【35話】情炎
その次の日、美緒は動きやすい支度をして家を出る。
マンションの階段を上り那岐の家に到着する。魔獣を倒すことと那岐に会えることにソワソワしていた美緒は、待ち合わせ時間より早めに家を出た。本来なら別の場所で待ち合わせだったのだが、久しぶりにここへ来たかったのでサプライズだ。
美緒がインターホンを押す。
「はーい、今出まーす」
勢いよく開かれた玄関扉から那岐が出てくる。
「ふぇっ!?」
美緒は顔を赤らめた。
「あれ、美緒!? もうそんな時間か⋯⋯?」
那岐は引き締まって割れている上半身裸の半裸で、身体中から汗が吹き出している。美緒は何も言葉を発せず、口を開けて放心状態だ。
「ごめん! ちょっと、汗流してくるから上がって待ってて!」
那岐は脱衣所に急行した。
美緒が玄関内側に入ると扉が閉まり、一人っきりになる。
「お邪魔しまーす⋯⋯」
中から返事は返ってこず、家族は外出中みたいだ。那岐はさっきまでリビングにいたのか電気だけ付いていた。
そのままリビングのソファに腰を掛ける。
プールの時はあんまり気にしていなかったけれど、あんなに腹筋割れてたっけ⋯⋯?
室内を見渡してみたが部屋端にはぶら下がれそうなほど、大きなトレーニング器具みたいなものが置いてあった。
那岐はお風呂から上がったのかドライヤーの音が聞こえてくる。
対して、美緒の脳内は鍛え上げられた腹筋で満たされている。美緒は手で顔を覆い隠した。
「あんなの見ちゃったら集中出来ないよ⋯⋯那岐」
「お待たせ、美緒」
「ぴぇっ!?」
美緒は不意の声に飛び跳ねる。
いつの間にか身支度を整え終わっている那岐が美緒の傍に立っていた。お湯を浴びていたから少し火照っている。
「凄い跳躍力。あと、さっき呼んだか?」
「えっ!!!? ⋯⋯あ、う——えっと⋯⋯何でもない!!!」
「そうか。よし、そろそろ行くか」
「う、うん⋯⋯!」
リビングにかけられている時計は待ち合わせ十分前を指していた。美緒と那岐は手を繋ぎ、昨日魔獣の大群を見つけた烏川に向かう。
でも、美緒は先程の光景が全く忘れられずにいた。繋いでいる手も男の人の硬い手で、爽やかなシャンプーの香りがする。
美緒は頭がどうにかなっちゃいそうで、急いで手を離した。
「え⋯⋯手汗やばかったか?」
那岐の憂いを含んだ面持ちが見たかったわけじゃない。
「ち、違うの⋯⋯! 私、今凄くドキドキしてて——」
美緒は自身に秘めた思いを赤裸々に告白する。
「でも手は繋ぎたくて⋯⋯! だからさ、ここでもいいかな?」
美緒は那岐の小指を人差し指と親指で挟む。
「——ああ、いいよ。美緒がしたいようにしていいから」
那岐の笑顔は眩しかった。
美緒の脳内では『美緒がしたいようにしていいから』その言葉がこだまのように響き渡った。お付き合い始めたんだし⋯⋯ゆくゆくはそういうこともするんだよね。そしたらあの那岐のお腹を触って⋯⋯それなら逆に触られ——たり!?
「んぐっ」
「今度はどうした?」
「な、何でもないっ⋯⋯!」
美緒は首を振って一旦は煩悩をかき消す。せっかくのデートなのに、こんな邪なことばっかり考えてちゃだめだ。
美緒と那岐は1センチにも満たない繋がりを大切にしながらも目的の場所へと向かっていった。
烏川に着き、辺りを見渡すが魔獣は見つからない。
昨日、電車の窓から見えた下流の辺りにも魔獣はいなかった。
「いないな⋯⋯」
「琴さん辺りが倒してくれたんかね?」
土手はコンクリートで整備されており、二人は上流に向かってその整備された上を歩いて行く。そこで川沿いに建設されている展望デッキを見つけ、美緒たちはエレベーターに乗り込んだ。
てっぺんの景色からはあの日、戦闘を行ったサッカー場が一望できる。
「昨日はあんなにいたのにな⋯⋯」
「あっ!! 那岐、あれあれ!!」
美緒が指差した先にはイタチの魔獣がいた。イタチは野生動物としては一般的なサイズなのかもしれないけど、目をよく凝らさないと見逃してしまいそうなほど小さい。
「距離が離れてるとあんなちっちゃいのか」
「どうりで見つからないわけだよ!」
ようやく魔獣を見つけた二人は展望デッキから降りて向かう。イタチの魔獣に近づく過程で他の魔獣も見つける。川の中洲、茂みの辺りにカモシカ二匹、子熊一匹がいる。昨日ほどの数はいなかったが合計で四匹の魔獣を確認できた。
二人は顔を見合わせ阿吽の呼吸で変身する。
【変身呪文】
美緒は魔獣にバレない程度まで更に近づき、那岐は道路側に上って先回りをする。
まず倒すならイタチからかな。あんな小さいと逃げられたら大変だろうし。
【攻撃呪文】
美緒の放った炎球は見事魔獣に当たり、一発で仕留められた。土手コンクリートの上に灰を舞い散らしたイタチの死骸が現れる。
