2つのステージ
シーズン最終戦を翌日に控えたその夜、北野は他の選手たちと同じく前日から新横浜のホテルに泊まっていた。明日の先発が北野であることはもう予告先発として発表されており、春香にもその公式発表を待って知らせてあった。
――2つのステージ、絶対成功させましょうね。約束ですよ。
春香からはそんなラインが送られてきた、2つのステージと表したのは、自分も一緒にいるからというメッセージなのかな、と北野は受け取った。それにマウンドはグラウンドの中では一番高い場所なわけで、それはピッチャーにとって間違いなくステージだ。
しかし北野が投げる明日の試合を取り巻く環境は、にわかに騒がしくなっていた。
シーサーペンツは現在札幌アウローラとゲーム差無しの2位。今日の対アルビオン戦は現在リードしており、一方のアウローラは試合がない。先発が向井拓海であることを考えると、シーサーペンツはおそらくこのまま勝つだろう。そして首位に立つ。
しかしアウローラも明日試合を残している。
明日シーサーペンツが勝てばそのまま優勝だが、もし北野がプロ初勝利をあげてアウローラが勝ったら、アウローラの再逆転優勝ということになる。
「なんとなくこうなる気はしてたけど、ホントになるとはなぁ……」
登板を翌日に控えベンチ入りしていない北野は、1人部屋で試合をテレビ観戦していた。
明日はシーズン最終戦である上に地元新横浜スタジアムでの最終戦。となれば大入り満員は間違いなく、事実チケットはとっくにソールドアウトの状態だった。
「テレビで見てても、球場がとんでもない雰囲気になってるのがわかるもんな」
その雰囲気は、おそらく明日もそのままだろうと北野は思った。いや、優勝がかかっているシーズン最終戦なので、その熱狂具合は今日以上になるかもしれない。
目の前のテレビで中継されている試合を観ながら北野は、同じように明日は自分が投げている姿がこうして放送されるのだな、それを大勢の人が観るのだなと考え、身が引き締まるような気恥ずかしいようなワクワクドキドキするような、それでいてどこか現実離れしたような感覚にとらわれた。
「初めて1軍のマウンドを踏んだあの日とは、またちょっと違う感じがするな」
開幕から4試合目の対京都ワルキューレ戦。あの時の前日は、ただただやっと1軍のマウンドに立てる喜びで満ちていた気がする。
真鍋のことがあり、調子を崩して目の前が真っ暗になって苦しんで、春香のおかげでようやく立ち直り1軍入り寸前までこぎつけたのに故障。
その傷が癒えたと思ったら人的保障で移籍。そしてようやくたどり着いたマウンドだったからなのか、感傷にふけるよりも喜びが先だった。
それに比べると、今日の方が様々な想いが胸に去来している気がする。
「それに加えて、また骨折して春香さんに支えられて、ようやくここにたどり着いたからかな。だからなのかもしれないな」
とはいうものの、北野はやはり負ける気など毛頭なかった。たとえそれでシーサーペンツのファンが悲しんだとしても、それは仕方のないことだ。ファンに恨みはないが忖度する必要もない。
(俺だって心の底から勝ちたいし、勝たなきゃいけない理由だってあるんだ。恨みっこ無しだぜ)
そんなことを考えていると突然内線電話のベルが鳴った。ホテルのフロントからだ。
「北野様にお客様がお見えになっているのですが」
「客?」
この時間にホテルへ来訪者とは一体誰だろうか。横浜に知り合いが誰もいないわけではないが、わざわざホテルまで訪ねて来る者に心当たりがない。
唯一考えられる人物は、今頃明日のライブの準備で大忙しのハズなのだ。会いに来る時間的余裕はないだろう。北野は訝しげに尋ねた。
「客って、誰ですか? 名前は?」
「椎名さまという女性ですが、ご存知でいらっしゃいますか?」
「椎名!?」
その苗字の知り合いは1人しかいない。しかしなぜ彼女がここに? 彼女は明日のライブの準備で忙しいはずなのに。
北野は「すぐ行きます」と伝えて部屋を飛び出した。エレベーターですぐロビーに降り……るつもりだったがなかなか来ないのに痺れをきらして、階段を駆け下りた。もしコーチや監督が見ていたら、慌てて走って転んでケガでもしたらどうするのだと怒られていただろう。
そのまま小走りにフロントへ向かうと、そこには確かに春香がいた。間違いなく春香本人が。
「春香さん……なんで? ライブの準備は?」
「えへへ……来ちゃいました」
息を切らす北野の対して、いつもの屈託の無い笑顔を浮かべながら、春香は舌をペロッと出しながらイタズラっぽくそう言った。
「いや、来ちゃいましたって……明日の準備で忙しいんじゃないの?」
「そうなんですけどぉ、でも北野さんがすぐそばにいるって思ったらどうしても会いたくなっちゃって。だからちょっとだけ抜け出してきちゃいました。もしかして迷惑でしたか?」
そんなわけない。そんなわけがない。そんなわけがあるはずない。
「いや、そんなことはないけど。迷惑だなんて、そんなことないけどさ。ただちょっとビックリしちゃって」
迷惑なんてことがあるわけない。むしろ自分も試合前にどこかで会えないかと考えていたぐらいなのだから。むしろ逆に自分から会いに行ってもいいぐらいだった。
それを行動に移した春香と出来なかった自分。逆だよなぁ、と北野は少々情けなさを感じた。男だったらもっとしっかりしなきゃダメだなと。
「ここじゃなんだから、ちょっとお茶でもしようか」
北野はそう言って春香をホテル内の喫茶店へと誘った。もちろん春香が断るわけもなく、彼女はとても嬉しそうに「はい」と返事をした。満面の笑みで。




