耳に逆らう言葉
6月になっても北野の調子は一向に戻る気配を見せず、相変わらずの状態だった。何かのキッカケになればと外野手としての練習をすることになったものの、その成果は今のところまるで実る気配を見せない。
(もう6月だ。このままじゃマズイぞ)
焦ってはダメだとわかってはいても、それでもこんな状態が続けば不安になるし焦りもする。
だが足掻けば足掻くほど泥沼にはまっていく。もはや自分でもどうしていいのかわからない。
もちろん手をこまねいているばかりではなく、様々な治療を試みてはいた。
まず行ったのが、薬物を使用することによってイップスの根底にある精神的ストレスを軽減させて、身体の動きの改善を目指す薬物療法だ。
効果はあった。あったが、それは薬が効いている時だけの話だった。しかも治療に使用する薬物には、依存性や使い続けると効きにくくなる問題もあるという。
(それじゃ薬物中毒と変わんないもんなぁ)
即効性はあるが根本的な解決にはならない。それが薬物治療であり、それは北野が求めるものではない。
もちろん心理療法も行っているが、これは薬物療法とは真逆で時間がかかる。イップスの根本原因を取り除くことで完治を目指す治療法だからだ。
(でも自分では何がおかしいのかわからないから、なんかピンとこないんだよな)
そうこうしているうちに時間だけが過ぎていく。
まもなく7月になろうという時期になっても、北野の状態は全く代わり映えしていなかった。
「あの北野さん、あの、私なんかが言うことじゃないと思うんですけど……」
ある日、春香は恐る恐る自分の思うままを北野に語りだした。こんなことを言っていいものかとずっと迷っていたが、誰かが言ってあげなければいけないのではないかとも思っていた。
それでも自分の口から言うことは躊躇っていた。自分が余計なことを言って逆効果になってしまったら……そう考えると口にする勇気が持てない。
しかしこのままでは北野が潰れてしまうのではないかという不安に駆られた春香は、彼女自身がその不安に飲み込まれてしまい、もはや言わずにはいられなくなってしまった。
「北野さん、真鍋さんのためにもってずっと言ってますけど、もしかして真鍋さんとの約束が負担になっているんじゃないですか?」
「えっ!?」
予想外の言葉が春香の口から漏れてきたので北野は戸惑った。負担になんかなっているわけがない。むしろそれを励みに自分は頑張ってる、頑張っていくつもりなのだ。負担になんて感じるわけがないではないか。
「どうしてそんなことを言うの? そんな風に見える?」
春香は短く、そしてキッパリと「はいっ」と答えた。迷いのないその目に、北野は思わず息を呑む。
「真鍋さんがいなくなってから、私ずっと北野さんに違和感を感じてたんです。ラインでも電話でも直接話している時も、何か今までの北野さんとは違ってるって思ってたんです。怖いなって感じる時があったり、私のことに気づいてくれなくなったり」
春香は自分が気づいた、真鍋が引退してから以降の北野の変化を告げていった。だが北野にはまったく自覚が無い。
「そりゃあ……とにかく俺は1軍に上がらなくちゃいけないんだからさ。そのためには脇目も振らずにやらなきゃいけないんだよ。何が何でもやらなきゃダメなんだ。余裕なんかどこにも無いんだよ。わかるだろ?」
わからない。春香にはわからない。1軍に上がらなければという意気込みはともかく、脇目も振らずやらなきゃいけないということも、何が何でもやらなきゃ『ダメ』という考え方も、余裕なんかどこにも無いというセリフも。
(そんなの……どれもこれもみんな自分自身を追い込んでいる自己暗示にしか思えないよ)
どう伝えればいいのか。春香は慎重に言葉を選ぶ。
「以前の北野さんは口では厳しいとかキツイとか言ってても、どこか嬉しそうでした。野球をしてるのがホントに楽しいんだなって思えました。マウンドに立って投げている姿がキラキラして見えました」
「……今は違うって言うの?」
春香は小さくコクンと頷いた。
「真鍋さんが引退してからの北野さんは、以前の北野さんとは別人みたいです。自分を追い込んで追い込んで、とってもツラそうに見えます。きっと真鍋さんもそんなの望んでいなかったと思うんです。だから、もしそうなんだったら、一度肩の荷をおろしてみたらどうかなって」
「だけど、俺はいつきさんの果たせなかった夢を代わりに……」
「北野さんは真鍋さんの為にって言いますけど、自分の夢のために投げるんじゃダメなんですか? 自分が1軍の試合で投げたいから投げるじゃダメなんですか? 真鍋さんの為に投げないとダメなんですか?」
「余計なお世話だよ!」
突然北野は声を荒げてそう言った。驚きのあまり春香が目を見開き身体をビクつかせるほどに。
「春香さんに何がわかるんだよ! 俺のことだっていつきさんのことだって、春香さんに俺らの何がわかるって言うんだよ! いつきさんが俺の負担になんかなってるわけないだろ。勝手なこと言うなよ。俺は今、余計なことに関わってるヒマはないんだよ!」
余計なこと。北野はそう言った。それが本心かどうかは別として、今までの彼であれば、そんな言い方は決してしなかったはずだ。
余計なこと、それは自分が北野に色々教えてもらっていた時間のことを指しているのではないか。自分とラインしたり電話したりする時間が北野にとって実は貴重な時間の浪費だったのではないか。だとしたら自分も彼に負担を強いていたのではないか。そんな不安が彼女の心を覆った。
「……ゴメンなさい。何も知らない私が生意気なこと言っちゃって……でも今まではこんなじゃなかったから……北野さんはいつも優しくて楽しくって、だから怖いなんて思ったこと一度も無かったし、いつも私がいることにすぐ気づいてくれてたじゃないですか。だから……早く元の北野さんに戻って欲しくて……」
もしかしたら自分は迷惑をかけていたのだろうか。何か力になりたいと思うあまり、本当に余計なことを言ってしまったのかもしれない。やはり自分が口出しするべきじゃなかったのかもしれない。
(やっぱり言わなければよかった……)
北野はそれから何も言わないまま春香に背を向けて、その場を去ってしまった。
立ち尽くす春香に残ったのは後悔の念だけ。私の言葉では何も心に響かないのだと、自分の無力さを思い知らされた彼女の目からは、やがてポロポロと涙がこぼれ落ちた。
春香の助言に対して声を荒げてしまった北野。あれから2人は、どちらからともなく連絡をしなくなってしまった。
収録日にはお互い姿を確認しはするものの、それ以上のことはしないまま日にちだけが過ぎていった。
そんなある日、合宿所に1人の男が現れた。向井拓海だ。