イタチの討伐が終わった直後、中洲にいる魔獣たちも美緒のことを見ている。これだけ音を出せば気づかれてしまうのも無理はない。
美緒は順に討伐していくことにした。
【攻撃呪文】
放たれた二発の炎球は魔獣たち一直線に向かい、直撃すると灰を舞い散らしカモシカの死骸が二体出現する。
だが、もう一匹子熊の魔獣は姿を消していた。
「美緒ー!! この中にいるぞ!!」
いつの間にか橋の上にいた那岐が猫の手で草藪を指差している。
でも、ここからじゃ木々が生い茂っており魔獣がどこにいるのか確認するのも難しかった。
「いっそ全部燃やしちゃう⋯⋯?」
そんなことを考えている内に那岐が橋から飛び降り、草の中に飛び込んだ。
茂みの中で那岐は格闘しているのか木の葉が大きく揺れている。
先に茂みから出てきたのは魔獣であった。那岐に頭突きをされたことで外に飛び出してきた魔獣は川に着水する。
【攻撃呪文】
水の中でもがいている魔獣に炎球を当てた。灰が舞い散ると子熊の死骸がぷかぷかと水面に浮いている。
「いぇ~いっ!」
美緒は中洲の砂利がある所まで飛んでいき、功労者の猫とグータッチする。
「助かったよ、那岐!!」
「ここ一帯が焼け野原になっちゃったら大変だなと思って」
「うっ⋯⋯」
川の冷たい水を含んだ冷たい風が二人に吹き付ける。
「やっぱり、魔獣は観音山から来ているのかな⋯⋯?」
昨日の魔獣の大群や今日の魔獣の集まりをみるにこの山から来てるんじゃないかと、美緒は木々が生い茂る観音山を見ながら考える。
「美緒!! あれ!!」
大きな声に振り返ると、那岐は上流側を指差している。あまりの光景に美緒は目を見張った。
「なにあれ⋯⋯?」
那岐が指していた方角には大量の魔獣がいた。
碓氷川と、もう一つの川で二又に分かれている烏川の方から魔獣がこちらに向かってくる。その数は電車の車窓から見た時と同等かそれ以上であった。
「那岐、肩に乗って!」
「わかった!」
回収業者への電話は後回しにして二人は討伐を優先させた。美緒は和田橋を飛び越し、空中から攻撃を試みる。
【攻撃呪文】
美緒は魔獣を一体、一体確実に炎球で仕留めていく。倒された魔獣が灰を舞い散らすと川の至る所に動物の死骸が現れる。
魔獣の種類も多種多様で猪や猿、熊、狸、狐、その他にはヤマネやアカネズミのような小ぶりの魔獣もいた。皆、一斉に下流へと歩いているのだが誰が群れを統率しているのか全く見当つかない。
美緒はその後も上空から魔法を放ち続けた。
「こんな数が多いなんてっ!」
いくら弱くて簡単に倒せても、これほどの数を相手するとなると大変で極りない。
先程魔獣の群れを発見した地点からバイパス沿いに建てられたマンションへ行く、そのほんの少しの距離なのに魔獣が異常なほど発生していた。
美緒の呼吸がマラソンを走った後のように荒くなっていく。
「美緒、少し休もう」
「うん⋯⋯! あともう少しだけやったら!」
これだけ魔獣がひとかたまりになっているんだ。大きな炎球一つで倒せば良かったのだが、ほとんど討伐を終えた後で思いつくのが少し遅かった。魔獣の数は両手で数えられるほどに減っている。
その後も美緒は攻撃を続け、魔獣に反撃されることなく全て倒しきった。地面には大量の死骸が転がっている。
「美緒、あそこにカフェがある。そこで休もう」
「うん⋯⋯」
美緒は猫が指す、川の中洲にあるカフェを目指して飛んでいく。
だが、ヘトヘトであった美緒はそのまま緑の芝生が広がる広場に不時着した。
「はぁー⋯⋯疲れた⋯⋯」
美緒は今にでも川に飛び込みたいほど汗ばみ、バテていた。
「立てそうか?」
「無理かもー⋯⋯」
那岐は変身を解いて美緒の前で背中を見せ跪く。
「乗れる?」
「うん⋯⋯」
美緒は力を振り絞って那岐の首に手を回した。
「ごめんね⋯⋯那岐⋯⋯」
「いいんだよ。良く頑張った」
美緒は那岐の大きくてがっちりとした背中におぶられながらカフェに入店する。
「ぷっはーッ! 生き返る!!」
美緒は注文したアイス珈琲を一気に飲み干す。ストローを伝ってキンキンに冷えた珈琲が美緒の身体を癒やした。
死骸回収業者との電話を終えた那岐が帰ってきた。
「電話しといたから」
「ありがと、那岐!!」
「⋯⋯それで、どうする? 美緒も疲れただろうし帰るか?」
「うーん⋯⋯せっかく準備して来たんだし、もう少しやっていきたい! それに、魔獣がどこから来てるのかも気になる!!」
「わかった。それじゃあさ、この前みたいに俺が猫に変身するから美緒はその上に乗らないか?」
「わかったっ!! 乗るのる!!」
「よし。それで上流の方まで偵察に行こう」
「うんっ!! ——あ、おかわりお願いします!!」
美緒は二杯目のアイス珈琲も飲み終わり体力を回復した。




