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キミがいて夢になる  作者: スパイシーライフ


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エースの叱咤

 向井は数日前の試合中ファーストゴロのカバーに入った際、一塁ベース上で打者走者と交錯して右足首を捻ってしまっていた。

 

 幸い大事には至らなかったのだが、三原監督は念のため向井の登録を1度抹消して、キチンと治療し調整することを命じた。

 

 登録を抹消されてから再登録までには最短で10日かかり、その間向井の代わりにピッチャーが1人昇格した。

 そのピッチャーは上手くすれば登板の機会を与えられるだろうし、そこで好投すれば彼の代わりに他の誰かが向井と入れ替わりに2軍落ちすることになる。そう、当然のことだが彼がこのまま2軍ということは有り得ない。


 なぜなら彼は誰もが認める横浜シーサーペンツの絶対的なエースなのだから。

 

 向井がその日合宿所を訪れたのは、1軍が地方遠征に出ていたためだ。

 足首の方は特にもう問題無いので、チームが横浜に戻ってくるところで再び1軍選手登録されるだろう。それまでは2軍の選手たちと一緒に練習を行い調整しようということで今日は来たわけだ。


「久しぶりだな、北野」

 

 向井は北野の顔を見てそう声をかけた。2人が顔を合わせるのは今年の春季キャンプ以来だった。

 

「聞いたぞ。キャンプの時からそうだったが、ずいぶんと調子が悪いらしいじゃないか。ケガでもしてるのか?」

「いえ、そういうわけじゃないんですけど……自分でもどうして調子が悪いのか全然わからなくて……」

 

 百戦錬磨のエースは、たったこれだけの会話で不調の原因が技術的なものではなく精神面であることを見抜いた。そしてその原因にも心当たりがあった。

 

「どうせオマエのことだ、真鍋の分までやらなきゃとか考えてるんだろ」

 

 向井は顔色ひとつ変えず冷静にそう指摘する。

 あまりにも自分の本心をズバリと言い当てられたので、北野は驚きのあまり何も返事をすることができなかった。そんな彼の様子を見て向井は「ふふん」と鼻で笑う。

 

「まあ大方そんなところだろうと思っていたが、まったくお笑いだな。オマエ、何か勘違いしてるんじゃないか?」

 

 北野には向井が何を言っているのか、何を言おうとしているのか理解できなかった。

 

「俺、何か間違ってますか? 何を勘違いしてるって言うんですか? あんな形で引退したいつきさんの分まで頑張ろうって思うのがダメなことなんですか?」

 

 自分の真鍋に対する想いを一刀両断で否定された気がしてカチンときた北野は、あからさまに、自分でもわかるくらいハッキリと向井に怒りすら込めて異議を唱えた。


 が、唱えられた相手は冷静だった。

 

「ダメだとは言っちゃいないさ」

 

 向井はピシャリとそう言った。北野はその語調の厳しさに思わずひるみ、言葉に詰まる。

 

「北野、オマエ1軍で投げたことは?」

「……まだありません」

「だよな。そんなオマエが人の分まで頑張るって?」

「それは……それは、でも、そう思うのは悪いですか? 間違ってますか?」

 

 そう問われた向井は、しかしやはりまったくもって冷静だった。彼は北野が何を理解していないのか既に気がついている。その何かがピッチャーにとって重要なことであることも当然知っている。

 向井は総てを理解した上で、それでも優しく諭すのではなく厳しく対することを選んだ。北野翔というピッチャーが彼の欲している人材であるがゆえに。

 

「あのな……何の結果も出せていない、自分のことで精一杯のヤツが他人の想いまで背負うって? 自分のことも満足にできないヤツが他人の想いまで背負うってか? そんなことができるわけないだろうが。オマエ、プロの世界を舐めてんのか? 俺に言わせりゃ思い上がりもはなはだしい。100万年早いわ。笑わせるな」

 

 向井の言葉は手厳しく、北野にとっては心に次々と突き刺さる内容だった。しかしエースの話には有無を言わさぬ説得力があり、反論を全く許さない迫力がある。

 

