第55話 王国の届出は、はじめて増えた
薬礼の案は、雪の残るうちの総会で通った。
ガレンが置いていった計算に、レンツが二か所だけ手を入れた。配る先を札の者ぜんぶにしたぶん、財が足りない。足りないぶんを、レンツは医師団の四つの医学校への寄進から回した。
「文句を言う者は、庭へ行けと言うてやった」老医師は言った。「東の回廊で、朝の一刻、四十人が四行を書いておる。あれを見て、寄進の話をする者はおらん」
十六人が、四十人になっていた。よその医学校の学生が半分だ。
雪が解けて、区の数字が変わった。
「届出が、増えております」クレトが読み上げた。「八十区の合計で、夏の四分の一だったものが……夏の、二・一倍です」
「病は」
「減っております」クレトは言った。「埋葬の許可が、夏の百に対して、いま七十二。市の当番の穴、六十四。石工組合の欠勤、去年の同じ月の半分です」
俺は、二つの数字を並べた紙を、もう一度書いた。
――届出(医者と札の者が書いた数) 夏 百に対して いま 二百十
――埋葬の許可(役所が銭を取って出した数) 夏 百に対して いま 七十二
八十区に配った。貼ったのは、去年と同じ人たちだった。今度は、三日ではなく、一日半で八十区に貼られた。
「ねえ、エリアス」ミレイユが壁の前で首をかしげた。「これ、増えてるほうが、いいことなのよね」
「いいことだ」
「わかりにくいわ」
「わかりにくい」俺は認めた。「だが、病が減ったのに届出が増える、というのは、この国ではじめて起きたことだ」
去年の夏、この国は、病を数えられなかった。数えられないので、届出は少なかった。少ない数字を見て、王都は減ったと喜んだ。
いま、この国は数えている。数えるから、届出が増える。増えたぶんだけ早く見つかるので、病そのものは減る。
増えることが、勝ちだった。
春の入りに、辺境へ発った。去年の秋は「取りに行く」と言って出た。今度は、そう言わない。
「帰る」と言った。
街道は、泥だった。冬に固まったものが緩んで、車輪が沈む。十日の道が、十二日かかった。
十二日目の昼過ぎ、丘を越えた。
ミレイユが、先に立ち止まった。
「……四十五本」
数えた。
一本、二本、三本。かたまっているのを分けて、四十四、四十五。
四十三軒だったはずだ。二軒、増えていた。村の入口の板に、三つの形が彫ってある。熱。水。死。その下に、小石のくぼみ。
四つ目のくぼみが、掘ってあった。堀外の井戸端で見たのと、同じ形だ。誰が伝えたのかは、訊かなかった。
「エリアス!」
飛んできて、腰にぶつかった。去年より、ぶつかる高さが上がっていた。
「かえって きた」
「帰ってきた」
「わたし、ななつ」リタが言った。「ふゆの あいだに、ななつに なった」
「そうか」
「ニナちゃんは、やっつ」
俺は、足を止めた。
「……知っているのか」
「てがみ、きた」リタは得意そうにした。「ヨナスさんが、かいた。じは へただった」
物置の壁は、炭の線でいっぱいになっていた。横線が四十五本。その上に、日ごとの印。冬のぶんが、全部残っていた。
「ここ」リタが指した。「ここ、みっか きえてる」
「行ったか」
「いった。おばあちゃん、また こしが ぬけてた」
「三日目にか」
「ふつかめ」
俺は、その壁の前に、しばらく立っていた。炭の線の下に、去年はなかったものが足してあった。
小さな四角が、いくつも描いてある。数えると、四十五あった。横線と同じ数だ。
「これは」
「いえの、なか」リタが言った。「なんにん ねてるか」
「数えたのか」
「かぞえた。ふゆは、みんな おなじ とこで ねるから」
俺は、その四角を上から順に見た。中に、点が打ってある。二つ、三つ、五つ。いちばん多いのが七つ。
冬のあいだ、四十五軒の土間で何人が寝ていたかが、そこにあった。
「七つの家は」
「わけた」リタは言った。「テオせんせいと、いった。ふたり、となりに いった」
「誰が決めた」
「わたし」
この子は、まだ字が読めない。誰も、四角を描けとは言っていない。線が消えたら見に行く、を一年やって、この子は、消える前を数えはじめていた。
テオは、診療小屋の卓にいた。冬を越して、また少し痩せていた。それでも、立ち上がるのに卓に手をつかなかった。
「札が来たぞ」
「札」
「わしとモーグに、王都から。……雪の残るうちにな」老医師は木札を出した。医師団の焼き印が入っている。「書いてあった。現に数えておる者は、講習を修了したものとみなす、と」
「レンツだ」
「新しい筆頭か」
「そうです」
「よい男か」
「七十三です」
テオは笑った。「では、よい男じゃ」
