【32話】ファーストブラッド
不老不死。老いることも死ぬこともない。その伝説は世界各地、様々な文献や書物、物語として残っている。
時の権力者たちの願いが行き着く先は皆同じなのかもしれない。せっかく掴み取った幸せが、いつまでも永遠に続けばどんなに良いことか——
それほど皆、死に対して恐怖を抱いていた。
だが、ある帝は違った。帝は月の姫より賜った不死の薬を燃やしてしまったのだ。誰もが喉から手が出るほど欲しがる代物を。
愛する者の薬を捨て不死を選ばなかった帝であったが、その思いは長い年月が経とうとも消えることなく語り継がれる。
◇
後世の人間たちはその話を読み、夢みたいな薬を作りだそうと奮闘した。幾度も幾度も挑戦してきたが、月の技術を再現することなんて人間業じゃない。
不死薬は完成しなかった。
それからどれほどの年月が経っただろうか。お偉いさんたちは藁にも縋る思いで不死薬の開発に莫大な予算をかける。この薬が完成すれば戦況を劇的に変える起爆剤になり得ると判断したのだ。
みなかみ町にある船坂研究所も軍直属の技術研究所のひとつだ。
村から外れた位置にある研究所の周辺には、田畑などの自然が広がる秘境であった。
研究所には研究員数名の他に当年六歳になる一人の少女がいる。研究員にはその少女の母親も所属しており、お国のためにも娘のためにも研究に没頭していた。
「ごめんねー⋯⋯ちくっとするよ」
「ニャアー」
母親は成猫に注射器を刺して採血をしている。
この辺りを彷徨いていた猫が不老不死であるという噂がまことしやかにささやかれ、この研究所では猫を使った不死の実験を行っていた。
その様子を遠目から冷めた目で見ている男がいる。
男は全くと言っていいほど乗り気ではなかった。男だって研究員の端くれだ。あんな猫から不死の薬を生成できるなんて思っちゃいない。
はっきりいってそんな馬鹿げた話を鵜呑みにしている皆も、上の奴らも正気じゃないだろう。ここにずっといれば男だって頭がおかしくなってくるかもしれない。
だからといってこの研究所から離れてしまえば行く当てもなく、ただただ死地に送られるだけだ。それだけは避けたい。
そんな母親とは裏腹に、少女はお天道様が出ている気持ちの良い外で遊んでいた。
「けんちゃん!! 来て来て!!」
「どうした? 京子ちゃん」
男、健は少女に呼ばれて駆けつける。
「早く早く!! 凄いの見つけた!!」
木の根元、少女の足元には雀が横たわっていた。雀は羽を動かせず、目だけは京子を見ている。
「珍しいでしょ!? こんな近くで初めて見た!!」
「⋯⋯こりゃ、随分弱ってるな」
烏にでも突かれたのか羽から血を流している。
「もう、飛べないの?」
「うーん⋯⋯怪我が治ったら飛べるんじゃないのか?」
「本当!? ——じゃあ、京子がお世話する!!」
「それなら、まずはお母さんの許可が必要だな」
「わかった!!」
京子は走って研究所の建物に戻ると、すぐさま帰ってきた。
「いいって!! 次は何すればいい!?」
「お腹空いてるだろうから米と水を持ってきてくれ。俺は包帯探してくるよ」
「わかった!!」
二手に別れた京子と健は再び集まる。
「スズメさん!! はい、どうぞ!!」
京子は手に載せている数粒の米を雀の口に近づける。最初は警戒して食べなかった雀も米を口にした。
「食べてくれた!! ——あ、ちょっと待っててね!! すぐお水持ってくるから!!」
少女はまた走って研究所に帰っていった。
「よしっ。これで大丈夫かな」
健は手にしていた包帯を雀の羽に巻いてやった。
「お待たせー!! お水持ってきたよ!!」
京子が茶碗に入れた水を口に近づけると、雀はバクバク水を飲み込んだ。
「かわいい~!!」
雀は喉が潤ったのか水を飲むのを止めた。
「それじゃ、部屋に持っていこう」
「うん!!」
京子は健に空の茶碗を手渡し、雀を両手で掬い上げる。京子は研究所まで歩いていき、自分の部屋に雀を運び込んだ。
それからというもの、京子は次の日も、その次の日も雀の看病に勤しんでいた。研究所には京子の友達となれるような子はいない。雀は少女の良き友人になった。
京子は自分の寝床に猫と雀を集める。
「じゃあ、今日は灰かぶり姫にするねっ!!」
「ニャー」
「チュンチュン」
二匹の動物たちに向けて絵本の読み聞かせを行っている。
雀もすっかり京子に懐いており、片時も離れようとしない。雀は京子と共に食事や就寝も一緒にして、家族同然のように過ごす。母親や他の研究員たちもその様子を微笑ましく見守っていた。
