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キミがいて夢になる  作者: スパイシーライフ


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滾る気持ち

 回は6回の裏。シーサーペンツの攻撃中だ。

 シーサーペンツ打線はなんとしてでも北野を打ち崩すべく様々な策を打ったが、今のところ結果には結びついていない。


(ウチの連中が食い下がってるおかげで、北野はだいぶ球数を投げさせられてる。もともとスタミナに不安があったヤツだ。それが後半に功を奏してくれればいいが……)


 向井拓海はベンチ裏のモニターで、初回からずっと北野のピッチングを凝視していた。

 昨日先発して勝利投手になっている彼だが、今日の試合も優勝がかかっているだけにベンチ入りはしている。それは前日に三原監督本人から直接伝えられていた。


「オマエさんがベンチにいるだけで投手陣全体に良い影響を与えるからな。だから明日もベンチ入りはしてもらうぞ」


 選手たちの士気を上げるためには、どんな些細なことでも三原は欠かさない。もっとも、もちろん基本的に試合で投げさせるつもりはないのだが。


(こうなるとウチの先発の日下部がどこまで踏ん張れるか、だな)


 あるいは後半は両チーム継投策になるかもしれない。向井の頭の中に様々なシチュエーションが浮かんでくる。

 

「まいったな、こりゃ。手も足も出ないってのはこういうことなんだな」

 

 モニターを見つめる向井の隣りに来てそうボヤいたのは、4番バッターの小松だった。


「小松さんにしては、珍しく弱音吐いてますね」

「まさかこの年齢になってこんな経験をするとは夢にも思わなかったよ。どうにもこうにも全く打てる気がしない。お手上げだ」

「アイツ、ゾーンにでも入っちまってんですかね。そうだとすると実力以上のモノを出しますから厄介ですよ」


 向井の言うゾーンとは、集中力が極限まで高まり、適度な緊張と深いリラックスが同時に保たれている特殊な意識状態のことだ。その域に達すると極限まで集中力が高まり、周囲の音が聞こえなくなったりなどして無意識のうちに最高のパフォーマンスを長時間発揮できると言われている。それこそ自分の持っている能力の全てを発揮できるような状態がゾーンなのだ。


 かつてプロ野球界のある大打者が「ボールが止まって見えた」と名言を残したが、それがゾーンに入ってる状態を明確に表現していると言われている。


「ゾーンに入るなんて。そうそうあるわけじゃないのにな」


 小松の表情には暗い影が落ちていた。


「確かに良いモノを持ってるとは思っていたけど、でもここまでとは思ってなかったよ。まさに化けたって感じだ。三原さんが北野の移籍に激怒したって話を聞いた時は、この人は何でそこまでイレ込んでんだろう、ウチには他にも良いピッチャーはいるだろうにと思ってたけど、今日のアイツと対戦して納得したよ」

「あのオヤジには見えてた……ってことですかね」

「そうかもしれないな。あとは若生コーチか」

「しかしマズイですね。もう6回なのに、まだパーフェクト続行中ですよ。アイツの今日の調子だとマジでこのままやられかねませんね」

 

 なにしろアイツはプロ初登板で9回ツーアウトまではソレをやったんですから、と向井が言うと小松は肩をすくめて困ったような顔になった。完全試合をやられた上に優勝を逃しでもしたら踏んだり蹴ったりだ。

 

「それだけはなんとしても阻止したい……と言いたいところだが、さっきも言ったが正直俺はお手上げだ。2打席対戦はしたけど、正直どうにもこうにも手も足も出ない。情けない話だが打てる気がしない」

 

 小松ほどの男にそう言わしめるのなら本物と認めざるを得ない。

 今マウンド上に立っている男は、もう自分達の知っている男ではない。遥かに成長し、自分たちが成し遂げようとしているリーグ優勝の前に、巨大な壁となって立ちふさがる忌々しい敵だ。

 

「そんなに凄いんですか、アイツのチェンジアップは。俺は打席で見たことないんですよ」

「ああ。バッターボックスに立つとよくわかる。初めて見るわけでもないのに、それでもどうにも出来なかったよ。アイツの決め球だとわかっているのに、来るとわかっていたのにどうにもできなかった。どうしても身体が反応しちまうんだ」


