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キミがいて夢になる  作者: スパイシーライフ


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103/111

友のために

 マウンド上の向井は、表情にこそ出さないものの今日のアルビオン打線の粘り強さに少々閉口気味だった。

 

(こいつら、なんで今日はこんなに粘るんだ?)

 

 帽子を脱いで1度夜空を見上げ、ふぅっ、と息を吐いた。この回は打者3人に対して、もう22球も投げさせられている。

 こんなペースでもし9イニング投げたとしたら、投球数は間違いなく200球を越えてしまうだろう。それほどこの球数は異常だ。

 

 アルビオンは強豪チームだし打線も強力だが、そんなことはハナから分かりきっている。

 問題はいつも以上に彼らが喰らい付いてきて、簡単には打ち取られないぞという気迫にあふれていることだった。


(全員にこれをやられると、さすがになかなか苦しいな)


 舐めるわけではないが、今日のように下位打線にまで粘られたのでは息を抜くヒマもない。彼は今までに経験してきたどの舞台の時よりも重圧を感じる気がした。

 

(まあでも、それもあと1人だ。キッチリ打ち取ってチェンジにしてやるさ)

 

 向井はマウンド上からチラリとアルビオンベンチを見た。

 

(悪いな北野。今日はオマエに勝たせるわけにはいかない。初勝利は来年までおあずけだ)

 

 相手が8番バッターだからといって油断はしない。彼は全力で神谷を仕留めるつもりだった。


 

 

 今日の試合で神谷が打席に立つのはこれで4度目だった。ここまでの3打席はいずれも凡退している。

 

(今日の俺じゃ向井さんを打てそうにない。それはわかってる。でも……)

 

 神谷はバッターボックスに向かいながら、ちらりとベンチを見た。

 そこには北野がいる。

 さっきと同じように、じっとグラウンドを見つめている。その顔は祈っているようにも見えた。

 

(アイツ、俺のことを信じてくれてるのかね)

 

 神谷は内心で苦笑いした。

 自分の打棒については、誰よりも自分がよくわかっている。キャッチャーとしての守備と配球には自信があるが、バッティングだけは正直なところ胸を張れない。今シーズンの打率も自分自身の過去最高ではあるが、決して高い数字ではない。

 もう少し打率が高ければ不動のレギュラーなのに、と首脳陣も評論家も報道陣も言っているのを知っている。この場面で自分に期待をしている者は決して多くないだろう。

 

 だが、それでも。

 

(俺はここで打たなきゃダメなんだ)

 

 今日の北野は別格だ。神谷はそう確信していた。

 だからこそ、自分が何とかしなければならない。何としても勝たせなければいけない。

 

(北野、俺がここで必ず追いついてやるから)

 

 向井が投球動作に入る。


 

 

(ちっくしょう、やっぱ向井さんはスゲエよ)


 バッターボックスを一度外しネクストバッターズサークルまで戻った神谷は、滑り止めのスプレーをバットに吹きつけながらこの打席の配球を思い返していた。

 

 初球はインコースのストレート。思い切りバットを振ってファール。

 2球目、アウトコースのスライダー。これは見逃してボール。

 3球目、インコースにストレート。バットが空を切ってツーストライクに追い込まれた。

 4球目、続けてインコースのストレート。バットを出したがファール。

 5球目、アウトコースのスライダー。これは見逃してボール。

 

 神谷は深く息を吸い込んだ。

 

(ここまでインコースのストレートとアウトコースのスライダーだけで組み立ててるな。勝負球はなんだ……考えろ、考えろ)

 

 インコース攻めで腰を引かせてアウトコースで打ち取る。まさに基本中の基本である配球だがバカにはできない。効果があるからこそ基本と言われるのだから。


(配球は基本的なものだがスライダーは全部ボールになってる。これは外してるのか、それとも外れてるのか……)

 

 自分ならどう向井をリードするか。


 向井が勝負をかけてくるのなら間違いなくスライダーを投げてくるだろう。それがウイニングショットでもあるし、8番の自分に対してかわすピッチングをするような男でもない。

 相手が誰だろうと全力で仕留めに来るのが向井拓海というピッチャーであることぐらいは神谷も知っている。まして今日は本拠地での最終戦であると同時にシーズンの最終戦だ。

 

(最後は間違いなくスライダーで来る)

 

 それはもう確信に近かったが、だが7回の満塁の場面で今日初めてのフォークボールを投げて三振を奪ったシーンが頭から離れない。


 一塁が空いていることを考えれば、最悪歩かせてもいいと考えているだろう。

 普通は逆転のランナーを出すのを嫌うだろうが、きっと向井はそうなっても次のバッターを仕留めればいいと考えるだろう。だからこそ厳しいコースに投げてくるハズだ。

 

