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福岡へ

 福岡へと向かうその日、北野は1人新横浜駅新幹線ホームにいた。

 チームの皆には合宿所で見送られた。駅まで送ると言ってくれた者もいたが、それは北野の方で断わった。各々やることがあるのだからと思ったし、その気持ちだけでもう十分だった。


(春香さんは、今頃仕事してるんだろうな)

 

 新幹線の時間は教えてあったので、もしかしたらという気持ちもあるにはあったが、当然のことながらホームに彼女の姿らしきものは見つけられなかった。

 

(そりゃまあそうだよな)

 

 北野は唇に手を触れていた。無意識のうちに。


(昨夜のアレって、本当にあったことなのかな……)


 もしかしたら自分は夢でも見ていたんじゃないだろうか。そう考えもしたが、未だ唇に残る感触が、事実起こったことだということを示している。

 

(それにしても、なんで春香さんはあんなことを……)

 

 それは北野にはもちろんわからない。

 だが少なくとも、彼女が自分に好意を抱いてくれていることだけはわかった。

 そうでなければあんなことをするコじゃない、春香が軽々しく男にキスをする女の子ではないことを彼はちゃんと知っている。

 

(春香さんが、ねぇ……)

 

 まさか春香が自分に好意を抱いているだなんて思ってもいなかったが、彼女の本心が知れたことはやはり嬉しかったし、自分を好きだと思ってくれていることも素直に嬉しかった。照れくさくもあったが。

 

 ホームにまもなく到着する列車のアナウンスが流れた。北野が乗車する列車だ。

 真っ白な車両が東京方面からホームに向かって滑り込むように入ってきて、やがて完全に停車した。

 

 横浜で過ごした日々は振り返れば充実していたし楽しかったが、同時に悔しい思いもした。

 悲しいことも涙を流したこともあった。

 だがそれももう終わりで、これから自分は福岡で新しい道を歩み始めるのだ。いつまでも過去をひきずるわけにもいかない。

 この列車に乗り込んだその瞬間から、シーサーペンツでのことはもうリセットしてイチから出直そう。そうしなければ福岡アルビオンの一員にはなれないだろうから。

 

 北野はたったひとつのボストンバッグを手に取り車両へと乗り込んだ。と、その時彼のスマホはラインが来たことを振動で知らせた。

 

(このタイミングで誰からだろう?)

 

 席に着いた北野はスマホを手に取りチェックした。

 

(あれ? 春香さんからだ)

 

 何だろうという気持ちと、連絡をくれたという嬉しさ。北野はすぐにラインを開いた。

 

『また会う日まで少しだけお別れですね。北野さんが1軍のマウンドに立つ日をずっと待ってます。福岡でも北野さんらしくいてください。またね』

 

 短い言葉だったが、北野は何度も読み返した。

 

(そうだよな。もう二度と会えないわけじゃない。電話だってなんだって出来るんだし、別に深刻になる必要なんて何もないんだよな)

 

 次にいつ会えるかはわからないが、それでもいつかまた必ず会える。それもそんなに先の話ではなく、すぐにまた会えるはずだ。少しだけ気持ちが楽になって落ち着いた北野だった。

 

 1軍のマウンドに立つ日をずっと待ってると春香は書いてくれている。春香にも、そして真鍋いつきにも早く自分の晴れ姿を見てもらいたい。そのためには来シーズンこそは石にかじりついてでも1軍に上がらなければ。

 

(いや、上がらなきゃじゃなくて上がるんだ。何がなんでも1軍に上がるんだ。いつきさんとの約束を守るために、春香さんとの約束を守るために、何より自分自身のために、来シーズンこそ何が何でも1軍に上がるんだ。そのためには今日向こうに着いたらすぐにでもトレーニングを始めなきゃな)

 

 新横浜から博多までは5時間近い旅になる。北野は道中特に何もすることがないので、音楽でも聴いていようとポケットの中のポ-タブルオーディオプレーヤーを手に取り、イヤホンを耳に装着し背もたれにもたれかかった。

 

 目を瞑って座席にもたれかかり曲を聴いていた北野の脳裏には、いつの間にか今年の夏のことが思い浮んでいた。

 ケガのために何もすることができず、焦って悶々としていた自分を落ち着かせてくれたのは春香だった。自分にはツキが無いんじゃないかと落ち込んでいた自分を励ましてくれたのも春香だった。

