いざマウンドへ
「もう、雪乃が寝坊するからだよ?」
「ごめんなさーい。ちょっと夜更かししちゃって朝起きれなかったんですよぉ」
「いいから、早く早く! 試合始まっちゃうよ。春香もずっと待ってるんだから」
「ちょと小春さぁん、待ってくださいよぉ。置いていかないでぇ」
北野が投げるその試合を一緒に観ないかと誘われた小春と雪乃が、ようやく球場にたどり着いた。なんとか試合開始に間に合いスタンドで待っている春香を見つけた2人は、息を切らせながら春香に並んで腰掛け一息ついた。
「ごめん春香、遅くなっちゃって」
「ううん、大丈夫だよ。なかなか来ないから心配して電話しちゃったけど」
「あ、そうだったの? ごめん。バッグに入れたまま走ってきたから気がつかなかった」
小春が慌ててバッグの中からスマホを取り出すと、たしかに着信アリを示すランプが点滅していた。
「遅くなったのは、みーんな雪乃のせいだから。文句は雪乃に言ってね」
「あー、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
3人がそんなやり取りをしていると、スタンドにいる春香の存在に気づいた1人の男が彼女に歩み寄って声をかけてきた。乙倉裕貴だ。
『GO!GO!シーサーペンツ!!』を休みがちになっている春香だが、乙倉は以前と全く変わらぬ優しげな表情と態度で春香に話しかけた。
「やあ、春香ちゃん、久しぶりだね。元気にしてた?」
「はい。元気でやってます。ご無沙汰してすみません」
春香はそう挨拶すると、小春と雪乃を乙倉に紹介した。
「ちょうどいい日に来たね。今日の試合は北野が先発だってよ」
「ええ、そう聞いたので、たまたま今日はお休みだったので友達を誘って観に来ちゃいました」
「ほぉ、それはそれは」
乙倉はそう言って顔をほころばせた。
「あの、最近の北野さんはどうなんでしょうか? 今日は三原監督が見に来てるって聞いたんですけど、今日良いピッチングすれば本当に1軍に上がれそうなんですか?」
乙倉はそう尋ねられて、よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりの表情で、それこそウキウキ顔で春香に話し始めた。
「1軍ではここまで順調に勝ち星を上げてきたルーキーの日下部がすっかり調子を落としてるし、鳴り物入りで移籍してきた江上が期待の大きかった割にずっとパッとしないからね。三原監督はそれでも我慢して2人を起用してきたけど、さすがにもう我慢の限界だと思うんだ」
乙倉の言っていることは事実で、それは春香も知っていた。なにしろ彼女は、毎日シーサーペンツの試合結果と順位に一喜一憂しているのだから。
「シーサーペンツは今3位だけど、4位との差はほとんどない状態まで縮まっちゃってるよね。このままだとズルズル後退しかねないし、Aクラスを確保するために先発陣のテコ入れをするはずなんだ。多分日下部か江上のどちらかを落として誰かを上げるんじゃないかと僕は睨んでる。その時に代わりに上げる最有力候補が北野だから、だから今日三原さんが直々に見に来たんじゃないかな。もともと三原さんは相当アイツに期待してるしね」
「そうですか」
乙倉の話を聞いた限りでは、本当にこの試合で結果を出せば1軍昇格となりそうだ。春香は秘かに心躍らせていた。やっとだ。ようやっと彼の努力が報われる……。
「三原さんが直接見に来るってのにはちょっと驚いたけど、逆に言えば目の前でアピールする絶好のチャンスだからね。北野はちょっと自分を見失ってピッチングが乱れていたけど、今はもうすっかり立ち直って別人みたいになってる。今まで誰よりも努力してきてるのは僕も知ってるし、あくまで今日の内容次第ではあるけど、まあまず大丈夫なんじゃないかな」
乙倉はそう太鼓判を押した。
「そうですか。北野さん、上がれるといいなぁ」
「心配いらないと思うよ。さっきも言ったけど、今の北野は1ヶ月前とは違うからね」
「そんなに違うんですか?」
