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キミがいて夢になる  作者: スパイシーライフ


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36/87

予期せぬアクシデント

 それはあまりにも突然に起きた。本人も周囲も「まさか」という思い以外に何も無い、誰も予期せぬ出来事だった。

 

 プロ野球では2軍でもリーグ戦が行われている。

 1軍のそれとは異なり本拠地の場所によって東西2つのリーグに分かれていて、それぞれイースタンリーグ・ウエスタンリーグと呼ばれている。北野が所属する横浜シーサーペンツはイースタンリーグ所属だ。

 

 それぞれのリーグはリーグ内のチーム同士で公式戦を行うのだが、それとは別に2軍の全チームに韓国プロ野球のチームや独立リーグのチームを加えて対戦するリーグ戦が、10月に宮崎で行われる。


 これが教育リーグと呼ばれるもので、正式名称は宮崎フェニックスリーグという。

 

 フェニックスリーグは公式戦ではなくオープン戦つまり練習試合扱いなのだが、とにもかくにもその目的は2軍選手たちに少しでも多く実戦経験を積ませてレベルアップさせることにある。北野も、そして真鍋もこのフェニックスリーグに参加していた。

 

 10月とは思えない夏のような日差しの中で行われたその試合、北野はベンチに入っておらず、観客席で少々不謹慎かもしれないがノンビリとした気分で試合を観ていた。

 

 その一方で真鍋はリリーフとして投げることになっていた。

 

 

 先発ピッチャーが無難に相手を抑え、2人目のリリーフも無失点で相手を抑え、シーサーペンツがリードしたまま3人目のピッチャーとして真鍋がマウンドに立った。

 真鍋は最初のバッターを内野ゴロに打ち取った。2人目のバッターは三振させることに成功した。

 

(今日は何だか調子が良いぞ。いつもより球にスピードが乗ってる気がする)

 

 手応えを感じた真鍋が3人目のバッターをワンボール・ツーストライクと追い込んだところで、今日はいつもより球速が出ていると感じ取っていたキャッチャーがストレートを要求した。今日の彼の調子ならストレートで討ち取れるハズだと考えたからだ。

 

 真鍋はロージンバッグを手にし、指先に入念に滑り止めを付けながらキャッチャーのサインを覗き込み、頷き、ゆっくりと投球動作に入った。

 振りかぶって、腕を大きく後ろに振り、足を前に力強く踏み出し、全力のストレートを投げ込もうと腕を前に振り出す体勢になったその瞬間、真鍋の耳にブチッという何かが千切れるような音が聞こえた……ような気がした。

 

 次の瞬間激しい痛みが右肘の辺りから全身を駆け抜け、真鍋はそのまま握ったボールを下に落として左手で右肘を抱え込んだままマウンド上にうずくまってしまった。

 

 心臓の激しい鼓動がハッキリとわかる。全身から脂汗が吹き出しているのがハッキリと感じられる。何が何だかわからないが、自分の身体に異変が起きた事だけはハッキリとわかった。

 

「いつきさん!!」

 

 観客席にいた北野は、思わず立ち上がりそう叫んでいた。

 

「タイム!!」

 

 あまりに突然の出来事だったため一瞬誰もが固まってしまい身動きできなくなってしまったが、異変に気づいた若生コーチがいち早く気を取り直し、慌ててタイムをかけマウンドへと走った。


 真鍋の右肘に故障が発生したのは、誰の目にも明らかだった。

 

(やっちまった……)

 

 痛みに耐え苦痛に顔を歪めながら、真鍋は冷静に自己分析をしていた。

 この痛みは尋常じゃない。大きな故障であることは間違いない。


 (すぐ治るのか?)

 (復帰できるのか?)


