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キミがいて夢になる  作者: スパイシーライフ


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40/85

ひとつの夢が終わる時

「……なあ、北野。ちょっと付き合ってくれないか」

 

 真鍋が合宿所を去る日の朝、突然真鍋が北野の部屋を訪れてそう言った。グローブを持って室内練習場のブルペンに来てくれと。その表情を見た北野は黙って頷いた。


 

 言われたとおりグローブを持って室内練習場のブルペンに行くと、そこには同じようにグローブを持った真鍋が先に来て待っていた。

 

「いつきさん、何するんですか?」

「いやな、ここで投げることももうないからさ、プロ生活の最後にオマエとキャッチボールがしたいなと思ってさ。と言っても俺は投げられないから、捕って転がしてお前に返すだけだけど」

 

 付き合ってくれるよな、と真鍋に言われて断れるはずがない。2人の最後のキャッチボールが始まった。

 

 

「なあ北野。最初に会った頃のこと、覚えてるか?」

「もちろんですよ。いつきさんは最初から親切にしてくれましたよね」

「まあな。なんか出来の悪い弟が入ってきたぞ、みたいな感じでほっとけなかったんだよな」

「俺、そんな出来が悪そうに見えました?」

「見えたねぇ。まるで新人の頃の俺みたいに見えてさ。田舎から出てきたばっかりで右も左もわからない的な? そんな風に見えてさ。だからほっとけなかったのかもな」

 

 真鍋の利き腕はボールを投げられる状態ではない。だから彼は北野が投げたボールをキャッチすると、1度グラブを外して左手にボールを持ち直して北野に投げ返す。

 もちろん利き腕で投げるわけではないからボールは明後日の方向に行ったり届かなかったりする。それを繰り返すたびに北野は「ああ、いつきさんは本当にもう投げられないんだな」という想いを強くする。

 認めたくない事実を認めなければならない時、人はこんなにも辛い想いをするのだと、北野は生まれて初めて知った。

 

 真鍋と交わした約束。それは確かに彼の大きなモチベーションだった。

 だが、もうそれが実現することはない。

 それは頭ではわかっていても、感情的にすぐ割り切れるものではない。割り切れなかろうが事実は事実なのだからどうしようもないのだけれど、それはわかっているけれど……けれども……。

 

「そういえば確か、新人の時に初めてキャッチボールの相手をしてくれたのも、いつきさんでしたよね?」

 

 それでも本心を可能な限り押し隠そうとして、北野は自分から話題をふった。

 話が途切れた途端にどうしようもなくなりそうな、そんな予感がしたから。

 

「ああ、そうだったなぁ。確か人数が奇数だったからオマエがあぶれちゃったんだよな。そんでたまたま近くにいた俺に声がかかったんだ。新人の相手かよぉって、そん時は内心イヤイヤだったんだけどな」

 

 真鍋はそう言って本当にイヤそうに顔をしかめた。それを見て北野は、そうだったんですか? と言って笑った。その後のことを思い返せば、絶対にそんなわけはないのに。

 

「いつきさんにはホントに色々お世話になっちゃって。メシも奢ってもらってばっかりだったし、ホントにありがとうございました」

「俺に感謝してるってか?」

「当たり前じゃないですか。ホントに、真剣に、心の底から、ウソ偽り無く感謝してますよ。いつきさんのおかげで今までやってこれたようなもんです。俺、ホントにそう思ってますから」

 

 大げさだよバカ、と言って真鍋は笑った。

 

「大げさなんかじゃないですよ。本当にそう思ってるんですから」

「さあてね、どこまで本当だかな」

「本当ですって。ホントのホントのホントにです」

「さあて、どうだかなぁ。何しろオマエは、俺にはウソしか言わねえからなぁ」

 

 お決まりのやり取りに2人は声を出して笑った。もうこんなやり取りもできなくなる。何とも言えない寂寥感が北野の心の中を覆った。真鍋も同様だったのか、それからしばらく沈黙が続いた。


「これから、どうするんですか?」

 

 キャッチボールを続けながら、北野は沈黙を破ってポツリとそう尋ねた。

 

「シーサーペンツを辞めて、これからどうするんですか?」

「実家に帰って家業を継ぐよ。もともと俺は長男だからプロに入るのには反対されてたし、未だに何かにつけて早く帰ってきて家継げって言われるしな」

「実家って、農業でしたっけ?」

「ああ。まあガキの頃からやってた仕事だし、野球以外に何も知らないから就職ったって厳しいだろうしな。家業を継げるだけ、俺は同じように引退するヤツらと比べりゃ全然マシだよ」

 

 でもな、と真鍋は言葉を続けた。

 

「俺はシーサーペンツに入ってよかったと思ってるよ。ここは本当に良い球団だよ。正直言って俺は戦力外って言われると思ってたんだ。それが当然だしな。でもリハビリしてもいいって言ってくれた。面倒みてやるからチャレンジしてみろって言ってくれたんだ。有り難かったよ。こんな俺の復活に期待してくれてるんだ。ムダになるかもしれないのに手術してリハビリして復活しろって言ってくれたんだ。俺はもうそれで満足だよ。そりゃ完全燃焼したとはお世辞にも言えないけどさ、それでもこのチームでプロ生活を送れて良かったと心から思ってる」

