【10話】死死襲来
猪との距離は数十メートルも離れているのに、大型車ほどの大きな図体から威圧感を醸し出している。
魔獣は那岐に目もくれず、美緒に殺意を向けた鋭い目線を向けていた。毛を逆立て、興奮を抑えきれていないのが見てわかる。
逃げなきゃいけないのは頭ではわかっている。
けれど、力を入れようと思っても美緒の身体は失神しており、うつ伏せの状態でびくとも動かない。
魔獣が再度、美緒を目掛けて突進してきた。
「美緒ッ!!」
10メートル、5メートル。魔獣は美緒に近づくほど明らかにスピードが速まっている。
「く⋯⋯ッ」
咄嗟に変身した那岐は大きな猫になり、寸での所で美緒を咥え拾う。
魔獣は虚無の空気に突進し、又もやスピードを押し殺してこちらを振り返る。今度は那岐にも魔獣の鋭い目が向けられた。
那岐は背を向け逃げ出し、魔獣はその後を追いかける。那岐は四肢を使い全速力で住宅街を縦横無尽に駆け回る。
十字路で急に方向転換してみせるが魔獣の追跡から逃れられない。
咥えられている美緒は揺れているだけで未だに目が冷めなかった。早く那岐の助けに入らないといけないのはわかっているのに身体が動かない。
その後も那岐は逃げ続け、角を曲がったその時、開けた駐車場に車が停まっているのが目に入った。
すぐさま敷地に入り車の陰に隠れる。
角を曲がったタイミングが上手く噛み合ったため、魔獣の視界から那岐は外れた。魔獣は本格的に見失ったようで辺りを彷徨っている。
那岐は魔獣に見つからないよう、走り疲れ派手に呼吸したいところを押し殺し、様子を伺っている。
直ぐ側を魔獣が通ったが、那岐を見つけることはなくそのまま通り過ぎていった。那岐はそれを確認すると美緒を口から離しゆっくりと地面に置く。
人間の姿に戻った那岐は手を地面に着け、肺を大きく膨らませて急速に酸素を取り入れている。
「うっ⋯⋯」
美緒の意識も戻った。目の前にいる那岐は汗をだらだらと滲み出している。あれだけ一生懸命走ってくれてたんだから当然だよね。
「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯良かった」
美緒は立ち上がり那岐にお礼を言う。
「ありがと! 那岐っ」
那岐がここまで頑張ってくれたんだからしっかりとどめを刺さないと。
「ここからは私の番だねっ!」
【変身呪文】
正直、あれだけ大きい魔獣相手に美緒は恐怖を抱いたが、覚悟を決め変身する。
二人は駐車場敷地の石壁から敵の様子を伺う。どうやら魔獣は索敵を続けているようで周辺をウロウロしている。
魔獣のスケールの大きさは真横に停まっている乗用車と比べても段違いに大きかった。
「あんなにデカかったのッ!!!?」
巨大なことは既に知っていたのに美緒は声を出してしまう。あれほどの魔獣は相手にしたことがなく、ショッピングモールで見た熊の魔獣に匹敵するぐらい大きかった。
魔獣に気づかれると思ったのか那岐は美緒の口を手で塞ぐ。
「⋯⋯ごべん」
美緒は声のトーンを落としつつ道路を確認するが、幸いにも魔獣はこちらに気がついておらず息を吐く。
「まあ——取り敢えず、ぱぱっとやってくるよ!」
美緒は笑顔で魔獣の元へと歩いていく。
「大丈夫なのか⋯⋯?」
「大丈夫大丈夫! いざとなったら飛んで逃げてくるからっ!」
那岐は心配そうな趣で眺めていたが、美緒は親指を上げ自信たっぷりで向かう。
美緒は視界に魔獣を収め、着々と距離を縮める。魔獣は背を向けており魔法を打つなら絶好のチャンスであった。
大きくて強力な一発をお見舞いしてやる。
【攻撃呪文】
ステッキから放たれた炎球は通常のサッカーボールほどの大きさよりも十倍ほど大きく作れ、そのまま魔獣に直撃した。その衝撃で爆発が起き、辺りには黒煙が広がる。
「さっきは良くも不意打ちしたなっ! これはそのお返し!」
やり返せて美緒はご満悦だった。
しかし、煙が引いていくと魔獣は倒れておらず美緒と目が合う。
「うそっ!?」
結構強めの魔法が放てたと思っていたのだから想定外であった。
美緒を視界に入れると一目散に走ってくる。これまで以上に鼻息を荒くしているが美緒は関係なく魔法を放つ準備を進める。もっとダメージが通るような強い一発を——
【攻撃呪文】
先程同様渾身の一撃であったが、真正面から放たれた炎球は軽々避けられ無慈悲にも地面に当たるばかりだ。
あんなに威力がありそうでも当たらなきゃどうしようもない。もっと、何発も打って数で勝負しないと——
【攻撃呪文】
通常の大きさの炎球を五発放てたが、魔獣は軌道を読んで右へ左へ瞬時に避けて躱しきってしまう。
「やばいやばいやばいっ」
一発も攻撃が当たらないまま、魔獣はすぐそばまで迫ってきた。
攻撃? 飛んで逃げる?
