第九試合 2.査定
島立裕作というレフェリーに呼ばれて、譲二はリングの中央へと足を動かす。対面の赤コーナーからもドミニク・フライが歩を進めてきた。
ややぎょろ目の島立レフェリーがMMAルールの基本事項に言及している傍ら、譲二は対戦相手を見据えた。
ドミニク・フライは俯いて、キャンバスマットを見つめながら、何かを呟いている。耳をすますと、それは「たった一つの誇り」というプライド軍の理念とやらだった。
譲二は意を決して、合衆国言語で「ヘイ、ミスター」と声をかける。
「……あ……?」
ゆっくりと、ドミニク・フライが顔を上げた。かすかに焦点の合わない感じが残っていて不安にさせられるものの、その視線は思っていたよりもしっかりしている。
「……俺はあなたに勝って、火雲列島へ行きます」
そう言った瞬間、ドミニク・フライが目を見開いた。
質量を伴いそうな殺気めいたものが膨れ上がる感覚。島立がルール説明の途中にもかかわらずたじろいで、思わず後ずさりするほどだった。
先ほどまでの茫洋とした雰囲気はどこへやら、覚醒していく元駐留合衆国軍の兵士。その闘気にあてられて、譲二は早くも額に脂汗を垂らす。
「……お、おまえが、火雲列島へ、だと……?」
ドミニク・フライが困惑の混じった目つきで射抜いてくる。譲二は「はい」ときっぱり首肯した。
「防衛線を敷いている陸軍の格闘兵混成団に志願しようと思っています」
小声で続けたその言葉にドミニク・フライが驚き、おそらく呆れもして、ゆっくりと背筋を伸ばした。古代の屈強な剣闘士のように、胸筋が盛り上がる。
「そ、そうか……」
目に精気が宿り、収束した殺気が照射される。
「ならば……俺は、おまえを……査定、しなければなるまい……。果たして、それに見合った力量があるか、どうか……」
背を向けて、自身のコーナーへと戻っていくドミニク・フライ。望むところだ、と譲二も青コーナーに下がる。
シェイクハンドのゼスチャーを無視された格好の島立がつかの間、拗ねたような態度を見せるが、知ったことではない。
「よし、大和魂を見せてこい!」
セコンドの剣崎詠美トレーナーがロープ越しに、譲二の肩をばしんと叩いてきた。それから、空太と共にリングから下りる。
本来なら光次郎会長がチーフセコンドを務めてくれるはずだったのだが、美濃部の試合の介添えで疲れたらしく控室で休んでいて、今この場にはいない。セコンドは基本、立ちっぱなしのため、股関節や腰にきてしまったのかもしれなかった。
会長不在で不安に思うところも少しはある。しかし、やるしかないと譲二は腹をくくる。
それに、入場して花道を歩いているとき、矢橋鈴莉が観客席から手を振るのが見えた。先日、施術をしてくれた彼女も応援しに来ている。そう考えると、ますます無様な試合は見せられない。
(ドミニク・フライはスイッチが入っている。一発さえ、いいのが当たれば倒せるはず)
スイッチが入っている、というのは格闘技界の独自的な表現で、主に頭部へのダメージの蓄積により、今までは問題なく耐えることができていた打撃で簡単にダウンや失神を喫してしまう状態を指す。簡単にいえば、打たれ弱くなっているということだ。
ドミニク・フライも、おそらくUFC軍の魔改造兵との連戦でそうなってしまったのだろうが、過去の試合映像を見ると、何でもないパンチやキックにたたらを踏みかけることがままあった。譲二はそこに勝機を見出している。
元強化兵相手に無謀ではあるものの、今日は打撃勝負も辞さないつもりだった。ゆえに、最初の方策としては。
響き渡る金属音。ゴングが鳴らされたのだ。次いで、レフェリーの試合開始を告げる「レディ、ゴー!」という掛け声がそれに被せられる。
(先手必勝だ!)
