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キミがいて夢になる  作者: スパイシーライフ


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指切り

「そういえば、ライブ行けなくて悪いね。できたら行きたいと思ってたんだけど」


 席に着くなり北野がそう謝ると、春香は小さく首を横に振った。


「そんなの気にしないでください。同じ日に登板するんですから仕方ないですよ。でも、次の機会には絶対来てくださいね」

「もちろん。登板日と重ならない限り絶対行くから」


 心が穏やかになっていくのがわかる。彼女と話しているだけで、顔を見ているだけで気持ちが落ち着いていく。絶対に大忙しのハズなのに、それでも合間を縫って会いに来てくれた。それがどれほど自分の力になっていることか。


「ライブの準備は順調にいってるの?」

「はい。スタッフの皆さんがみんな一生懸命に頑張ってくれれて、明日はとっても素敵なライブになりそうです。今からもうワクワクしているんですよ」

「楽しそうだね」

「そりゃあそうですよぉ。だってずっと歌手になりたくて、でも上手くいかなくて悩んで北野さんに相談して励ましてもらったりして、頑張って頑張ってようやくアリーナでライブが出来るところまで来たんですもん。楽しくないわけないじゃないですか」

 

 よほど充実した時間を過ごしているのだろう。春香は嬉しくて楽しくて仕方がないという気持ちを全身から発していて、北野には眩しいくらいに輝いて見えた。

 待って待って待ち続けて、頑張って頑張って、そしてようやく得た今の歌手活動を心から楽しんでいる彼女を見ていると教えられる。

 

(俺もこうじゃないといけないんだろうなぁ)

 

 北野も様々な紆余曲折を経てきたし、挫折に近い経験を経て明日マウンドに立つのだが、同じような経験をしただろう春香が今これほどの輝きを放っているのだから、自分もこうでなければならないのだと思う。


 いや、こうでありたいと思う。


 ステージで歌うことが嬉しくて楽しくて仕方ない春香のように、自分もマウンドに立って投げるのが嬉しくて楽しくて仕方がない男でありたい。

 

(どうせ明日の試合に勝とうが負けようがウチの順位はもう確定してるんだもんな。おかげで余計なことを考えずにピッチングに専念できるってもんだ。むしろ俺はツイてるんじゃないか?)

 

 既に順位を確定している福岡アルビオンにとって、対戦相手の本拠地で行う明日の試合はハッキリ言って消化試合以外の何物でもない。個人成績のみがかかった試合であって、結果としてシーサーペンツの優勝がかかりそうだが、それはまた話が別だ。

 そういう試合だからこそ北野を登板させることが可能なのであり、もしチームの置かれた立場が逆ならば彼の起用は間違いなくなかっただろう。

 

 だが理由はどうあれチャンスであることに変わりはない。春香のためにも自分のためにもここで負けるわけにはいかない。

 

 けれどここで、真鍋のためにと肩肘張って調子を崩した昨年の二の舞を踏むほど北野もバカではない。

 それよりも、春香のように舞台に立っていることを楽しもうという姿勢の方がおそらく正しいし正しくあって欲しい。きっとその方が見ている側からしても喜ばしいことだろう。

 だいたい自分は女神に応援されているのだから負けるわけがないじゃないか。そう思った。

 

「あ、私そろそろ戻らないと」

 

 ひとしきり話の花が咲いたところで、春香が時計を見ながらそう言った。もっと話していたいけれど、明日の準備をしている途中で抜け出してきた手前そうもいかない。

 

「もっと一緒にいたいんですけど……ホント、楽しい時間ってアッと言う間に過ぎちゃいますね」

 

 残念そうな春香を見て、北野は胸をキューッと絞めつけられるような愛しさを覚えたが、かろうじてそれを表に出すことはなく「なら送っていくよ」と言って席を立った。



 

「久しぶりですね、2人きりで並んで歩くの」

「そうだね。俺の送別会の時以来かな」

 

 送別会の時。そのワードを耳にした途端、春香はあることを思い出し顔を真っ赤に染めた。それを見た北野もあの時のことを思い出して照れくさくなり、すこし頬を赤くしながら人差し指で頬をポリポリと掻く。

 

「あ、あの、明日初めて新横浜スタジアムで投げるんですよね。やっぱり感慨深かったりしますか?」

 

 送別会の話題を広げられると恥ずかしいので、春香は自分から話題を逸らそうとした。

 

「う、うん、そうだね。やっぱりあそこで投げるのがシーサーペンツにいた頃は夢だったから、ようやく立てるんだなーとは思うよ。でも、それだけかな」

 

 ホントにそれだけだよと北野は繰り返したが、それは本心からの言葉だった。感慨深いのはここまで来たということに対してであって、あのスタジアムで投げること自体には特に思うところはない。

 

「いつきさんがいなくなって、着るユニホームが変わって、春香さんは歌手として成功してるし、ホントいろんなことが変わったよね。でも、やっぱり変わらないものもあるし」

「そう……ですね。わかります」

 