 マウンドからホームベースまでの距離を、時速140キロのストレートなら0.4秒ほど、時速150キロなら0.3秒ほどで通過する。

 人間が目で見てから体が動くまでの反応時間は約0.2秒かかると言われているため、実質的にボールの軌道を見極めてスイングを判断できる時間は0.1秒からせいぜい0.2秒しかない。

 つまり目で見て確認してアクションを起こしたのでは事実上全く間に合わないのだ。


 そのためバッターは来た球に反応するのではなく、予測と自動化のプロセスで打っている。

 

 つまりこうだ。


 バッターは投手のフォーム、腕の角度、手首の形(リリースの瞬間)から球種やコースを瞬時に予測する。

 そして軌道の予測とスイング始動ボールが手から離れて約5〜6メートル進む間に、球筋つまりストレートか変化球かを見極め、この時点でもうスイングの準備は始まっている。

 そしてピッチャーが投げてから0.2秒ほどの時点でスイングをするかしないかを脳が最終決定するタイムリミットを迎える。ここを過ぎると人間の神経伝達のスピードではもはやスイングを止めることができない。ハーフスイングでバッターが打ち取られるのはこれが原因だ。


 要するに、このわずかの時間内で打者を誤認させれば打ち取れる確率が大幅にアップするわけで、北野のパラシュートチェンジはまさにバッターを誤認させてしまう。わかっているのに身体が反応してしまう……すなわち誤認しているのだ。


「小松さんがそこまでの弱音を吐くなんて、ホントに珍しいですね」

 

 それだけじゃないんだよ、と小松は言葉を続ける。

 

「おまけに今日は、相棒の神谷のリードが冴えわたっていやがる。チェンジアップに対応しようとすりゃストレートが来るし、あの地味に効くスローカーブを巧みに織り込んできやがる。どうにもこうにも、なんだかこっちの頭の中を覗いてんのか? ってぐらいに裏をかいてきやがって。もしかしたら、アイツも北野と一緒に進化しちまったのかもしれんな」

「……ウチにとって良い話はないんですか?」


 向井はそう言って苦笑いを浮かべた。ここまで聞いた限りでは、もう既に敗色濃厚ではないか。

 

 小松は4番打者であることに誇りを持っている男だ。その役割をチームの誰よりもわかっているから弱音は決して吐かない。

 4番が「これは打てない」などと公言したら他の選手たちも「小松さんが打てないんじゃ俺らには無理だよ」となってしまいかねないからだ。しかし、その小松がお手上げだと言うのだから相当なことだろう。

 

「実際問題として、完全に姿勢が崩れている状態で、揺れながら落ちるボールをどうやって捉えればいいんだ? 目がついていかないしバットコントロールでどうにかできる話じゃない。どうにかできそうな気もしない。運良くバットに当ったとしても、そんなフォームで満足なバッティングができるわけないだろう? まあそんな感じだよ。たぶんパラシュートチェンジに狙いを絞っていても同じだと思う」

「……そりゃ確かに小松さんがお手上げになるわけですね」

「おまけにあのスローカーブが本当に地味に効いてるんだ。あれのおかげでストレートがより早く見えちまうもんだから、なおさらチェンジアップの効果が上がる。おまけに油断しているとそのスローカーブで打ち取られちまいかねない。パラシュートチェンジもだが、実はアイツはあのスローカーブも独特の軌道を描くんだ。しかもチェンジアップとはまた違うタイミングでな。つくづくとんでもないピッチャーになったもんさ。ありゃもう反則だろ」

 

 小松の話を聞いているうちに、向井は本気で投げ合いたいと思い始めた。そう思ったらワクワクする自分の気持ちをもう抑えることは出来なかった。

 

「ちょっとブルペン行って肩を暖めてきますわ」

「えっ!? ちょっと待てよ。いくらベンチ入りしてるといっても、オマエは昨日先発で投げてるんだ。監督が投げさせるわけないだろう」

「今日のアイツの調子だと1点勝負ですからね。優勝がかかってるんだ。ピンチになったら連投だろうと何だろうと俺は行きますよ。優勝したいんでね」

「どうした向井。なんだか妙にアツくなってないか?」

「そう見えますか?」

 

 向井は小松の顔を見やると、一呼吸空けてからニヤリと笑って言った。

 

「じゃあ、きっとそうなんでしょうね」

 

 その表情は、ワクワクしている自分の気持ちを抑えきれないでいるように小松には見えた。

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