外はすっかり秋模様で肌寒くなってくる。雀は窓が開いていても少女から離れることはなかった。
「もう少しお家にいてもいいって!!」
「チュンっ」
雀の怪我は既に完治しているが直に冬が訪れるため、野生に返すのは春先に決まった。
寒冬の到来で研究所は猛吹雪に見舞われる。
「スズメさーん!! スズメさーん!! どこいっちゃったのー?」
いつも京子の後を追いかけて飛んでくる雀の姿がその日は見えなかった。
健は屋内にいるのに冷気を感じ、身を震わせる。風が吹いている方角を覗くと、いつもは閉まっている窓が開いていた。
「えッ!!!?」
京子の母親の声が研究所内に響き渡った。
その声に京子と健は急いで駆けつける。
「これは一体⋯⋯」
部屋が眩く発光していた。光は母親が手にしている試験管から発せられている。
皆、月色に輝く試験管に釘付けであった。
その時、研究所を襲っていた吹雪は止み月が見える。月の真ん前、研究所の上空を一羽の大きな赤い鳥が羽ばたいているが、すぐにどこかへ消えてしまう。
赤い鳥が姿を消すと研究所は再び、猛吹雪に襲われる。
眩しいほど輝いていた試験管の光は止む。
「もしかして⋯⋯」
母親は大慌てで実験の準備を始めた。すぐさまマウスに薬を打ち込み、効能を調べる。
だが、薬を投与するとマウスほどの小さな体では身体が適応できず、死に至った。
「死にました——って、え?」
他の研究員がマウスの死亡を確認した直後であった。マウスは息を取り戻す。
母親を主導に研究員たちはマウスの経過観察をすると共に、薬の量産化を研究し始める。
研究員たちは火で炙ったり、ゲージ内の酸素を抜いたりしてマウスを何度も殺した。結果、マウスは死ぬがすぐさま息を取り戻すどころか姿形が元通りに戻っている。
研究所内は歓喜の声でごった返した。
「本当に薬が完成した⋯⋯!」
あの薬はこの世のものなのか⋯⋯?
「私、打ってみるわ」
母親は摩訶不思議なこの薬に望みをかけることにした。
この時代、時間や人員をかけて薬の安全性を証明することなんて容易じゃない。母親は自身を被検体にすることを決めた。
「危険ですよ!! 第一、お子さんがいるのに⋯⋯」
「だからといって、安全かもわからないこの薬をみんなに打たせることなんてできないわよ」
母親は意を決して薬を自分の体内に入れた。
「⋯⋯なんともないわね」
いくら時間が経とうと、母親が死ぬことはなかった。人間の身体にとっては脅威となる薬ではなかったのかもしれない。
呼吸、心拍、身体的にも問題ないことを確認し、人間に害のない薬だと判断されると研究所内でも薬の投与を希望する声が上がる。
本当に不死の薬なら誰しも喉から手が出るほどの代物だ。無理もない。
時間も人材も乏しかった故、研究者たちの治験は願ったり叶ったりだった。
それでも危険性がないと判断すると、母親は病気を患っている娘にも薬を投与する。
京子にもこれといった症状はでなかった。
母親は薬の一部と、薬を投与したマウスが入ったゲージの荷造りを始める。
「それじゃ、私はこれを他の研究所に届けてくるわね」
「ちょっと、待ってください!!」
健が声を上げる。
「あれ⋯⋯どうかしたの?」
「その仕事、俺に任せてくれませんか?」
「え?」
「俺、何も仕事してませんし⋯⋯それに、薬打ってないの俺だけなんで、何かあっても大丈夫だと思います」
「でも——」
「昭子さんは京子ちゃんの傍にいてあげてください」
二人の声を聞きつけた京子が猫を抱えて現れる。
「けんちゃん、どこか行っちゃうの⋯⋯?」
健は京子の頭を撫でる。
「ううん。すぐ帰ってくるさ」
「本当!?」
「ああ、本当さ。京子ちゃんは、お母さんに絵本でも読んでもらいな」
「うんっ!!」
健は母親から強引にカバンを奪い取る。
「ありがとうね、健くん⋯⋯気をつけるのよ」
「はい」
「すぐ帰ってきてねっ!!」
京子に手を振りながら玄関を出る。研究所を出る直前、鼠が屋根裏をドタバタと駆け回っている音が聞こえる。こんな時だってのに、鼠たちは大運動会を開催していた。
吹雪が荒れ振るう極寒。健は薬とマウスを載せた四輪駆動車に乗り込む。
車を出してから数分、後方の研究所建物はすっかり小さく映る。
その時だった。
健は爆発音が鳴り響いたため、車を止め来た道を振り返る。研究所は真っ赤な炎に包まれていた。
健は血相を変え、研究所に引き返す。
「京子ちゃーん!!! 昭子さーん!!!」
