【36話】熱暴走
カフェから出ると回収業者の人たちが到着しており、既に作業を進めている。川辺でピクニックをしている人たちもいるのだが、烏川に広がる死骸の山は極めて異様であった。
那岐は店先で巨大な猫に変身する。
「いつでも大丈夫だよ」
「じゃ、お願いしまーす!!」
美緒が跨ったことを確認すると、那岐は烏川上流に向けて走り出した。
「ひやぁぁぁー!」
「大丈夫か!?」
「だいじょぶだいじょぶ!!」
あまりの気持ちの良さに声が出てしまった。オープンカーに乗っているかのように全身で風を受ける。那岐は颯爽と土手を降り、広場の芝生を駆けて行く。
「凄い!! 凄いよ那岐!!」
那岐は軽快に小川も飛び越えてしまった。
だが、飛び越えた先、先程の小川よりもおおきな川が現れると那岐は急ブレーキをかける。
「どうしたの? 那岐」
「流石にこれは無理そうかもな⋯⋯」
確かに川幅は広く、更に美緒を乗せている状態で飛び越すのは難しそうであった。
「大人しく遠回りしよう」
二人仲良くずぶ濡れルートを回避するには左からバイパスを回り込むことになる。
「う~ん⋯⋯⋯⋯」
だが、美緒はそんな順風満帆の道に不満であった。
「そうだ⋯⋯! 那岐、良い案があるよ!!」
「本当か!?」
「うん! 助走つけてそのまま飛び越えて!」
「マジ⋯⋯か?」
「マジマジ!! 那岐がジャンプしたら私が抱えて向こう岸まで運ぶ!」
「おー! それなら上手くいきそうだ!」
「でしょでしょ?」
那岐は小川がある所、その限界まで下がり助走を取る。
「じゃあ、後は任せた!」
「はいよ!」
那岐はスピードを出し、全速力で川に向かっていく。美緒は振り落とされないようにしがみついている。
そして、陸地ギリギリで那岐は地面を蹴り上げた。
美緒と那岐は空中に浮いている。
その瞬間を見計らって那岐のお腹に手を回した。美緒の手には那岐の白くて柔らかい腹部の感触が伝わる。
「お腹ッ!!!?」
美緒は仰け反り体勢を崩すとそのまま川に落水する。那岐は上手く向こう岸に着地できていた。
「美緒ッ!!!」
濡れることを回避できていた那岐であったが、躊躇うことなく変身を解いて川に飛び込む。
那岐に救出されて、美緒はむせながらもなんとか岸へと上がることができる。美緒と那岐は互いにびしょ濡れとなってしまった。
「ごめんね⋯⋯那岐」
「美緒になんともなくて良かったよ。——でも、突然どうしたんだ? 急に飛べなくなったとか?」
「ち、違くて⋯⋯」
那岐は服が濡れたため上着を脱ぎ、外気に引き締まった身体を晒す。
「どげらッ!?!?」
「え?」
「何で脱ぐの!?」
「いや、濡れたまんまなの流石に気持ち悪くて」
「こんな公衆の面前で⋯⋯!」
世の女子たちがこの光景を見たらみんな那岐に惚れちゃうよ。美緒の脳内では増殖した桜ももが迫りくる光景が思い浮かぶ。
「え? あそこのおじさんも脱いでるし——」
那岐は土手に座り、上半身を脱いで釣りをしている人を指差す。
「おじさんはいいの!!」
美緒は那岐の手を引っ張って日陰となっている道路橋梁下に連れ込む。ここなら人通りも少なく安心だ。
「絞るのなら私がやってあげるからっ!!」
美緒は那岐から強引に上着をひったくる。
「そうか⋯⋯ありがとな、美緒」
服を絞っている間、那岐はじっと美緒のことを見てきている。美緒は目のやり場がなくそっぽを向く。早く絞って隠さないと⋯⋯
「——美緒。今日どうしたんだ?」
「へ?」
「何か、いつもと比べておかしいし——熱でもあるんじゃないか?」
那岐が背を向けていた美緒の元へと近づいてくる。
「ちょ、まっ!?」
「熱は⋯⋯なさそう?」
那岐のおでこと美緒のおでこが密着する。
「ぴぃぃやあああ」
目の前には那岐の顔があるし、かといって下を見れば鍛え上げられた那岐のお腹を見ることになる。目のやり場に困った美緒はオーバーヒートを起こした。
「あれ? 熱いな⋯⋯やっぱり風邪か?」
「風邪じゃない!! 大丈夫だから⋯⋯! はいこれっ!!」
美緒は水を絞りきった服を返す。
「ああ、ありがと」
那岐は手渡された服をすぐに着た。
「ふぅ~っ」
美緒は那岐の手を取る。
「それじゃ、行こ〜!! れっつごーっ!!」