(考えろ。考えろ、俺)


 北野の勝ち星のために何とか打ちたい、打ってやりたい。そのためには向井のスライダーをどうにかしなければならない。

 あのスライダーを自分が打てるとしたら決め打ちをする以外にないだろうと神谷はわかっていた。来た球を打つではなく、ここでスライダーだと読み切って決め付けた上で打ちに行くしかない。

 もちろんそれでもコースまではわからないが、しかしそうでもそうしない限り自分には打てないだろう。


 

 入念に足元をならしながら神谷は腹を括った。ストレートや他の変化球が来たら手も足も出ないかもしれないが、狙いはスライダーのみ。スライダーに的を絞って弾き返してやる。

 

 神谷はマウンドをキッと睨みバットを構えた。マウンド上の向井がサイン交換を終え投球動作に入る。神谷はグッと奥歯を噛みしめた。口の中でアドレナリンの味がした。

 


 その瞬間、球場内が静まり返った。バッターボックスには固まったままの神谷が立っていた。神谷は向井の投球を見逃したのだ。

 

「ボール!」

 

 審判がそうコールした途端、球場内に深く長いため息が漏れた。これでカウントは3ボール2ストライクのフルカウントになった。

 

(あっぶねぇぇぇぇ。完全に裏をかかれた。手も足も出なかった)

 

 神谷は平静を装いながら心の中で胸を撫で下ろしていた。

 スライダーに的を絞っていたが、向井はストレートで勝負してきた。それもアウトコース低めに。もっとも打者を打ち取りやすいコースに見事なコントロールで。

 

 神谷は手を出せなかった。ボールだと見極めて手を出さなかったのではなく、完全に手が出なかったのだ。

 ボールになってくれたのは単にラッキーだったにすぎない。別の審判だったらストライクとコールしたかもしれない。

 それほどまでギリギリにコントロールされたボールを投げた向井というピッチャーに対して、神谷は鳥肌が立つような戦慄にも似た感覚を感じた。役者が違う、そう思った。

 

 しかしだからといって負けるわけにはいかない。


(向井さんの方が1枚も2枚も役者が上?)


 いまさらそれがどうしたというのだ。そんなものは関係ない。打つしかないのだ。

 

(仕留め損なったんだ。次は今度こそ間違いなくスライダーだ。絶対にスライダーで決めにくる。絶対にだ)

 

 さっきはスライダー狙いと決めたにもかかわらず、やはり頭のどこかに他の球がくる可能性を思い浮かべていた。迷いを消し去れていなかった。

 しかし今度は違う。次はスライダーだ。100パーセントの確率でスライダーがくる。もう神谷に迷いはなかった。

 

(当たってくれ!)

 

 神谷の頭の中にはそれしかなかった。

 

 向井の投げた6球目は神谷の読み通りスライダーだったが、そのボールは彼が今までに見たことがないほどのキレだった。しかし振り出したバットはもう止まらない。

 

 バットを思い切り振り抜くと、キン、という金属音とともに白球がセンターへ弾き返されたのが目に入った。

 

 向井が咄嗟にグラブを差し出したが捕ることは叶わない。

 打球はキレイにセンター前に抜けた。

 

 二塁ランナーの山本は一気に三塁を回りホームへと向かう。

 だが打球に対して猛ダッシュしていたセンターは、捕球するやいなや本塁に向けてレーザービームさながらの送球を放つ。

 

 山本が頭から身をくねらせるようにして本塁に滑り込んだ。

 センターからのドストライクの送球を捕ったキャッチャーが山本にタッチをしに行く。

 タイミングは微妙だった。場内から一斉に「ウォー」と歓声が上がる。アウトか、セーフか。


「セーフ! セーフ! セーフ!」

 

 審判がそうコールした瞬間、シーサーペンツのファンからは悲鳴のような声が上がった。

 しかし同時に左翼外野のアルビオンファンは感情が爆発する。

 

「やったぁ!」

「神谷! 信じてたぞ!」

「同店だ! 同点だ!」

 

 鳴り物が鳴り、神谷コールが球場内にこれでもかとばかりに響き渡る。

 

 

 アルビオンのベンチ内もまた、感情が爆発していた。

 

「神谷! よくやったぞ!」

「よしよし! この調子で逆転しようぜ!」

「流れはこっちだ! いける、いけるぞ!」


 一塁上の神谷が、ベンチの北野を見つめながら、握りしめた右拳を高々と掲げている。


(打ってくれるって信じてたぜ)


 北野は、生まれて初めて感動で身体は震えるのだと知った。


(神谷、オマエ、最高だよ。ありがとう)


 もう1点もやらない。8回裏の登板に向けて、あらためて北野は闘志を沸き立たせていた。身体が限界? そんなことはもう関係がなかった。

 

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