「違うねぇ。細かいことを言えばチェンジアップがさらに安定してきたとか、フォームを若干修正してコントロールが良くなったとか幾つかあるけど、やっぱり一番は精神面の変化じゃないかな」
「やっぱりそうなんですね」
自分も感じていたけれど、どうやら彼の精神的な成長に乙倉も気づいていたようだ。
「自分を可愛がってくれていた真鍋が怪我で引退したのは相当ショックだったと思うよ。そのせいで北野は結果を出すことばかりに気を取られてしまって自分の長所を自分で消してしまっていたんだよね。アイツの武器はノビのあるストレートで、それがあるからあの特殊なチェンジアップが尚更生きるわけ。それが縮こまった腕で投げてたんじゃ話にならないでしょ? まあピッチャーに限らずよくある話ではあるんだけど、自分のスタイルを見失ったらプロではやっていけないよね」
「自分のスタイルを思い出したってことですか?」
「そうだと思うな。その結果が今の好調の一番の要因だって僕は思ってる。どうやってそこに至ったかは教えてくれないんだけどね」
「でも、それだけでそんなに変わるものなんですか? 私には今までの北野さんと何も変わっていない気がするんですけど」
「いやいや、僕の目から見てもアイツは変わったよ。焦りも消えたみたいだしね。なんていうかな、余計なことを考えずにキャッチャーミットだけを見て投げているっていうか」
「迷いが無くなった?」
「うん、そうだね、そんな感じかな。キャッチャーを信じて、バックを信じて、自分の力を信じて、それで思い切り投げているって感じ。それで打たれたなら仕方ないって割り切れるようになった感じなんだな。簡単に聞こえるかもしれないけど、実はそれって凄く難しいことなんだ。どんなピッチャーだって打たれるのはイヤだから、打たれたら打たれたで仕方ないっていう風にはなかなか思えないものなんだよ。でもそのおかげで今の北野はバッターから見て脅威を感じるピッチャーになってる。1軍でも充分やっていけるレベルだと思うな」
「じゃあ北野さんって人、今日はすっごく期待出来そうじゃないですか。よかったですね、春香さん」
隣りでずっと話しを聞いていた雪乃が、ふいに会話に割り込んできた。だが雪乃の振りに対して春香の反応は極めて鈍かった。
「え? どうして私がよかったの?」
「えぇ? どうしてって、そりゃあねぇ。ねえ小春さん」
雪乃はそう言って小春の方を助けを求めるように見た。
話を振られた小春は、かねがね疑問に思っていたことを尋ねてみようと思った。
「ねえ春香、もしかして自分で気づいてないの?」
「……なにが?」
キョトンとしている春香を見て小春と雪乃は総てを察し、春香は自分の気持ちに何ひとつ気づいていないのだと確信した。
(春香さんって、ホントこーゆーとこ鈍いですよねぇ)
(普段は人一倍周囲に気を配るくせに、自分のことはダメなんだよねぇ)
(周りの人間はみんな気づいてるんだけど、本人たちだけが気づいてないんだ)
いつの間にか小春と雪乃のナイショ話に乙倉までが混じっていた。
(えっ、そうなんですか? みなさんにもバレバレ?)
(そりゃそうさ。あれでわからないヤツはいないってぐらいあからさまだからね。選手に球団スタッフ、記者連中だってみんな気づいてるし知ってるよ)
(ってことは、もしかしてその北野さんって人も気づいてない?)
(もちろん。あれもわかりやすい男だからね。もし気づいてたら顔にも態度にもハッキリ出ちゃうよ。でもそうじゃないってことは、アイツも自分で気づいてないんだろうね)
(……ってことは……両想いってことじゃないですか!)
(どんだけニブいんですかね、2人そろって)
(もう周囲公認なんだけど、本人たちのニブいことときたらもうね……見てるこっちがやきもきしちゃうくらいなんだよ)
(両想いなのにどっちも自分の気持ちにも相手の気持ちにも気づいてないなんて、そんなの有り得なくない?)
(なんかこう、恋愛すると死んじゃう裏設定があるとかですかね?)
(ないない!)
「もう! 3人でコソコソ話して、なんか感じ悪ーい」