モーグは、当番表を書き換えていた。四十五軒ぶんになっている。字は、去年より少しましだった。
白指病の届出は、そのころまでに、王国で二百三十一人になっていた。
洗い張りのベルタが、いちばん最初の一人だ。冬のあいだ、湯の使い方を書いた紙が八十区に回って、それを見た者が届け出た。仕事を辞めた者は、二百三十一人のうち、十四人。去年の冬より、少ない。
王女の紙も、その束に入っている。日付の順に、そのまま綴じてある。
継承を、この人は降りていない。
冬のあいだ、王宮の帳面をつけていた。賄いの数、洗い場の当番、蝋燭の払い出し。三百四十七人ぶんを、自分で数えている。第二条の登録者としてだ。
一度だけ、文が来た。用件は、書いてあった。
――西の棟の炭、一日六籠より、四籠に減じました。湯の使い方を、堀外の者に教わりましたので。
――数えております。 アデライン
麦が伸びはじめたころ、王都から早馬が来た。クレトの字だった。
――東の関より、報せ。防疫令の写し、二冊目。カルデア語。全十四条。
――前のものと、同じ訳ではありません。
――朱で、書き込みがございます。
俺は、その紙を持ったまま、村の井戸端に立っていた。
書き込み。
写した者が書き込むのではない。写しに朱を入れるのは、読んで、直す者だ。十四条のどこを直したのかは、書いていない。
――病を止める手順を、いちばん急いで欲しがるのは、誰か。
夏の終わりに、俺はそう書いた。
病を止めたい者だ。もう一人、いる。これから病を作る者だ、と。
いま、その者は、俺の令を読んでいる。読んで、直している。
俺は帳面を開いて、二行書いた。
――二冊目。朱。誰かが、読んでいる。
――読める者を、こちらも探す。
その夜、三冊のほうの帳面を開いた。役目の、終わらない帳面だ。
この一年で、王都アーレンスと堀外と八十区で、灰死病で死んだ者は、九百二十二人。名前の分かった者、九百四人。分からない者、十八人。その十八行に、分かる限りを書いた。荷揚げの若い男。飯屋の女ではない、その隣で寝ていた男。名不詳とは、書かない。
去年の夏は、千七百四十一人だった。
半分になった。
半分になったのは、俺が数えたからではない。四千二百枚のうち、俺が書いたのは百四十一枚だ。
書いたのは、字の読めない井戸番と、三十年書いたことのなかった医者と、五年で十例のはずだった学生と、王宮で炭を数えている王女だ。
泣いても、熱は下がらない。数えれば、次の一人が助かる。
去年の春、俺はそう言って、辺境の湿地で、六つの子どもを一人、数えた。名前を、リタといった。
今年、その子は七つになって、四十五軒の煙を数えている。
外で、石を置く音がした。かちり、と一つ。少し間があって、もう一つ。
生きている者の石は、置く前に両手で握る。
あの子が誰に教わったのかを、俺はまだ知らない。
第55話をお読みくださり、ありがとうございます。ここまでで、王国医療編は一区切りとなります。
薬礼の案は、雪の残るうちに通りました。ガレンが置いていった計算に、レンツが二か所だけ手を入れています。配る先を札の者ぜんぶにしたぶんの不足は、医学校への寄進から回されました。庭の十六人は、四十人になっています。
そして雪が解けて、この国ではじめてのことが起きます。病が減ったのに、届出が増えました。
去年の夏、この国は病を数えられませんでした。数えられないので届出は少なく、少ない数字を見て、王都は減ったと喜びました。いまは数えます。数えるから届出が増え、増えたぶんだけ早く見つかるので、病そのものが減ります。
増えることが、勝ちでした。
辺境へは「取りに行く」ではなく「帰る」と言って発ちました。丘の上のかまどは、四十三本から四十五本に増えていました。リタは冬のあいだに七つになり、ニナは八つになっています。ヨナスが下手な字で手紙を書いたそうです。
テオとモーグには、雪の残るうちに札が届いていました。「現に数えておる者は、講習を修了したものとみなす」。
白指病の届出は、王国で二百三十一人。仕事を辞めた者は十四人で、去年の冬より少なくなりました。王女は継承を降りず、王宮で三百四十七人ぶんの帳面をつけています。「西の棟の炭、一日六籠より、四籠に減じました。湯の使い方を、堀外の者に教わりましたので」
この一年の死者は九百二十二人。去年の夏の千七百四十一人から、半分になりました。半分にしたのは、四千二百枚のうち百四十一枚しか書いていない男ではありません。
そして麦が伸びはじめたころ、東の関から二冊目の報せが届きます。カルデア語の写しに、朱の書き込みがありました。写した者は、書き込みません。朱を入れるのは、読んで、直す者です。