 環境がいくら変わろうとも、自分自身は何も変わらない。自分の心は、気持ちはあの頃とひとつも違っていない。北野の横顔を見つめながら春香はそう再確認した。

 

「北野さん、私とした約束、覚えてますか?」

 

 春香は不意にそう尋ねた。もちろん北野は覚えている。忘れるはずが無い。

 

「もちろん覚えてるよ。一緒にもっともっと上に行こうって言った、アレでしょ?」

 

 その答えを聞いた春香は、我が意を得たりとばかりに満面の笑みを浮かべた。もう数え切れないほど見た春香の笑顔だが、この時のそれはいつも以上に可愛らしく、愛らしく、愛おしく北野には思えた。

 

「一緒にって言ったのに俺の方は出遅れて、春香さんだけ先に行っちゃったけどね」

「そんなことないです! だって北野さんはケガしちゃったじゃないですか。ケガさえしなければ、今頃北野さんはすっごく活躍していたって思います。私はそう思います。ホントにあのケガさえなければ、北野さんはきっと大活躍していたハズです。絶対絶対そうなんですから」

 

 ケガさえなければ、それはいまさら思い切り無意味な仮定ではあるが、あの日の試合中に北野は確かな手応えを自分自身に感じていた。自分がプロでやっていけると、プロのマウンドで戦っていけると実感することができた。


 だからこそやはり思ってしまう。


(もし今年1年間投げ続けることができていたら、一体どんな成績を残せていたんだろうな……)


 春香の言う通りなのか、それとも……。

 

「そうだね。そうだったらいいね」

 

 少しばかり歯切れ悪く北野がそう言うと、春香はムキになって「絶対ホントにそうなっていましたってばぁ」と繰り返した。ムキになってそう訴える様が妙におかしく思えた。

 

「じゃあ、そうだってことを明日証明しなくちゃだね。春香さんの言う通りだって」

「はい。ぜひ証明してください。それで、北野さんはこんなに凄いピッチャーなんだぞっていうのを、満員のファンの人たちに見せてあげてください」

 

 いつものことながら、春香と話していると本当にやる気が湧いてくる。

 思えば初登板の前日も電話で話し、そして励まされたのだった。彼女と話して、明日は成功する気しかしないほど自信に満ち溢れてきて、そして実際に好投することができた。きっと今回も同じに違いない。

 

 ありがとう、と北野は言った。不意にそう言われた春香は明らかに戸惑っていた。


「えっ、どうしたんですか、急に」

「いや、あのさ、いつも春香さんに励まされてきたなぁって思って。イップスみたいになって苦しんでた時も、その後骨折しちゃった時も、移籍が決まった時も移籍してからも、ずっと春香さんに励まされてきたおかげで今の俺があると思うんだ。だから、その、感謝の気持ち、的な?」

「そんな……私はただ少しでも北野さんの力になりたかっただけで、でも励ますぐらいしか私にはできないから……だからそんなお礼を言われるほどのことじゃ」

 

 春香は胸の前で両手を振ってそう謙遜した。

 彼女の励ましが北野にとって何よりの力となったのにも関わらず、本人は今でも本気で自分は大して役に立てなかったと思っている。

 

「そんなことないよ。春香さんには感謝してる。もし春香さんと出会ってなかったら、俺は今ここに居るかどうかわからないよ」

「そんな……」

 

 春香は言葉を失った。そんな事を言われるとは思いもしていなかったから、いったい何と答えればいいのかわからなくなってしまったからだ。しばらく沈黙が続いた。

 

「……きっと北野さんは、何があっても今のポジションを掴んでいたと私は思います。私が居ても居なくてもきっと。でも……」

 

 春香は一瞬言葉を切り、やがてこう続けた。

 

「私が少しでも力になれたのなら、凄く嬉しいです。そう言ってもらえてホントに嬉しいです」

 

 春香はあやうく泣くところだった。感謝の気持ちを言葉にされて嬉しくて感動して、また北野の前で泣いてしまうところだった。

 嬉し涙とはいえ、泣き出したりしたら彼が驚いて動揺するのはわかっている。明日登板する人の気持ちを乱しちゃいけない。

 けれどやはり嬉しくて、涙はもう溢れる寸前だった。

 

「あーよかった。私、ちゃんと北野さんの役に立ててたんですね。力になれてたんですね。ホントによかったぁ」

 

 流れそうになった涙を人差し指でこっそり拭いながら、春香は心の底からそう言って安堵した。こんな自分でも北野の力にちゃんとなれていたと知った喜びは何物にも代えがたい。

 

「春香さん。俺、約束するよ。明日、絶対勝つから」

「じゃあ、わたしも約束しますね。明日のライブ、ぜったいぜったい成功させますから。来てくれたお客さんがみんな大満足してくれる、そんなライブにしてみせますから」

「よしっ! じゃあさ、指切りしようか?」

「指切り?」

「そう、指切りげんまん。送別会の夜に2人でやったでしょ? どう?」

「はいっ!」

「指切りげんまん! ウソついたら針千本飲-ます!」

 

 そこには子供のように無邪気な表情で指切りをする2人がいた。

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