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キミがいて夢になる  作者: スパイシーライフ


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77/87

西へ

 左手首を骨折した北野は、当たり前のことだが1軍登録を抹消され2軍に合流していた。

 もちろん他の選手とは別メニューの練習だが、それでも足を骨折した去年よりは全然ましだと本人は思っていた。

 

(まだ下半身のトレーニングができるだけいいさ。去年は本当に何もできなかったんだからな)

 

 ギプスを外してから半月経っても捻ると痛みがあるし、手首関節の動きもいまひとつ悪い。腫れもまだまだひいていない気がする。

 毎日懸命にリハビリを続けてはいたが、この分では当分本格的なピッチングは望めそうになかった。

 

(時間がかかりそうだな)

 

 骨折したのが利き手でなければそれでもピッチングに影響は無いからいいのだが、北野の場合は利き手の手首の故障であるだけに、動きの違和感はピッチングに重大な影響を及ぼす。

 こんな状態では細かいコントロールなど望むべくもなかったし、納得のいくボールなど投げられやしないだろう。


(まあ仕方ないか。焦ったって何もかわらねえもんな)

 

 なるようにしかならないのだから、今はとにかく自分の出来ることを出来る限りやる以外にない。焦らず諦めず、もう一度あのマウンドに立つためリハビリを続けよう。


(それに去年と違って、今年の俺には春香さんの歌があるからな)


 春香はあれから歌手として2枚のシングルと1枚のアルバムをリリースしていた。もちろん北野は全て買って聞いている。

 

 中でもやはり去年春香が自分に送ってくれたあの歌『あなたへ』だ。


 名前を伏せられたまま動画サイトに投稿されて話題となったこの曲は、春香のデビュー曲として発売されるやいなや大ヒット曲となっていた。


(そりゃそうだ。ホントに良い曲だもんな。売れないわけねえし)


 その歌が、今また彼を励ましてくれている。彼の背中を押してくれている。いったい自分はどれだけ彼女に助けられ救われているんだろう。


(この歌のおかげで、今年は去年ほど落ち込んでないんだよなぁ)


 落ち込まない、焦らない、常に前を向く。春香には教えられることばかりだな、と北野は思うのだった。

 

 

 

 手首の痛みが消えピッチングの許可が下りたのは、怪我をしてから3ヶ月近くが経った頃だった。

 

 全力投球には程遠いとはいえ、久しぶりに握ったボールの感触は懐かしさすら感じさせ、ただの軽いキャッチボールなのにそれが楽しくて嬉しくて仕方がなかった。

 

 だが良い事ばかりではもちろんない。


 痛みが消えたとはいえ、その左手首の動きはぎこちなくて違和感があった。


(これは……まだまだダメだな……)


 さらに日にちが経ってキャッチャーを座らせて投げることが出来るようになっても、なかなか違和感は消えなかった。どうにも手首の動きが悪い。


(なんかこう、違うんだよなぁ。痛みも消えてないし)


 このままでは思い通りのピッチングなど望めるわけもない。


(いつになったら元の状態に戻るのかな。いや、もしかしたらもう戻らないんじゃ?)

(イヤ、ダメだダメだ。焦るなよ。焦って別のとこを故障でもしたらバカバカしいぞ)


 前向きでいろとする自分と不安に飲み込まれそうになる自分。相反する2人の自分が心の中で戦っている。

 北野の心には、知らず知らずのうちに焦りと不安が再び忍び込み始めていた。


(こんな時、春香さんがいたらなぁ……)


 彼女ならきっと自分の不安や焦りを和らげてくれるだろう。前向きな気持ちにさせてくれるに違いない。


(ラインや電話じゃあ、やっぱり違うんだよな。会って話したいな……)


 北野の中で春香の存在は、日を追うごとに大きくなっている。



 

 その日福岡アルビオンの2軍は休養日だった。

 どうしても身体を動かしたい者はランニングのみ許可。そのランニングも午前中のみというのが休養日のルールだ。

 もちろん判断は選手個々に委ねられ、コーチも監督も口出しはしない。ルールを破ってケガをしたり調子を狂わしたりしてもそれは自己責任であり、常にそのように選手の自己判断に任せるのが福岡アルビオンというチームの基本姿勢だ。ちなみに北野は身体を動かしたい派だった。

 

 自主練習なので特に決まりがあるわけではなく、ランニングだけ行う選手たちは三々五々グラウンドに集まっては帰っていく。

 北野は相棒の神谷と共にグラウンドを走っていた。神谷は1軍なので関係ないのだが、今日はたまたま試合が無いので北野に付き合っていた形だ。2人は何だかんだで行動を共にしている時間が多い。

 

 まだ医師の許可が下りていないので全力でボールを投げることはできないし、あまり手首に負担をかけることもできないので、マシンによる上半身の筋トレも決められたメニュー以上のことは止められている。

 そんな現状で北野は、とにかく下半身だけでも状態を保とうと来る日も来る日もマシントレーニングと走りこみで下半身の強化に努めていた。今のこの時間が後々必ず役に立つと信じてだ。そして休養日の今日もこうして走っている。

 

(なんだかシーサーペンツにいた頃を思い出すな)

 

 昨年まで所属していたシーサーペンツの練習場では、とにかくヒマさえあれば走り込んでいた。もともとはスタミナアップと下半身強化を兼ねてのものだったが、春香が「北野さんはいつ来ても走ってますね」と言うほどに走りこみを重ねていた。今でこそだいぶ自信がついたが、あの当時はとにかくスタミナアップが何より優先される至上課題だったから。