 

(ああ、そうか)

 

 ようやくわかった。北野は、今やっと自分の本心に気がついた。

 

(そうか。そうだったのか。俺も……俺も春香さんのことが好きだったんだな……)

 

 横浜を離れる今になってそのことに気がつくとは。北野は自分の鈍感さに呆れる思いだった。もっと早くに気づいていたら、そうしたら違う今があったのだろうか。

 

(何バカなこと考えてんだ、俺は。気づいたからって、だからどうしてたっていうんだよ。何も言えない、好きだなんて言えるわけないじゃないか)

 

 北野はオーディオプレーヤーを一度停め、ある曲を選んで再び再生を開始した。あの時春香が送ってくれたあの曲だ。

 

(春香さんはもうタレントとして人気だけど、俺はこの世界でまだ何も実績らしいものがない。そんな俺がどうして春香さんを好きだなんて言えるんだよ)

 

 彼女に想いを伝えるためには実績を作らなければ、1軍で活躍しなければ、そうでなければ彼女と肩を並べることができない。

 それは男のちっぽけで安っぽいプライドなのかもしれないが、それでも春香に胸を張って好きだと言うには、今はまだ力が足りない。


「それを言うためにも、来シーズンこそは……」

 

 


「春香、北野さんの見送りに行かなかったんだって? どうして行かなかったのよ」

 

 北野が福岡へと発ったその日の夜、浅野小春は寮へ帰るなり春香の部屋を訪れた。

 

「どうしてって……別にもう一生会えないわけじゃないし、お仕事だってあったし」

 

 小春は自分の荷物を乱暴に放り投げるように床に置くと、足取りもまた乱暴にドスドスといった様子で春香に歩み寄った。そのあまりの迫力に春香が怯むほどに。

 

「そうかもしれないけど、北野さんが福岡行っちゃったら今までみたいには会えないし、次にいつ会えるかだってわからないでしょ? 会える時に会っておかないと絶対後悔するのに」

「そんなこと言われても……いまさらもうどうしようもないし」

 

 口ではそう言いつつも、実は春香も内心では小春と同様のことを考えていた。

 考えてはいたのだが、それでもやはり見送りには行けなかった。行かなかったのではなく、行けなかった。

 

 最初は辛い気持ちを隠して都合をつけて見送りに行くつもりでいたのだが、やはり別れ際に顔を見たら泣いてしまいそうで不安だった。もしそんなことをしたらこれから福岡で心機一転頑張ろうとしている北野を困らせてしまうだろう。そんな足を引っ張るような真似は絶対にしちゃいけない。

 

(それに……)

 

 春香は夕べ自分がした行動のことを思い出していた。

 

(昨日の今日じゃ……どんな顔して会えばいいかわかんないよ)

 

 どうしようもない衝動に駆られてやってしまったことだが、思い出すたびに顔から火が出るほどの恥ずかしさを覚える。恥ずかしい、けれどもちろん全く後悔はしていない。

 

「どうしたの春香。なんか顔、赤いよ? 熱でもあるの?」

 

 今の今まで猛烈な勢いで春香を叱責していた小春だったが、春香の顔が赤いことに気づいた途端に一転して心配げな表情へと切り替わった。

 

「なんでもない! なんでもないから!」

「ホントに? なんかヘンだなぁ。ホントに大丈夫なの?」

「大丈夫だよ。ホントに大丈夫だから」

 

 まさか北野にキスしたなんて言えるわけがない。いくら相手が小春でも、それを言うのはさすがに恥ずかしかった。

 

(北野さん、私の気持ちに気づいてくれたかな。気づいてくれたよね、きっと)

 

 ビックリしただろうと思う。女の子からいきなりキスなんかされたら、ビックリするに決まってる。

 

(はしたないコだって思われちゃったかな)

 

 これで嫌われてしまったらどうしよう、いまさらになってそんな心配をする春香だった。

 いよいよ北野翔の福岡での日々が始まります。まだまだ紆余曲折がある予定の彼と春香ですが、完結までの道筋はもうすでに出来上がっています。2人の物語をリアルタイムで一緒に追いかけてもらえると嬉しいです。ご意見・ご感想お待ちしております。

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