「⋯⋯美緒」
美緒の身体が太陽に当たった所で那岐が歩みを止める。
「ごめん——俺が何かしちゃったか⋯⋯?」
「ううん。那岐は何も悪くないんだよ」
「だったら理由を教えてほしいなって」
「⋯⋯無理なの」
「え?」
「那岐の腹筋見るのが無理なの!!」
美緒は言葉にしてしまった恥ずかしさで、声にならない鳴き声を出しながらしゃがみ込む。
「無理って⋯⋯俺のお腹が? なんで?」
「そうっ!! そんな鍛えてるのも知らなかったし、こんなかっこいいならまた、ももちゃんみたいに那岐が言い寄られちゃう!!」
「この前プール行った時は何にも言ってこなかったじゃないか」
「あの時は、まだ付き合ってなかったし⋯⋯」
「わかった。美緒が嫌なら止めるよ」
「それは⋯⋯嫌!! 止めないで!!」
「どっちなんだ⋯⋯?」
「んー⋯⋯私もわかんない!!」
こんな気持ちになるなんておかしいのかな。
「そっか⋯⋯それはそうと、美緒は服絞らなくていいのか? 風邪引くよ」
「あ、確かに!」
美緒は服の衿を掴み、服を上へ引っ張り上げ下着が外に露出する。
那岐が美緒の手を抑えて服を脱ぐのを止めにきた。
「わあ!? なにするんだ!!」
「⋯⋯美緒の気持ち、わかったかもしれない」
「本当っ!?」
二人は土手に座り服が完全に乾くまでの間、話の続きをおこなう。
「那岐って昔から筋トレしてたの?」
「うん」
「知らなかった!?」
那岐の家に行く機会もなかったし知らなくて当然なのかもしれない。
「⋯⋯でも、前からそんなに引き締まってたっけ?」
「最近は特に力入れてたからここに表れたのかな」
「なんでまた急に?」
「それぐらいしかやれることがなかったから」
「え⋯⋯?」
「俺は美緒みたいに魔法を使えるわけじゃないからさ、身体だけでも鍛えようと思って」
「那岐——」
「それでちょっとでも強くなれたらな——って、え?」
「ありがとう⋯⋯那岐っ!」
美緒は涙ぐみながらも那岐に抱きついた。
「そんなことまで考えててくれてたなんて⋯⋯私、知らなかった!! 何で教えてくれなかったの!?」
「俺も言うつもりはなかったし、それでいいんだよ」
「え~! さみしいよっ!!」
全部思っていることを吐き出せ、処理落ちしそうなほど熱くなっていた美緒の頭がだんだんと冷めていく。
「ねえねえ! 触ってもいい?」
「いいけど」
「やった~!」
美緒は捲り上げてくれたシャツの下から現れた腹筋を人差し指で突く。
「あっ。かった~!!」
目の前の道路を自転車や通行人が通ろうと、美緒は気にせず筋肉を堪能する。自分にはない筋肉質な男の人の身体に美緒は興味津々であった。
「うりゃうりゃ!」
「美緒さん⋯⋯? 流石の俺も恥ずかしくなってきたから止めませんか?」
「え~っ?」
美緒は意地悪な笑顔を那岐に向ける。
そんな最中、上流の方から猪の魔獣が現れる。
「あっ、魔獣も流れてきたし、そろそろ出発しま——」
【変身呪文】【攻撃呪文】
美緒は変身すると一瞬にして猪の魔獣を倒してしまった。
「はや!?」
「倒したからもう少し触っててもいい?」
「もう少しってどのくらい?」
「う~ん⋯⋯一時間くらい?」
「勘弁してください」
「えー⋯⋯どうしよっかな~っ?」
「⋯⋯また今度触らせますんで、それで許してください」
「それなら、おっけぃ!!」
那岐はすぐさま猫に変身して、美緒はそれに跨る。そして、二人は国道十八号の君が代橋の下を通過して、引き続き魔獣討伐を行うため烏川の上流を目指していく。
美緒は身体が揺れて照準がぶれぶれになりながらも、走行中の猫の上から魔法を放つ。
【攻撃呪文】
前にも那岐の上に乗りながら戦ったことはあったが、その時は猪の図体がデカかったことで攻撃を外す心配はなかった。
しかし、今回出現している魔獣は一般的な動物のサイズで美緒は炎球を外しまくる。
最初はこの戦闘方法に慣れなかった美緒であったが、数をこなしていったことで徐々にこのやり方に適応できてきた。慣れてくればシューティングゲームのようで面白い。
川沿いのテニスコートや四棟のマンションを通り、更に上流にある大学まで来た。相変わらず魔獣の数は減らず切がない。
