第九試合 3.元レベル4
事前に考えてきた戦闘プランは既に大半が砕け散った。ここからどう巻き返せばいいというのか。
作戦を再構築する暇もなく、ドミニク・フライが地を蹴った。
大振りのパンチが襲いかかってくる。膨れ上がりそうになる恐怖心を無理やり抑えつけて、スウェーでそれをかわした。
間断なく放たれる二撃目。初動しか目視できなかった譲二は、ええいままよと上半身をウィービングさせてよける。
顔の真横を強振が通りすぎていた。衝撃波が頬に伝播する。
命拾いしたと思う間もなく、ドミニク・フライがそのまま組みついてくる。お手本のようなレスリングで背中に腕を回して、クラッチを作られた。
「しまっ……!」
チート兵によるクラッチからのホールドは一種のハメ技のようなものだ。つかまれてしまったら、筋力の差で振りほどくことは困難。
コーナーポストに押し込まれた譲二は、さながら釘を打ち込まれた哀れな昆虫の標本のように、その一角から動けなくなる。
その密着した狭い距離で、ドミニク・フライが腕を振りかぶった。短い振り幅のフックに反応が間に合わず、こめかみに被弾する。
なんとか耐えて、クラッチが外れたのを見てとり、譲二はコーナーからの脱出を敢行した。が、フックの打ち終わりと同時に再び組みつかれて、押し込まれてしまう。
ショートフックが連打される。腕を上げて側頭部を覆うも、ガード越しに頭部を揺らされ、譲二は腰を落としかけた。
(だ……ダーティボクシング……!)
ダーティボクシングとは、今まさにドミニク・フライがやっている、クリンチなど相手に組みついている状態から打つパンチの総称である。
空いている方の手などで相手の首をつかんだり、腕を押さえつけたりしたままパンチを打つことは、ボクシングでは反則行為とされている。直訳すると美しくないボクシングなのだが、路上での喧嘩で相手の胸ぐらや服の襟をつかみながら殴り合う、あのがちゃがちゃした感じだ。
総合格闘技ではルール上、問題なく、むしろ際での打撃テクニックの一つとして認識されている。特に、ストライキングに自信を持つレスラーが好んで武器にしている印象だ。
やられっぱなしではよくないと思うものの、相手は攻撃のとき以外、密着を徹底してきている。それはつまり、こちらが突きや膝蹴りを放つためのテイクバックに必要な空間が形成できないということだ。
脇を差して揺さぶるなり、重心を低くして強引に空間を作ろうとするなり、譲二は現状打破のために抵抗を試みる。が、それらは大した効果を得られず、コーナーポストに釘付けにされてしまう。
「……弱い。弱すぎるぞ……か、覚悟と、力量が見合ってない……」
ドミニク・フライが肩越しにささやいてきた。
「そ、それでよく……火雲列島へ行く、などと……ほざけたものだな……」
「なんだと……くっ……」
失望が込められたその言葉に、感情が高ぶる。冷静にならなければいけないのに、頭の中が煮えたぎってくる。
「レフェリー、そいつ何もしてないぞ! どうせ動けないんだから試合を止めろ!」
赤コーナーのセコンド陣から片言の日鶴語で野次が飛んできた。黙ってろ、と譲二は心の中で毒づく。
ガードの隙間にパンチをねじ込まれた。島立レフェリーが機敏なフットワークで回り込み、ダメージの程度を確認してくる。
打つ手がまったくないわけじゃない。テイクバックのためのスペースがどこにもないわけではないのだ。上なら空いている。
真上から垂直に振り下ろす肘打ちを頭頂部や背中に突き刺す、という方法もあることにはある。勿論、ほとんどの格闘技のリング上では反則とされている攻撃だ。
肘の先というのは人体の中で最も硬くとがっている部位の一つなので、高度をつけて打ち下ろす肘というのは、当たった箇所によっては与えうる被害が深刻なものになりやすい。そのため、キックボクシングでも総合格闘技でも、肘打ちの角度に制限をかけている団体が多いのだ。
しかし、譲二が目指しているのはこの競技のリングではなく、鉄風雷火の戦場なのではなかったか。戦場にも国際条約というものがあるとはいえ、やや何でもありとなっているのが実態のはず。
ドミニク・フライだって元格闘兵。互いに戦場をホームとする兵士ならば、例え危険技の肘打ちを見舞ったとして、とあるキックボクシング選手のように痛がって続行不可の演技をすることは絶対にないだろう。セコンドの方が抗議してくるかもしれないが。
それに、自分は前科者。穂尾の駐屯地で、ヴァレリアとマリナとの連戦でも醜悪な反則行為を繰り返してきたのだ。今更、何を躊躇することがあろうか。
観客を敵に回して、好きにやってもいいのではないか。譲二は意を決して、肘を上げようとする。
そのとき、場外で寺越光次郎が、美濃部に付き添われながら、最前列のゲスト席と思われるパイプ椅子に座ろうとしているのが見えた。
(……っ。馬鹿か、俺は)
直前で譲二は思い直す。自分はブルームーンジムの登録選手としてここに立っているのだと。
光次郎会長の面目を潰すわけにはいかない。到底返しきれない恩情を受けているにもかかわらず、ジムの看板に泥を塗るなどもっての外だ。
「……と、トゥエルブ・トゥー・シックスのエルボーか。着眼は悪くないぞ。だが、どうした……なぜやらない……?」
トゥエルブ・トゥー・シックスとは、真下に振り下ろす肘打ちの合衆国言語圏における技名で、日鶴語に訳すると「十二から六へ」、つまり時計の針が指し示す十二時の方角から六時の方向へという意味になる。
「……もっとも……エルボーを打たれたら……こうする、つもりだったがな……!」
「な……うわっ!」
ベア・ハッグのまま譲二は軽々と持ち上げられた。
次いで、背中からリングに叩きつけられる。グラウンドへの移行!
