『ジャック・ザ・”リーパー”』①
『棕櫚亭』と銘打たれた薄暗いカフェテリアの中の人間は、豊かな口ひげを蓄えた店主のほかには二人の客だけだった。テーブルにはつい先ほどまでいた、他の客たちの食べかけの皿が載っている。
―彼らは強烈な『共振波』にあてられて、転がるように店を出て行った。
そのはずだ。と、店主は想像した。
断言できないのは、彼自身もまた、カウンターから一歩も動けないままに固く目を瞑っているしかできなかったからだ。
「一体なんだったんだ。あの―」
―あの『怒り』は。普段のうるさいが雑多なだけの『共振波』とは全く違う。何かもっと―。
「おじさん、サンドイッチ、まだ?」客席の方から店主を呼ぶ声がする。
「さっきのものすごい『共振波』のせいだ、多分まだできてないよ」どちらかというと、サンドイッチの方を心配しているような声だ。
―なんなんだ、あの子たちは。
妙な連中だった。
かたやペストマスクをかぶっているペストマスクのせいで表情が読み取れず、かたや右半分が白斑で覆われた少年は表情がない。二人は共通して漆黒の三つ揃えとショーツを身に着けている。
そして何より。大の大人が動けなくなるほどのすさまじい『共振波』の中で、平気の平左でむしゃむしゃと食事を続けていた。ペストマスクの方はこめかみをぐりぐりとやっていたが、白斑の少年の方は反応すら示さなかった。
店主は、見た目から行動まで奇異な二人組に薄気味悪いものを感じながらも、
「…はいよ」
BLTサンドイッチの皿を彼らの目の前に置き、代わりに山と積みあがっているスパゲッティやら、ピラフやらの空き皿を回収する。
店主は、料理人としての自身の『命題』には忠実な男だった。しかしそれとは別に多くの人に自身の料理を味わってもらうことを至上の喜びとしてもいたから、彼らの食べっぷりには賞賛を送りたい気分でもあった。
「ん、ありがと…うわっ」
ペストマスクで顔を覆った少年が、何かに驚いたのか小さく叫び声をあげた。大きな嘴とのぞき窓の着いたマスクの下でわたわたと動く手足がどこかアンバランスなコミカルさを見るものに与えた。
「まーた『監視塔』からの連絡だよーん…なんかラグいな。『脱命者』、『脱命者』だよ、ねえ、なんだか僕ら最近仕事多くない?」
「えーと、この月に入ってから一、二…」
顔の右半分を白斑に覆われた少年が、指を折りながら答える。
「五…五件目だ」
少年はBLTサンドイッチから垂れたトマトの汁が付いた親指をぺろりと舐めると、そのままペストマスクの前につきだした。
「やめなよ、汚いな…ってもう五件?あぁ、なんか聞いてるだけで疲れてくる!」
白斑の少年は話題を切り替えて尋ねる。
「ところでシャロン、対象の現在位置と識別名は?」
シャロンと呼ばれたペストマスクの少年は些か困惑した様子で答える。
「えーとね現在位置は、わお、『漂白域』だ。『監視塔』からの情報が遅いのはそのせいか。識別名もまだ来ないや」
「『漂白域』ってことは…?」
「うん、もぐもぐ…きっと『斥候』か『木こり』だ…もしかすると結構手ごわいかもねえ。『森』や『樹』を相手にドンパチしてる連中だしもぐもぐ…」
やれやれと頭を振っているのか、それとも咀嚼によるものか、ペストマスクが小刻みに揺れる。
「だとしても、僕らのやることは変わらない。僕らは『庭師』だからね」
「そのとーり!じゃあ今日も元気に『命題』唱和といこう!はい、せーの」
ごくりとサンドイッチを飲み込むと、シャロンは腕を振り上げて元気に音頭を取った。
「「『脱命者の速やかな捕縛及び連行』!!」」
突然の無邪気な大声とその内容との落差にぎょっとした様子で、カウンターから店主の髭面がそろりと顔を出す。白斑の少年はその様子をちらりと見やる。
「…僕らが言うのもなんだけどさ、この『命題』、子供にはなんだか物騒すぎじゃない?」
「そう?疑問なんて持ったこともなかったな―あっ、識別情報来たよ。あらま」
「シャロン?」
「さっきの『脱命者』、一人じゃないや。まったく同時、同じ場所に二人出たんだ。そのせいで『監視塔』が一人だと誤認したのかも…。そのうち一人は『斥候』のおじさん。識別名はスパイク。」
ペストマスクの少年—シャロンは、マスクの下から苦笑とも同情ともつかぬ声を出した。
「もう一人は『伐採者』、識別名はジャック。縁起悪いね、君と同じ名前だ」
「木こりのジャック(ランバージャック)ね―どこにでもいる名前じゃないか」
そうかもねー、と彼の反論を受け流しつつ、つらつらと『監視塔』からの報告を受けていたシャロンは、突然持っていたサンドイッチの一切れを取り落とした。床に小さくバウンドしたサンドイッチは分解して、それぞれパンとベーコンとレタスとトマトになった。二人の様子をうかがっていた店主は、あっ、と顔をしかめ、掃除用具を取りにカウンターの奥へ入っていった。
「どうしたの」
床に落ちたサンドイッチをもったいなさそうに眺めてジャックと呼ばれた少年は尋ねた。
「いいかい、僕ら『庭師』の役割は自分の『命題』から逸脱した『脱命者』をひっとらえて、『監視塔』に引き渡すこと。でも、『脱命者』ったってヤバい犯罪を起こすとは限らない。せいぜいが欲望に負けて盗みを働くとか、「共振波」にあてられて暴力沙汰を起こすとか、ちゃちな犯罪ばっかりだろ。僕の「指輪」や君の「それ」なんて過剰に過ぎる。ーまあ、たまにヤバいのもいるけどさ」
ペストマスクの少年は自分に説明しているようなぺらぺらとした早口になりながら、少年の傍らにある得物を示した。その人さし指には、シンプルな銀色の指輪が鈍い光を放っている。
「だけど、この「伐採者」は違う。そいつ、『脱命者』の『斥候』を殺しているらしい」
「ついでに監視塔に聞いてみた。これまで、『植木鉢』に人間が逃げ込んでから、人が人を殺した事件が何件あったのか−どうかした?ジャック?」
どこか上の空のジャックに、シャロンは彼の目の前で声をかける。手を振りながら声をかけた。
「なんでもない。…それで?」
「もちろん一件。そりゃそうだ、『植木鉢』で殺人なんて起こるはずがない。これは『植木鉢』初の殺人事件―そのはずなんだ」ペストマスクがうつむくと、暗い影を作った。
「はず?はっきりしない言い回しだ」
「ジャック、君『植木鉢』の人口がいくらか知ってる?」
「およそ15万人だっけ。」
「その通り、正確には150342人。毎年多少の増減はあるけど、基本的にこのへんの数字をうろちょろしている」
「スパイクが殺される前は150343人だったみたいだけど―それがどうかしたの?」
「154327人」
「…」
「『伐採者』ジャックの殺害人数だよ、彼は『斥候』だけじゃない。既に15万人以上の人間を殺している―らしい。『監視塔』によればね」




