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キミがいて夢になる  作者: スパイシーライフ


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41/88

小さな違和感

 その日春香は収録で合宿所を訪れた。真鍋が引退を決めて故郷に帰ってからてから初の収録だった。

 

(北野さん、日下部さんの入団と真鍋さんの引退で、ショックを受けてなければいいんだけど……)

 

 春香はそんな心配を胸に抱えながら合宿所に足を踏み入れた。

 北野が次シーズンに賭ける意気込みを彼女は知っている。知っているからこそ強力なライバルの加入と兄同然の人物が引退したショックが心配だったのだが、同時にそれぐらいでショックを受けたりしないんじゃないかなとも思っていた。


(北野さんは強い人だもん。きっとショックになんか負けないよ)

 

 

 北野はいつものようにトレーニングに汗を流していた。彼女もまたいつものように収録が始まるまでの間、じっとグラウンドを見つめていた。

 そうしているうちにやがて北野が春香の存在に気づいて声をかけてくる、それがいつもの流れであり、今までに何度となくそれは繰り返されてきた。

 

 ところがその日、北野はなぜか春香には一切目もくれず、ただひたすらにトレーニングを続けていた。

 

(あれ? 北野さん、私がいるのに気づいてくれてないのかな?)

 

 春香は少し戸惑ったがトレーニングの邪魔をするわけにもいかない。結局彼女は北野と話すことが出来ないまま収録を始めることになった。こんなことは初めてだった。


 

「きーたーのーさん!」

 

 収録の合間、休憩している北野を見つけた春香は自分からそう声をかけた。ようやく話せると思った。

 

「ああ、春香さん。こんちわ。収録?」

 

 その北野の返事は、妙に素っ気無さを感じさせた。

 

「はい、そうなんです。北野さん、すっごく集中して練習してましたね」

「そうかな? いつもと同じだと思うけど」

「だって、私が来ていることに気づいてくれなかったじゃないですか」

「ああ、そうなんだ。全然気がつかなかったよ。悪かったね」

「いえ、そんな、別に謝られるようなことでもないんですけど……」

 

 何かがいつもと違っていた。ノリが悪いというのか話が膨らまないというか、とにかくいつもの2人の会話とは何かが違うように春香には思えた。

 

(なんだろう、何かいつもの北野さんじゃないような気がするんだけど、私の気のせい?)

 

 戸惑いを隠せぬまま、春香は話を続けた。

 

「あの、日下部さんの入団が決まりましたよね」

「そうだね」

「それで、どうですか? やっぱり気になりますか?」

 

 そう聞かれて北野は、ようやく表情を崩してみせた。

 

「そりゃあ気になるでしょ。気にならないわけないじゃない」

 

 笑いながらそう言う北野を見て、春香は少しホッとした。目の前にいる北野は紛れも無くいつもの北野だった。先ほどまでとは違う、彼女のよく知る北野だった。

 

「正直言ってね、日下部さんの交渉権をウチが取った時にはちょっとガッカリしたんだ。ライバルが増えちゃったなぁと思ってさ。でもすぐに気持ちを切り替えた。もともと他にもライバルはいたわけだし、そこに1人加わっただけじゃないか、相手が誰であれ負けるわけにはいかないんだからライバルが何人いたって関係ないじゃないかってね」

「相変わらず北野さんは前向きですね。凄いなぁ」

「別に凄くなんかないよ。とにかくライバルが誰だろうと、何人いようと、俺は今年1軍で投げなきゃいけないからね。そういつきさんと約束したんだから。だから誰にも負けない。負けたくない。そう思ってる」

 

 そう決意に満ちた真剣な表情で語る北野を見て春香は、少しだけ背筋に冷たいものが走った気がした。鬼気迫る、とでも言えばいいのだろうか。

 彼女は初めて北野に、僅かとはいえ怖さを感じた。いつもの北野だと思ったのに、今はまた別人のようになってしまっている。

 

(やっぱり何かヘンだよ。北野さん、どうしちゃったんだろう)

 

 春香は言いようの無い不安を覚えた。それは彼女だけが気づいた小さな異変だった。


 


 北野に更なる試練が与えられたのは、1月も下旬になってからだった。大阪オルトロスで長らくローテーションピッチャーとして活躍してきた江上がトレードで移籍してくることが決まったのだ。それは先発陣の弱さを補おうとフロントが進めたトレードだった。


(まいったな、こりゃ)

 

 日下部のドラフト指名は比較的前向きに捉えられた北野だったが、江上の移籍はハッキリと衝撃だった。なぜなら日下部はルーキーだから実際にプロのマウンドで通用するか未知数な部分があるが、江上は長年プロで実績を積み重ねてきている明らかに自分よりも遥かに実力上位で格上のピッチャーなのだ。

 

 チームにとっては即戦力の先発投手が2人加入したのだから良いことだろうが、北野や他の先発タイプの投手たちにとっては強大なライバルが2人同時に増えたことに他ならない。

 普通に考えれば彼らよりも日下部と江上の方が明らかに1軍に近いだろうし、中でもリリーフではからっきしダメな北野への影響は計り知れない。

 残されているイスはわずかしかない。先発でしか成績を残せないのならば、真っ向から江上と日下部に挑んで彼ら以上のパフォーマンスを披露し勝つ以外1軍のマウンドに立つ術は無い。

 

(ウダウダ考えてても仕方ないか。やるっきゃないんだもんな。いつきさんのためにもやるしかないんだから)

 

 真鍋いつきの想いを背負っている北野は、決意を新たに今年こそと再度胸に誓った。


 


「大阪オルトロスから移籍してきた江上です。チームの一員として勝利に貢献したいと思いますので、よろしくお願いします」

「宮城工科大学から来ました日下部です。プロの一員として恥ずかしくないプレーをしたいと思います。よろしくお願いします」

 

 春季キャンプ初日、まずは2軍スタートとなった新入団選手全員が選手たちの前で挨拶した時、北野の目は日下部と江上の2人だけを見据えていた。

 当面彼にとって最大の脅威はこの2人なわけで、意識しないわけにはいかない。だが北野は初めて会った2人に早くも自分との違いを痛感していた。なんというか、オーラが違うのだ。

 

 江上は実績を積み重ねてきた男の持つ自信と風格が感じられた。

 日下部は期待の大物ルーキーとしての輝きと溌剌さがあった。

 

 そのどちらも自分には無い、育成出身の自分が持っていないものをこの2人は持っていると思うと、戦う前から手強さを感じずにはいられない。

 

(いや、俺だって育成枠からここまで這い上がってきたんだ。自信も風格も輝きも持ってないかもしれないけど、だからって気持ちで負けるわけにはいかねーぞ)

 

 力で劣っている上に気持ちでも負けたら勝ち目なんてない。それは北野にもわかっていた。

 

(いつきさんと約束したんだからな。いつきさんのためにも、この2人に勝って1軍切符を手にしなきゃなんないんだから。何がなんでも、石にかじりついてでも1軍に上がるんだ)

 

 おそらく江上と日下部は早々に1軍キャンプへ合流するだろう。だが自分だって負けはしない。すぐに後を追って、いや2人を蹴落としてでも1軍入りしてみせる。そう心に誓い人知れず両の拳を強く握り締める北野だった。


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