これが現実
プロスポーツの選手は大なり小なり故障を抱えているものだというが、どれほど優秀なプレーヤーであろうとも故障の度合いが酷くなれば満足のいくプレーはできなくなってしまう。
しかしプロスポーツ選手は常に重大な怪我と紙一重のところでプレーしている。手を抜いたらこの世界では生き残れないが、だからといって限界を越えたプレーを続けていたら壊れるのが当たり前だ。
限界を越えない範囲でどこまでギリギリで力を発揮出来るか。トップクラスの選手たちは皆そんな状態で日々戦っている。
プロの世界に身を置く以上怪我のリスクは誰にでもある。たまたま今回真鍋が不幸なロシアンルーレットに当たってしまっただけのことであり、明日は我が身かもしれないことであり、誰にもどうしようも出来ないし誰が悪いわけでもない。
そう、仕方の無いことなのだ。これもまたプロの世界の厳しい一面なのだから。
もちろんそんなことは北野も充分理解している。だが理解しているからといってすぐに気持ちの切り替えなど出来るはずがなかった。理解するのと納得するのとは全く違うのだから。
シーサーペンツの2軍が宮崎から帰ってきた翌週、春香は番組収録で合宿所を訪れた。
(北野さん、どうしてるかな。真鍋さんのこと、ショックだろうな……)
真鍋の怪我のことは北野からのラインでもちろん知っていたし、怪我が重傷であることも、このまま引退になるかもしれないということも知っていた。
収録が終わりいつものように食堂に足を向けると、そこには練習を終えた何人かの選手たちが談笑していた。だがそこに北野の姿は無かった。
春香は選手たちに挨拶をすると同じテーブルにつき、そのまま彼らの話の輪に入っていった。ひとしきり近況や雑談をした後、話はいつの間にか真鍋のことになっていた。
「あの、真鍋さん、引退を考えているって聞いたんですけど、ホントなんですか?」
春香のその問いに一人の選手が答えた。
「そうらしいね。球団からは猶予をやるから治せって勧められたらしいんだけど、本人としては治るかどうかもわかんないのに、そこまで甘えられないって気持ちが強いみたいだよ」
こういう場合投手から野手に転向して再起を図るケースもあると聞いたことがあった春香は、その質問を選手たちにぶつけてみた。しかし彼らの表情は皆揃って難しいものだった。
「あいつはアマチュアの時も野手の経験はほとんど無いし、あったとしても年齢的に今から野手転向はさすがに厳し過ぎるよな」
「やっぱり難しいものですか?」
「そりゃそうさ。ケガが治ってから野手としての練習を始めてってのは、さすがに無理があるよ」
「考えてもみなよ。まず第一にケガがいつ完治するかわからないんだよ? 右腕を痛めたままじゃバットもロクに振れないし、ボールを投げられないから守備練習だって出来ないでしょ? そこでどれだけ時間をロスするかわからないし、そして完治したところから経験のほとんどない野手の練習を始めるんだ」
選手たちは春香に、今の真鍋が置かれている状況を噛んで含めるように教えてくれた。
「そんな状況から今までやったことのない守備練習、バッティング練習をしなきゃならない。守備の連携やフォーメーションも覚えなきゃいけない。やらなきゃいけないことは山積みなんだよ。その上で打撃なり守備なりで自分のアピールポイントを作らなきゃならない。どこか人より秀でているものがなきゃ上に上げてもらえないからね。それを真鍋の年齢から新たにやれっていうのはさすがに……ね」
「でも、それだったらケガをちゃんと治して復帰すればいいんじゃないですか?」
「もちろんそれが一番良いんだけど……」
選手たちは顔を見合わせた。どう話すのが一番適切か迷っているように春香には見えた。