「……」

「それにまぁ、ここに入ったおかげでオマエとも出会えたしな」

「……」

「いろいろ引っ張りまわして悪かったな。でもさ、なんかオマエとは不思議とウマが合ったんだよ。たかだか2年ばかしだったけど、オマエとつるんでてホント楽しかったぜ」

「俺も……俺も楽しかったですよ。迷惑だなんて全然思わなかった。いつきさんと一緒に野球がやれて本当に良かったって思ってますから……」

 

 北野の視界は、だいぶ前から既にぼやけ始めていた。話を聞いているうちにプロ入りしてから今までの真鍋との思い出が鮮やかに脳裏に甦り、自分でも気づかないうちに涙をこぼし始めていた。

 たった2年間ではあるが、真鍋いつきというピッチャーからは多くのことを教わった。励まされもした。たしなめられもした。

 

「もう一度1軍でって思ってたけどそれは無理だった。だからその夢はオマエに託していくよ。早く上に上がって俺の分まで投げてくれよな。実家で応援してっからさ」

「いつきさん……俺、俺……やりますから。もっと頑張って必ず1軍に上がりますから。いつきさんの分まで投げますから。絶対絶対やりますから」

 

 真鍋は「ありがとうよ」と言ってキャッチボールを続けた。傍から見てどう見えるかなんてどうでもいい。北野にとってそれは、誰が何と言おうとキャッチボールなのだ。

 

「いいか。怪我にはくれぐれも気をつけろ。身体のケアには充分過ぎるほど気をつかえ。プロは身体が資本って言うだろ? そこに金をケチるような真似はするなよ。俺の二の舞にだけは絶対ならないでくれ」

「……はい……はい」

 

 北野はもうそれ以上返事ができなかった。涙がとめどもなくこぼれて止まらず、何も言葉を発することができなかった。

 志半ばで去っていく無念さを押し隠し、真鍋は自分に夢を託していくと言ってくれた。その気持ちが嬉しくて、けれど寂しくて悲しくて、もうどうやっても涙は止まらなかった。

 そんな彼を見て真鍋も、もうそれ以上何も言わなかった。2人はただ、何度も何度も黙ってキャッチボールを繰り返した。


 


 真鍋が寮を去った後、北野は自室の窓から夜空を眺めながらボーッと考えていた。

 この2年でプロの世界が厳しいものだということはイヤというほど思い知らされてきていたが、それでも自分はまだまだ甘いんだなぁと思う。

 

(別に他人事だと思ってたわけじゃないけどなぁ……)

 

 誰が悪いわけでもなく、プロの世界では日常茶飯事の出来事が起きただけなのは分かっている。

 自分が厳しい生存競争の世界にいることも、のし上がっていくためには実力だけではダメだということも、大きな怪我をすることなく自分の実力を思う存分発揮した上でさらにチーム事情などの運に恵まれた者だけが成功するのだということも、そんなことは当たり前のことだと頭ではわかっていたつもりだった。

 

 だが実際そんな状況に陥ってみると、現実は思っていた以上に厳しかった。

 

 シーサーペンツでもこのオフは、何人かの選手が解雇通告を受けている。プロ野球全体で言えばこのオフに何十人という選手が所属球団から解雇されるのだ。

 

 しかし兄のように慕っていた人が引退するというその事実が北野の胸を強く締めつけた。

 真鍋は北野に、自身の成し得なかった夢をオマエに託すと言った。きっと辞めていく人たちは皆誰かにそう言って辞めていくのだろう。

 だとするとプロスポーツの選手というのは、自分の想いだけでなく他人の想いをも一緒に背負ってのし上がっていくものなのだろうか。

 自分の夢、志半ばで消えていった仲間の夢、ファンの夢、家族や友人や恋人の夢。そういったものをきっとプロ選手は皆それぞれ背負っているのだろう。そしてそれを互いに承知した上でお互いを蹴落としあいながら席取りゲームを続けていくのだ。

 

 そこで敗れた者は自分が背負った夢をまた誰かに託して表舞台から消えていく。

 いったい1軍で活躍している選手たちは、どれだけの数の夢や想いを背負っているのか。なんという過酷な世界なのか。

 いまさらながらそれに気づいた北野は背筋に寒気を感じた。だがそれが自分の選んだ道である以上もう後戻りなどできようはずもない。もちろん後戻りするつもりもない。

 

(春香さんもこんな経験あるのかな。芸能界もライバルを蹴落としてのし上がっていく世界だし、いろいろ辛いこともあるんだろうな)

 

 彼は無意識のうちに春香のことを考えていた。なぜここで春香のことが頭に浮かんだのかは自分でもわからない。ただ同じようにプロの世界で生きている者として彼女がどんな経験をしてきたのか、それがふと頭に思い浮かんだのだ。

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