第八試合 1.スケートボード
ブルームーンジムの裏側には物置があり、そこにはほうきやトレーニング用のホイールなしタイヤ、バーベキューコンロなどがしまわれている。
灯油用ポリタンクを物置の中に運び入れていた松浦譲二は、とある物を見つけた。隅に立てかけられていたそれは、スケートボードだった。
(スケートボードなんて、久しぶりに見たな)
譲二は少し考えて、使い古された感のあるそれを手に取ってみた。物置の外に出て、埃や土汚れをはらう。
平日の午後ということもあってか、ジムの正面前の車道を走っている車はほとんど見かけない。歩道にスケートボードを置いた。
小憎らしくなるほどスケートボードを軽やかに乗りこなしていた親友の姿を思い浮かべ、譲二はゆっくりと、ボードの上に足を乗せる。
……結果は散々だった。
片足で足こぎする程度ならできなくもない。のだが、そうして助走をつけてから両足で乗ろうとすると、途端にバランスを崩してしまう。
譲二はあさっての方向に蹴り飛ばしてしまったスケートボードを取りに行く。ジムの駐車場スペースに戻って、地べたに座り、何となしにボードを裏返して車輪の構造を確認する。
(やっぱり、自分にスケボーのセンスはなさそうだ)
さじを投げるようにスケートボードを脇に置き、あぐらをかいていると、
「何をやってるの?」
歩道から自転車を押して歩いてきた麦林寧々《むぎばやしねね》に声をかけられた。不思議そうに顔を傾けている。
見上げれば、彼女は高校の制服と思しき紺色のブレザーとスカートという身なりだった。学校帰りのようだ。
「……そういえば、かつてのキックボクシングや総合格闘技の興行で、女子高生ファイターが時々、入場パフォーマンスで制服を着用していることがあったっけ……」
「女子高生ふぁいたー? 入場パフォーマンス?」
「独り言だ。気にしないでくれ」
自転車の前かごに通学鞄が入れられていて、真っ黒な三角の目とギザギザの口をしたカボチャの飾りがストラップと共に揺れている。そういえばハロウィンの時期だ。
リアキャリアには、またスーパーマーケットで買ってきてくれたであろう、ミネラルウォーター数本入りのダンボール箱が括りつけられていた。そのリアキャリアを目にし、譲二はあることを思いつく。
「寧々、ちょうどいいところに来てくれた」
譲二はばっと立ち上がり、リアキャリアからダンボール箱を下ろして、ジムの中へ運び込んだ。そうしてから、スケートボードを拾い、寧々を自転車と共に回れ右させる。
「え、なにー? 何なの?」
「いいから。自転車に乗って、こいで」
相変わらず車の影一つも見えてこない車道に出て、わけがわからないよというふうの寧々が自転車にまたがり、ペダルをこぎ始める。
その真後ろに立っていた譲二はスケートボードを地面に下ろし、それに足を乗せて踵寄りで踏みしめながら、自転車のリアキャリアをつかんだ。彼女のこぐ自転車に引っぱられて、ボードが前に進む。
これならあまりバランスを崩さずに両足で乗っていられ、他力で速度も稼げるという寸法だ。自転車のふらつきにコントロールが左右されるという別種の難しさはあるが、そこは寧々がちゃんとまっすぐにこいでくれれば問題はない。
「あはっ、負荷を設定したエアロバイクみたいにペダルが重いんだけど」
不平を言いつつもどこか楽しそうな声音の寧々。それにつられて、譲二もつい笑みをこぼす。
「これ、絶対に道路交通法違反だよー」
「大丈夫、大丈夫。車や歩行者が見えてきたら、すぐに手を放して、スケボーから降りるから」
寧々の髪の毛が風になびいている。その風に混じって、洗髪剤と思しき仄かな香りもしてきた。
彼女は陽だまりのような存在だ、と譲二は思う。ブルームーンジムで、その名称のとおりに月のようにみんなを優しく見守っている、日なたの女の子。
だからこそ、譲二は気にかかっていた。少女の表面上に見える、目をこらさなければそうとはわからない小さな黒点が。
スケートボードの疑似体験はもう充分だ。次の一歩を踏み出してみよう。
例え、それが彼女の内なる領域を侵してしまうことになろうとも、見なかったことにするのはとても難しいことだから。
「……なあ、寧々」
リアキャリアをつかんだまま、その背中に呼びかける。
「寺越会長と、まったく話さないんだな」
キキッ、という自転車の前輪がきしむ音。寧々がブレーキをかけたのだ。
後輪と共にリアキャリアが少し、左右に乱れた。譲二は後ろ足を地面に下ろし、フットブレーキでスケートボードの前進を止める。
自転車が完全に停止し、寧々が地面に足を下ろす。そうして振り返った彼女の瞳には、無機質な色が宿っているように見えた。
「……話しているよ? 譲二が見ていないところとかで」
そう微笑んでみせる寧々。その笑顔は意識的に作ったものだという確信が譲二の中にあった。