 猛烈な痛みに耐えながら、彼の頭の中で様々な思いがグルグルと駆け巡った。

 真鍋はそのままチームドクターと共にマウンドを下り、代わりのピッチャーが不幸にもまだ準備が完全に整わない状態で急遽マウンドに上がった。

 

「いつきさん……」

 

 北野の目に写るのは、ドクターに付き添われ左手で右肘を押さえながら、血の気のひいた青白い表情で歩く真鍋の姿だった。

 初めて見るその表情に北野は気後れして何も声をかけることができず、真鍋はそのまま医務室へと向かった。この後病院で精密検査を受けることになるだろう。真鍋の怪我の度合いが心配だった。大したことがなければいいと祈らずにはいられなかった。

 

(大したことないさ)

(絶対大丈夫だ)

 

 北野は何度も何度も心の中でそう繰り返し、そう思い込んで不安を拭い去ろうとした。だが、それは当たり前のことだが無理だった。

 


 夜になって真鍋は宿泊先のホテルへと戻ってきた。

 監督とコーチに報告を終えて部屋に戻った真鍋を、北野は誰よりも早く訪ねた。そんな彼の目に真っ先に飛び込んできたのは、真っ白な包帯でグルグル巻きにされ固定された真鍋の右腕だった。

 

「いつきさん、怪我の具合はどうだったんですか? 大したことなかったんですよね?」

 

 自分の願いをそのまま口にした北野だったが、それに対する返答は彼にとって衝撃的なものとなった。

 真鍋はしばらく黙っていたが、やがて意を決したかのように重い口を開いた。

 

「ん……右肘の内側側副靭帯断裂……だってさ……」

「えっ? それって……」

 

 北野は知っていた。内側側副靭帯断裂というケガが、プロのピッチャーにとって致命的なケガだということを。過去に何人ものピッチャーがこれで選手生命を絶たれたことを。手術をして回復した者もいるが、ダメだった者はそれ以上に遥かに数多いということを。

 

「通常だととりあえず3ヶ月ぐらいは様子見て、回復しないようなら手術ってことになるらしいんだけど、俺の場合はそうじゃないんだと」

「え? どういうことですか?」

「もう……だめだろうってさ。日常生活に差し支えない程度には回復しても、プロでピッチャーとしてやっていくのは無理だろうって、そう医者に言われたよ」

「え……? 無理って……」

 

 北野の目には映っているものがまるでネガフィルムのように暗転して見えていた。こんなことは初めてで、まるで自分が別次元の世界にいるかのような、それも物凄く不快な感覚だった。

 

「損傷の度合いが酷すぎるんだと。再建手術をして回復しても、プロレベルのボールを投げていたら、いずれまたすぐに別の場所が切れるだろうって。だから日常生活に差し支えないレベルまでは回復するだろうけど、今まで通りプロ野球のピッチャーとしてやっていくのはもう無理だろう……ってさ」

 

 それはつまり、ピッチャーにとって死刑宣告に等しい告知を真鍋はされた、ということだ。残された道は、引退?

 

「そんな……ウソでしょ、いつきさん。冗談ですよね? 冗談なんですよね?」

 

 北野が入団した時から面倒をみてくれてきた真鍋の、2人で1軍に上がってシーサーペンツを優勝させようと話した真鍋の、プロのピッチャーとして尊敬していた真鍋の、兄のように慕っていた真鍋のプロ生活は、今日突然事実上の終わりを告げた。


 だがそれをすんなり受け止められるほど、北野は冷静ではなかったし大人でもなかった。

 

「また俺のことをからかって面白がってるんでしょ? ウソついて騙して反応見て楽しんでるんでしょ? そうですよね? そうなんでしょ、いつきさん!!」

 

 真鍋の両肩に思わず手をかけそう問いかけた北野だが、真鍋は何も言わず、肩を掴んでいる北野の腕に自らの左手をやった。

 

「ワリィ、北野……少し1人にさせてもらえないか」

 

 静かだが取り付く島を与えない真鍋のその言葉の前に他の選択肢はなかった。北野は扉の前で一礼して廊下へと出た。

 どうしようもないことだった。出来ることなど何もなかった。廊下に出た北野は思わず握った右手で廊下の壁を力任せに叩いた。

 

「こんなのってあるかよ……こんな形で諦めなきゃいけないのかよ……ちくしょう!!!」

 

 北野は真鍋と一緒に1軍で投げることを1つの目標に今日まで頑張ってきた。もちろんそれだけが1軍を目指す理由ではないが、大きなモチベーションになっていたのは確かだ。

 真鍋が自分のことをどう思っていたか、それは本当のところはどうだか分らない。だがきっと真鍋も同じ気持ちだろうと信じていた。だからこそ頑張れたのだ。

 それが今日潰えてしまった。あまりにも……あまりにも突然過ぎた。今すぐ気持ちの整理などつくはずがない。

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