「問題はね、ケガが治るのにどれぐらいかかるか、なんだよ。球団も慈善事業じゃないから戦力にならない選手をいつまでも抱えてはいられないでしょ? 半年で治るとかならまだしも、2年も3年もかかるんだったら、さすがに面倒は見きれないってことなんだよ」
「それでも球団は真鍋の実績とかを考慮して治してみろって勧めた。それは必要な戦力だと認めてるからこそなんだ。それだけの評価をアイツは得ているんだよ。でも本人はそれをヨシとしなかった。だったらそれ以上は本人の意思だからね。俺らがとやかく言うことじゃないんだよ」
反論の余地のない正論を前に春香は黙り込んでしまった。
総ては本人の意思。
そう言われたら何も言うことなど出来はしない。
「まあでも、真鍋の気持ちはわからんでもないけどな、俺は」
1人の選手がそう言った。
「俺も怪我のリハビリで苦しんだ経験があるんでね」
気持ちがわかると言ったその選手は、真剣な面持ちで自らの体験を春香に話し始めた。
「俺は肩だったんだけど、リハビリって単純作業の繰り返しなんだよ。とにかくコツコツと毎日毎日毎日同じことを、少しずつ少しずつ回復度合いを見ながら負荷を増やしながら地道に延々とひたすらやるわけ。でももちろんすぐに治るわけじゃない。おまけにリハビリをしたからって目に見えて何かが劇的に変わるわけじゃないから、自分の怪我が治ってるって実感が掴みにくいんだ。回復しているのか自信が持てなくて不安で仕方ないんだよ」
その選手の話は、春香にとっては異世界の話のようだった。リハビリというものがそれほど精神的に過酷なものだとは全く知らなかったからだ。
「本当に治るのか、本当に復帰できるのか、とにかくそればっかり考えちゃって気が滅入ってくるんだよね。だから治る見込みがあって絶対治してやるっていう強い意志がないとホント途中で挫けそうになるんだよ。少なくとも俺はそうだった。それでも俺は頑張れば復帰できる見込みがあったからまだマシだったし、それでモチベーションもかろうじて保てたけど、アイツは怪我が完治しても、プロのピッチャーとしてはもうダメだろうって医者に言われたんだって。だからもう最初からモチベーションが保てないんだと思うよ。今から野手転向ってのもさっき言ったように現実的じゃあないし、それなのに球団の好意に甘えて金を出してもらうってのは本人的に気がひけるんだろう」
ケガと闘う厳しさ・苦しさを経験者から語られ、春香は身が震えるような思いだった。世の中には経験した者にしかわからない現実というものが確かにあるのだ。
「真鍋さん、もう治らないんですか?」
「怪我は治るよ。ただアイツがヤッちゃった肘の内側側副靭帯損傷っていう怪我は野球選手、特にピッチャーにとっては致命傷でね。今までに何人も同じ怪我で引退を余儀なくされてるんだよ」
「真鍋も日常生活に差し支えない程度には戻るっていうけど、そこまでが限界なんだって。無理してピッチャー続けたら、すぐにまた別のところが切れちまうって医者に言われたらしいよ」
「プロのピッチャーとしてのピッチングに身体がついていかないってわけだな」
「ボールを投げるのって、人間の身体には相当負担のかかる行為だっていうもんなぁ」
選手たちの話を聞いているうちに春香は、いったい今頃北野はどんな気持ちでいるのだろうかと思いを巡らした。
北野は真鍋のことをそれこそ兄のように慕っていたし、実際自分にもそう言った。真鍋との投手リレーが夢だとも教えてくれたし、それをモチベーションとして頑張っているのだと笑顔で話してくれた。
それが突然こんなことになってしまっては到底平常心ではいられないだろう。まだ真鍋と付き合いの浅い自分ですらこれほどショックを受けているのだから、きっと北野は酷く落ち込んで悲しい気持ちになっているに違いない。
「あの……今日は北野さんは?」
「ん? 北野のことが気になるの?」
途端に選手たちの表情がイタズラっぽい笑みへと変わった。ニヤニヤしながら春香の反応を見て楽しんでいる、そんな顔をしていた。