「いいか、よく聞けよ。オマエみたいな駆け出しはなぁ、誰それのためにとか余計なこと考えなくていいんだよ。まだそれだけの力をつけてないんだから、そんなもん背負っても重荷になるだけだ。自分のために投げりゃいい。自分のためだけに投げりゃいいんだよ」

「自分のために?」

「自分のために投げて結果を出せばその誰それのためにもなる。それでいいじゃないか。むしろ、どうしてそれじゃダメなんだ? 動機が違ってようが過程が異なってようが、結果が同じならそれでいいじゃないか。要はオマエが1軍で投げて勝てばいいわけだろ。違うのか? 自分のためだろうが他人のためだろうが、結果的に1軍で投げて勝てば真鍋は喜ぶんじゃないのか? それとも真鍋のためにって毎回欠かさず思いながら投げて勝たないと、アイツは喜んでくれないとでも言うのか?」

 

 ガツンと思い切り頭を殴られたような気がした。真鍋いつきのためにも……という気持ちにウソはない。その気持ちに対して自分は素直だっただけし、それが間違っているとは思わない。


 だが向井が言っていることも間違ってはいない気がする。

 

(確かにずっといつきさんのためにと思いながら投げなきゃ喜んでくれないわけはない。いつきさんはそんなことを求めてはいないと思う。それはそうだよな)

 

 北野は何も言い返すことはできなかった。

 

「そ、それは……そういうわけじゃない、と、思います、けど……」

「だろう? だったら分不相応なこと考えずに、人のためにじゃなく自分のために堂々と投げりゃいいじゃないか。それで今のオマエの実力を最大限に発揮できるのなら、誰に恥じることがある。何に恥じることがある」

 

 ――自分のために。

 

 それは北野にとって耳新しいキーワードだった。

 彼は今までの人生の中で、自分だけの利益を考えて何かをしたことはない。

 常に誰かの為に生きてきたなどという偽善的なことは毛頭思ってはいないが、それでも自分のことだけを考えて生きてきたわけではない。多くの他人に目には見えない形で支えられていることをちゃんと知っている。

 

 だが、向井にそう言われると改めて気がつくこともある。

 

(そういえば春香さんも、重荷なんだったら1度下ろしてみたらどうかって言ったっけ)

 

 思い返してみると、先日春香に言われたことと今日向井に言われたことは同じ意味ではないだろうか、と北野は考え込んだ。

 もちろん彼女はこんなに直接的には言わなかったが、向井はハッキリと今のオマエでは力不足だと言った。力のない者が他人の分の想いまで背負っても重荷になるだけだと明言した。

 

 春香も今の向井と同じように、自分の夢のために投げるのではダメなのかと、自分が1軍の試合で投げたいから投げるではダメなのかと言っていた。


(同じ、だよな。二人とも、同じことを言ってるよな……)


 春香や向井の言うことの方が正しいのだろうか。この長いトンネルから抜け出すヒントは実はすでに与えられていて、自分がそのことに気づいていないのが最大の問題なのではないだろうか。

 

「まあ俺や他の誰かが何を言ったところで、結局最後に決めるのはオマエ自身だ。でもな、真鍋がどうすれば喜ぶのかを考えたら、オマエが採るべき道は決まってると俺は思うがな」

 

 向井はそれだけ言うと背を向けてその場を去っていった。その後姿を見つめながら北野は考え込んだ。

 

(俺は……もしかしてとんでもない考え違いをしていたのか?)

 

 もしかしたらこの不調の原因は、何よりも自分自身だったのではないだろうか。自分で自分の首を絞めていたのではないだろうか。

 

「自分のために……か」

 

 答えは残念ながらまだ出ない。けれど北野は心の中で何かが少しだけ変わったような気がしたのだった。

 

 春香と向井。この信頼するに足る人物が共に同じことを意見しているのなら、それは自分が間違っているのではないだろうか。

 幸いなことに北野は、それに気づかないほどには自分を見失っていなかった。

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