「子供は、家に帰って寝る時間だ……」
ドミニク・フライが上半身を起こして腕を振るう。パウンドが額をかすり、逸れて着弾したマットを揺らした。四方のロープが波打つ。
譲二はそれで昏倒しかけたがどうにかこらえて、打ち終わりの相手を引き込み、その頭を脇に抱えた。フロントネックとしては入りが浅く極められないが、相手の動きを制限することはできる。
そのまま膠着状態に持っていってあわよくば少しは休みたかったのだが、そうはさせじとドミニク・フライがこちらの横腹を殴ってくる。手打ち気味とはいえ、力を溜めて何度も打ってくるので、しんどい。
段々とマウスピースを吐き出しそうなほどつらくなってきたが、ここで苦悶の表情を見せるとレフェリーがダメージありとみなしてブレイクしてくれないので、譲二は効いてないふうを装って耐える。
数十秒ほどそうしていたら、島立が肩や背中を叩いてブレイクを告げてくれる。ドミニク・フライが顔に不満を貼り付けながらも、立ち上がった。
譲二も手をついてスタンドに戻り、脇腹のこそげるような痛みに歯を食いしばって構え直したところでゴングの音。即座に島立が割って入り、第一ラウンドが終了したのだと理解する。
もうそんなに経っていたのかと少し驚き、これはアマチュア大会の試合だから、ルールで各ラウンドの時間が五分ではなく三分間と短いのだということを思い出した。助かった、と息をつく。
「い、命拾いしたな……」
ドミニク・フライが嘲るように言って、赤コーナーへきびすを返す。
元プライド軍兵士の言わんとしていることが譲二にはわかる気がした。戦場にはラウンドやインターバルなんてものはないのだ。ブレイクどころか決着さえも、誰も止めに入ってはくれない。
ゴングに救われたと胸を撫で下ろしているようでは、あっちでは生き残れないぞとドミニク・フライは忠告をしているのだ。確かにそのとおりで、譲二は反論できない。
歯噛みして自身のコーナーへ戻ろうとしたら、島立に腕をつかまれた。何事かと思って首を向けると、「ニュートラルコーナーへ」と促される。
ニュートラルコーナーでは、ステップ階段を上ってきたリングドクターがロープの外側で待機している。白衣ではなく紺色を基調としたスクラブのシャツとズボンだった。
もしやと思い、譲二は顔を触った。ぬるっとした感触があり、手を見るとべっとりと血が付着していた。
「眉尻が切れているね。深くないかどうか傷口を診察するよ」
リングドクターがそう言って、ロープ越しに、医療用手袋に持ったガーゼタオルで顔の血を拭き取ってくれる。
(さっきのパウンドがかすったときにカットしてしまったのか。なんつう切れ味だよ……)
譲二は相手の殺傷力に肝を冷やしつつ、ロープに腕を乗せて体重を預け、少しでも楽な姿勢をとる。頭の中でぐわんぐわんと耳鳴りがしていて、本当は今すぐにでも座り込みたい気分だった。
「傷は深くなさそうだけど……血が止まらないな。圧迫止血をしてみよう」
ガーゼのクロスを眉尻に押しつけられる。島立が主催者テーブルや審判団など各方面に止血措置のためのタイムを宣言した。
「すみません、レフェリー」
セコンドの詠美が場外を回り込んで、ニュートラルコーナーの下へとやってきた。その後ろには空太もいる。
しゃがんで耳をすまそうとする島立に放たれた彼女の次の言葉は、譲二にとっては受け入れがたい内容のものだった。
「力の差がありすぎるため、試合放棄を検討したく、選手本人と話し合わせてください」