「えっ? あ、いえ、気になるって言うか、真鍋さんがこんなことになっちゃって北野さん落ち込んでるんじゃないかなぁって思って……北野さんって真鍋さんのことをホントに慕ってたじゃないですか。凄くショックを受けてるんじゃないかなって、それがちょっと心配で……」
春香は、どうしてみんな笑っているんだろう? と少し不思議に思ったが、その理由はわからなかったし特に深く考えもしなかった。もちろん理由を尋ねもしなかった。
「確かにあの2人は、ホントに兄弟なんじゃないかって思うくらい仲が良かったよな」
「そうだなぁ……アイツら、いつも一緒につるんでたもんな。もともと真鍋は面倒見の良いタイプだけど、北野に関しては本当に最初からあれこれ面倒見てたもんな。きっとアイツも北野のことを弟みたいに思ってたんだろう」
「ですよね……だから私、ちょっと心配で」
「大丈夫だよ」
「え?」
「そりゃあ北野にはショックだろうさ。でもね、俺らは友達を作るためにここにいるわけじゃないんだよ。そりゃ今すぐはさすがに無理だろうけど、じきに立ち直るよ。逆にそれができないようだったらアイツもそこまでだ」
「……だな。プロってのは仲間の屍を乗り越えて自分が登りつめていく世界だからな。それこそ例え相手が親友だろうが親兄弟だろうが、それでもそれを踏み越え蹴落として行かなきゃ生き残れない世界なんだから」
「親友でも親兄弟でも……ですか」
「そうさ。俺達はそんな世界に生きてるんだよ。冷たいようだけど、でもだからといって甘い考えでいたら自分が蹴落とされる側になっちゃう。でもそれは芸能界だって同じでしょ?」
「それは……ええ……まぁ……そうですね」
その返事は春香らしくなく歯切れの悪いものだった。思いがけなく春香から鈍い反応しか帰ってこなかったので、選手たちはお互いに顔を見合わせあって首を傾げた。
「どしたの春香ちゃん。なんかあった?」
「え? 何がですか?」
「いや、なんかこう、いつもと違うって言うか元気がないって言うか」
「別に何もないですよ? そんなに変ですか?」
「いや、別に変ってわけじゃないんだけどさ……」
「まああれだ。別に春香ちゃんが気にすることもないよ。俺ら的にも選手の故障なんてのは日常茶飯事みたいなもんだからね。真鍋に同情はするけど、だからといっていつまでもショックを受けてるわけにもいかない。明日は我が身だからこそ、今日できることを全力でやっておかなきゃ後悔するからね」
選手たちは口々に春香を励ますように優しい言葉をかけた。自分が励まされるのも何か変だな、そんなに元気がないように見えるのかな、と春香は思った。
「北野は多分ウェイトトレーニングしてるよ。さっきそんなようなこと言ってた」
「ウェイトトレーニングですか」
北野の居場所を聞いた春香は、私ちょっと行ってきます、と言って立ち上がった。
「ああ、そうだね。早く行っておいで」
その言葉を聞いたかどうかもわからないくらいの勢いで、春香は食堂を小走りで出て行った。選手たちは春香が出て行った後また皆で顔を見合わせあいながら、今度は大笑いしだした。
「わっかりやすいなーあのコは」
「あれ、自分で気づいてないのかね?」
「さあね。ま、あの様子じゃ気づいてないんじゃねえの?」
「あの2人、お互いそーゆーのにニブそうだもんなぁ」
「傍から見てたらバレバレなんだけどな。本人たちだけがわかってないっていうね」
「ははは、まっ、微笑ましくていいんじゃねえの? もうあとは2人で勝手にやらせときゃいいさ。北野のことも、きっとあのコが立直らせてくれるだろ」
「つーか、あんな可愛いコに好かれるヤツを俺は許せんぞ!! 神様が許しても俺が許さん!! 許さんぞぉ!!」
「妬くな、妬くな。さ、そろそろ行こうぜ」
選手たちは明るく笑いながらゾロゾロと連れ立って食堂を出て行った。