 

(前はこうして走ってると、春香さんがひょっこり顔を出したりしたんだよな)

 

 もちろんいつもそうだったはずはないのだけれど、なぜか不思議とそんなことが多かった気がする。そして実はそれを内心密かな楽しみにしていた北野だった。

 

(春香さんか……今頃どこで何してるかな)

 

 今日は仕事だろうか。何の仕事をしているだろうか。福岡に来てからは以前よりも頻繁にラインや電話でやりとりをするようになっていたが、彼が骨折してから春香の方からはほとんど連絡して来なくなっていた。もちろん北野の方から連絡を入れれば、今までと同じように返事は帰ってくるのだが。

 

(気をつかってるんだろうな。怪我人相手だから)

 

 自分の方から連絡すると迷惑になるとか、怪我にさわるといけないから俺から連絡があった時にだけ返事をしようとか思ってるんだろうな、と北野は考えていた。彼女はそういう女の子だから。

 

 だが北野のケガ、骨折自体はもう治っている。骨はくっついている。今の彼は調子をとりもどすことに腐心している段階なのだ。

 そんな今、もう必要以上に気をつかわなくてもいいというのが彼の正直な気持ちだった。

 今のように一方的に自分から連絡するような形は何だか心苦しいし、何より自分だけ空回りしているような気がしてしまう。できたら以前のように気兼ねなく連絡し合えるほうが良い。

 

「おい、どうした北野」

 

 並んで走っていた神谷が突然そう声をかけた。どうやら北野は春香のことを考えながらボーッとしてしまっていたらしい。

 

「ところで北野、手首の方はどんな感じなんだ? まだ痛むのか?」

「いや、普段生活してる分には痛みはもうそんなに無いんだ。ただ投げる時は痛むし、それよりどうも手首の動きがイマイチでさ……」

 

 北野は自分の現状を素直に話した。手首の状態がしっくり来ないのでコントロールが思うようにならない。全力で投げていないとはいえ球威もイマイチな気がするし肝心のパラシュートチェンジもイマイチだと。

 

「手首だからなぁ。ピッチャーは感覚が大事な人種だから大変だな」

 

 感覚が大事なのは野手も同じはずなのだが、ピッチャーが精密機械のようだと形容されるのは事実だ。

 本当にほんの些細なことでピッチャーは調子を崩してしまう。時には試合中に調子を狂わせてしまうことすらある。だからこそ精密機械なのだ。

 

「まあ焦らずジックリやるしかないだろうな。焦ってもロクなことが無いからさ」

「まあなぁ……頭ではわかってるんだけどさ。そうは言ってもなかなかなぁ」

 

 そう、頭ではわかっているのだが、それでもやはり今の状況ではどうしても不安や焦りが心の隙間に入り込んできてしまう。もし元に戻らなかったら……などとつい考えてしまう。春香の歌を聞くたびに元気をもらっているにも関わらず、だ。

 

「そんな不安そうな顔すんなって。少なくとも骨はくっついてるんだろ? それで痛みも減ってるんだったら、調子だってそのうち必ず戻ってくるだろうよ。焦るなって」

 

 神谷はそう言って励ましてくれたが、それでも北野の心が快晴の青空のように晴れ渡ることは無かった。

 本当に完治して元のように投げることが出来るのだろうかという不安が、どれほど前向きでいようとしても、やはりどうしても拭い去れない。

 

「だからそんな顔すんなって。そんな冴えない顔してると治るもんも治らなくなるぞ。焦らず落ち込まず地道に治るまで待つ。それしかねえだろ?」

「そりゃそうなんだけどさぁ……」

 

 暦はもうすぐ8月になる。そろそろ本格的に投げ込んで調子を上げていかないと、このままではシーズン中に復帰出来なくなる。

 春先に可能性を示しているから来季の契約更新はしてもらえるだろうが、可能ならば今シーズン中に復帰したい。そして勝ちたい。それは北野の願いでもあり今現在のモチベーションでもあった。

 焦っても仕方がないと頭ではわかっているものの、それでも早く復帰したいという想いは抑えることが出来なかった。

 

 そしてもう1つ、北野にはファンに忘れられたくないという想いもあった。

 春先の鮮烈なピッチングで彼は一躍福岡では時の人となった。メディアへの登場回数は飛躍的に増え、一気に顔も名前も知れ渡った。街に出ると声をかけられるようになった。

 

 それはフレッシュオールスターで活躍した後に初めて経験したことだったが、実に嬉しい経験だった。

 そして福岡に来てさらに多くの人から声をかけられ応援してもらえるようになった。

 こんなに嬉しく楽しく励まされることをこれっきりにはしたくない。下世話な言い方をすれば、これからももっとファンからチヤホヤされたい。自分はもうその快感を知ってしまったからだ。

 

 もちろんそれが総てであるわけはないが、それは間違った感情だろうか。いや違う。せっかく今のような立場になれたのだから、これからもそうでありたい。人間としてそれはきっと素直な感情だろうと北野は思う。

 

 しかしそのためには当然実力が伴っていなければならない。ファンは魅力的な選手であればこそ応援してくれるし、もてはやしてもくれるのだ。そうでなければすぐに忘れ去られてしまうだろう。

 

(こんなことを考えているから調子が戻らないのかなぁ)

 

 自分が清廉潔白な人間でないとこはよくわかっているが、もっと純粋な気持ちで練習に励めば元に戻るのだろうか。そんな宗教的な考え方すらしてしまう北野だった。


 と、その瞬間彼の足が止まった。

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