大学の向かい岸に新しく駅ができるため行き来しやすくなるよう橋も新しく建設工事をしている。二人はその橋の下も通過して更に川を上っていく。
那岐も流石に疲れてきたのか呼吸が荒くなってくる。
「那岐ー! そろそろお昼にしない?」
「そうだな! 美緒は何食べたいー?」
「んー⋯⋯ラーメン! ラーメン食べたい!!」
二人はスマホで調べ、川からそれほど遠くない所にラーメン屋を見つけた。
郵便局の横に位置するだるまのラーメン屋に入店する。食券を購入して席にて待っていると豚骨ラーメンが運ばれてきた。
「いただきますっ!」
美緒はラーメンどんぶりを両手で持ち、濃厚なスープを口にする。
「ぷはっ! トンコツっ!」
お店おすすめの食べ方でスープを先に堪能した美緒は、調味料で味変しながらも美味しいラーメンを完食した。
「ごちそうさまでしたっ!」
お腹をラーメンで満たされた二人はお店を出ると烏川にまで戻ってきた。
そんな美緒たちであったが、すぐに戦闘に戻るのではなく整備されている土手の芝生に腰を落とし川を眺める。
「美味しかったな」
「ねー! こんな所に美味しいラーメン屋さんがあるなんて知らなかったよ!」
食休みをしている二人と同じく、烏川を下ってきた魔獣たちも立ち止まると首を落とし、川の水を飲んでいる。
【変身呪文】【攻撃呪文】
美緒は座りながらも容赦なく魔獣に攻撃をし、炎球を直撃させる。一休みを終えた二人は再び魔獣を倒しながら川を上っていく。
また川が二つに別れていたが左の大きい川の方から魔獣が向かってきているのが確認できた。そのため、二人は引き続き烏川を突き進む。
道中、焼却場の紅白色と白色の二本の煙突や新幹線の高架、工場横を通りながらもどんどん川を上っていく。
車道には榛名山の峠を超えるためにかっこいい車が多く走っている。
「まだ魔獣は現れるな」
「ねー。結構、上って来たのに全然減らない」
下流の方を振り返っても出発地点が見えないほど遠い所までやってきてしまった。
「いったい、どこから来てるんだろう? 県境辺りか⋯⋯?」
顎に手を当てて考え込む那岐であったが、それは美緒にとってもまったく見当つかなかった。
「見てみて、こんな遠い所まで来たよ」
「12キロ!? マジか⋯⋯」
地図アプリに表示された自宅からの距離に那岐は言葉を失う。美緒もピクニックのノリで来たのだが、中々徒歩で来る場所でもないことを改めて実感する。魔獣の出処を見つけるのはそう簡単にいかないみたいだ。
ここより先、烏川は左に大きくカーブしながらも川の流れは続いている。
「那岐。これ以上行っても切りなさそうだし、バスでも見つけて引き返す?」
「そうだ⋯⋯この山って榛名山だよな?」
「え、そうなの!?」
「ほら」
那岐は美緒が開いたままの地図をズームアウトさせると榛名山の表記が現れる。
「本当だっ!? 那岐、凄い!! 物知り!! まさか榛名山の麓まで来てたなんて~!」
「だからさ、せっかくだし寄っていかないか?」
「行くいく!! ——あっ。那岐疲れてるんじゃないの? ここまで走りっぱなしだったし⋯⋯」
「いや、大丈夫だよ。まだ体力あるから」
「すごっ!! 流石マッチョさん!!」
「マッチョさん言うな」
「でも、どうやって頂上まで行く? 私がおぶろうか?」
那岐はすぐさま巨大な猫に変身した。
「マジ⋯⋯?」
那岐は何も言わずに頷く。
【変身呪文】
今まで来た道は比較的平地であったが、今走っている道は上り坂だ。そんな坂を物ともせず上り続けていた那岐であったが、行き止まりに足を止める。
途中まではアスファルトで道が整備されているが、この先は急斜面で大きく迂回しなければ頂上まで行けないみたいだ。
「ここから先、道ないみたいだね」
「⋯⋯⋯⋯美緒、しっかり掴まってて」
「えっ!? きゃあぁぁぁー!!!」
那岐は急斜面を全速力で駆け上がっていく。那岐は斜面に生えている木々を巧みに避けて山を登っていくが、それがジェットコースターのようで美緒は面白かった。
「速いはやーい!!!」
美緒のドレスがさっきよりも風で大きくなびく。
複雑に入り乱れた木々を華麗に避けていく様は、正解のルートが頭に入っているかのような動きだった。
猫になると五感も冴えるのかな?