譲二は駆け出した。ドミニク・フライがばっと振り向く。
「が、あああっ!」
ダッキングしながら懐に入った譲二の頭上を、雄叫びと共にドミニク・フライの剛腕がかすめていた。その風圧に髪を逆立たせられ、寿命が縮む思いを味わう。
フックパンチを空振りした横っ腹に、ボディブローを突き刺す。壁を殴ったような感触がして、筋肉量の増加はチート兵の十八番だったなと思い出す。
かといって、頭部などが急所ということに変わりはない。脳や三半規管は鍛えられないのだから。
頭を伏せた体勢のまま、ろくに相手を見ず、オーバーハンドのパンチを振るった。当て勘に優れているわけではない譲二のそれは、惜しくもというようなことはまったくなく、空を切る。
顔面へのビッグヒットを警戒してか、ドミニク・フライが腕を上げた。クローズガードの構え。
それに呼応して、譲二はすぐさま胴体にタックルを仕掛けた。ドミニク・フライが腰を落として踏ん張り、相撲のもろ差しの如く腕を抱えようとしてくる。
すばやく腕を引き抜いて、離れる。先のテイクダウン敢行はブラフであり、タックルの選択肢もあるよということを早々にちらつかせて、ガードを固めてくるのを躊躇させるためのものでしかない。
この試合の理想的な勝ち筋として、顔面に打撃をぶち込んでスイッチを入れるという展開に持っていきたい。なので、頭部のガードを下ろさせるべく、ボディへの攻撃やタックルも混ぜていく。
(これもくらいやがれ!)
譲二は相手の脚にローキックを叩き込む。通常、ローキックは太腿を狙うものだが、今回はそうではなく、足首を蹴った。
足を払われるようにして、バランスを崩しかけるドミニク・フライ。間髪入れず、譲二は飛び込むようにして、スーパーマン・パンチを繰り出す。
(っ!)
ドミニク・フライがスーパーマン・パンチを被弾してわずかに仰け反りながらも、強引にフックパンチを振りかぶってきた。着地体勢のため、譲二はとっさに回避行動がとれない。
やむをえず、空いている方の腕で側頭部を覆ってブロックを作る。顎を引いて、歯も食いしばった。
棍棒でぶん殴られたかのような衝撃。譲二はたまらず吹っ飛ばされ、肩からリングロープにぶつかっていた。
場外から歓声や悲鳴が飛び交い、詠美らが声を失うのがわかる。譲二だって、予想をはるかに超えるパンチ力に、頭の中がパニックになっているのだ。
ヘッドギアがなかったら、頬骨や眼窩底などがひしゃげていたかもしれない。それほどのパワーだった。
(い、いやいや……。チートにも程度ってものがあるだろ……!)
ドミニク・フライが足を踏み出す。譲二も向き直ろうとするが、膝に力が入らずぐらついてしまう。
「サークリングしろっ、回復の時間を稼ぐんだ!」
詠美のコーチングが飛んでくる。
譲二は膝に鞭打つ思いでバックステップした。後退。だが、ドミニク・フライは獲物を逃すまいと、狩人のように追いかけてくる。
牽制の突きを放った。当たる。しかし、止まらない。
返しのフックパンチが襲いかかってくる。まだ思いどおりに動いてくれない足の代わりに、オープンフィンガーグローブを嵌めた両手でパーリングする。
なんとかフックの軌道を逸らすことには成功したが、その代償として、両手が弾き飛ばされる。
がら空きになってしまった顔面。そこに迅雷のハンドスピードで、逆方向からのフックパンチが迫ってくる。
(まずい! よけないと終わる!)
直撃をくらったらひとたまりもない。譲二はそう確信していた。だから――
インパクトの瞬間、タイミングを合わせて、パンチの射出方向に逆らわないように首をねじる。超高速で顎に衝突してくるはずのエネルギーを、首ねじりで横に受け流す。
はた目には、振り抜かれた剛腕と跳ね上がる頭部のように見えるのか、観客席からの悲鳴が一段と声量を増した。
朽方流合気道の、手足ではなく首による捌きという、高難度の技だ。この局面で一発成功したのは運に他ならないが、この際まぐれでも何でもよかった。
さっきのフックパンチに手応えがなかったことを知っているドミニク・フライは警戒してか、追撃に来ない。その隙に、譲二はロープ際から逃れる。
直撃はまぬがれたが、完全にダメージを受け流せたわけではないので足がもつれた。それでもサークリングをする。
(つ、強すぎる……! これが、レベル4……!)
譲二は理不尽な思いで元プライド軍の強化兵を見つめる。魔人の如き戦闘力。