どんなに声を出したって誰の返事も返ってこず、炎で近づくことさえままならない。
健は瓦礫の中に横たわる人影を見つけた。
「そんな——」
人影は性別もわからないほど黒く焼け焦げていた。
健は厚い雪に膝を落とす。瓦礫の山と化した建物を傍観することしかできなかった。
こんなことなら仕事を請け負わなければ良かったんだ。いつもサボっているくせにこういう時だけ生き残る。
雪が燃えた灰のように、健に荒々しく打ち付ける。
「くそッ!! くそッ!!」
健は泣き崩れながら地面に手を叩きつける。
「何が不死の薬だよ。みんな死んじまったじゃないか⋯⋯」
燃え盛る炎の中から一点の光が発せられた。
それは瓦礫を押しのけ、健の目の前に現れる。
「京子ちゃん⋯⋯?」
目を疑う光景であった。少女が宙に浮いている。
驚いたことに京子は何の傷も負っておらず、先程別れた時と何一つとして変わっていなかった。
京子は姿勢を崩し、健の方に倒れてくる。
「けんちゃん——」
「ああ、そうだよ⋯⋯!」
◇
後になって、今回の船坂研究所の爆発に関しての調査報告書が作られる。研究員全員死亡、生存者一名。爆発の原因は空からの人為的な攻撃ではなく、鼠が配線を噛みちぎったことによるものだとして結論づけられた。
健も今回起こったことをすぐさま報告する。戯言として信じない者も少なからずいたが、幸いにも薬を投与したマウスは爆発を逃れていた。実際にマウスが死なないことを見ると、この摩訶不思議な薬に異議を唱える者はいなくなった。
船坂研究所が残した遺産ともなる不死の薬を使った計画が本格的に始動する。
しかし、国が想定していた対象者に薬は効かず時間ばかりが経つ。結果、薬の実用化には間に合わず、数々の飛行兵の命は機体と共に散っていった。日本中に戦の終わりを告げるラジオ放送が流れる。
でも、健は諦めなかった。
「貴方方が作りだしたこの薬、決して途絶えさせたりしない」
当初の目的こそ達成出来なかったものの、不死薬を闇に葬らず活用に向けた実験や治験を極秘に続ける。
再スタートとなったが、健の元には研究に携わりたいという研究員が集まっていった。
その甲斐あって研究は着実に進む。研究員たちは薬の恩恵を最大限享受できるのは子供、それも女の童だと突き止める。
不死薬の名前は、瑞穂女童回生ワクチン『ミセイネンフシ』と名付けられた。
「けんちゃん、今日外いたら変なの見えた⋯⋯」
だが、薬は恩恵をもたらすだけではなく幻覚をもたらす副作用があった。それは京子だけではなく他の投与者からも同様の報告が集まる。
残念ながら彼女たち以外にはそれが見えない。京子は実際に目で見たものを紙に書いて見せてくれる。妖怪なのだろうか、野生下では見たことのない奇妙な動物が描かれていた。
健は研究を中断し、副作用に関して頭を悩ます。何せ、彼女らにしか見えず倒す術を持ち合わせていないのだから。
だが、子供の発想力というものは大人が思っている以上に高いということを知る。京子は絵本で見たお姫様に変身して、それを倒したというのだ。
副作用に関しても危険性はないだろうと考えた。
そして、人間の範疇を超え、摩訶不思議な力を持つ彼女らを我々は『魔法少女』と呼ぶようになる。
その年に、日本愛猫公社が発足された。
少女らを主なターゲット層としてワクチンの量産化体制を構築すると共に、どのようにして国民に説明を行うのか考える。
想定される事態として反発する者も現れると踏み、対象者の保護者に受けいられるよう戦略を練らなければいけない。
表向きの効果は栄養失調、免疫能力の低下を防ぎ、薬の効能を遺憾無く発揮するための出生時ワクチンとして説明する。不死薬として世に出すことは避け、多少なりとも強引に広めることにした。
広報には容貌の良い男を起用し、主婦層の支持を強固なものとする。
それが数年もすれば、出生時にこのワクチンを打つことが当たり前のように生活に浸透していった。
この国が主導するプロジェクトは年月が経ち、NNLCグループとして民営化されたが、今現在も薬は消え去ることはなく現代の生まれた子たちに接種され続けている。
そして、我々は新たな計画を打ち出すために、魔法少女を改め、彼女らのことは『童話少女』と呼ぶことを決めた。
効能年数、副作用などを考慮すると思ったよりも完璧、万能な薬ではないのかもしれないが、着々と社会に行き渡っていく。
完全なる不老不死までの道のりは程遠い。
いつかはそんな薬を作り出す者が現れてほしいと、研究者の一人として胸を膨らませている。