順調に山を登り始めた美緒たちであったが、二人の前に現れた一匹の猪と目が合う。縄張りに入り込んだ敵だと判断した猪は鋭い目をしていた。
那岐は美緒が魔獣を倒しやすいように歩みを止める。
猪はこちらに向かって突進してくる。美緒はステッキを構えていつでも攻撃できる準備を整えた。
だが、美緒はその違和感に魔法を放てずにいた。
何かがおかしい——
それでも猪は迫りくる。
美緒は巨大な猫を抱き上げて木よりも高く飛ぶ。
「どうしたんだ美緒!? 魔獣、倒さないのか?」
地面から浮いた那岐は猫の巨大化を解除し、美緒の胸の前で抱えられている。
「あれ、多分ガチな方だったと思うの」
「本物の猪!?」
「多分ね⋯⋯!」
「マジか。——でも、どうやって気づいたんだ?」
「今日一日中魔獣見てきたけど、目が違ったような気がしたんだよね」
地面にいる猪と目が合う。猪は危機が去ったからなのか、それとも敵が宙に浮いたからなのか愚鈍な顔つきをしていた。
「野性的というか、生きてるって感じがした」
「⋯⋯やっぱり死んだ魔獣とは、また別物なのか」
美緒はそのまま頂上に向かって飛んでいると、開けた景色が目に入る。
「おー」
「きれ~!」
大きな榛名湖が姿を現し、二人は上空からその素晴らしい眺望を堪能する。美緒と那岐は榛名湖の畔に降り立ち、西に広がる飲食店が並ぶエリアへと足を運んだ。
お食事処やお土産屋さん、日帰り入浴ができる温泉の案内もあった。
二人はカフェの軒先でジェラートのテイクアウトをする。
お店の真向かいには湖が広がっており、それを横目にジェラートを食べていたが、夏の暑い日差しでみるみる溶けてしまう。
「ボートも乗れるんだねー」
美緒は『ボート受付』の看板表記を見つけた。
「そこから乗れるみたいだな。美緒、乗ってみたいか?」
「乗りたいっ!」
ジェラートを食べ終えた二人はカフェで受付を済ませ、観光ボートをレンタルする。
足で漕ぐスワンボートもあったが開放感のある手漕ぎボートを選んだ。
「それじゃ、出発進行~!」
「お~」
美緒はボートに座りオールを実際に漕いでみるが、中々感覚を掴めず前に進まない。
「こんなに難しいんか⋯⋯」
それでも美緒はめげずにオールを漕ぐ。
「美緒頑張れー」
「ふっ」
こんな柔らかい水なのにボートが進むにはかなりの力を要求される。美緒は力を振り絞り、身体全体を使ってボートを動かした。
「進んだ!!」
「美緒は上達が早いな」
走りだしてしまえば後は簡単で、このだだっ広い湖のどこへでも那岐と一緒に行けてしまう、そんな気がした。
湖にはいたるところにボートの乗り場が整備されており、何隻ものボートが水面を漂っている。遊漁券を購入し、釣りを楽しんでいる人たちもいる。
そんな平和な湖に一羽の白い鳥が現れた。




