やってみろよ!!」
「く——ッ」
怪人は美緒の目の前から一切退く気配はなかった。
美緒は血を吐き、一発も魔法を放てず地面に倒れ込む。その拍子に、土の上に覆いかぶさっていた灰が宙に舞い散った。
美緒はステッキを握ることさえ叶わない。呼吸器官に入り込んだ低濃度の一酸化炭素が美緒の身体を蝕んでいく。
「ハハハッ!! もう、終わり? ダッセーの!!」
キャディは美緒が倒れている様をまじまじと凝視し煽り散らかす。辺りは美緒の魔法が引火したことで、戦闘を始める前に広がっていた鮮やかな緑の樹木は燃え尽きてしまった。
森が灰色に染め上がっている異質な光景となっている。
「まあ、いいさ。こうして無様な姿が見れたんだから」
「美緒ッ!!!」
火が収まり、ようやく近づけるようになると那岐が怪人に飛びかかった。
だが、攻撃を見透かしていた怪人は飛んで回避する。
「お前⋯⋯ッ」
「まだ、やる気~? めんどくさ。——あっ! 決めた!! ⋯⋯でも、これとこれは残しておきたいし⋯⋯じゃ、これかな!!」
怪人は悩み込んだ末、懐から大きなつづらを取り出す。その中から一匹の狸の魔獣を取り出した。
「二回戦目はこれでーす!! それじゃ、またね~。二度とこんな所に来んなよー」
怪人は美緒にとどめを刺すこともなく、満足して飛び去ってしまった。
大きなつづらから現れた魔獣は那岐より大分小さく、何もアクションを起こしてこない。遂には大きな猫の那岐を見て物怖じしたのか、猛ダッシュで逃げてしまう。
「待てッ!!」
那岐は懸命にその後を追いかける。
美緒の意識が戻った。
【支援呪文】
美緒は煙にむせながらも回復を行う。一酸化炭素と貧血でクラクラしていたのだが、出血していた右腹が魔法で治っていく。
まだ、少しばかりの気持ち悪さはあったのだが魔獣を倒さなければいけないため那岐の元へと急ぐ。
「美緒、良かった⋯⋯!」
那岐に沈んだ表情を見せないためにも両腕に力こぶを作る。
「美緒、元気いっぱいに復活っ!! ⋯⋯狸はどこ行ったの?」
「ごめん——この辺で見失っちゃって⋯⋯」
「ううんっ! きっと、まだ近くにいるよ! 一緒に探そっ!!」
美緒たちは灰まみれとなった山の中を探していく。焼け落ちた樹木たちは硬い根本付近の幹だけを黒く焦げ残し、その他は地面に折れ倒れていた。
二人は木の裏、大きな石をひっくり返しながら探し続けるが魔獣は見つからない。
「おーい、狸。出てこーい!」
「⋯⋯」
当然ながら狸が返事をするわけもなかった。
辺りを隈なく探し回っているうちに、焼け野原となっていた森も元通りに戻っていく。周囲に緑が戻って来る。
このまま見逃しても良かったのだが、怪人にやられっぱなしにされた腹いせをしたかった。
美緒は視野を広げ、近辺を俯瞰して見ているとある違和感が目に入る。
「⋯⋯ん?」
一本だけ木が焼け焦げたままであった。山は元通りに戻ったはずなのに。
美緒と那岐は顔を見合わせる。
「まさかね——」
【攻撃呪文】
美緒は焼け焦げた幹の根本当たりを狙って炎球を放つ。
すると、どうだろうか。既に燃え尽きた後だというのに、木がカチカチと音を出しながら燃え始める。
木からは狸の泣き声も聞こえてくるのだが、周囲を二人が取り囲んでいるためかまったく姿を現さない。
灰が舞い散ると狸の死骸が出てきた。
なんともあっけない戦いの終わりに、美緒と那岐は大きく笑いあった。