考えている間にも魔獣は一気に加速し、飛ぶなんてできない間合いに入られてしまった。
【防御呪文】
美緒は間一髪で魔獣と自身の間に炎壁を形成して防御する。魔獣の攻撃は壁に吸収され美緒は怪我ひとつしなかった。
「——ッ。あぶなぁ⋯⋯」
正直言って死んだと思っていたため心臓が鳴り止まない。
魔獣は美緒が形成した防御魔法に突進を繰り返している。壁を一枚挟んだこの近距離で向かい合っていると、流石に気色が悪くなってきた。
だが、強固な炎壁は壊れることなく魔獣の攻撃を無効化している。それに魔獣も気がついたのか体当たりを止め、美緒から遠ざかっていく。
「お、諦めた⋯⋯?」
美緒は炎壁をしまいこんで、魔獣が背を向けている内に攻撃魔法の準備をする。今度こそはもっと強力な一撃を浴びせてやる。
しかし、魔獣も攻撃を諦めていなかったのか、振り返り助走をつけて再び物凄い速さで突進してきた。
でも、さっきみたいに防げればなんてことないよね。
【防御呪文】
再度、美緒は目の前に炎壁を構築し魔獣の攻撃を防ぎきった。
だが、魔獣は攻撃をやめない。美緒の身体が徐々に後方に下がっていく。魔獣は物凄い力で美緒が形成した炎壁ごと押し進めてくる。
美緒の額からは冷や汗が出てきた。
「マジ⋯⋯」
丁字路のコンクリート壁に美緒のかかとが当たる。
「やば⋯⋯ッ」
驚いた拍子に炎壁を解除してしまう。魔獣はその隙を見逃さず思いっきり頭突きしてきた。
「うわああぁぁぁぁぁーーー!!!?」
美緒はコンクリートブロックを突き破り、民家の窓ガラスを壊して床に転がり倒れる。
突然窓ガラスを突き破ってきた美緒に家主の男女は声を上げる。
「きゃあッ!!!?」
「えっ!!!? じ、事故!?」
二人には魔獣が見えておらず、血だらけで横たわる少女と窓ガラス、コンクリートブロックが破壊されているようにしか見えていなかった。
「救急車っ!! 救急車呼ぼう!!!」
背中には割れた無数のガラスが突き刺さり、コンクリートをも壊す衝撃をもろにくらった美緒は無事でいれるはずもなかった。美緒の意識が徐々に遠のいていく。
「うぐ⋯⋯ッ」
最期に美緒は魔獣と目が合ったままそのまま死んでしまった。背中から大量に出た血は、リビングフロアを赤色に染め広げていく。
美緒が息絶えたのを確認し終え満足したのか魔獣はこの場を後にしていった。
「美緒ッ!!」
飛んで逃げてくるという言葉を信じ、後方で様子を見ていた那岐が駆け寄ってくる。
魔獣は声を出した那岐の方を凝視するが、敵視することなく背を向けて去っていった。
「——そうです! 女の子が血だらけで⋯⋯!」
家主の人たちが救急隊と電話している最中、那岐は壊れたコンクリートブロックを跨いで割れた窓から民家に土足で入り込む。
「すみません!! 失礼します!!」
那岐の靴には美緒の血や粉々になったガラスが纏わりつく。
「生きてるか!? 美緒ッ!!」
那岐は身体を揺するが美緒はびくともしない。那岐は死んでいることを認識すると、美緒を膝に抱えて頭を優しく撫でる。
心配かけてばっかだな——
【復活呪文】
魔法が美緒を覆い始め、身体が再生していった。飛び散った血は体内に戻り皮膚が閉じると、命が吹き返し、美緒は目を覚ます。
「美緒ッ!!」
「ごめんね、いつも迷惑かけて——」
「何言ってるんだよ⋯⋯!」
那岐が抱きしめてくれたから美緒も抱きしめ返す。那岐は美緒が怪我していた背中をさすってくれた。
その様子を傍から見ていた家主たちは言葉を失う。
受話器から「——どうしましたか? 大丈夫ですか?」と救急隊の心配する声が聞こえた。
那岐はスマホを取り出す。
「どうする? 愛宕さんに助け求めようと思うんだけど」
「⋯⋯倒したい。あいつは私が倒したい! やられっぱなしはやだっ!」
美緒は少し考えた末そう答え、覚悟の決まった目をしている。
「⋯⋯わかった、付き合うよ。作戦を考えよう」
「あの——」
状況を掴めていなそうな家主たちはか細い声を出すが、美緒と那岐は家主たちに会釈し家から出る。
「どうもすみませんでした」
「お邪魔しましたー!」
二人が家を出たのと同時にコンクリートやガラスの破片がひとりでに動き出す。
「ちょ、ちょっと!? 君たち!! うぐっ!!?」
家主は追いかけようとしたがそれを阻むかのように粉々に割れたガラスが集まり、窓ガラスは元通りに直り、損傷した箇所が次々と修復していった。
「あれ——俺たち何してたんだっけ⋯⋯?」
元通りになった家の中で家主の二人は呆然と立ち尽くしていた。
「すごいな」
「こんな綺麗に直っちゃうんだね!」
道路に出た美緒と那岐も家の修復具合に驚く。
「じゃあ、作戦どうするか——」
「それなんだけど⋯⋯ひとつ考えがあるんだ!」




